第二章「急襲」⑤
「で、ここが今の魔族領」
アイシアが机に広がった紙の上を指差す。そこにはラウンジで借りてきた周辺地図が広がっていた。
俺が元の世界に帰るための一環として、アイシアに現在の世界情勢を教えてもらうことにしたのだ。
大雑把に世界地図を説明すると、まず大きな○を書き、真ん中を│で仕切る。半円の左側が魔族領らしい。
「右側が人間の国家。この二つを隔てるのが、最初にして最強の勇者と呼ばれる方が作ったレリクス・クレイザという防壁で、完全に分断されています」
現代でいう万里の長城みたいなものか。
「人間領は3つの国家に分けられてて、上中下」
右の半円は横線2つで3つに区切られていた。
「上が、マギアス魔道国。閉鎖国家で内情はほとんど流れてこないんだけど、唯一開放されている交易都市で強力なマジックアイテムの卸売りをしています。魔法国はあらゆる魔法技術で最低でも他国の10年先を行っていると言われていて、4人の大魔法使いの派閥が運営しているらしいです。現在智の魔人と交戦しているのが確認されています」
人間達はレリクス・クレイザ周辺に完全中立地帯を設定し、時に協力して防壁を越えて来た魔族達を迎え撃っているという。
「マギアス魔法国の北方は人の住めない過酷な氷山地帯らしいです。そして――」
細くて長い指が真ん中にある地を指す。
「中段にある国家が、ラトゥーイル連合国。人間種を含む様々な亜人種達が構成している国です。常に2人以上の勇者と、多数の英雄を擁していて3国最大の規模と戦闘力を有すと言われています。構成している人間種族は大別して6つ。人間種、獣人種、翼人種、竜人種、霊人種です。この種族間のパワーバランスは勇者召喚に直結しており、評議会による国家運営に関わっています。曲がりなりにもこの6種族がまとまっているのは、軍略、武力ともに魔人最強と言われる零の魔人に対抗するためであり、かの連合国の歴史は零の魔人との闘いの歴史と同義です。魔人の中でも零の魔人だけは一度も入れ替わりがないと語られています」
「ふーん。俺が戦ったバラドゥムは魔人としてはどんなもん?」
「最も新しく魔人となった魔族です。蝕の魔人としてこのグランファル聖王国の英雄達が抑えていましたが、まさか複数の体を持っているとは……」
「なるほどね。じゃあこの国の解説と、その後は勇者召喚と英雄について頼めるか?」
「うん。えーと、ここグランファル聖王国は聖女が神の声を聞いて記す聖典によって管理運営されています。まず聖王国民は全員人間種です。国民になるためには聖典に選ばれる必要があり、選ばれたものは聖典に定められている最低限度の誓約を遵守することが求められ、一度でもそれを外れたものは聖典の加護を失います」
モーセの十戒のようなものと、神様はいつも見ています、が実行力をもって完璧に施行されているのか。
「聖典は様々な事物にまで言及していて、軍事、魔法、政務、財務、教会、人事、教育、保障など、私たちの歩みに合わせるように革新的な技術を逐次示してくれます。こういった大きなもの意外にも……ええっと」
アイシアは部屋にある机の引き出しを開けると一つの本を取り出し手渡す。
受け取った本は、面白みも無い単色の装丁がされたもので特別感は一切なかった。
中をあけてみると、そこには雪原の如きまっさらな白が広がっているのみで、どれだけ捲ってもあるべき文字は見当たらない。
「なんだこれ?」
「聖女が記す聖典の他に、国民が聖典の指令を受けられる仮聖典です。聖王国ならどこでも無料で配布されています。何の変哲もない白紙の本だけど、国民は祈ることで聖典を降ろすことができます。内容は様々ですが、その通りに動けば幸福が約束されています。今は聖女不在だし、私たちには使えないけどね」
えへへと笑う彼女には、ふっ切れたかもう陰りはない。
「そういや次の聖女はどうするんだ?」
「聖女の入れ替わりはすぐに行われるんです。仮人格を与えられた新しい聖女は迷い無く教会に向かっているでしょう。もう到着しているかもしれないですね」
アイシアは椅子から立ち上がり、板で塞いだだけの窓を開けると斬り込むように西日が差込み顔をしかめた。真祖の眷属であるならば日光の下でも不便はない。しかしいい気分はしないだろう。
彼女の視線の先には昨晩の神殿があった。無論ほとんど破壊しつくされてしまっているが。
教会の――聖女の役割を考えてだろう。その総本山である神殿は王都の何処からでも見ることができるように、王都山岳部の頂上に建てられていた。
神殿の付近の山には、巨大なクリスタルが間断なく突き刺さっている。
「その次期聖女は送還魔法を使えるかな?」
「……もし使えたとしても、聖典の指示もなく、魔族のクラウド様相手ではきっと――」
使ってはくれないか。そしてそれは他のものでもそうだろう。
「なら聖王国に長居することもないな。ラトゥーイル連合国は勇者が2人いるってのは魅力だが何かごちゃごちゃしてて分からんし、狙いはマギアス魔道国か。んじゃ、次は勇者召喚と英雄につい――ん?」
俺は急いで、開けた窓から身を乗り出し辺りを見回した。
(まだかなり遠い……が、何かが一直線に向かってきている?)
日光が俺の知覚を阻害して思い通りに把握できない。だが対象はかなりの速度で進んでいるらしく、相手の気配を確信するのに時間はかからなかった。
「どうしま――」
「しっ」
口に指を当て、ジェスチャーで壁際に寄るよう指示すると、アイシアは大人しくベッド脇の壁まで下がる。
「オールプロテクション。サイレントディジーズ」
魔法を発動して部屋全体を防御陣で包み、騒がれても面倒なので無音化結界を付け足す。
やはり迷いなくこちらに来ている。さすがに無関係と思うには楽観にすぎるだろう。
一応、また仕込みもしてある。迎撃準備はできているが……。
相手の距離は後―200―100―50―来る!
「なぁっ――!?」
あまりに衝撃的な事態だったため、驚愕が口を突いて出た。
闖入者は俺の防御障壁など無かったかのようにすり抜け、天井をぶち抜いて現れたのだった。
砕き割った屋根の木材がガラガラと落ちて埃が舞い上がり、相手の姿を正確には視認できない。そしてできない内に相手は動き出した。狙いは――アイシア!?
「シア! 大丈夫? 何かされてない?」
「きゃあ! て、あれ、リッカ?」
リッカと呼ばれた少女は、俺を一瞥すらせず目を白黒させていたアイシアに駆け寄って抱きつく。幼馴染の少女だと分かったアイシアの顔が安心で緩み、リッカはその頬に頬を合わせて熱烈な愛情表現をしている。
――彼女は太陽のような少女だった。
ツーサイドアップにした髪は太陽から零れ落ちたようなオレンジ。
おそらく騎士鎧のアンダーウェアなのだろう、飾り気の無い服は華やかな彼女に反して地味だが、胸部を押し上げる双丘は見るものを捕らえて離さず、アイシアとの間で柔らかく潰れてしまっている。
蚊帳の外に置かれた俺は馬鹿面下げて二人の繰り広げる微笑ましい光景を見ているだけだった。姉妹とも親友とも見られる空気があったが、そんな単純なものじゃないのだろう。
(あーこの屋根の修理代どうすんのかなー。ばっくれるかー)
風穴の開いた屋根を見て現実逃避していると。
「さて、お前がシアを誘拐した悪漢だな」
お、やっと俺の出番か。
アイシアから離れ、リッカはいまだ後ろを向いたまま確認する。
「私だ」
「くっ! 汚らわしい魔族め! 死んで償え!」
瞬間、秘められた魔力が爆発し、騎士鎧が構築される。
そして振り向きざまに銀光が閃き、長剣が喉元に突きつけられた。
「――――――う……」
「……う?」
なんだどうした。
俺を見て瞠目し、急に目に涙を浮かべはじめた少女は、手に持った剣をプルプルと震わし――。
「うっきゃああああああああああああああ!!」
ドタドタと剣を投げ出して部屋の外まで逃げてしまった。
(ふむふむ。なるほど――優秀だな)
きっと俺との力量差を悟って逃げだしたのだろう。
でも確か彼女は聖女騎士だろ? 守るべきアイシアを置いて逃げるのはどうなんだ?
リッカが出て行った扉を見ると、彼女はびくびくと顔を半分だけ覗かせこちらを伺っている。
「あの、リッカ。大丈夫だよ? 彼は――」
「し、ししししシア!?」
「は、はい!」
「だ、だれ? そのすっごく格好いい人!?」
『………………え?』
いや。
いやいや。
ちょっと待って欲しい。
俺の今の容姿は、日本に転生する際に再構成された黒髪黒目の平均的な男子高校生だ。どんなに頑張ってもせいぜい中の上どまりであると自信を持って言える。事実高校生活で熱い視線を向けられることなど無かった。
気の毒そうな目で見られることはあったが。
「あー、アイシアはどう思う?」
「えっと、黒髪なのは珍しいとは思いますけど……」
――その程度ということだろう。ちょっと残念に思わないでもないが。
俺とアイシアは顔を見合わせ、同時にリッカを見た。
恋する顔の乙女がそこにいた。