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さて、ここは一つ素数でも数えるべきだろうか。いやいや私は十分落ち着いている。まあ呆然と現実から逃避しているというか、むしろ自分の正気を疑うレベルで現実の方が逃避しているというか、パニックになるまえに一周して冷静になっているというか、いやどういうこと?
よし、深呼吸。
体を包むのは暖かな日差し。肌を撫でるのは涼やかな風。鼻腔をくすぐるのは湿った土の香りだろうか。夢というにはちょっと無理があるなぁ、感覚的に。
そして、最大の問題は。
そう、私の視界に広がる、こののどかな風景に重なるように存在する半透明のあれやこれや。それはとても見覚えのあるものだった。
『どう見てもこれ、POPのインターフェースだよなぁ』
風景に重なるように浮かぶのは、半透明の板のような物体達。ご丁寧に私がプレイするにあたって移動させたりなんだりしたレイアウトのままなのだ。しかも意識して注視すると半透明状態から透過率が下がって実体化するという謎仕様までついている。おいおい、しかも実体化させると触って動かせるよ。触感は柔らかい布? 多分少し力を入れると突き抜ける……突き抜けたら半透明からさらに透明化したな。なんぞこれ? うん、ということで。
「ぅおーい。異世界か? 異世界転移か? むしろUIあるからゲーム世界迷い込みか? 死んでるとか思いたくないから異世界転生じゃないといいなぁこんちくしょーっ!」
「っ!」
とりあえず私は空へ向かってシャウトをかましてみた。それで多分斜め上へとフルスロットルで回転し始めていた私の思考は、多少なりとも引き戻った、ような気がする。まあ、なんだ。こういう状況はフィクションだから良いのであって、ノンフィクションで進行形というのは洒落にならない。現実世界がどうなってるのか、考えるだけでも怖いし、ついでに言うとこれがゲームに即しているならこっちの世界でもまずい。
そう、私はチュートリアルを飛ばしている。つまりは、最初期に手に入るスキルや武器防具などのアイテム、さらにはゲーム内通貨全て所持していない状況なのだ。これでアカウント倉庫を開ける手段が無ければ終わる。もしデスゲームとかだったならほぼ詰んでるといえよう。
そして、私のシャウトに吃驚した顔でこちらを見ている童女さん、驚かせてご免なさい。だからそういう生暖かい眼で見ないで下さい、反省してます。
まあなんだ。私の隣には私と同じく初心者装備をした小柄な女の子が座っていたのだ。しかも私と同じ様に尻餅をついた姿勢でだ。違うとしたら、その腰に不釣り合いな刀を差しているところだろうか。いや、刀差してる時点で十分異常だよなぁ。
しかしまあ何というか……美少女だよな。姫カットというのだろうか、前髪パッツンなセミロングをした色白少女。艶やかな黒髪と深みのある黒い瞳。どこか儚げなはずの佇まいだけど、きりっとした眉毛がどこか凛々しさを漂わせている。見開かれている切れ長の眼は、どこか子猫を思わせて……萌える。
んー、けど、確か記憶が確かならこんな髪型は外見パレットには存在してなかった筈。ついでに言うとキャラクターに身長なんてパラメーターは存在してない。それは種族ごとに一定だ。と、いういことは。
私はちらりと自分の体に眼を走らせた。少女と同じ布の上下装備。だけど身長は間違えなく彼女よりかなり高い。多分、リアルと同じくらいだろう。さて、鏡が欲しい。と、思いついて私は宙に浮くインターフェースを操作して、装備の枠を呼び出した。通常ならそこには今の装備を付けたアバターが表示されているはずなのだけど。
思った通りに、そこには今の私の姿が存在していた。なるほど、リアルに近い外見のようだ。ただしアバターの影響も存在している。主観だけど、リアルとアバターの割合が三対一くらいだろうか。ちょっと気持ちが悪いな。アバターの影響分どこかその姿が無機質に感じられるせいだろうか、あるいは自分のアラが感じられて自己嫌悪を感じるせいだろうか。まあこれで身長による差異が発生しているというのは分かった。ということはゲーム内に迷い込んだ、という線は薄そうだ。そしてアカウント倉庫が使えない可能性が上がった気もする。
『まいったなぁ、これは。どうしたものかなぁ』
ぐるり、と首を巡らせて、私は改めて周囲の様子に眼を走らせた。小高い丘の上だろうか。少し先には石と土で作られた家々が建っている。木で作られた柵の向こうは麦畑だろうか。その向こうは野菜畑か? お、牛と鶏も発見。それは初めて見る景色の筈だ。けれど私はこの地形を知っている。それどころか、見えない位置になにがあるのか、その先がどうなっているかまで予想が付く。
そう、ここはアビチェ村にそっくりなのだ。しかもチュートリアルを受けた後、最初に飛ばされてくる地点に。もちろん、CGと現実という違いこそあれ、脳裏に描いた地図を参照にしてみたところ、見事に一致している。POPを始めたばかりの頃に走り回った村の風景そのものだ。あの頃のワクワク感は今でもはっきりと思い出せる。
とはいえ、まあ今はそれは置いておくべきか。まずは隣の彼女とコミュニケーションを取るべきだろう。私は隣に座る少女へと向き直り、改めてその姿に眼を走らせた。正確にはその頭上に。そこには白い文字で、
“旅人”
“初心者の”“月山守 綺”
と表示されている。となると、この娘もPOPのプレイヤーなのだろう。つきやまもり あや、だろうか。さて、問題は彼女、あるいは中の人が男性なら彼だろうか、が新規プレイヤーか経験者か、なんだけど。ま、とりあえずは。
「えっと、驚かせて御免ね。私はイヅナ。イヅナ・プエラリア。まあ、見ての通りPOP、幻想開拓史のプレイヤーね。まあ、こんな状況だけど、初めまして」
奇声とか奇矯な行動とかを誤魔化すように笑顔で挨拶なんぞしてみる。まあ、もし彼女が新規のプレイヤーさんなら、多分私よりはるかに混乱してるはずだろうし。何より、彼女が見た目通りの年齢なら私の方がお姉さんになる。あまりみっともない真似はしたくない。
そんな私の挨拶に、彼女ははにかむように微笑みを浮かべて、
「はい、私もその、そんな名前のげーむを遊ぼうとしてました。初めまして、四方駒子と申します。よろしくお願いします」
……いやいや、駒子ちゃん。それ本名、本名だからね?