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第92話「最後の希望」

或いは、反撃への狼煙。

  ――私は、何をしているのだろう。


 剣戟の音がする。暗い海の底に沈んだエマの耳に、一つ、二つと甲高い金属の衝突音が聞こえてくる。うすぼんやりとした意識にかかる靄は晴れる気配がなく、重く、重く纏わりついてくるのだ。


 目を開く。そこには翡翠の瞳を持つ少女がいて、黄金の刀を手に襲い来る巨大な刃をやりづらそうに捌きつつけていた。


 はて、この少女はいったい誰だっただろうか。どこかで見たような気がするが、記憶領域にアクセスしようとしても寸前でブロックされてしまう。

 記憶を想起する行為は、どうやら許されてはいないらしい。それならば気にすることはない、ID:210031(わたし)にその情報は必要ないと『王』が判断を下したのだろう。


  ならば、私は従うのみだ。


「――オ、オォォォォォォォォッ!」


「……っ!鬱陶しい……!」


『王』の声がする。雄々しい咆哮と共にその巨剣――クラウソラス(・・・・・・)を振るえば、赤黒い電光と共に凄まじい風の刃が発生する。少女は少しその芸術品のように整った美しい顔を歪めると、陽光を受けて輝く黄金の刀を、一息に大地へと差し込んだ。


 ぼうっと、地面の割れ目から炎が噴き出す。それはまるで噴火のように次々と炎柱を立てると、そのうち一つが風の斬撃を呑み込んで、その勢いのままに『王』を焼き尽くさんとする。


 だがそうはならない。私はこの為に居るのだから。


「――させません」


「……!」


 炎の前に飛び込み、己の体で道を遮る。無論こんな事をしたところで、きっと炎はエマの体など容易く消し炭にして、その勢いを欠片も損なわすことなく『王』の命を吹き散らす。


 だが、何故だか炎はそうしない。まるでエマに危害を加えることを躊躇っているかのように、こうして割り込めば必ず攻撃を止めるのだ。


 ならばそれを利用しない手はない。きっと『王』も、私に求める役割はその一つだけ。


 でも、何故だか考えてしまう。不要なはずの思考が、ひとりでに動き出して止まらない。


 


 


 私は本当に、これで良いのだろうか。



 本当にこのままで、私は――。


 


 


 


 


 


 


 


 


 ◇ ◆ ◇ ◆


 


 


 


 


 


 


 


「……ああぁぁぁぁぁぁもうっ!邪魔臭いのよ、さっきからチマチマと!!」


 ごうっ!という風の舞い上がる音と共に、銀の巨人の拳が振り上げられる。が、既にメイリアの意識はそちらに向いてはおらず、彼女はその紅い瞳で周囲の空間を瞬きと共に識別する。一瞬の内に展開された魔力フィールドはメイリアを包み込んで、ある数点の場所でバチリと火花を弾けさせる。


 その火花は、メイリアに近づく異物を弾き出すための防護反応。今まさにメイリアの体に突き立てられようとしていた無数の銀色のナイフは、即座にメイリアの領域内から追放される。


「……援軍、このやり方からしてあいつね。相変わらず姑息な手段ばっかり」


「卑怯、姑息、僕にとっては褒め言葉です。昔とは見違えたでしょう?」


 背後から聞こえた声に、半ば反射で指を鳴らす。パチン!という音をトリガーに凄まじい爆炎が膨れ上がって、数メートルにも満たない至近距離にあった人影が焔に飲まれていく。


 だが、その程度で捉えられるのならば苦労はしない。人影はただの影となって大気に溶け、離れた場所で魔力を練るアルテミリアスの横にてその姿を晒した。


 小柄な体に黒いローブ、巻かれたマフラーが風に靡いてひらひらと揺れている。その両手には二本の刃と、腕には何重にも巻かれた鋼糸があった。


 そのいかにも暗殺者といった風貌は、事実として彼の効率重視な戦闘スタイルと相性が良いのだ。高度な魔法学迷彩術式を織り込まれた衣装は、少しでも意識を逸らせばすぐにでも認識の外側へと紛れ消えてしまう。


 無論それもメイリア程の領域にまで至った強者たちには――と言ってもあくまで不意打ちは不可能だというだけの話だが――通じない。


 しかしやはり極限まで洗練された技術は、彼の姿を世界から覆い隠す。見えない、補足できないということはつまり、それだけ対処が一手二手と遅れることを意味する。


 本当に、強くなった。『かつての彼』とはまるで別人だ。


「……あんたにそうなって欲しくって、私はあんたを助けたんじゃないわ」

 

「知っていますよ、メイリア様。でも、これが僕の誓願を果たす唯一の道です。あの御方には、それを叶えられるだけの力がある」


 微笑みさえ浮かべながらそう言い切る男の顔は晴れやかなもので、一切の躊躇も感じさせない。それはそのまま、彼の中にメイリアと敵対する揺るがぬ覚悟があることを示しているのだ。


 メイリアはただただ残念そうに息を吐く。


「――なら、殺すわ。この街に……ジークが守ったこの街に仇なすって言うんなら、誰だって焼き尽くす」


「……それは嫌だなぁ」


 苦笑しつつそう肩をすくめて見せる男はバッと両手を広げてみせると、その腕に巻きつけられた鋼糸と、そこに繋がったいくつものナイフがバラバラと解けていく。それらはすぐに魔力を帯びて、ふわふわと宙に漂い始めた。


「やあ、話は済んだかい?」


「ああ、悪いねアルテ。僕なりに、かつての恩師へのケジメをつけたかった」


 上空からふわりと降りてきたアルテミリアスが、気さくな友人のようにその男へ語り掛ける。男は一瞬悔やむような視線をメイリアに向けて、しかしその表情もフードの下に隠してしまう。


 これで、戦況は二対一。タイマンの勝負であったなら、苦戦はすれど、メイリアが後れを取ることはなかっただろう。


 が、相手は二人。それも双方魔王軍の最高格、六将ときた。いくらメイリアとはいえ、さすがに分が悪い。


「――そういうわけなんだけれど、貴女はどう?」


「……正直、やりづらい事この上ない、ですね」


 メイリアの問いにそう答えたのは、彼女と背を合わせるようにふわふわと浮く、翡翠の眼を持った少女だった。


 メイリアの向く逆方向――ミノリがその黄金の刀を構える方角には、白衣の大剣士たち。その白銀の色を持つ髪と、その両目に浮かぶ真紅の瞳。純白の民族衣装らしき衣に、共に2メートル近くはあるであろう大剣。恐らくは、二人とも同じ種族なのだろうと推測できる。


 


 が、問題はその片割れ――大柄な老爺ではなく、その背後に従者のごとく控える、よく知った少女の姿だ。


「……エマちゃんを洗脳してくるなんてね、貴方はそういったことは嫌いだと思っていたんだけれど。見誤ったかしら、『白の王』」


 メイリアが皮肉交じりにそう声をかけるが、当の『白の王』――デウスは、何も答えようとはしない。ただ無言のままに、その巨大な大剣を肩に担ぎ上げる。それに追随するように、目を完全に閉じたエマが同じく大剣を構えた。


 敵意はない。ただそういう風に動くだけの存在――魔導仕掛けのゴーレムのように、一切の感情も感じさせない動きだった。


「……凌げる?」


「引き延ばすだけなら、いくらでも。けど……」


「倒しきるには至らない――ね」


 ミノリの言わんとしていたことを先読みしたように、メイリアがその言葉を拾う。つまりその結論は、ミノリだけのものではなく、メイリアにとっても同じであるということを意味した。


 膠着状態だ。無理矢理に状況を動かしに行くことは出来るだろうが、その先に待っているのは悉くが自滅の未来。自ら状況を悪くするだけだ。


 だがこのまま戦っていたってどうしようもない。アルテミリアスと戦っていた時も感じたことだが、どうにもあと一歩のところで凌がれてしまうのだ。


 あちらも攻め込んでは来るが、深追いはしてこない。必ず安全圏を保ち、何度もチャンスはあっただろうに、その均衡を崩すような攻めを奇妙なほど避ける。まるで本気でこちらを倒しに来ていないかのような、そんな違和感。


 時間を稼いでいる?魔王軍本隊の到着のため?


 いや、その可能性は低い。報告の通りなら、距離から計算するに彼らの到着には少なくともあと三時間――少なく見積もったとしても一時間半から二時間は掛かるはずだ。


 時間稼ぎをするにはあまりに長すぎる、とても現実的ではない。


 だとしたら、魔王――あの真っ黒なドレスを纏った仮面の女だろうか。


 先ほどから懸念点ではあったが、どうにも町を破壊しているわけでもなければ、殺戮を行っている訳でもないらしい。


 つい先ほどまで感じられた膨大な魔力の衝突も、今となっては完全に消滅している。暴走したイガラシ・クロは、すっかりとその気配を隠していた。


「――ヴァルゼ」


「イガラシ・クロは無事だぜ。魔王との戦いで意識は飛ばされてたが、魔王もとどめを刺す気はないらしい。身柄を確保してそそくさと街を出てったよ」


 メイリアが名を呼ぶと同時に、何もないはずの虚空から低い男の声が聞こえる。この状況にも関わらず男の声音は随分と軽いもので、危機感の欠片も感じられない。否、そもそもとして危機とも感じていない、のほうが正しい


 決してこの男は、メイリアの味方でも、この町の味方でもないが故に。


「……なら、彼の追跡を続けて。どうせ手伝う気も無いんでしょう」


「当たり前だろ、あくまでも契約上の付き合いなんだ。俺は俺の仕事を済ませるだけさ」


 ヴァルゼと呼ばれた男は白けたような声音でそう返答すると同時、空気中に渦巻く魔力が捻じれ消える。それを知覚した時には既に彼の気配はその場から消え失せていて、後に残るのは先程と何も変わらぬ膠着のみ。


 互いに決め手がない――いや、互いに決め手を与えまいとする彼らのスタンスが崩れない限り、負けもなければ勝ちもない。


 いったい、何故。何のためにこんな不毛な消耗戦を行うのか。メイリアの魔力は常人のそれとは別次元の保有量を誇る。特に最近は魔力の回復が早まっているのだ、この調子では、三日は戦い続けられるだろう。


「……魔力の回復が、早い?」


 待て、それはおかしい。確かに日によって魔力の出力幅が異なることはある。が、しかし魔力の回復が早まることなどそうそうあり得ないのだ。


 魔力の自然回復量は、生まれつきの体質がそのほとんどを占める。故に修行しようともその拡張量は微々たるもので、いくらメイリアといえどその原則からは外れない。


 故に、この奇妙な魔力の回復現象は意図的に――つまりは、瞑想するなり、魔力を含んだ物質から直接取り込むなりしなければならないのだ。


 だが勿論ながら、そんな記憶はない。というか、こうして交戦している今でも微々たる量ではあるが魔力の回復は促進されているのだ、原因は何か別にある、と考えるのが妥当。


 少しばかり距離を取ろうと、背後に下がりつつ高度を落とす。このままこの人数で戦闘を始めれば、最悪の場合メルセデスにも流れ弾が飛びかねない。ならばせめて、町の建造物を盾に――と。


 そう思ったと同時に、気付く。


 メイリアが地上に近づくのと比例して、少しずつ。本当に少しずつではあるが、魔力の回復量が増えているのだ。まるでこのアヴァロナルから、この大地の下から、どんどんと魔力が湧き出ているかのように。


 


 この地の下に眠る何か(・・)が、魔力を絶え間なく魔力を増幅させ続けているかのように。


「……まさか」


 ――大結界『アヴァロナル』、術式アクセスを再開。一時的に自動展開を中断し、全管轄をメイリア・スーに変更。


 範囲調整、魔力の徴収量を倍に変更し、アヴァロナル全域から、アヴァロナル全範囲に変更。


 組み込んだ指令に従って、メイリアの体から魔力が抜けていく。それを燃料とした結界はその範囲を引き延ばして、アヴァロナル全土に留まらず、その大地全て(・・・・)を呑み込んだ。


 ――レコーアの魔法が暴走した要因は、何者かがメルセデスに仕掛けた魔力増幅器。もしもそれがメルセデスのみでなく、この街全土(・・・・・)に仕掛けられたものであったなら。


 無論それを仕掛けたのがアヴァロナルの者ではないことは、照合結果から分かっている。このアヴァロナルで暮らすものは、定期的に魔力検査を義務付けているのだ。あの装置に残る魔力の残滓がこの街の住人のモノではないという事実を解き明かすのに、そう時間は掛からなかった。


 だが魔王軍がこの街全土の魔力を増幅させ続けて、いったい何になるのか?決まっている。意図的に土地が持つ魔力を増加させる理由など一つしかない。


 


 とても個人の魔力では補えないほどの大魔法を増幅発動のためのリソースを、土地そのもので補う、という。その一つしか。



 ――結界が探査結果を弾き出す。


 アヴァロナルの各所から、魔力が不自然に増加するポイントを確認。その数およそ数百。さらに、アヴァロナル地下10数メートル地点に超大規模転移魔法陣(・・・・・・・・・)の存在を観測。


 起動状態、カウント、既に開始済み。6、5,4――


「し、まっ……!」


 


 ――3,2,1


 

 0――!


 


 


 


 


 はらか遠方で、光の柱が立ち上る。アヴァロナルからは距離があったが、しかし光は瞬きの内にアヴァロナルの上空へとたどり着いていた。

 そして同時に、アヴァロナルの大地の底から、巨大な魔法陣が浮かび上がる。それは座標、あまりにも無茶な規模の大転移を支えるための、大きな基点。


 そして光は、空から地上へと、墜ちてくる――


「――っあ、ぁ……ッ!?」


 光はアヴァロナルを覆いつくす結界と衝突して、暫しの拮抗を見せる。が、数秒と経たぬうちに結界は砕け散って、その衝撃は直接結界と繋がっていたメイリアの体にもフィードバックする。


 身を砕かれるような感覚と共に、意識が白く霞んでいく。力が全身から遠ざかっていって、魔力の支えを失ったメイリアの体は自由落下を始めた。


「……え、ちょっと――っ!」


 唐突に表れた大魔法の発動に驚いた様子のミノリが、困惑の表情を浮かべたまま咄嗟にメイリアを支える。


 結界は砕かれた。メルセデスを守る防護壁も、アヴァロナル全ての機能を取り仕切る直接支配圏も、何もかも。


 今も尚眠り続ける、勇者を守るための結界も。


「――ジ、ーく……」


 消えゆく意識の中、メイリアの脳裏に浮かんでいたのは、街の安否でも、人々の安全でもなく。



 


 ――たった一人の、青年の姿だった。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 ◇ ◆ ◇ ◆


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


「……っ、い、たい……」


 


 ずる、ずる、と、動かない片足を引きずりながら、ボロボロになった家屋の壁を伝い歩いていく。ボトボトと血液が石畳の上に落ちて、あらぬ方向に折れ曲がった左腕が痛む。


 脇腹に刺さった木片が体を動かすたびにずれて、耐え難い激痛を絶えず齎してくる。


 ナイアには、もはや戦う力は残ってはいなかった。


「はっ、は……っ、痛……ぁっ」


 クロは連れ去られ、戦況は絶望的。あのミノリという彼女の力は凄まじいものだったが、しかし一人の力で出来ることなど限られている。

 エマも既に戦うことは出来ない。彼女がナタリスである限り、デウスの呪縛からは逃れられない。仕方がないのだ、ナタリス――否、『セカンド・ナタリス』とは、そういう種族(・・・・・・)なのだから。


 決意はあった。覚悟もあった。この命を懸けて戦うという意志は、確かにナイアの中に存在した。負けないと、そう強く勇気を奮い立てた。

 だが、それら全てを悉く、容易く打ち砕くほどに。


 戦力差は、絶望的だった。



『貴女には関係ないわ、ナイア。もう貴女が一人で苦しむ必要もない』



 そんなこと言ったって、どうしようもないじゃないか。全て諦めるなんて、出来るわけがないじゃないか。

 だって、そうだろう。頭では分かっていても、ここですべて投げ出すのが正しいのだと、そう分かっていても、この心が絶対に受け入れられない。


 だって、だって。


 


「――すき、なんだもん……っ」


 


 その気持ちはどうしたって誤魔化しようがなくって、捨てろ、なんて言われたって無理なんだ。どれだけ苦しくたって、どれだけ痛くたって、そのただ一つの感情が、いつまでもナイアにクロを諦めさせてくれない。

 嫌なんだ、受け入れられないんだ。あの黒龍と――『真祖龍』と同じように、また(・・)


 

 置いて行かれるのは――。


 


  「……?ここ、は……」


 


 そうやってたどり着いた通りには、どこか見覚えがあった。


 住宅街にしては大きめの通りだ。道脇には木も植えられ、所々にはベンチが設置されている。どこかで見た風景だと一瞬脳裏で考えてから、それが良い記憶では無かった事を思い出した。


 そう、確かここは、メイリアと会った直後に連れて来られた――。


 

「……!」


 

 なら、ならば。


 もうとっくに、誰かが連れて行ってしまったかもしれない。メイリアがとっくに避難させてしまったかもしれない。でももし、もしも未だここに“居る”のなら、まだ、可能性はある。


 傷だらけの体に鞭打って、一度は中に入ったことのある民家の扉を押し開ける。記憶を頼りに進んでいって、とある一室の前にまで到達する。


 


 そこは寝室だった。他の部屋が乱雑に散らかっていたのに対し、この一室だけが綺麗に整えられている。そもそも置かれている物が少なくて、いくらかの棚と、布団が二組。


 窓から差し込む陽光に照らされて、その枕元に横たえられた黄金の剣が光を帯びる。


 外の荒れ様などまるで全く別世界の事であるかの様に、この空間は外からは想像も出来ない程平穏で、静かで、寂しくて。しかし同時に、何処か神聖で澄んでいた。


 二つの寝具のうち、埋まっているのは片側のみ。外がこんな騒ぎになっているというのに微動だにしないのは、ある意味当然とも言えた。


 この数百年間、成長も老化も止まり、戦いの代償であるかのように、ただただ眠り続けていた存在。かつて世界を救った、世界に名高き伝説の英雄、『勇気の担い手(リトルブレイヴ)』――


 


 ――“勇者”ジーク・スカーレッドが、そこに居た。





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