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きまぐれの怪談 〜アパートの怪〜

作者: 沙猫対流
掲載日:2017/05/15

 私の実家がある某県に帰った時、数年前に起こった話だ。


 実家の近所にあるアパートの一室には、鎖で封じられた扉があって、度々噂になっている。私も子供の頃、何度か覗いたから知っていた。

 この間帰った時も見てみたが、相変わらず扉は閉ざされたままだ。この部屋の中を見た者は誰もいない。大家さんでさえどうなっているかわからないという。


 満月の夜、酒に酔った私は上機嫌で夜道を歩いていた。千鳥足であのアパートの横を通ったところで、例の扉を思い出し、せっかくだから見てきてやろうと考えた。

 鎖が解けていた。面白半分でドアノブを引っ張ると、鍵も開いているらしい。中に入ってみた。


 そこには一冊の古い、分厚いノート。電話番号を記録した台帳だ。見覚えのある人の名前が、一緒にずらりと並んでいる。

 開いたページをよく見ると右上に「◯◯年4月」と書かれていた。私が確か高校に入学した年だ。担任の先生、クラスの友達、塾の先生、その他諸々……。その頃知り合った人々の名が記されていた。

 高校時代世話になった先生に、試しに電話をかけてみる。暫く発信音が鳴っていたが、

「はい、○○です」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

「あ、先生」

「おぉお前か、元気してたか」

 それから5分程話をした。近況報告や、学生時代の思い出、昨今話題のニュースに対する議論、などなど。久しぶりに恩師の声が聞けて嬉しかった。

 他のページも見てみる。それぞれのページには年月と、いつかの知己の名前と電話番号が書かれていた――取引先の会社ですれ違った掃除のおじさんや、小学生の頃お隣さんだった八百屋さんの番号まであって、ちょっと驚いた――。裏表紙に近いほど最近のことだとわかる。「現在」の後にも幾らかページがあったが、端っこを糊付けされていて開けなかった。

 気がかりだった人の番号を、携帯電話に次々打ち込み、昔話に興ずる。今思えば酔って気が大きくなっていたのかもしれない。


 ふと私はある事に気がついた。

 このノートには私が今までに会ってきた人間なら誰だって載っている。ならば、この封を剥がしてしまえば、将来出会う人間のことがわかるのではないか。

 鞄の中を覗くと、うまい具合にプラスチック製の栞があった。これを閉じられたページの間に差し込んで、ペーパーナイフのように開いてみよう。


 しかしそうしようとした時、ふっと電気が消えた。慌てていると、本にかけた私の手をしっかりと押さえるものがある。生暖かい手のようだ。この部屋には私しかいない筈だ、気のせいに決まっている。

 しかしいくら気を紛らわそうとしても、手に伝わる温もりはごまかしようがなかった。おまけに、何やら粘り気のある液体が、まとわりついているらしい。

 不安になり、下を向いた。ちょうど顔を出した満月が、窓の外から部屋の中を照らした。


 能面をつけた何者かがそこにいた。紙のように白い顔の下は、どうなっているかよく見えない。特徴的な名状しがたい薄笑いを浮かべている。

 どうやら私はこいつに手をつかまれているらしい。どこかへ行けと言いたかったが、喉が苦しくて一言も発することができなかった。

 能面が、おもむろに私の方を見る。


「   や   め   ろ   」


 女の面からは想像もつかないほど低い声が、脳内に響き渡る。手のいやな感触も一向に消える気配がない。

 せめてこいつを見ないようにと、私はぎゅっと目を閉じた。



 次に目を開けた時には、部屋には明かりがついていた。能面のあいつはいなかった。私が開けようとしたページは血でべっとりと濡れていた。この先の内容も、何も分からなかった。

 隙間から差し込んだ栞はグニャグニャに曲げられていて、もはや使い物にならないだろう。

 私は血まみれの台帳を放り出すと、荷物をまとめて一目散に逃げ出した。



 普通なら、ここで何かしらの祟りがあるとか、お祓いに行くとかする所だが、幸い私の身には何も起こっていない。ただ気になるのは、あの鎖で封じられた扉があったところが、ただのコンクリートの壁になっていたことだ。

 実家の両親にも、友達にも、誰に聞いても、あの扉の存在を知るものは誰もいなかった。


 〈おわり〉

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