第一章「異世界へ」①
異世界に召喚された。
何故それが分かるのかって? それはこれが2度目だからだ。
「よくぞおいでくださいました、勇者よ」
澄んだ声が響いたそこは、薄暗い部屋だった。
俺の足元にあったのは何重にも彫り刻まれた巨大な魔法陣。その溝には形容しがたい液体が流動して明滅しており、部屋を鈍く照らしていた。
そして壁には見覚えの無い文字列群が発光し、意思を持った蛇のように這い回って錯綜している。
カッカッと靴音を鳴らし、魔法陣の外側から誰かがやってくるが、部屋が暗くて見えない。さきほど聞こえた声からして女だろうか。魔法陣が大きすぎるため、彼女の顔が見えるようになるまで、焦らされているようなストレスを感じた。
「初めまして。私はアイシア・クリアロード。あなたをこの世界にお喚びさせていただいた者です」
魔法陣の微かな明かりに照らされたのは、まだ年若い少女だった。
髪の色は銀。いや、たんに銀髪などと表現するのはもったいないほどの清廉なプラチナブロンド。
服は祭服だろうか。少なくとも身分の低いもの、あるいは位の低いものが着るものではない豪奢な作り。現実なら大司教様か法王様が着ていそうだが、女性用だろう長いスカートになっている。
俺と目が合いニコッと笑顔を作るが、外行き用のスマイルにしか見えない。
このあと言うセリフはだいたい見当がついている。きっとそのためのスマイルだろう。
そして俺の予想を裏切らず、一言一句違わずそのセリフを口にした。
「どうか勇者よ、魔王を倒し世界を救ってください」
(やっぱりそのパターンかぁ……)
最近の異世界召喚ものもいろいろある。
だが召喚されて魔王を倒せなんてネタは古参も古参、大古参だ。一周回って新しいとさえ言える。
そしてそれに喚び出されたのが俺。
なんで
よりによって
俺
「…………るな」
「――え?」
「ふっざけんなあぁぁあああああああああ――っ!!」
突如としてキレだした勇者(俺)にアイシアと名乗った少女が驚き後ずさるが知ったことじゃない。
「今期のアニメまだ全部見てねぇし! 声優さんのイベントも控えてるし! 積んでたギャルゲーもやってないし! ネトゲイベント期間だしぃ!? せっかくやった夏季休暇の宿題も無駄になんじゃんかぁ!
ねぇ何で俺なの!? 憧れの高校生活満喫してたのに! 平凡な日常に不満なんかなかったのに! ねぇ何で!? 異世界行って無双してハーレム作りたい奴なんか腐るほどいたのに何で俺なの!?」
言葉は通じているのに、ほとんど訳の分からない単語ばかり出されてアイシアは困惑しておろおろするばかりだ。
そんな彼女に詰め寄って肩を掴み。
「還せよ! すぐに! いますぐに! 現実に! 元の世界にぃ!! はやく! はやくはやくはやくはやくはやく!」
「や、やめてください!」
期待していた勇者の暴挙にアイシアはもう何がなんだかわからなくなっていた。勇者召喚にかかったこれまでを思えば涙まで出てくるが、ここで彼の言うとおり送還してしまったらすべて無駄になる。
魔王との戦いは長期化し、多くの人が死んでいった。それを思えばこそ、彼女の瞳に強い意志が宿った。
「お気持ちはわかりました。ですが魔王の脅威は全世界に広がり、活発化した魔族達によって今も殺されている人がいるのです。どうか私達をお助けくださいませんか?」
「知らん」
「――なっ!?」
アイシアの言葉を一言で切って捨てた彼の言葉に、彼女は呼吸の仕方を忘れたような絶望に陥った。
とても勇者の言葉とは思えない。いや、そもそも勇者召喚は失敗したのかもしれない。どうしてこんなことに。
「……わかりました。ではあなたが魔王倒したらたら還すと約束しましょう」
「――ほう?」
空気が変わる。
その言葉を聞いた彼は、残虐な笑みを浮かべた。
アイシアは身の危険を感じたが、悟られぬよう気丈に振舞う。
「私を脅そうというなら無意味です。この神殿の外には神殿騎士、聖騎士の精鋭達と神官の方々が控えています。本当は勇者をお迎えするためだったのですが」
「お迎え? 勇者とやらが言うことをきかなかった時に殺すための保険だろ」
「――ッ!? たとえそうだとしても、あなたはどうすることもできません」
「そうだな。だが――」
だがひとつアイシアは勘違いをしていた。
そう、ひとつお前は勘違いをしている。
「お前が召喚したのは、勇者じゃなければ――人間でもない!」
その瞬間、彼女には俺が突然消えたように見えただろう。
人間には知覚不能な速度で背後に回りこんだ俺は、暗い部屋にあってなお白く美しい首筋に。
牙を突きたてた。
「あぁ!……うぅ……」
彼女はビクンと体を硬直させたが、やがてゆっくりと弛緩させ体を預けてくる。
流れ込んでくる温かい血液が即座に身体データを運びこみ、お返しに牙から快楽物質を流し返す。生物が排泄や生殖といった生理機構に快楽を付加させ促進させるように、この“食事”もまた同じであった。
だがこの食事には別の側面もある。
それは眷属化。血を吸われた者を、自身の下僕とすること。
十分な時間をかけて行われたそれの後には、彼女の瞳は虚ろになっていた。体は力が入らなくなっていたので座らせ、俺は目の前に陣取った。
「さてアイシアとか言ったか?」
彼女からの返事はない。
久しぶりの吸血だったせいで加減を間違えたか。
強い意志を持つ人間ほど、支配下に置いた場合に自我と精神支配がせめぎ合い廃人になる確率が高くなる。
俺はほとんど吸血行為をしてこなかったため――とくに眷属化をやったのは初めてだったために不慣れだった。なにせ現代日本は魔術抵抗を持つものなどいない。だいたいは魅了でどうにかなってしまう。今回はついカッとなって魅了を試さず眷属化させてしまったが。
パンッと目の前で手を叩く。精神支配作用を軽減させると、ようやく彼女の瞳が正常に戻った。
「……うっ、くっ。あ、あなたはヴァンパイアだったのですか?」
「そうだ。勇者じゃなくて悪かったな」
「どうして……。聖典に間違いは無いはず。私達が……どこに、どこに間違えが――」
「お喋りはいい。速く俺を元の世界に送還しろ」
「――っ……できません……」
「は?……マスターとして眷属に命じる。俺を元の世界へ戻せ」
「――できません」
「どういうことだ?」
召喚魔法と送還魔法はセットだ。すくなくとも、俺が知っている限りにおいては。
召喚魔法で肝要なのは次元に穴を開けること。あとは喚ぶか送るかの違いしかない。
「わ、私が召喚魔法を使用できたのは、神の声を聞き聖典に仕える聖女だからです。ですがあなたの眷属にされたことで属性が反転してしまいました。召喚魔法はもう使えません」
「――ちっ、無能が……」
失態だ。頭に血がのぼっていた。下僕にして魔法を行使させればいいと安易に考えてしまった。
貶されて悔しかったのか、唇を噛んで下を向いた彼女は、搾り出すように言った。
「吸血鬼……魔族のあなたなら自分で帰ることはできないのですか」
言外に早く帰ってほしいという感情が滲んでいた。
「できたらとっくにやってる。俺がどれだけ苦労して現代日本に転生したと思ってるんだ――」
へたり込んでいるアイシアを一瞥する。
「お前以外に送還魔法を使える者は?」
「この国には私一人です……」
「だろうな」
でなければ聖女などとご大層な名前はつかんだろう。
「なら、お前が一番可能性が高いと思う国、人物のところまで案内しろ」
「わかりました」
ヨロヨロと眷属として絶対服従の制約を受けて行動を開始した。
「はやくしろ」
あまりにも遅いのでイライラしてしまう。ブサイクな女なら蹴り飛ばしてるところだが、よくよく見るとアイシアはとんでもない美少女だったため、思いとどまって背中を手で押す。
「きゃっ……も、申し訳ありません」
男に触れられるのは慣れてないのか、かすかに頬を赤らめていた。
無理やり召喚されて迷惑していたが、もう少し優しくしてやった方がいいかもしれない。けっして美人に弱いわけではない。
俺はアイシアに続いて外にでた。