第82話『災厄は既に放たれた』
「……なんで、源流禁術が。しかも、これって……」
呆然と呟きながら、目の前に広がるその光景に目を見開く。
たった今目の前で起きたのは、『源流禁術』という途方も無く強大な力の代償の早回し――いいや、むしろクロの方が例外故に“これ”が本来の代償。あの尋常でない苦しみ様こそが、このおぞましい力のフィードバックなのだ。
だが、何故こんなところで。街中で源流禁術を使ったのか?一体どうして?というか、何故この男は源流禁術なんて力を持っている。アレは本来、ナタリスの集落にその術式を封じられている筈ではないのか。
では、唐突に発現した?尚更有り得ない、デウス曰く『禁術』は外付けの強化術式であり、生物が生まれつき備える様な力ではない。後天的に術式を体に埋め込まない限り、こんな力を使えるはずが無いのだ。
――“埋め込まれない、限り”?
「……!エマっ!!周囲から害意を探せ、大至急だ!」
「承知しました、3秒ほどお時間を」
クロの指示に即座に頷いて、エマがスッと眼を閉じる。宣言通りの3秒間そのままピタリと動きを止めて、やがてゆっくりと目を見開いた。
どうだ、と視線で問うクロに、エマは首を横に振る。それはつまり、近くに害意は確認出来なかったということ。
どういう事だ、『源流禁術』の術式を埋め込まれた訳では無いのか?そうなれば、この状況に筋が通らない。
集まって来た野次馬たちは気にも留めずに、エマが始末した遺体に駆け寄る。生々しい血臭に思わず鼻を塞ぎつつもその傍に膝をついて、一応形だけでも冥福を祈って、手は合わせておく。
源流禁術を埋め込まれたなら、クロと同じようにその場所に紋章が浮かび上がっている筈だ。通りすがりにやられたとすれば、首か、腕か、その辺りだろうか。
そう思い、刎ねられた黒染めの上半身を軽く調べてみるが、それらしいものはない。もしや紋章はクロの様に統一して手の甲に出るのかと思ったが、そういう訳でもないらしい。
「王、これを」
「……?どうした」
エマの呼び掛けに答えながら、彼女の前に転がる分断された下半身側に近寄る。彼女の見つけた何かを探すためにサッと遺体を見てみれば、足首辺りに紅い紋章が刻まれている事に気が付いた。
三方向に伸びた鎖の内、一本の先にある太陽の様な模様。クロのものと比べれば剣の模様と龍の翼の様な模様が足りないが、非常に酷似したものである事は分かる。
だが、どうして足首に紋様が出ているのだろう、と首を傾げる。
通りすがりに植え付けるには位置が低すぎるし、足に触れようなどとすればまず確実に不審がられるだろうに。一体なぜ、わざわざこんなところに。
次々浮かぶ疑問に首を傾げつつも、一先ず紋様によく目を向ける。そこには未だ少しばかりの魔力が帯びられており、紋章の下にある小さな凹みを治そうと――。
「……というか、これ、傷か?」
「見たところ、ピクトラットの歯型の様に見えます。人の居住区によく現れる害獣で、繁殖期には獰猛になり、人に噛みつく事もありますので」
「ピクトラット……って言ったら、ナタリスの集落にも居たネズミモドキか。って事は、最近噛まれでもした……の、か」
脳裏に、最悪の想像が浮かび上がる。
そんな、まさか。いやしかし、あり得ないとも言い切れない。むしろこの状況ではその可能性が最有力で、それは同時に最低の悪夢の始まりを証明する結論となる。
「……おい、アンタら、周りをよく見ろッ!!絶対にピクトラットに噛まれるな!!」
咄嗟に、辺りの野次馬たちに向けて全力で叫ぶ。パニックを更に加速させるかもしれない、なんて考えは検討する余裕もなかった。ただ恐れるあまり、そんな悲劇を起こしたくない一心で、叫ぶ。
確信した。これが、セトが言外に告げたこの街で起こる『何か』。誰が何の目的で始めたかは知らないが、これは、最低最悪にタチの悪い人為的災厄――。
「今の現象は……“感染するぞ”っ!」
そう、告げた瞬間に。
いくつもの強大な魔力が、一斉に膨れ上がったのだ。
◇ ◆ ◇
コンコンと控え目な音が、エルドレッドの居る学園長室に数度響く。
手元にある遠見の魔法を施した推奨から目を上げた彼は少々焦りを交えた表情で扉を見やり、「どうぞ」と一言声を掛ければ、ゆっくりとその大きな扉が開かれる。
ノックの主は、メルセデス魔道学院の生徒を表す制服を纏った青年。名は、アクスト・マグヌス。
「……失礼します、学園長」
そう言って深々と頭を下げた少年に、ソファへ座るように促す。彼には悪いが今はゆっくりとお茶を出している暇もないので、エルドレッドもまた彼の座ったソファの正面、
「やぁマグヌス少年、何か用件が?すまないが、少々緊急事態なんだ。手短に――」
「白の巫女様が、先程お見えになりました」
「……っ!?」
単刀直入に告げられたその単語に、エルドレッドが大きく目を見開く。
いたずら、などではない。そもそも彼は優秀な生徒で、普段からあまり巫山戯るようなタイプの人間ではない事は講師達の報告から聞いている。それに、アクストの両の目は至って真剣で、間違っても嘘をついているなどとは思えない。
だが、内容が内容だ。あまりにも唐突な内容なのも確かで、そも白の巫女は魔王軍の下にいる筈。それがなぜ、このメルセデス魔道学院に唐突に現れたのか。
――それとも、今だからこそ現れたのか。
「……名を偽った誰かのイタズラ、と言う線は無いのかな?」
「確認する前に何処かへ消えてしまいましたから、なんとも……ただ、何故だか自分は、あの方が白の巫女であると根拠のない確信をしています……それとこれは、メイリア様から街の人々に伝えてもらうように言われたのですが……『今日一日、学院から出てはいけない』、と」
大真面目にそう答えるアクストに、エルドレッドが考え込むように口元を押さえる。魔術師にとって、時に根拠のない確信や勘は何よりも信用し得るものだと彼ら生徒に教えたのは、このメルセデスだ。
それを踏まえて、彼はその確信を持っていると告げた。であれば、信じない理由はない。
しかし、学院から出てはいけない?この状況で、地下シェルターではなく、何故学院なのだろうか。
「……そうか、報告ありがとう。我々の方でも捜索に動こう、少々不味い状況に陥っている。君も、暫くは校舎内から出ないように」
「……?何か、起こったので――」
「エルドレッドッ!」
不意にそんな叫び声が聴こえて、一瞬の内に室内上部に魔力の歪みが形成される。
異常なまでの魔力濃度に驚愕しつつもそちらを見やれば、丁度その歪みから弾かれるように橙の法衣を纏った少女が飛び出してくるところであった。
突如として出現したメイリアはブーツを鳴らしながらブレーキを掛けて、勢い付いた体に急制動を掛ける。何事かと驚く二人の様子も知ったことではないといった様子でエルドレッドに歩み寄った彼女が浮かべるのは、普段の様子からは考えられないような緊迫した表情。そんな一面を見たこともなかったアクストは、驚きのあまりに言葉を失う。
「アンタも街の状況は把握してるよね、至急地下シェルターを開けるように各制御室に指示を。それと、学院の特級講師を避難誘導に回しなさい。上級は避難者の護衛に付けるよう、各地に散らせること。中級以下は学院内の生徒達の誘導に回して!」
「師匠、その前に伝える事が。つい先程、そこのマグヌス少年が白の巫女様と遭遇、並びに予言を預かって来ました」
「白の巫女……!?この非常時に……っ、どういう事……って聞いてる時間は無いわね、概要は?」
「今日1日、街の人々を学院から出さないように、と」
「学院、から!?」
メイリアが大きく目を見開いて、エルドレッドが告げた白の巫女の予言を復唱する。途端に彼女はギリッと歯を噛み締めると、杖を持つ手とは反対側で、自らの頭を抱え込んだ。
そういえば、アクストも何度か噂話は聞いた事があったな、などと思い出す。アヴァロナルは地下シェルターとは別に、メルセデス魔道学院を緊急避難先として用意している、というものだ。
理由としては、アヴァロナルの地下シェルターの幾つかは、最近の地下開発の影響で別の用途として用いられる事が多くなったという事。戦乱が続いた昔とは違い、平和な時代が続く今、シェルターの必要性もほぼ薄れ掛けて来たために、シェルターを全て別用途のための施設に改修する計画が進んでいたのだ。
故に、今残されているシェルターでは、アヴァロナルの住民を格納するには少々手狭になってしまう。入らない、ということはないようだが、緊急時によりストレスを住民に与えるようでは駄目だろう。
その代用としての、学院。メルセデスは非常に強固な警備システムと超広大な敷地もあって、階層をフルに使えばアヴァロナルの住民全てを施設内に匿う事も可能だ。
それに学院には、強力な魔法使い達が常に駐屯している。最後の砦としては、これ以上のものはない。
だというのに何故、メイリアはああも悩んでいるのだろう。などとアクストが考えた時に、ようやくメイリアが顔を上げた。
「……そう、今回のこれは、『そのレベル』なのね」
「……師匠?」
乾いた笑いを浮かべながら呆然とそう呟いたメイリアに、エルドレッドが小さく呼び掛ける。メイリアはその紅い瞳を彼の方へと向けて、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「訂正よ、エルドレッド。アヴァロナルに住む全住人を全員メルセデスに連れて来なさい、全施設を解放して受け入れ態勢を整えるよう各教員に指示、後の事は全部私が担当する」
「馬鹿な、あれ程の騒ぎを一人で抑えるつもりですか!?私も向かいます、他にも、学院の特級魔法使いを数名――」
「――今回の件に関して、足手まといを連れて行く余裕はないの。アンタ達はここで学園を死守、私も事が終われば直ぐに戻る。良いわね?」
「……っ」
反論を許さない圧力を伴って、メイリアの命令がエルドレッドの言葉を捩じ伏せる様に、アクストは息を呑んだ。
確かに、メイリアは魔法使いの最高位、『極術使い』に当たる、最高ランクの魔法使い。しかしながらエルドレッドだって魔法使いとしては上から数えた方が遥かに早い位に位置しており、他の特級魔法使い達も魔術に関しては最上級クラスの実力を持っていると言って過言ではないのだ。
そんな最高格の魔法使い達すら『足手まとい』になるという。だと言うなら今、一体何が起きていると言うのか。メイリアでしか太刀打ち出来ないような何かが、起ころうとしているのか。
であれば、外は、今――。
「……“ヴァルゼ”、話は聞いてたわね?結界を張るわ、力貸しなさい。エルドレッド、今さっき言った事を各教員に即時伝達、急いでよ!」
そう次々と叫びながら片手で掲げる杖に魔力を込めたメイリアは、一瞬の瞬きの内にヒト一人ほどの大きさの魔法陣を構築する。バチバチと散る火花が弾けて、輝きに一瞬目を覆えば、次の瞬間にはもうそこにメイリアの姿は無い。
後に残るのは微弱な魔力の残滓のみで、つい数秒前までそこにメイリアが立っていたなど嘘のようだった。
きっと外で何かが起きても、この街は『英雄の眠る街』だ。彼の勇気の担い手が愛した街、彼の英雄が眠りに就いた、神聖なる街。
例え本人は既に居なくとも、英雄と共に戦った偉大なる魔術師、メイリア・スーがこの街を守っている限り、きっとどうにかなるだろうと。そう思っていた。少なくとも、さっきまでは。
「……学園長。外では、何が……?」
だが、メイリア本人のあの様子が、アクストの心に大きな不安を残す。
本当に大丈夫なのか。安全は保障されているのか。そもそも、今街の中ではどんな自体が起こっているのか。何もかも不透明な現状に、心臓の鼓動が大きくなっていく。
自分の事など、別に構わない。そもアクストは既に学院の中に居るのだし、ある意味最も安全な場所であるとも言える。
だが、それでは駄目なのだ。ここに居るべきなのは、自分では無く、“彼女”でなければならないのに――。
「……正体不明の黒い魔力の暴発が、突如街中に発生した。恐らくは、彼の絶対悪の怪物、『最低最悪の魔王』が用いたとされる正体不明の術式……それを、何者かが街の人々に植え付けて、暴走させているようだ。更に、街周壁を警戒していた憲兵達の連絡によると……遠方に、この街へと進軍してくる、異常な数の軍勢を確認した、と」
「――っ!!」
エルドレッドの告げた、外の惨状を聞いた次の瞬間には。
――気が付けば、アクストは学園長室を飛び出していた。




