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「楠木香菜です。都立〇〇大学の一年生です。趣味はアニメを見ること。よろしくお願いします。」
初めて合コンに参加した香菜は、笑顔を見せることなく、真顔でその場に座った。
始めは頬をピンクにして話を聞いていた男たち3人もアニメのことを話すと途端表情を変え、ターゲットを他の子にしたようだ。
一緒に来ている女子3人は苦笑いしている。本当は香菜を入れる気もないのだ。ただ、香菜の顔は派手すぎることもなく地味すぎることもなく、バランスの良い顔立ちで男受けが良いので、入れることに失敗はなかった。香菜のおかげで男たちが寄ってきて、当の香菜は男たちに興味がない。彼女たちは自分たちの幸せに浸っている。己の力でもないのに。
(アイキラの10話もう始まってるよね…録画してきてよかった…今は8時か、浅田さんとしょうたんのスタディオ10時からだから、それまでには電車に乗ろう。) 香菜は周りで繰り広げられている、若い子のキャッキャッとした会話に興味がなく、もう退屈さえも感じてきている。
(本当につまらない、これならあのクソゲーを家でプレイしたほうがかなりマシだわ、この料理食べて、急用だと言って帰ろう。)
そう思い、香菜が帰り支度を独り始めたときである。
「ごめん!遅れた!」
1人の男性が香菜たちのいるテーブルにやってきた。
「おせーよ、何時だと思ってんだ」
「本当にごめん!機械トラブルでさ、伸びちゃった」
男性は香菜の前に座った。
香菜が顔を上げると、そこにはー
「…あ」
「ほれほれ、早く自己紹介しろよー」
「はいはい!えーと、佐藤司です。歳は27。みんなよりはかなり年上だと思うけど、よろしく。職業は声優やってます。」
ーなんと香菜が好きな声優の1人、佐藤司がそこにいた。
(…な、なんでこんな人が⁉︎)
「確かに〜!声優っていうからすごく声がイケメーン!!」
「こいつ結構人気声優なんだからなー」
「やめろよ、そんな」
「でも、なんでそんな有名な人が?」
「同郷の友達!近くに住んでたし、人もいなかったから呼んだんだよー」
香菜はもう目の前の出来事が信じられなくなった。
目の前に、目の前に大好きな芸能人が入るなんて。
香菜の目は、最初こそは無表情だったものの、今は困惑の表情が浮かんでいる。
そんな香菜の視線に気付いたのか、司は香菜に笑顔を見せて、言った。
「よろしくね、えーと、」
(…っ!)
嬉しさを通りこして涙が出るかと思った。顔のニヤけが収まりそうになくて、顔を俯かせて、席を立った。
「わ、私飲み物いれてきます!」
「え、ちょ、」
「ちょうどいいじゃん司。お前も飲み物いれてきたら?」
「わかった、あ、ちょ、」
司の制止の言葉にも香菜は振り向くことはなく、ズンズンと飲み物コーナーへと歩いていった。この時は緊張と歓喜で、先ほどまで退屈にしていた自分をすっかり忘れていた。アニメもラジオも、頭から消えていた。彼女の頭の中は司で一杯だった。彼女の頭も、体も、血液も、呼吸も、心臓の鼓動でさえ、司という人物の存在だけで支配されたように思えた。香菜は今自分が何をすべきなのか、自分が何をしたいのか、自分がなんなのかさえわからなくなっていた。それほど、パニックにおちいっているのである。こんなことは今までの人生で初めてのことだった。