第80話『白の予言』
古戦場から逃げるな(言い訳)
――ィィィン
そんな反響音じみた小さな音が次第に薄れていって、景色全体を覆い尽くす光の幕もやがて消えていく。つい先程まで全身に纏わり付いていた奇妙な浮遊感の余韻は既に無く、広がっていく視界には薄暗い倉庫が映し出されていく。
部屋中に広がった魔力の残滓は、やがて部屋を形成する素材――壁を作る石材だけでなく、床板や天井、柱に吸い込まれる様に流れていって、数秒も経てば前にここを通った時と同じ様に、一切魔力が存在しない特異な空間が発生した。
クロ達が訪れた……と言うよりは、帰還したのは言うまでもなく、あの転移魔法陣の存在した倉庫。魔界首都『トーキョー』の転移魔法陣を使って、ここまで帰ってきた直後になる。
ゆっくりと転移魔法陣の上から出て、魔力の流れに巻き込まれて舞い上がった埃を払いつつ進む。
「……メイリアは、流石に居ないか。割と長い時間向こうに居たからな……」
「捜索の必要があれば、命令を。速やかに連れて参ります」
「今は用がある訳じゃないんだ。探す必要は無いし、仮に用があったとして、向こうの用事も考えなきゃいけないだろ」
無感情に言うエマにそう釘を刺して、軽く空気中に舞い上がった埃を払いながら魔法陣を下りる。普段はあまり使われて居ないのは仕方ないとは思うのだが、こうも埃っぽいと体に悪そうだなどと考えて、ギシギシと軋む床板を慎重に歩きながら出口へと向かう。
傍の棚に置かれたあの“曰く付き”の刀が再び目に入ったが、今度は無視。少々興味を抱いている自分も居るのだが、今は自身の知的好奇心など二の次に決まっている。というか、何故アレに興味を抱いているかもわからないのだ、気味が悪い。
重々しい魔術施錠装置にを触れれば、ガシャリと音を立てて自動的に解錠される。扉自体は木製の簡単なもので、魔術で補強しているらしいとはいえ非常に軽い。
雑談交じりにメイリアに聞いた話曰く、この軽さで上級クラスの魔法ですら弾くというのだから、彼女の魔法技術はどれ程化け物じみているのか。
扉を閉めれば施錠の音がして、内心「しまった」と後悔を漏らした。
当然ながら鍵なんて持っていないので、この扉をどうやって開けたものかとドアに手を掛けてみれば、思いの外簡単にガチャリと音を立てて開く。メイリアが魔力を登録でもしてくれたのだろうか。
「……参ったな。どの道通ったっけ」
「王。一度私が校舎内部を見回り、マッピングデータの構築を提案します。そう時間は掛けません」
「マッピングデータってな…………まあいい。悪いが、頼めるか?」
「無論です。一周あれば充分ですので、直ぐに帰還致します」
エマの提案にクロが頷いてそう頼めば、エマが至極当然のように返してすぐに大きく跳躍する。数秒も掛からずに屋根へと降り立ったエマはその勢いを緩めることなく、さらに上へ、上へと巨大なメルセデス魔道学院の校舎を登っていき、やがてその姿も見えなくなった。
それを見送ったクロは周囲を軽く見回して、渡り廊下から繋がる庭へと出る。
庭はメイリアがアルテミリアスへ怒りのあまり放った魔法によって所々えぐれており、各所の穴を跳んで避けつつ、庭の端に置かれたベンチへ向かう。クロ自身も道を探さないのは、下手に動いてエマと入れ違ってしまっては元も子もない故だ。
どうにも先客がいるようで軽く顔を見れば、意外にも見知った顔。彼もクロに気が付いたようで驚いた様に目を見開くと、ボソリと口を開いた。
「……クロ、さん?」
気のせいか、何処か小さな怒りのような、敵意のようなものを孕んだ、そんな瞳でこちらを見る彼に困惑しつつも、とりあえずの礼儀として一応挨拶は交わしておく。
ついでにベンチの隣を指差して座っても良いかとジェスチャーすれば、彼は静かに体をベンチの真ん中から横へと動いてくれた。
「よう、まだ学校に居たんだな。えー……っと、アクスト、で良かったか?」
「えぇ、アクスト・マグヌスです。先程の手合わせでは、どうも」
長めの茶髪を掻き上げつつ無愛想に言う彼は、学園長エルドレッドの頼みにより生徒の実戦訓練の相手を引き受ける事になった、クロが戦った魔法使い達の内の一人。他二人の魔法使いに比べて、非常に高い戦闘能力を持っていた記憶がある。
戦った三人――マールス、レリア、アクスト。彼らのように三人一組で班を組み、それぞれ協力し合い、各々の魔法使いとしての力を高め合う……それがこの学園の指針だそうだ。
メルセデス魔道学院はクロの元いた世界で言う大学に近しいシステムらしく、基本的に在籍期間は4年間。各々が授業のコマ分けを指定して、自分が身につけたい内容の授業を受けていく。
ただし全生徒にはいくつかの必修科目が指定されており、主に班分けで決められた面々が集まるのはその時らしい。
「メイリア様からの用事は良いのですか?」
「用事と言えるかは疑問っちゃ疑問だけど、まあ片付いてる……って事に、なる……のか?」
メイリアは恐らく魔界首都を紹介してくれただけだろうし、向こうに行ってやれる事は既にやった。今クロが注意すべき事は例の“セト”と名乗るあの女からの忠告――「今すぐアヴァロナルに戻らなければ後悔する」という旨のソレだ。
ルーシーの予言といい、セトの忠告といい、全てがこのアヴァロナルに収束している。きっと何かがあるのだろうとは思うが、しかしクロが知る限りこの街にそれらしき危機や問題があるようには思えない。
だが、どうにもセトが言った『今すぐ』というワードが耳に残る。急を要する事態であるのなら、早急に原因を突き止めたい所なのだが――。
「……真祖龍と黒妃は、どれ程強かったのですか?」
「……?」
不意に、アクストが俯きながらにそんな事を呟く。
唐突だったために一瞬だけその質問の意味が分からず混乱したが、すぐに脳裏でその問いの内容を整理すればなんて事はない。質問そのままの意味であり、それ以上でもそれ以下でもない。
呆けていたんだろうな、と反省しつつも記憶を掘り返して、恐るべき災厄との戦いの記憶を脳裏にリピートした。
「そりゃあ、もう想像が届く範囲じゃ無かったさ。一撃一撃が悉く規格外の癖に、調べたらあれでも昔よりは大幅に弱体化してるなんて言うんだ。もうちょっとでも相手が好調なら、今俺は此処には居ない」
「……片や、吐息一つで、街一つを更地に変えたという『真祖龍』……片や単騎で精霊族を全滅に追い込んだ、ヒト殺しの『黒妃』。そのどちらも、神話に名を残すほどの怪物なのですよ?それを、たった一人でなんて……」
疑惑の色が混じった声音でそう問うてくるアクストのその様子で、何となく彼の言わんとしている事を理解する。要するに彼は、クロが単騎で真祖龍や黒妃を打ち倒したと言う話を疑って掛かっているのだ。
いやまあ、それ自体は無理もない事だ――というか、むしろその話には大きな尾びれが付いているとクロ自身思う。
「……何処かで話が誇張されてるのか、よく誤解されるんだけど、別に俺一人で倒した訳じゃないさ。『真祖龍』はナイアが一緒に戦ってくれたし、『黒妃』の方は何故か一切反撃してこなかった……どころか、完全な無防備を貫いてたんだ。誰かが黒妃に何かしたんじゃないか、と今は思ってる――それが誰かは、まるで分かんないけどな」
事実、もしもあの二体の怪物がクロを本気で殺す気だったのならば、まず勝てなかった。『真祖龍』はクロに殺意を向けていた、というほどでも無かったし、黒妃に至ってはされるがまま。そこまで手を抜いていても、収納の無敵性や源流禁術をフルに活用してようやく仕留めることが出来た相手だ。どちらも、クロの実力で倒したとは言い辛い。
「……それに、その為に必要だった力だって偶然手に入れただけの後付け。お世辞にも、俺の実力だなんて思っちゃいない」
「……」
そう目を細めて、何処か自虐的な笑みを浮かべつつ答えるクロに、アクストが少し苛立ったような視線を向ける。
彼はゆっくりと立ち上がると数歩前へと進んで、腰のホルダーに挿した短い杖を抜き放つ。短く呪文を詠唱すれば3秒足らずで氷の刃が形成され、アクストは滑らかにその刃をクロへと振るった。
瞬間、紅い電光と共にクロの腕が弾かれたように動く。一瞬の内に氷の刃を叩き割って、流れるように蹴り上げた爪先で杖を弾き上げたどころか、瞬き一つの後にはもう片方……漆黒に染まった黒腕がアクストの首に添えられていた。
「……っ!」
「……何の真似だよ、生徒がこんな事しても良いのか」
あくまで冷徹な瞳で言うクロの紅い瞳を睨みつけて、アクストがギリ、と己の歯を噛み締める。
気迫に押されてバランスを崩したのか、アクストがドサリと尻餅をつけば、クロも戦闘態勢を解いて疑問げな視線を彼に向ける。アクストは憎々しげな表情でその視線を睨み返すと、グ、っと片腕の拳を握り込んだ。
「……さっき戦った時に、分かった。貴方は確かに強かったけど、技術自体は明らかに突貫工事で身に付けたソレだ。父さんの家の道場でずっと見てきたから、何となくわかる」
「家が道場なのか、そりゃ見苦しいモン見せたな」
アクストの指摘通り、クロの戦闘技術と呼べるものは自己流の素人丸出しの剣技と、ブルアドによって超短期間に仕込まれた必要最低限の技術。そんなものが本業の武人たちに及ぶはずもなく、クロがそんな武人達を超えられるのは圧倒的レベルと、『源流禁術』によるステータスの暴力が殆ど。
その道の専門家に見せたら、それは勿論お粗末なものだろう。当たり前だ。
「……どう見たってそのレベルなら、良くて鍛錬を始めたのは半年以内。それを力で無理矢理カバーしてるだけ……その力だって、貴方が言うには後付けの貰いもの。貴方の努力で身に付けた強さなんかじゃない」
「あぁ、そうだな。俺の実力の介入する余地なんて、殆ど皆無に等しいよ」
「……、ならどうして……っ!!」
ジャキン、という音が鳴った。
アクストがハッと息を呑み、自身の首に突きつけられたソレを見る。夕暮れの輝きを受けて茜色の陽光を映す大剣の所有者は、その真っ白な髪を靡かせて、無感情な表情でアクストに警告を向けていた。
即ち、動けば首を落とすと。
「……エマ」
「戻りました、王。不穏分子を発見した為仲裁に入りましたが、如何致しますか。必要とあれば始末しますが」
「ひ、ぃっ」
あまりにも冷たい声音、しかし絶対に本気だと分かるその瞳。
感情としては表れない絶対零度の殺意がピトリとその刃をアクストの命に添えられて、ヒヤリと冷たいものが彼の背を流れる。喉の奥にまで出掛かっていた問いはすぐに引っ込んで、今はただ自身に迫る命の危機に対する恐怖が全身を支配する。
そんな彼女の様子に呆れたような表情で溜息を吐いたクロは、小さく「止めろ」と指示を出す。エマはコクリと極小の動きで了承を表すように頷くと、両手で構えた大剣を己の鞘に戻した。
「……早かったな、もう回ったのか」
「はい、既に学院内部の構造は大方把握しました。急ぐようでしたので、最低限道に迷わない程度に留めましたが」
「ああ、その方が助かる。行こう」
クロの指示に従うようにエマが一つ頷いて、渡り廊下へと戻るように歩みを進める。クロも気まずそうな表情で彼女に続き、しかし一度振り返って、未だ座り込むアクストへと視線を向けた。
言葉に迷ったように彼は数秒目を逸らしたが、やがて申し訳なさそうに言う。
「……俺は、状況に恵まれたんだと思う。だから、アンタの努力が足りなかったとか、才能がなかったとか、全くそんなことは無いんだよ」
「……ッ!」
アクストの感情は、理解出来る。
彼は強くなりたいのだ。もっと、もっと、今よりも遥か高みへと至りたいと、強きを目指す者ならば誰でも宿す感情。それが人一倍大きくって、そしてただ偶然に恵まれただけで己よりも遥か上へと高飛びしたクロが、気に食わない。
理屈は分かるが、それに関してクロが出来ることは何もない。クロが何かを言ったところで、彼にとってはマイナスにしか働かない。
それに彼には悪いが、そんな彼の一方的な怒りに付き合っている暇は、今の自分には無いのだ。
「……不公平、じゃないか……なんで、ロクに努力もしていない……貴方が……!」
「……悪い」
そう一言だけ残して、クロはくるりと踵を返した。
◇ ◆ ◇
「もしもしぃ、少々宜しいですかぁ?」
「……?」
クロ達が庭を立ち去ってから、数分後のこと。
ベンチに腰掛けて俯くアクストに、桃色の髪の少女が声を掛ける。
疑問げに首を挙げたアクストの目にまず映ったのは、その顔に収まるどこまでも純粋な白銀の瞳。ダイヤモンドの宝石のように美しいその瞳には微量ながら魔力が帯びられており、そのあまりの特異さに彼はすぐさまその正体を看破した。
驚き、声を上げようとしたところで、真っ白な指が彼女の唇に添えられ、『静かに』と言った意味のジェスチャーを取る。あまり騒ぎを大きくはしたくない、という事なのだろうか。
一先ずそのジェスチャーに従って口を噤む彼の様子に満足したように少女は頷くと、キョロキョロと辺りを見渡しながらも、アクストに一つの問いを投げる。
「ごめんなさいねぇ?人を探しているんだけれど、さっきここに黒髪の男の子が来なかったかなぁ」
「黒髪……?イガラシ・クロなら、そっちの廊下を歩いて行きましたが……」
「あらぁ、そう。その様子じゃあ、行き先は言ってませんでしたかぁ……仕方ないですねぇ、地道に聞くしかありませんかぁ」
そう能天気な声で呟く彼女の視線は何処か不安定で、歩き方だって妙だ。まるで爪先で前を探りながら歩くかのような、どうにも不安な歩き方。そして同時にそれは盲目の人物が、手元に杖が無い場合によく行う歩行方法。
どうにも目の前の少女は、目が不自由らしい。
「……大丈夫ですか?良ければ、杖を作りますが……」
「あらぁ、魔法使いさんなのですかぁ?そのご提案はとぉっても有難いのですけれど、大丈夫ですよぉ。心配ご無用、というやつですねぇ」
ひらひらと手を振ってそんなことを言う少女に、アクストが手に持った魔道杖を下げる。本当に大丈夫なのだろうかと心配する彼の心を見抜いたのか、クスクスと笑う少女は、何でもないようにくるりとその場で回って見せた。
「この通り、もう目を使わないでも動けるのですよぉ。慣れちゃいましたぁ」
「それは、そのようですが……では、せめて案内を」
「問題ない、なのですよぉ」
どうしても心配になったアクストがそう食い下がるも、少女はやはりその提案を断る。目の前の少女がもし本当に想像通りの人物ならば、一人でホイホイと行動させて良いものかも分からないのだが――。
「うふふふ。お優しい人なのですねぇ、そんな貴方にはお礼の言葉を送っちゃいますよぉ〜」
なんてふざけた様子で、軽やかにスキップする彼女はアクストの眼前にまで近付くと、その白銀の瞳で彼の両の目を覗き込む。瞬間、膨大な魔力がその白銀の瞳に集って、アクストは驚きのあまり声すらも出せなかった。
硬直するアクストの目の前で、その原因たる少女はゆっくりとその両目を閉じる。彼女は彼の額にトンと指を立てると、急に別人の如き雰囲気を纏い、何処か低い声音で彼へとその“予言”を告げた。
「……今日一日、この学院の中で過ごすこと。それと今言ったことを、この街の人々みんなに伝えるようにメイリア・スーに連絡しておくこと。これは『白の巫女』として、このアヴァロナルという街へ向けた忠告だよ」
「――!」
どういう意味なのか、とアクストが問い返そうとした瞬間。
バチンッ!という火花が弾けるような音と共に、彼女の姿が搔き消える。場に残った魔力は風に吹かれて、遥か上空へと巻き上げられていく。
動揺のあまりに一歩後退した彼の胸からはチャリ、という金属音がして、その正体を確かめるため自身の胸へ視線を向けたアクストの目に映ったのは、見覚えのないネックレスだ。
無性透明の、透き通った宝玉が収まった大きめのソレは、一目見ただけで膨大な魔力を秘めたアーティファクトであると分かる。次から次へと発生する理解不能に、アクストはただ混乱していた。
ただ、つい先ほどの予言――それだけが心に深く残って、一先ずは未だ学園内に居るはずの前学園長……メイリアにこの事を伝えようと、走り出した。
非常にお待たせしました、ええ、非常にお待たせしました……
思えば前に投稿したのはバレンタインでしたね、某お空の光が有利な古戦場で弓を44本ほど掘ってたり、白い方の紙やら鱗やらを500枚集めていると、いつのまにかこんな日付に……
大方のストーリーは既に固まっているので、必ず、きっと、今度こそ、多分、ある程度は更新ペースを戻せると思います……戻るよね?
兎も角、ほんっとうにお待たせしました!もうそろそろ三章も後半に入ります!!




