第90話『太陽の御子と白の王』
9000字……思ったより長くなってしまった……
『ル、オ、ォォォォォォォォォ――――ッッッ!!!!!!!!!!!!!!!』
「――。」
漆黒の一撃が振るわれる。巨大な龍の尾のように太い腕のような何かが、尋常ならざる速度で氷山の一角を薙ぎ払う。その軌跡をなぞるように紅い電光が駆け抜けた数瞬後、その風圧をモロに受けた冷たき山は一瞬の内に消し飛んだ。
数秒遅れて、抑え切れずにその腕から漏れ出した魔力が、まるでレーザーのように拡散してソラを覆い隠す。それらは街の外壁を超えて遥か彼方の地表に着弾すると、ここからでもハッキリと分かる程に大規模な爆発を引き起こした。
或いはあの場所に街があれば、灰の一片すら残らないであろう程の。
ただの余波、ただ少し漏れてしまっただけの魔力の欠片、たったその程度でも、あの威力。だが、怪物と相対する女は全く怯む様子もない。ただ当然のように全ての攻撃をいなして、反撃の一刀を放つ。
黄金の軌跡がすぅっと流れれば、次の瞬間には怪物の四肢が切り落とされていた。しかし一度瞬きすれば、その内に新たな四肢が生え変わり、即座に反撃を仕掛けてくる。
黒腕の先で握られた拳のような器官が、女の心臓部に向けて伸びる。だがその直前に出現した魔法陣に触れると同時、腕はガチリと完全に固定されたかのように動かなくなった。
急停止させられた腕は、己の力そのものに耐えられず自壊する。固定された肉と拳を振るおうとする肉によって、骨も血管も何もかも、一瞬にしてプレス機にかけられたように潰れてしまう。
だがそれも一瞬、怪物は即座に潰れた部位を引き千切ると、その断面から新たな腕を生やして女を弾き飛ばした。
『ル、ォォ、オォォォォォォォッッッッ!!!!!!』
怪物は再び咆哮する。もがき苦しむように、嘆き悲しむように、咆哮する。
感情が溢れ出してくるのだ。苦しい、辛い、悲しい、そんなごちゃ混ぜになった負の心が歪みに歪んで、もがくことも出来ず、真っ黒な底なし沼に沈んでいこうとする。
――その心を、この紅い眼は捉えていた。
「――エマっ!!」
「……?ナイ、ア?」
突如として上空から聞こえた声に反応して空を見上げれば、天上からその白翼を羽ばたかせて、ナイアが地上へと降下してくる。鬼気迫る表情で地に足を付けた彼女はその勢いを止めることなく、疾走しながらエマの手を引いた。
「な、ナイア?」
「ごめんっ、説明は後で――っ!?」
ハッと何かに気付いた様子を見せたナイアはその場で両手のひらを打ち合わせると、そのままバッと振り返り、その打ち合わせた両手を開いて、虚空に向けて突き出した。同時に彼女の両手から魔力が放出され、半透明のドームが二人を包み込む。
直後、ドームの四方向から同時に火花が散る。カランと音を立てて地面に落ちたのは、直径20センチもないような小さなナイフだった。
が、それらは瞬き一つの内に欠けらも残さずその場から消失する。それを認識した次の瞬間、ナイアがエマの体を抱き抱えて一気に跳躍した。
一秒遅れて、バキンッ!という音が響く。それはナイアが展開した魔力のドームが崩壊する音――数コンマのタイムラグのみでナイアの防御を打ち砕いた、姿の見えぬ敵の防御崩し。
「……っ、何事、ですか……っ!?」
「魔王軍の幹部、メルセデスの方にも一人来てたのっ!ごめん、私たちじゃ手に負えな……」
「――!ナイアっ!」
エマが叫んで、咄嗟にナイアの頭から拳一つ程度離れた位置を、一瞬の内に蹴り上げる。今まさにナイアの後頭部へと突き刺さろうとしていたナイフはキィン!と甲高い音を立てて、上空高くにまで飛ばされた。
だがそれでは終わらない。意識の知覚外、視線の隙間に巧妙に隠された幾数もの悪意を、全て的確に叩き落としていく。その数、実に数十を超えていた。
「――なるほど、ナイアがここに来た理由を理解しました」
「……うん、そういう事。多分、アイツの相手は一番エマが向いてる、と思う」
この敵は、真っ当に正面から戦うタイプではない。不意打ちの技術、隠密の技術、相手の意識の隙を突く技術、そういった搦め手の技量が群を抜いている。まともに戦っていては、意識の外から致命傷を叩き込まれて終わってしまう。
真っ当な方法では不可視に等しい、無数の攻撃。それらを全て捌き切る為には、それ相応の目が必要になる――他者の心を、悪意をも鮮明に映し出す紅の眼を持ったエマは、こういった相手に対しては特に優位に立つ事が出来るのだ。
如何な攻撃にも、そこに意志は存在する。そこに明確な害意がある限り、エマの眼は決してそれを見逃しはしない。
「……参ったな、合流される前に仕留め切りたかったんだけれど。やはりそう上手くは行かないね」
「――!」
突如として頭上から聞こえた声に反応して、聳え立つ氷山の中腹ほどを見上げる。漆黒の獣が咆哮を上げるその天頂の下、怪物への道を閉ざすかのように立っていたその男は、言葉とは裏腹に、フードの下から覗く口に笑みを浮かべていた。
その両手には、二本の短刀。ローブの下から覗くズボンには無数のベルトと、そのベルトに取り付けられた無数のナイフ。まず間違いなく、今の襲撃の実行犯だろう。
チラリ、とメイリアの方向を見る。彼女は未だアルテミリアスと睨み合っている状況だ、実力はメイリアが上回ってはいるが、それでも相手は腐っても極術使い。集中を逸らして勝てる相手ではないと、メイリアも分かっているのだろう。新たな敵襲にも関わらず、彼女は目の前の敵から一瞬たりとも視線を外そうとはしない。
つまり、メイリアの加勢はまず期待出来ない。そして同時に、ここでエマとナイアが敗北する事も許されない。
「――?」
不意に。
後方から飛来した無数の矢が、雨のようにフードの男に降り注ぐ。彼はチラリと空を見上げてそれを視認すると、ローブの内から無数のナイフが繋がった鋼糸を引き出して、それらを一息に振り抜いた。
鋼の糸は彼の意志のままに天へと登って、飛来する矢の嵐を悉く接続された短刀で弾き落としていく。あれだけの数の雨はついぞ一本すら防衛線を抜ける事なく、無残に吹き飛ばされていた。
が、男の背後の影から、暗闇を纏った人影が出現する。それはその手に持った二刀を振るってローブの男に不意打ちを仕掛けるが、しかしその渾身の二振りは、命中の直前に跳躍、回避される。
男はその跳躍の勢いを保持したまま空中でくるりと回ると、回転の勢いを乗せた回し蹴りを影に向け打ち込んだ。
影はその一撃をモロに受けたのか、ナイア達の方角へと吹き飛ばされてくる。
「げ、ほっ!……お、ぇ……っ!は、ぁっ、くっそっ!これでも、通じねぇの、かよ……っ!!」
その顔には見覚えがあった。確か、王があの“ヤエガシ・クレハ”なる人物と会談した際、彼女と共に居た十数名の人物のうちの一人。名を確か、“アカギ・テルヒコ”といったか。
一歩遅れて、新たな人影が三人の隣へと飛来する。噂をすればとでも言うのか、あの時王とあの面子を代表して会話していた張本人、ヤエガシ・クレハその人。その肩には大弓と矢筒が掛けられており、矢筒に残る矢は先程降り注いだ矢の雨と同じものだ。
という事は、先ほどの攻撃は彼女らによるものだろう。
「ちょっと、無事!?」
「お、おう……っ、割と痛いのもらいはしたけど、たかが蹴られたくらいだ。斬られるよりはマシだな……」
パンパンとその紅いコートの裾を払ってそう言う輝彦に、紅葉が安心したように大きく溜息を吐く。だが彼女はすぐにそんな場合ではないと氷山を見上げ、苦々しい顔で口を開いた。
「それで、あの上で暴れてるのは何なの!なんかどう見ても、ここで戦ってる場合じゃないように見えるんだけど!?」
「わ、分かんないっ!あんなの見た事ないしっ、『四黒』の他にあんなのが居るなんて聞いた事も……っ!」
困惑した様子のナイアがそう返して、山の上で未だに暴れ続けて居る怪物を見上げる。つい先程怪物の攻撃が直撃したにも関わらず、傷一つ負った様子のない仮面の女が再び怪物と交戦を始めているが、そもこれほどの力を持つ存在がそうそう存在してたまるものか。こんな怪物が野放しにされようものなら、それこそいつか世界が滅ぼされかねない。
ただ暴れ続けるだけの殺戮の怪物、破壊の結晶――だが、その中に眠るソレを、エマは知っている。
「――あれは、王そのものです」
「……エマ?」
「理由は不明ですが、何かしらの要因……恐らくは『禁術』の暴走かと思われますが、それによって現在王は己の力を制御が出来ない状況下に置かれています。推測ですが、力を抑え込んでいた自我に何かしらの大きな負荷が掛かり、リミッターが壊れてしまった……といった感覚でしょうか」
「マスター……って、五十嵐君のことっ!?アレが!?」
紅葉がギョッとしたように目を見開いて、凍てつく山の上で破壊を撒く暴虐の怪物を見上げる。とてもではないが、聞いただけではアレが紅葉の知る“五十嵐久楼”と同じ存在であるとは到底思えない。
変身やそれに類する力はこの世界に来てから見たことがない訳ではないが、外見以上に、その怪物が纏う魔力が。雰囲気が。恐ろしさが。あらゆるものが彼とはかけ離れている。
そも、彼がなぜそんな状況に陥っている?彼の持つ異能である『収納』がどんな派生をしたってあんな姿に行き着く筈がない、だからといって魔法とも思えないし、そも魔法であればあんな風に暴走はしない。魔法にあり得るのは成功と失敗のみ。本人の意思を無視した暴走など、聞いた事もない。
そういえば、彼と再会した時にも即座に気付いた変化――あの漆黒の肌と、赤く変色した片目。一部のみ白く色の抜けた髪など、明らかに真っ当な変化ではないソレと、あの怪物の口調は確かに一致する。
魔力の放出に混じる紅い電光に、ドス黒く染まった肌。アレこそが、彼が『真祖龍』を討ち滅ぼし、『黒妃』を狩り獲り、そして今こうして暴走し続けている原因。
「……一先ずアレが五十嵐の奴だとしてよ、じゃあどうすんだ?止めるにしたって、あんなもんに近付いたら俺らが一瞬でミンチだぜ?」
「……無念ですが、その通りです。本来なら、ソレを覚悟した上でどうにか王の意識を取り戻させて差し上げたい……の、ですが……」
――あぁ、くそ、分かった。分かったよ……じゃあ命令だ。お前は、その器を……エマの体を守れ。何としてでも、何よりも優先して、だ。分かったな?何よりも、だ。例え俺の命が危なかろうと、お前はその体を守る事だけを考えろ。
それは、彼女の王が初めてエマに下した、絶対順守の命令だった。
イガラシ・クロという少年を救うために、この身を投げ打つことは許されない。彼を救うために、命を賭けることは許されない。それが勝てる戦いであるならばまだ良い、だが、これは自殺に等しい愚行なのだ。
例え近付いたところで意識を引き上げられる確証もなく、一撃でも掠ってしまえば即座に死が訪れる。
故に、エマが彼を救うことは、彼自身によって許されない。
「じゃあ、エマたちはあの人の相手をお願い。私じゃ無理でも、エマが居るならきっと勝てる」
「……ナイア?」
「私はクロを助けに行く。何とかして、クロを元に戻してみせる」
「で、ですがそれではナイアが…!」
「大丈夫、安心して!わたしには零時間移動があるから、危なくなったらすぐに逃げられるもん。だから、時間さえ稼いでくれれば、クロはわたしが――」
不安そうにするエマに、ナイアがそう言って微笑みかける。“クロはわたしが助けてみせる”――と、そう宣言しようとして……しかしそれは、即座に中断を余儀なくされた。
「……!ナイアちゃんっ!」
鬼気迫る様子で飛び出した紅葉が、ナイアを抱き抱えたまま横に全力で跳んだ。その数コンマ後に突如として空から飛来した超巨大な剣が、先程までナイアが立っていた座標に的確に突き立てられる。
そのあまりの質量に地に敷かれたレンガの道が砕け散り、軽い地揺れが発生した。突き立てられた剣の上には真っ白な衣に身を纏った大柄な男が、その巨大な剣の鍔を足場に悠然と立っている。
即座に四人はその場を飛び退いて、新たなる乱入者に警戒を向けた。
「――。」
白き乱入者は、何も言わない。ただその場から悠然と周囲を見渡して、4人の姿をその視界に収めた。
「やぁ、もうそっちの仕事は終わったのかい?」
「……終わったとは言い難いな、魔王様が引き継がれたと言った方が正確だろう。一先ず私に命じられた作業は無くなった故、手持ち無沙汰をどうにかすべく、寄り道をしただけのこと」
「それは助かるよ、正直こっちは少しばかり部が悪くってね。アルテもずっとあの様子だ。暫くは持つだろうが、なるべく早く加勢に入った方が良い」
「……成る程。つまりやる事は変わらない訳だ」
白き男はひょいと跳んで大地に降り立つと、その巨大な剣の塚を握り締めて、圧倒的質量を持つであろうそれを、その丸太のように太い片腕で引き抜いた。
エマの持つ大剣と同等かそれ以上に巨大な大剣だというのに、男はまるで重さを感じていないかのようにそれを振るうと、その肩に担ぎ上げて4人と対峙する。
「では諸君。申し訳ないが、私も加勢させて頂く。何、元より1対4の戦いが2対4になっただけのこと……卑怯とは言いますまい」
「……っ!」
エマがその大剣を構えて、目の前の男と対峙する。
――対峙して、即座に理解する。この男の剣気は、エマと同質の鍛錬の先に得られたもの。受け流しや動きと動きの繋がりを重視する『水の型』とは違い、一撃のみに全てを込め、是を必殺のものとする流派……『火の型』を極めた剣士。
それも秘奥。彼は確実に、この器の記憶に眠る『水の型』の最高峰――ジライヤにも並ぶ剣士。
「え、エマっ!ダメ!今は逃げてっ!クレハも、テルヒコもっ!」
「ナイア?し、しかし、それでは王が……!私が何とか時間を稼ぎますから、その内にナイアは……」
「事情が変わったのっ!“アレ”が来ちゃったら、もうどうしようもない……っ!兎に角、今は――っ!」
あまりのナイアの剣幕に、エマが困惑した様子で目を白黒とされる。そんなエマの様子にも構っている暇はないとナイアが3人を連れて逃げようと駆け出した、その瞬間のこと。
エマが、一つ瞬きをする。その間わずかコンマ一秒にも満たないような、本当に僅かの時間。
だが、そのほんの僅かの暗闇から、エマが眼を開いたその時。
――巨剣の刃は、ナイアの首筋の薄皮に滑り込まんとしていた。
「……ナ」
名を呼ぶ暇もなく。
ナイアは、己に迫るその死を知覚する暇もなく。
たったの一瞬でその小さな命の首を、巨大なる刃が切り落とそうと――。
「……ぬ、っ!?」
ガキンッ!!と金属がぶつかり合う音がして、巨刃はその動きを停止させた。
次いで、白き男の体が吹き飛ばされる。さらに息つく間もなく何処からともなく発生した爆炎の波が吹き上がり、男の全身を一瞬の内に丸呑みにする。
それはまさに、フレアの如き焔であった。あまりの熱量に周囲の建物が即座に炭化し、レンガはその温度に耐えきれず溶解を始める。炎は収束して、巨大な光帯となって天へ昇った。
それは、まさに神の如き一撃だった。否、紛れもなく神の御業そのものであった。
地上全てを照らし出す大いなれ陽の輝き、ただ凍えるのみであった世界を遥かな天より温め、あらゆる生命が産まれ生きるための大地へと作り替えた、創造の炎。
万象の祖、天照の恒星――その名を“太陽”という。
「――怪我はない?」
黄金の刀を携え、炎を纏う星の御子は、そう言って腰の抜けたナイアに手を差し伸べた。
「……!ミノリ……っ!」
紅葉が、心底安心したような声で、その名を呼ぶ。輝彦がホッと胸を撫で下ろして、疲れ切ったようにドサリと座り込んだ。二人の思考からは、もはや『敗北』という考えは消え失せていた。
ああ、何故ならば――
――姫路 実が、来たのだから。
「状況は彼から大体聞いた、待たせてごめんね。ただ、色々とまだ聞きたい事はあるんだけれど……まあ、先にこっちを片付けちゃいましょう」
ミノリが親指で指した方向に視線を向ければ、ぜぇぜぇと荒い呼吸のままこちらを見るアクストの姿があった。という事は、彼女をここまで案内したのは彼という事になるのだろうか。
「……みの、り?」
ナイアが、紅葉の口から紡がれた名を口にする。
ミノリ――ヒメジ・ミノリ。クロが恋い焦がれ、ずっと再会を望んでいた想い人。クロが何度か話していた、神の才に愛されながらも、授かった己が才を疎んだ、不器用な少女。
肩甲骨ほどにまで伸ばした美しい黒髪と、長めの前髪から覗く翡翠の瞳。紅白を基調とした極東の衣装、“キモノ”を纏い、その手には極めて長く、細い黄金の刀。
芸術品のように美しいその容貌は、神の炎を纏って、その神聖さを更に際立てていた。
「――あれが、五十嵐くん?」
翡翠の瞳が見上げたのは、氷の山の遥か頂上。今まさに悍ましき咆哮を上げた、漆黒の四肢を持つ異形の怪物。ミノリはそれを見つめて少し悲痛な表情を浮かべるも、すぐにかぶりを振って、その心に決意を固める。
「……あな、たは」
エマが、困惑した表情で呟く。その声に反応したミノリは彼女の方に視線を向けて、向かい合う。イガラシ・クロという一人の少年を起点とした、本来繋がることのなかった筈の縁が、繋がる。
「貴女がエマさん、だよね」
「……は、い」
何故だか、上手く声が出ない。彼女の事については聞いたことこそあるものの、エマ自身が彼女に思うところなど何一つない。何一つない筈――なのに、何故だか心がざわついて仕方がない。
もはやある筈のない、記憶の中にのみ眠るかつてのエマの残滓が言うのだ。
――ずるい、と。
一体、それが何のことなのか今のエマには分からない。故にそれを無理矢理に封じ込んで、目の前の少女との対話に意識を向ける。
「見たところ、多分あの二人は貴女たちより強い。何か切り札でもあるんなら話は別だけど……どう?」
「……いえ、その通りです。不甲斐無いとは思いますが……事実、彼らと戦って勝てるとは思えない」
そう客観的に戦力差を分析するエマに、ミノリが「だよね」と短く答える。それが何だか“お前は弱いのだ”と改めて宣告されているような気がして、改めて己の力量不足に小さく歯噛みした。
そんなエマを横目に見ながら魔力を高めるミノリは、前方に立つ、未だ黒煙に包まれた二人の魔族に視線を戻す。
「幹部は私がどうにかする。だから、エマさんとナイアちゃんは、五十嵐くんのところに行ってあげて」
「……ぇ」
――え?
そんな疑問の声は、そう発した当人であるエマにとっても意外なものだった。
別に、彼女が提案した案は何も驚くべきものではない。ナイアとエマではあの二人に対抗すら出来ないのは、先の一撃で思い知らされた。であれば、それが出来る彼女がここを対応して、二人でクロを止めに行くのは合理的な判断だ。
だと言うのに、何を意外そうな声で驚いたのだろう、今の自分は。
「し、しかし……相手は二人です。あれほどの強さを持つ者を二人同時に相手にするのは、流石に……せめて、私があの黒い方を」
「大丈夫、安心して。二人掛かりで来たって心配ないわ。流れ弾一つたりとも、そっちには絶対行かせない」
「ですが――!」
何を必死になって止めているのだろう、と我ながら思う。頭では極めて非合理だと分かっているというのに、何故だかこの体が勝手に彼女を行かせまいとする。胸の端から、じわじわと溢れてくる奇妙な想いがある。
何故だかこの器は、彼女に対して後ろめたさを感じているのだ。“クロの下には、彼女が行ってやるべきだ”――なんて理解の出来ない事を考えている。
動こうとしない足を一つ殴りつけて、無理矢理にいう事を聞かせる。今は王を救い出すのが最重要だ、それさえ成されるのならば、例えそれが誰によって成されようが関係はない。
――なんて弱い人格だろう。そんなだから、きっと弱いままだったのだ。
頭の中で、弱いわたしを罵倒する。不安定に揺れる頭を強く保とうと、ギュッと剣の柄を強く握りしめる。さぁ、行こう。戦いはまだ終わっていない。“クロ”を助けてもいないのだ、こんな所で右往左往している暇はない。
隣に居る、未だ呆然とした様子のナイアと顔を見合わる。すぐに頭を振って平常心を取り戻そうとするナイアと小さく頷きあって、前を向く。二人の幹部たちは無視しろ、きっと彼女が止めてくれる。
覚悟を決めろ。何としてでも、何があっても、クロを助け出す。
命令違反にはなってしまう。なってしまうが、しかしここで動かなければ何もかも終わってしまうのだ。
メイリアが語った、エマも、エマも、共に在れる道――しかしその道には、絶対にイガラシ・クロという存在が必須なのだ。
“わたし”にとって、彼は無くてはならない存在だから。
全身に『末端禁術』の強化を通して、いつでも跳べるよう脚に力を込める。移動の時も、せめて彼女の戦いの邪魔にならぬよう、敵の居る場は避けて通ろうと――
「……ぇ。なん、で……」
――その時。
固めた意志は、たった一瞬の内にあっけなく崩れ去った。
濛々と立ち上がる黒煙も漸く収まりを見せて来て、赤熱化した坂道もようやく冷え始めている。先程の一撃を受けて生きているのか、と考えもしたが、どうやらそんな淡い期待も無意味だったらしい。
その全身に火傷を負ってはいるものの、白衣の剣士に目立った深手は見当たらない。彼の位置からその後方にかけての地面は熱された様子はなく、恐らくは何らかの手段で防いだのだろうとは予測出来る。
――そんな事はどうでもいい。
男は掲げた大剣を担ぎ直して、正面に構えるミノリと対峙する。膨れ上がる剣気がピリピリと空気を重くして、周囲の空間を歪ませて行く。こう見ていると、先程の一撃ですら加減されたのだろうかとすらも思えた。
――そんな事はどうでもいい。
炎に焼かれた白ローブが、上昇気流に巻かれて吹き飛ばされた。深く被っていたフードも脱げて、その隠されていた顔が明らかになる。
真っ白な髪だった。その顔は深く年が刻まれた老人のようにも見えるが、しかし枯れた印象は見られない。その鋭い瞳は紅く、顎には同じく真っ白な髭が蓄えられていた。
その顔を、知っている。よく知っているのだ、この体が、この器が。
エマという、“ナタリス”が。
「……デウ、ス?」




