第94話『アヴァロナリア・エクスキャリバ―』
「これ、は」
「……やはり、失敗だったか」
気絶するメイリアを抱き抱えたまま、ミノリは街の光景を見下ろす。
各所で黒煙を上げるアヴァロナルの街は、つい先ほどまで人の気配は無いに等しかった。当然だ、街の住人たちはメルセデスの敷地内に皆避難しているのだから。
この騒ぎの中でまだ避難を済ませていない一般人が居るならば、それはただの死にたがりとしか思えない。
故にこそ、この街は静寂であるべきだった。無人のゴーストタウンであるべきだった。
――だが、そうはならなかった。
道という道に溢れ返る、漆黒の武装集団。それもただの魔族達ではない、ミノリがこれまで相手にしてきた魔王軍とは訳が違う。内に宿る魔力量が、これまでの軍勢と比較にならない。
……いや、違う。あれら個々人の力が強力であるという訳ではない。
痣だ、彼ら悉くが体に刻む漆黒の痣が、彼らの身に埒外の力を齎しているのだ。
アレはなんだ、彼の体にも半身を覆う程の大きな痣があったのは、使い魔越しに聞いている。魔力のパターンの共通点から見て恐らくはそれと同じものなのだろうが、およそ真っ当な代物ではない。
それを主張するかのように、彼らの目からはおよそ理性の輝きは見られなかった。既に正気はない、今にも暴れ出しそうな肉体を、呪術か何かで強力に縛り付けているのだ。
あの外法の痣は、まずい。個人個人ならまだしも、流石にこの街一帯を覆いつくすほどの兵士たち全てを止めるのは不可能だ。しかも一人でも通せば、まず確実にカバーしきれないような甚大な被害が出る。それほどの力が、あの痣にはある。
しかも何よりまずいのは、この街に詳しいだろうこの魔法使いの女性――メイリアと呼ばれていたか――がこうして行動不能に陥っていること。そして、未だミノリたちの前には――。
「……っ」
「……状況は、把握したようだな。太陽の御子」
――たった一人でも野放しにすれば、それこそ街の存亡に関わるクラスの幹部が、三人も居ること。
町中を探査するが、この状況に……少なくとも、あの痣の軍勢に対応出来うる程の魔力を持った者は殆どいない。例外は先ほどから極めて微弱な魔力を放つ……つまりは、現時点では戦闘不能である竜の少女、ナイア。そして、もう一人は。
「――。」
こうして眼下で、大剣をミノリへと向ける白銀の少女、エマのみ。
クロの魔力は既に街の中にはない。誰かに運び出されているというのは分かったが、その跡までは追えなかった。早く彼を追わなければならないというのに、状況はとてもそうはさせてくれない。
計算する。計算する。知りうる確定情報全てを組み込んで、この状況を打破する手段を導き出す。何か改善手はないか、巻き返せる手立てはないのか。
これまでミノリを孤立させ続けたその天才性を酷使して、計算し尽くす。数秒の内に数千、数万のシミュレーションを重ねて、導き出された答えは――。
「……ダメ」
不可能。詰みだ。
如何なる手段を行使しても、如何なる方法を模索しても、全てを救える方法は無い。存在しない。ではミノリに出来る事は何か?全てを諦めて蹂躙を許すのか?否、何もかもを助けられないなら全てを諦めるなどという極端な話は無い。つまり今、ミノリに課せられた課題は――。
――救う命の選別、だ。
「『狼狽えるな』」
震え始めた心に、自ら強力な暗示を掛ける。何も怯える必要はない、誰かがしなければならない事だ、たまたまそれが今回は自分だったというだけの事。
といっても、ミノリがこの街の人々すべてのスペックを把握している筈もない。何に長け、どんな役割を持つのか、そんなことを今更確認して回る猶予も、当然ない。
「……末恐ろしいな、太陽の御子。もはやその精神性、人間のそれではあるまい」
「――私にそうさせる側が、よくもまぁそんなことを言うのね」
デウスと呼ばれていた老年の剣士の言葉に。ただただ無感情な声音で返答する。
心を殺す、感情を殺す、ただ動かすのは頭脳のみで、そこに私情は決して挟んではならない。それが暗示を維持する、絶対条件の一つ。
「――。」
僅かな風の乱れと共に首筋に忍び込んでいた小刀を、全方位から襲い来る巨大な魔力塊ごと一息に焼却する。膨大な熱量を持つ小さな日輪はミノリを中心として膨らんで、今まさにミノリを襲おうとしていた一切合切、なにもかもを溶かし尽くした。
熱風は地上にも容易に到達して、じりじりと石畳を焼き焦がす。突然に出現した翡翠色の障壁に包まれたエマと、ミノリに抱かれたままのメイリア以外の面々は、そのあまりの熱量に肌に焦げを作った。
「……っ、流石に通じないね。下手に仕掛ければ死ぬ」
「なんと美しい輝きだ――あぁ、あまりに惜しい。魔王様の命とはいえ、こんなにも輝ける少女を殺さねばならないとは」
デウスと並んで地上に降りた二つの影は、つい先ほどまでメイリアが相手をしていた魔王軍の幹部たち。メイリアが行動不能になった今、当然こちらに加勢に入ってくるのは自明の理だ。
あの二人に関しては、処理するのはそう難しい事ではない。彼女はデウス以外を庇う気は無いように見える他、何も今すぐに仕留める必要はない。今は住民の保護に集中して、彼らを始末するのはその後に――。
「人殺しには慣れたか?太陽の御子」
……?
何を言い出すのだろう、あの男は。
覚悟を決めて戦場に出てきたのなら、死のうが生きようが自己責任だろう。殺す者が居るのなら殺される者も居るのは至極当然のこと、揺さぶりを掛けるにしてももっとマシなやり方がある。
やることが定まった以上、こうして立ち止まっている時間も惜しい。風魔法による浮遊状態を飛行にシフトさせて、すぐにあの中央の建造物へ向かおうと――
――して、止まった。
「……え?」
急激に、これまでの記憶が溢れ返る。
何の脈絡もなく、一切の前兆なく、突然に。立ちはだかる数多の軍勢を、この手一つで全て掃討し続けた旅路の記憶。血と悲鳴にまみれた記憶。全ての……虐殺と呼んでおよそ差し支えない、一方的な蹂躙の記憶。
攻めてきたのは魔族の軍勢だった。彼らは例外なく人族への殺意に溢れていたし、一人でも逃せば犠牲が生まれかねない。故に殺すのは必然であり、ミノリには一切の非は存在しない。
……本当、に?
「……まさ、か」
振り返る。
気付いてしまわぬうちに、止まってしまわぬうちに、あの白き老爺に視線を向ける。
「……っ、あ」
ダメだ、やられた、バレた、何故、どうして、クラスメイト達はともかく、他には誰も話したことがないのに。
フラッシュバックする、想起する、思い返す、“してしまう”。これまで無理やりに封じ込め続けてきた反動が、外法の手を以て縛り続けていた精神が、鎖を失って破裂する。
手段は分からない、如何なる手を以て、いつの間に行われたのかも分からなかった。だが確信する。
――『自己暗示を解かれた』……っ!
「あぁぁぁぁ、ぁぁぁああぁぁぁっ」
だめ、呑まれる、今はダメだ、今だけはダメだ、自己暗示をまた、だめ、嫌、まにあわない。
ぼろぼろと、目端から涙が滴り落ちる。動かなければ、なんて義務感は濁流のように膨れ上がる罪悪感と嫌悪感の前に完全に呑まれて、もはや視界には自らが積み上げた屍の山の記憶しか映らない。
「やめて、やめて、見せないで……っ!嫌……!」
「……恐ろしい娘だ、太陽の御子。その齢でその精神性、真っ当な手段ではあるまいとは思って試したが……これ程とは」
冷たい視線でミノリを見上げるその赤い双眸の前に、ミノリはどんどんと高度を落とす。もはや浮遊すら不安定になって、メイリアを抱えたままの体は自由落下を始めた。
だが最早、ミノリの目には何も見えていない。脳裏に焼き付いた噎せ返るような血の匂いと、耳に残る悲鳴の嵐、そして瞼に映し出された紅の戦場のみが、今のミノリを縛っている。
もはや、何もミノリを守るものは無くなった。
故にこそ、デウスは抜刀する。今を置いて主命を全うする好機は他にない、渾身の力を巨刀にのせて、その首を跳ね飛ばさんと銀の一線を振るう。
その寸前、もはやその刃がミノリの首の薄皮に潜り込もうとした、その瞬間。
“もういい。ありがとう、メイリアを守ってくれて”
「……?」
全てが呑まれ、記憶という檻に囚われた少女の世界に、まるで迷い込んできたかのように。
――ミノリは、地獄のような血濡れの世界で、一筋の黄金を見た。
「――ッ!」
脈動する。
大地が、空が、海が、星が、人が……或いは世界全てが、脈動する。
一瞬、デウスの巨剣が停止する。その隙をまるで待っていたかのようにミノリの体が、まるで己のモノではないかのようにスムーズに、老爺の一閃を迎撃した。
更に続けて、厚底のブーツが彼の剣を打ち上げる。更には強烈な魔力の噴射まで浴びせてデウスを引きはがしたミノリは、その反動で背後の建造物へと飛び移った。
「……何、今の」
その自身の行動を、ミノリ自身理解できなかった。
気が付けば、という表現がまさにそれだ。自分でも気づかぬうちに現状に対処して、こうして退避に成功していた。
異変は、すぐに目に入った。
「……こ、れ」
ミノリの心臓部――左胸に、黄金色の光が宿っていたのだ。
心が温かい、先ほどまで頭を埋め尽くしていた恐ろしい地獄は、今となっては少しも現れない。一体何が起こったのかと視線を戻して、デウスたちの視線が己の背後に注がれていることに気付く。
彼らの視線を辿って背後を見上げれば、眩いばかりの輝きが、太陽にも劣らず世界を照らし出していた。
あれは――。
「……剣?」
◇ ◆ ◇ ◆
恐怖に震える家族が居た。
痛みに泣く、幼子が居た。
血縁を、友を亡くし、悲しみに暮れる者が居た。
理不尽な現実を嘆き、苦しみ、痛苦は延々と撒き散らされ続ける。外周に現れた死徒の如き悍ましい軍勢を知るものは、さらなる地獄の幕開けに絶望した。助けてくれと、希った。
――不意に、ぽつり、ぽつり、と、彼らのうちの何人かが、何かに促されたかのように頭上を見上げる。
ふわり、と、彼らの胸には暖かな感触と共に黄金の光が現れて、光は風に乗って舞い上がるように、天上へと登ってゆく。
それはまるで終わりのない暗闇に現れた道しるべ、苦しい世界に垂らされた蜘蛛の糸のよう。
ふわり、ふわり、と、人々の胸にはどんどんと輝きの灯火が点いていく。
疲弊し、冷え切って困窮した心たちを絡め取って、それは上へ上へと登ってゆく。
故にこそ、人々はその暖かさを追って――
天上に在る、『それ』を見た。
――それは、黄金の剣だ。
くるくると回りながら蒼天を照らし出すそれは、溢れる黄金の光を宿した直剣だった。どくん、どくん、と脈打つように光の波を広げるそれは、同時に世界中から輝きを集めているようにも見える。
それは願いであり、祈り。未来に“こうあってほしい”と願い祈る心が折り重なり、ああして光の束として顕現している。
光は、剣を通じて直下に下っていた。メルセデスの最上部、この街で最も高く、同時に街全てを見渡せる唯一の場所、時計塔の屋根の上。
数多の願いの光を浴び、幾多の祈りの星に祝福され、その青い双眸を以て全てを視る、彼。
蒼い外套を身に纏い、真紅の布を腕に巻いて、所々に白の混じった漆黒の髪を持つ、その男が、口を開く。
「――抜剣。」
天に向けて、腕を伸ばす。それに呼応するように黄金の剣は周囲の輝きを取り込み切ると、雷鳴の如き速度で地上へと落ちる。瞬きの後には既に彼の手に収まっていた剣は、この世の如何なる宝物よりも美しい輝きを宿していた。
「是、この一振りこそ人の総意。希望こそ理想郷への道標。勇気の下に振るわれる輝きよ、今こそ悪意を打ち祓え」
戦士達が吠える。漆黒の痣を宿し、正気を失った傀儡の軍勢が、その輝きを受けて怯えるかのように騒ぎ出す。各所でいっそ村の一つや二つ、簡単に滅ぼしかねないほどの魔力の渦が膨れ上がって、一斉に男の元へと向かった。
土地1つ程度ならば、余波だけで簡単に更地になってしまうような力の本流、荒れ狂う死。
だが、彼はそんな滅びの渦の嵐に対し。
“英雄”、ジーク・スカーレッドは――
「救え、『救世の剣』」
――たった一振りの、剣で返した。
活動報告でクロのイメージイラスト的なものを公開してたりするので興味がある方は覗いていってみて下さいね( ˘ω˘ )
近い内にエマバージョンも上げるかも




