2 謎の貴公子(2)
「ふ~、さっぱりした」
リビングや寝室と同様に広々とした浴室で、高級そうなシャンプーとボディーソープを使い、ふかふかなバスタオルの触り心地に癒されるという贅沢なひととき。まるでセレブにでもなったかのような気分だ。
さすがに着替えはないので、相変わらず少しよれたスーツを着るしかないが、それでも先ほどとは格段に爽快感が違う。お金持ちというのは、日々こんなに優雅な暮らしをしているものなのか、と璃子は感嘆した。
「ん? なんか良い匂いがする……?」
リビングの方から香ばしい匂いがしてきて、璃子はくんくんと鼻を鳴らす。ジュージューと食欲をそそるような音も聞こえてきて、つい釣られるようにふらふらとリビングに足を向けた。
左隅の奥まったところにあるキッチンを覗くと、あろうことかスーツの上にエプロンを着たイケメン家主が手際よく料理をしていて、すでに皿にはスクランブルエッグとトマトが盛りつけられていた。そして、仕上げと言わんばかりに、フライパンで焼いたばかりのウィンナーを乗せて、きつね色に焼けた食パンをトースターからまた別の皿に移す。その流れたるや、まるで息をするかのように自然で、璃子は思わずほうとため息をついた。
(イケメンでお金持ちで紳士で料理もできて……ほんと非の打ちどころがない人だなぁ……)
壁の影に隠れるようにぼうっと覗いていた璃子に気がつくと、家主は苦笑をこぼしながら距離を縮めていく。
「ちゃんと髪を乾かしてから来てください。朝食は逃げませんから」
そして、これまた自然に璃子の両肩に掛けてあるタオルを取ると、わしゃわしゃと犬の毛を撫でるかのように璃子の濡れた髪を拭った。
(わっ……!)
予期せぬできごとに、璃子は思わず心の中で驚きの声を上げる。
子どものころはよく親に髪を拭いてもらっていたが、それも幼稚園生ぐらいまでのことだ。修学旅行などで仲の良い友人と拭き合うことはあったが、さすがに男子とはしていない。ましてや、ほぼ初対面の男性に触られた経験もないし、そんな体験をするとは思ってもみなかった。
(さすがイケメン……。これがあのフルヘル上司だったら即セクハラになるところだけど、全然下心を感じないもんね。って、あたしが女子として認識されてないだけか……)
昨夜の醜態を思い出し、がっくりと肩を落とす。
ただでさえ女子扱いされることが少ない人生なのに、また自らその機会を失ってしまった。きっと近所の子どもくらいにしか思われていないだろう。
「洗面所にドライヤーも置いてありますから、使ってください。何なら、俺が乾かしてあげましょうか?」
驚きの提案をされて、璃子は思いきり首を左右に振った。
「いやいやいや、自分でできますから……!!」
「そうですか。じゃあ、風邪をひかないように、早く乾かしてきてください。あ、紅茶とコーヒー、どっちがいいですか?」
「え!? ええと、じゃあ、紅茶で……」
「わかりました。ゆっくりやってますから、ちゃんと乾かしてくださいね」
「はい……」
半ば強制的に洗面所へと送り出され、璃子はひとり息をつく。
(なんだろ……面倒見の良いお兄ちゃん? それともジェントルマン? あんまり男性に優しくされたことがないからわからないけど、ちょっと親切すぎるような……。あ、でも、海外セレブってボランティアとか慈善事業をしている人が多いんだっけ。もしかしたら、弱者には優しくするのがお金持ちの嗜みなのかも……)
失業して呑んだくれていた自分に、哀れんだイケメンセレブが施しを与えてくれる図。
想像してみると、テレビで見た映像とまったく同じ気がして、璃子は勝手に納得しながらドライヤーを拝借した。