お酒の後は
先輩が自宅で、飲み会を開いてくれた。おつまみやお酒を持ち寄って、みんなで盛り上がっていたはずなんだけど。私はいつの間にか、眠ってしまったみたいで。
「ん……」
「あ、起きた?」
テーブルの上を片付けていた先輩は、私に気づくと動作を止めた。
「はい、すいません、眠ってしまって……」
「大丈夫、僕もみんなもさっきまで寝てたし」
先輩は、少し恥ずかしそうに笑うと、また動き出す。
「あっ、私もお手伝いします!」
そう言って立ち上がろうとしたものの、慣れないお酒のせいで、フラフラと床に戻ってしまった。
「あ、あれ……?」
「僕がやるから大丈夫。無理しないで」
「すみません……」
食器を流す音を聞きながら、手持ち無沙汰になる。何か出来ることは無いかと思い、部屋を見渡した。
「あれ?」
「どうかした?」
ある程度片付いたからか、先輩は部屋に戻ってきた。
「あの、みんなは……?」
「あー、それが……。頭痛いだのなんだって、みんな帰っちゃって……」
向かいに座った先輩が、申し訳なさそうに言う。
「紗代ちゃんも起こして、一緒に帰ってあげてって言ったんだけどね……」
紗代ちゃん、いつも呼ばれているはずなのに、何故か鼓動が跳ねる。ほんとにごめんね、と言う先輩に、私は大丈夫です、としか言えなかった。
ふと、テーブルの上に置きっぱなしだった携帯が震えた。今日、一緒に飲んでいたうちの1人、同期の優乃からだ。
「先輩、電話出てもいいですか?」
「うん、いいよ」
携帯を耳に当てると、優乃の気だるそうな声が聞こえてきた。
『紗代? ごめんね、先に帰っちゃって〜』
「ううん、大丈夫。具合悪くなっちゃったんでしょ?」
『え? 違うよ。それは棗先輩、あたしは終電と棗先輩のお守り、なんつって』
棗先輩は、優乃が気に入っている女性で、今日一緒に飲んでいた。まあ、もちろん、優乃ばっかり喋っていたけど。
「そうだったんだ、棗先輩は大丈夫?」
『さっき家に返したとこ、そんなことより、紗代、帰れる?』
そう言われて、部屋の時計をみた。既に0時を回っていて、私の終電はなくなっていた。
「あっ……、やばい……」
『やっぱり。 全然起きなかったから置いてきちゃったけど、飲ませすぎたわ』
優乃のため息が聞こえた。私も飲みすぎたと、すこし反省している。釣られて、ため息が零れた。
『まあ、先輩の家でよかったよ。これで店締め出されました、とかだったら心配で死んじゃう』
冗談まじりに笑う優乃。私は全然良くないのだけれど。
『あんまり男の家に泊まるのはオススメ出来ないけど、今日は仕方ないよね、うん、仕方ない』
「……優乃、わざと置いていったでしょ」
『そんなことないよー! べつに、紗代と先輩が、上手く行けばいいなぁー、なんて、ぜーんぜん考えてないからねー!じゃ、素敵な夜を!ぐっばい!』
「あっ、優乃!? ちょっと……」
私の言葉も虚しく、電話は切れる。私は2度目のため息を吐くしかなかった。
「どうしたの?」
先輩が私を見つめる。何でもないです、そう言って携帯を置いた。
「てか、もういい時間だけど、紗代ちゃん終電は大丈夫?」
「それが……、寝ている間に無くなりました……」
「あ、やっぱり……、ちゃんと起こせばよかったね、ごめん」
謝ってばかりの先輩、私も大丈夫です、すみません、しか言えない。本当に申し訳ない。
「こんな事言うのもあれだけど、泊まっていきな。夜中に女の子を放り出す訳にはいかないし」
先輩の言葉にどきっとした。優しさからでた言葉でも、優乃のせいでなんだか意識してしまう。
「そ、そんな!申し訳ないですよ!わ、私は大丈夫なので!」
そう言って、荷物を掴む。テーブルの上の携帯に手を伸ばしたとき、先輩の手が重なった。
「紗代ちゃん、君は女の子なんだよ? もしも何かあった時、男の人に力で勝てる?」
勝てなかった。重なった手は離せなくて、離したくなくて、私は先輩の言葉に甘えることにした。
「泊まらせて、いただきます……」
「それでよし。ベッドは使っていいからね」
笑った先輩は可愛くって、胸の奥がきゅっと締まった。ああ、反則、ずるいよ。
「ちょっと布団敷かせて、僕の寝る場所がほしい」
「あっ、はい」
私はベッドの上へと避難する。荷物は部屋の隅っこに置かせてもらった。携帯を枕元に置くと、また通知。今度はメッセージだった。
『紗代ちゃん、大丈夫?』
それは、同期の松野くんからだった。彼もまた、飲み会にいた1人だ。大丈夫だよ、と返すと、すぐに返事が来る。
『本当に? 家には帰れた?』
先輩の家に泊まることになった、そう返信すると、今度は電話がかかってきた。先輩は物置を開けて、布団を引っ張り出している。「先輩、すみません、ちょっと電話してきます」
「ああ、うん、いってらっしゃい」
玄関先まで向かって、電話にでた。
「もしもし、松野くん?」
『紗代ちゃん! 先輩の家にいるの!?』
「え、あ、うん……。そうだけど……」
慌てたような声に、私は戸惑う。
『ああ、やっぱり帰らなきゃよかった……。紗代ちゃん、ほんとに気をつけてね? 先輩、手が早いって有名なんだから!!』
「て、手が早いって……!」
『いい? 絶対に隣に座っちゃだめだからね!! 男なんて、信用ならんよ!? 俺だったら絶対に無理! 襲う!!』
「おそ……っ!?」
松野くんは素直すぎる。今日も飲みの席で、天然パワーを炸裂させていた。
『紗代ちゃん、わかった!?』
「あっ、うん……、気をつけるよ」
『絶対だからね! じゃあ、おやすみ!』
ブツっと電話が切れる。どうして、私の周りの人は一方的に喋るのだろうか。まあ、私があまり喋るひとじゃないからかもしれないけど。携帯の待受を見つめながら、部屋に戻る。そこには、布団を敷き終えた先輩が、だらりと横になっていた。
「あ、おかえり」
「戻りました……」
それは、なんだか不思議な光景だった。普段、絶対に見ることのできない姿を、私は見ている。偶然ではあるけども。
「なに? そんなに見ないでよ」
先輩は、そう言って照れ気味に笑った。その姿に私は、松野くんの忠告も忘れて、先輩の横へと腰を落とした。
「先輩、なんかかわいいです」
寝転がったままの先輩のほっぺたに、ぷにっと指を挿す。なんだよーと、されるがままの先輩。恋人みたい。
「もー、紗代ちゃん、ストップ! 早く寝るよー!」
先輩は起き上がって、私の腕を掴んだ。
「ごめんなさーい」
2人で笑い合って、お互いを見合う。目と目が合った、その時だった。
「えっ……」
ぐっと引き寄せられて、私は先輩の腕の中にいた。それがわかった時、私の顔が、真っ赤になった気がした。
「せっ、先輩……?」
何でこうなったのか分からなくて、先輩に声をかける。そしたら、先輩は、我に返ったように、慌てて私から離れた。
「ごっ、ごめん!!!」
「い、いえっ!だ、大丈夫、です!」
柔らかいお布団の上で、顔が火照る2人。
「ね、ねようか!!」
「そ、そうですね、遅いですし!!」
目も合わせられずに、バタバタと距離をとった。
「おっ、おやすみ」
「はい、お、おやすみなさい……」
電気が消えて、暗闇の中。先輩の匂いがするベッドに包まれた私は、さっきまで寝ていたのと、先輩の温もりが消えないのとで、とても眠るなんて出来なかった。
朝になって、帰り支度を整えた私は、玄関にいた。
「泊めていただいてありがとうございました」
「いやいや、気にしないで」
昨日から、先輩の顔をまともに見れない。それは先輩も同じなのか、起きてから今まで、1度も目が合ってない。
「それじゃ、お邪魔しました」
ドアノブに手を掛けた。その時、先輩が私を呼んだ。振り返ると、あなたは、私をだきしめた。
「昨日はごめん……。だけど、僕、本気なんだよ」
「えっ……」
あなたの腕の中、やっぱり顔は見えなくて。
「紗代ちゃんさえ良ければだけど」
ぐっと肩を掴んで、私を見つめた先輩の顔は、きっと、私以上に赤かったと思う。
「好きです」
その言葉に応えるように、私はあなたに、キスをした。唇が離れると、私たちはくすくすと笑い合う。
「駅まで送っていくよ」
そう言った先輩と、手をつないで家を出た。
「明人先輩って、手が早いんですか?」
「えっ!?」
帰り道、ふと松野くんの言葉を思い出していた。うっかり聞いてしまったのだけど、先輩は恥ずかしそうに答えてくれた。
「……まあ、そこそこ……?」
「そこそこ、ですか?」
私が笑うと、先輩はちょっと意地悪そうな顔をした。
「試してみる?」
「なっ……!?」
「冗談だよ」
くくっと笑う先輩に、私は頬を膨らませる。
「大丈夫。ちゃんと、大事にするよ」
その言葉に、先輩の優しさがこもっていた。手を握る力が、少しだけ強くなった気がする。
「はい、大事にしてください……」
少しお酒が残っているのかもしれない。いつもよりも、足取りは軽やかで、2人でどこまでも行けそうだった。