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「ねぇ、君!」
ズンズンと1人で飲み物コーナーへと進む香菜に声がかけられた。その声は、今まで画面の向こうから聞こえてきた大好きな声。
(その声が今、自分の、真後ろから聞こえるなんて…!こ、これは幸福の印だ!いや、このあととんでもないことが起こるのかも、はっ!まっ、まさか、不幸の前兆かもしれない⁉︎あ゛あ゛あ゛神様仏様お願いしますぅうもう少し、もう少しだけ夢を見せてください!!)
「よかったー、名前わからなかったから君って呼んで気付くかわからなかった。俺、さっきも言ったけど佐藤司。職業は声優とかまあ、よろしくね。君は?」
「く、楠木香菜、です。都立の女子大に通ってます。」
(ダメだこれ、ちゃんと笑えてるのかな⁉︎顔が緊張で引きつって…変な顔してないかな⁉︎)
(…?なんか、悶々としてる?)
司は香菜の心境に気付くことなく、どんどん仲良くなろうと思った。
「女子大かー。勉強楽しい?俺は専門学校だから、大学がわからないんだよね。何学ぶの?」
「私は、えっと、外国語関係です。」
司はアイスコーヒーを入れながら、司は大学のことをたくさん聞いた。
しかし、香菜はそれどころではなかった。緊張と幸福と不安で彼女の頭は真っ白だったのだ。だから自分の手元が狂っていることに、気がついていなかった。
「外国語かぁ〜!俺、英語とかすごく苦手なんだよね…てことは、香菜ちゃんは得意科目ってこと?」
「そんなことないですよ、」
「でも外国語ってことは留学とかするんだよね?いいなー俺、本当に外国行ってみたいんだよ。」
「そうですね…」
「香菜ちゃん?」
「…」
「香菜ちゃん⁉︎」
(⁉︎)
メロンソーダが、グラスから溢れていた。ボケっとしていたから、自分の手元を見ていなかったのだ。
「…わぁあ⁉︎」
(な、なにやってんだ、私⁉︎)
「大丈夫?疲れてるとか?大学大変そうだもんね…無理せずに休んでいるのもいいんだけど」
「そ、そんなことないです!!本当に!」
「本当に?大丈夫かなぁ…」
(しまったー。すごく恥ずかしい事してんじゃん、私…)
香菜は司を見た。司は本当に心配そうな顔で香菜を眺めていた。香菜は自分の顔が真っ赤になっていくことに自覚があった。
「俺、聞きたいことがあるんだけど、大丈夫かな?そんな大事なことでもないし、後にしよっか」
「いえいえいえ!全然、本当に大丈夫ですので!なんなりと聞いてください!」
「本当に?じゃあ…趣味とか、教えてくれる?」
香菜の動きが止まった。香菜にとっての趣味、それはもうアニメ鑑賞と言っても過言ではない。ただ彼女は怖かった。周りの人間のアニメオタクを見る目が。
(言うべき…だよね)
「い、嫌ならいいんだよ?無理にじゃないし、必要なことでもないし、」
「いや、そんなんじゃなくて!…」
彼女は言うべきだと思った。だが、日本の文化であるアニメがまだ一般的に受け入れられているといえば、それは否だ。実際、中学の頃にクラスのキャバ嬢のような女に泥のような言葉の批判を受けたことがあるのは、香菜自身の苦い経験だった。今日来ている男子も、香菜がアニメ好きだとわかった途端に離れていった。彼女は嫌われるのが怖かった。
「アニメ…見ることです。声優とかイベントとか」
彼女は言った。嘘をつくのができなかった。アニメに対して、失礼だと思ったのだ。
(ええい!もうどうにでもなれ!)
彼女は目を瞑った。
そしてその目を開けて、司の方を見上げた。
司の顔は、星とハートが浮かんでいた。
「え?」
「ほ、本当に⁉︎本当にアニメ好きなの⁉︎」
司は香菜の両手を握りしめて、ブンブンと上下に振った。
「え、ええ、まあ」
「良かったー!いやーめっちゃ嬉しい!みんな声優とか言ったらアニメ好きとかオタクとか言って変な顔するからさ」
(そっか、この人声優なんだった…)
香菜はなんだか嬉しくなった。なんだか今なら、死んでもいいと思えたのだ。
(変に緊張して、大事なこと忘れてたや、この人アニメにも出てた)
「いやー今日の合コン楽しくなりそうだ!香菜ちゃん、たくさん話そうね!いやー心強い!」
そういって自席に戻っていく司の背中を香菜は嬉しそうに眺めていた。