表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/107

バレンタイン番外編『レッツ・クッキング・ヴァレイティ』

最近更新できてなかったのと、本編が殺伐としてるのが続いてるため、息抜き程度にご覧下さい。例の如くナタリスの集落での二ヶ月間での事です。

 ――ナタリスの集落、というよりは、その集落が存在する封龍剣山の周囲には、明確な“季節”というモノは存在しないと言っていい。


 勿論、この付近の様に季節が存在しない場所もあれば、しっかりと四季が巡る地もある。それは地方によって様々であるが、あえて現在の季節を示すとするならば、今は冬という事になるのだろう。

 もう少し明確にしてしまえば、二月中旬。このアルタナという世界に於いては『戌の月』と言われる時節である。


 まあ、だからと言って特にどうという事もなく、集落で暮らすクロにとっても特にこれと言った変化はない。もうそろそろこの集落で暮らし始めて二ヶ月になるくらいなもので、普段通りに過ごすモノだと思っていた……の、だが。


「……ヴァレイティ?」


「あぁ、割と昔っから世界中に広まってるちょっとしたイベントだ。親しかったり、好意を寄せる相手だったりにチョコを作って贈るって風習でな」


「完全にバレンタインです本当にありがとうございました」


 思わずそんなツッコミがボソリと口から漏れて、聞こえなかったのかギール――エマの父である、ナタリスの特徴である所の銀髪赤眼という容貌をした男は、手元の木の板を組み上げ、蔦を巻いて縛り上げる。

 樽、とは少し違うかもしれないが、ナタリスの集落でよく用いられる貯水槽を造っているのだ。アガトラムの木の表面は非常に撥水性が高く、水を吸わないために腐りにくい。その特徴を用いて、雨水を貯めるための桶のように使われている。


 クロが今日この家を訪れたのもそれを手伝うためであり、これも初めての事ではない。まだエマはおろか、村の子供たちにすら劣る軟弱な体ではあるが、クロも日々着実にレベルを上げてきたのだ。今やこの程度の事ならば簡単にこなせる程度の筋力は得た。


 作業にも慣れた、今や集落でこなさねばならない立派なクロの仕事の一つだ。


 そんな作業中にギールが切り出してきた話が先程のものであり、あまりにも既視感だらけなそのイベントにクロは思わず手を止めてしまった、という訳だ。


「チョコ自体はアルが外から持ってきてくれてっから、割とこの集落でも流行っててな。エマも毎年参加してる」


「……え」


「言いたい事は分かる……俺らも毎年頭を悩ませてっからな」


 何気なく告げられたギールの一言に、クロが声を裏返らせて硬直する。ギールもまた深刻そうな表情で俯いて、クロの言わんとする事を先読みして制止した。

 別に、エマがバレンタイン――もといヴァレイティに参加する事が悪い訳ではない。彼女だって立派な年頃の女の子な訳で、こういうイベントを好むのだって理解出来る。

 だが、クロやギールが懸念するのはそもそもの話、“エマは殺人的なまでの料理下手である”という、その一点だ。


「……これまでは、どうしてたんだ?」


「俺とラナが徹底的に監修して、なんとかマトモなものにはした……が、それでも良い出来とはいかねぇ。まあ今はあの子も、自分が料理下手だってのには何処かの誰かさんがバラしてくれちまったせいで気付いてるからな。一応練習はしてるが……」


「その節は本当に申し訳無い事をしまして……」


 ギロリと睨み付けてくる紅い視線に思わず目を逸らして、裏返った声で謝罪の文を述べる。クロがエマの料理下手を知らなかった時に、彼女の手料理を口にしてしまい、そのまま暫く気絶するという醜態を晒した。

 これまではギールとラナの誤魔化しによってなんとか隠し通せてはいたのだが、エマも薄々おかしいとは思っていたのだろう。その一件がキッカケとなり、エマは自分の料理が凄まじく下手なのであると気付いてしまった。


 というか、気絶するほど不味い料理など逆にどうやったら作れるのだろうか。それはそれで無駄に凄まじい技術だ。


 以来、両親に料理の技術を仕込まれたクロが時間があればエマに料理を教える事もあって、今では多少マシにはなった。それでもまだ少しばかり顔が青くなる味ではあるが、即気絶とまではいかない程度には改善したと言える。

 だが、それは料理の話。チョコは料理ではなく、菓子に分類される。


 “料理とお菓子作りは別物だ”、とは母の弁。経験と応用がモノを言う料理と違って、手順の厳守を求められるお菓子作りは別の次元の技術だとクロは認識している。


「ってな訳で、クロ」


「エマにチョコ作りを教えろって事でいいのか?」


「おう、分かってんじゃねぇか。お前の料理の腕はラナも認めてんだ、いっちょ頼むわ」


 なんて軽く責任重大な事を言ってくれるギールにジト目を向けつつも、しかしながら職場を提供してくれた恩もあるし、エマ自身にも返しきれない程助けられたのだ。元より断るつもりもない。

 染み付いてしまった癖の矯正は生半可なものではないが、腹をくくるか、と静かに決意して、ふと湧いて出た疑問をぶつけた。


「……分かった、材料確保しとく。ちなみにそのヴァレイティってのはいつだよ」


「明日だ」


「明日ぁっ!?」


 あまりに性急過ぎる、ロクに準備も出来ていないのにそれは流石に厳しい。エマの練習時間だってあるのだし、アルタナにはあちら(地球)のように便利な文明の利器(電子オーブン)など無い。多少慣れたとはいえ、あるのは直火で焼くオーブンぐらいなものだ。

 予熱時間だって必要だし、エマの事だからかなりの数を作るだろう。


「もうちょっと早く言って欲しかった……!」


「悪いな、今の今まで完全に忘れてた。エマが朝方に準備するみたいな事言ってたのを思い出してな」


「もう始めてんのかよ!?……くそ、ちょっと行ってくる、後任せても良いか!?」


「おう。ついでに俺の分も作っといてくれや」


「それはアンタの娘に直接言ってくれ……っ!」


 こうしてはいられない、今の彼女は多少料理が上達してきたために、少しばかりの自信が生まれてきている。それ自体は悪いことでは無いのだが、今のままでは料理の感覚をそのままチョコ作りに持って行きかねない。

 エマにはまだ、菓子作りの基本も伝えてはいないのだ。もし盛大に失敗でもしようものなら、自信を打ち砕かれて落ち込んでしまいかねない。事態は急を要する、止めなければ――!









 ◇ ◆ ◇










「――間に合ったぁ……っ!」


「……く、クロ?」


 作業場から全力疾走でエマ達家族の暮らす家まで向かって、先にギールから事情を聞いていたらしいラナに案内してもらえば、丁度エマがこれからキッチンで調理を始めるという所だった。


 ナタリスの食事は基本的に大食堂で行われるが、各家庭にも一応キッチンは設置されている。ナタリスの面々それぞれに仕事がある以上、朝夕は兎も角、昼まで皆一堂に会して食事という訳にもいかず、昼食は各自の家庭で作って食べるのが一般的だ。

 まあ普通の料理だったり弁当だったりという違いはあるが、勿論昼食だけでなく、こういったお菓子作りなども各家庭だ。そんな事まで大食堂の厨房でやっていると、厨房が詰まって使い物にならなくなる。


「エマ。ギールと話し合って決めたんだけれど、今年のヴァレイティはクロにエマのチョコ作りを手伝って貰おうと思ってね?ちょっと来て貰ったのよ」


 困惑するエマにラナが後ろから注釈を入れて、エマが「……だからお父さん、居なかったんだ」などと納得したように手を打つ。マイペースなそのやり取りに苦笑して一先ずキッチンを見渡せば、チョコや卵、バターなどの様々な材料が揃えられて――


「……なぁ、エマ」


「……?」


「なんで、チョコ作りに干し肉?」


「…………その……美味しいかな、って」


 すぅ、っとエマの視線が若干右に寄っていく。しかも若干泳いでいて、更に言えばまだクロが見ていなかった辺りに体を滑り込ませ、何かを隠すように立っていた。

 怪しい、明らかに何か隠している。しかもこの反応から見るに、もしや今更この前に注意した事を思い出したな。


「……エマ」


「……なに?」


「……後ろに何隠した?」


「…………」


 つー、と、エマの頬を汗が伝う。

 クロの目がみるみるうちに細められていき、確信を持った足取りでエマの方へと歩みを進めていく。一歩一歩進むたびにエマが縮こまっていき、彼女の目の前にクロが辿り着く頃にはもはや完全に隠せていなかった。



 まな板の上に、それはそれは立派な魚が乗っていた――。



「…………あの、クロ……これは」


「……分かってる。美味しいものと美味しいものを合わせたら、更に美味しくなると思っちゃったんだな」


 頭を抱えながらエマの肩にポンと肩を置いて、エマの思考を先読みしつつそう告げる。まるでギャグ漫画の如き超発想は、エマに料理を教えていた時から何度も味わってきた大きな壁だ。もうここは時間を掛けて認識を改めてもらうしかない。

 チラリと、その立派な魚を見る。80cmはあるだろうか、アルタナで見た中では相当に大きな魚だろう、確かかなり味のいい魚だったと思うので、普通に調理すればとてもいい食材になる筈だ。


 とりあえずこれはこれで普通に夕飯やらの良いお供になるため、ラナに預けて保管しておき、改めてチョコ作りの材料を検品する。


 一応マトモな材料は一通り揃えられており、普通に作る分には不足ない。所々に何故か団子やら米やらが乱入していたがそれは当然ながら除去して、とりあえずエマには厳重に注意しておいた。


「……言い忘れてたんだけどな、アレンジとかは最初の内は厳禁だ。レシピ通りに作る事最優先、良いな?」


「で、でも……作るなら斬新な……」


「――い・い・な?」


「……はい」


 何故だろう、なぜ普段は賢い筈なのに、調理関連になるとここまでポンコツになってしまうのだろう。お約束か、お約束なのか。料理下手というか、もはやエマの中で定義付けられといる料理とは何かを小一時間問いただしたい。


 先は長い、と小さく心の中でため息を吐いて、『収納』から自分用のエプロンを取り出す。これはラナが「エマに料理を教えてくれてるお礼よ」と贈ってくれたもので、今では料理の際の必需品と化している。

 男にしては髪が長いためにヘアピンで端に寄せて、後ろはゴムで短く括れば、調理準備は完了だ。目の前にある材料の数々はエマが自分で用意したものなので、同じく『収納』から自分で使う用の材料を取り出す。どうせ教えるのだから、自分でも何か作ってしまおう。


「……女の子みたい」


「そろそろ切ろうと思ってた所に“アレ”だったから、自分で切る訳にもいかないし伸ばしっぱなしなんだよ……」


 ポツリと呟いたエマの一言がグサリと心に突き刺さって、若干どんよりとしながらボウル――正確には、その代用の木製の器だが――に湯を入れておく。ここでもしっかりと『紅の眼』は効力を発揮したようで、エマが「……あ、ごめん」と慌てて謝罪してきた。


 まあ別にそれは身嗜みに普段から気を使っていなかったクロの落ち度なので、「気にすんな」と言っておいてから、今度は金属製のボウルにここへ来る途中で貰っておいたチョコを入れて、先程木製ボウルに注いだお湯で湯煎に掛ける。


「湯煎に掛ける手順は分かるか?」


「うん、これまでも何回かやった……けど、直接温めちゃダメなの?」


 湯煎の意味が分からない、というのは良くある疑問だ。実際その疑問はクロも母に問うた事があるし、きっと菓子作りに着手しようとする者は一度は疑問に思った事があるんじゃないだろうか。

 いやまあ、勿論特に疑問にも思わずにそのまま手順をこなしたという人も探せば居るかもしれないが。


「湯煎ってのは言っちまうと、ゆっくりあっためる為に間接的な加熱をする事なんだ。チョコを直接火にかけちまうと、溶ける前に焦げるからな。温めたお湯を使って、人肌よりちょい暖かいくらいでチョコを溶かしていくんだよ」


「……チョコって、焦げるんだ」


 ヘラでボウルの中のチョコを軽く転がしながら、少しずつ溶かしていく。エマもまた同じようにその手順を追って、チョコを細かく砕いてから、湯に浮かせた金属製のボウルにチョコを入れていった。


「それで、チョコって一口に言っても色々あるけど、どういうのを作りたい?オススメはガトーショコラとかその辺だけど」


「……がとー、しょこら、って?」


「チョコを使ったケーキみたいなもんだな、割と簡単だし美味い。下手に凝ったモノを作るよりも確実だ」


「……じゃあそれ、作りたい」


「分かった。じゃあ、次は……っと」


 エマの希望に沿って、次の手順を確認する。出しておいた卵を割り、殻を使って卵黄と卵白を分けてからボウルに移して、卵白の方にはグラニュー糖――これまた代用の、ラミー糖という非常に似た調味料になる――を加えて混ぜる。


「……卵白も使うの?」


「ああ、卵白にラミー糖を加えて混ぜると、メレンゲっていうのになるんだ。ケーキだとかそういうのを膨らませやすくなるし、食感が良くなる。ちょっと難しいんたが、上手い具合に加減……というか、空気を含ませるように混ぜるのがコツな」


 実際に手元で混ぜる様子をエマに見せて、メレンゲを泡立てていく。エマもまたその様子を見て手元に分けた白身を泡立てていくが、しかしその腕には少々力が篭り過ぎのようで、このままではタンパク質と水分が分離してしまう。


「力加減難しいよな、ちょっと待ってろ」


「……え、あ……うん」


 自分の泡立て器は一旦置いておいて、エマの持つソレに上から手を添える。力を抜いておくように言ってから上から手を動かして、大体の感覚が掴めればと10秒ほど代わりにメレンゲを泡立てていく。

 これくらいで十分だろうと手を離して、クロもまた自身のボウルに再び手を伸ばした。


「……っ」


「……とまあ、これくらいの力で十分だな。大体伝わったか……どうした、エマ?」


「……う、ん。大丈夫、大体わかったから」


 何やら硬直しているエマに声を掛けると、彼女は弾かれたようにそう答えてから、慌てて自身の泡立て器をゆっくりと回し始めた。少々力が篭っていると言えないでもないが、この程度なら問題ないかと、クロも自分のボウルに意識を移す。



 ――若干、耳が赤いような気がしたが、気のせいか。













 ◇ ◆ ◇














「……そろそろ、良い時間」


「だな。んじゃあ、出すか……」


 全ての手順を終えて、型に流し込んだ生地をオーブンで焼くこと50分程度。ラナが淹れてくれたお茶を飲みながら雑談を交えていれば、すぐに時間など経っていた。

『収納』からミトンを取り出して手にはめ、オーブンの蓋を開ければ、すぐに甘い香りがキッチン中に漂ってくる。エマと顔を見合わせて一つ微笑むと、程よく膨らんだソレをオーブンから取り出して、キッチンに置かれたアーティファクトに入れる。


 それはこのアルタナでは割と一般的なもののようで、内部に入れたモノを時間を掛けずに冷ませるという優れもの。アーティファクトの中では珍しい、現代の魔術学で完全に解析が成されたために、量産が可能となった調理用アーティファクトらしい。


 勿論、ナタリスでも使われている事から分かるように、使用に魔力は必要ない。空間の魔力を自動的に使用して効果を発揮するのだ。


 便利なものだなどと今更ながらに思いつつも、アーティファクトの中に入れたガトーショコラを取り出せば、良い具合に冷めて形も整っていた。どうにも内部では急速に冷やす、というよりは時間加速に近い事が行われているようで、急速に冷やす事で出る弊害などのケアも万全だ。これを作った作者は相当な料理好きだったのだろうか。


 まあ、それは兎も角。


「……これが、がとーしょこら……?」


 エマが初めて見るらしいそれに目を輝かせながら、掲げたり横に回ったりなどしながら眺めている。その光景を横目に微笑みながら、自分のソレをまな板に乗せる。

 これまた『収納』から小さな包丁を取り出して、作ったホール状のガトーショコラを八つほどに切り分ける。その内の一つを手にとって口に含めば、チョコレートの甘みがしっかりと広がって、上手く出来ている事が分かる。


「……よし、大丈夫だな。この分じゃ他に作ったやつも大丈夫そうだ」


 ナタリス全員に配ると流石にとんでもない量になるため、作るのは子供達のものだけだ。それでもなかなかの量ではあるが、一人一切れとしても四ホールほど焼けば十分に足りるだろうと、四ホール分焼いてある。エマの方は子供達の分に加えて、特に仲のいい者にも配るそうだ。


「ほら、エマ。まな板空いたから、切って味見てみな」


「……あ、う、うん。分かった」


 包丁をまな板の端に置いてからガトーショコラを皿に移して、邪魔にならないようテーブルに移す。入れ替わるようにエマがまな板の前に立って、ゆっくりと慎重に、包丁を通していった。その手つきは慎重過ぎるくらいにゆっくりで、何をそこまで緊張しているのかと苦笑する。

 やがてエマはクロと同じようにホールを八等分にすると、その内の一切れをさらに小さく、一口サイズに切ってから口に運んだ。


「――――っ!!」


 ぱぁぁぁぁっ、と効果音でも付きそうなほど分かりやすい顔で頬を抑えたエマは、小さく分けた残りのガトーショコラをパクパクと食べていく。勿論切り分けた一切れ程度だとそんなに量がある訳もなく、すぐに尽きてしまったが。


「……ぁ」


 見るからにしょんぼりとした様子で手元を見ながらそんな悲しげな声を出すので、思わず苦笑してから自分で作った方のガトーショコラを確認してから、全員に配っても余りが出る事を確認する。

 元々余分に作ってあったし、そもそもエマの分も取ってあったのだ。どうせ教えるなら、気に入ってくれればこれ以上の事はない。


「……俺の作ったのが多分いくらか余るから、後でそれ食べるか?」


「……いいの?」


「元々エマ用の分も取ってあったからな、勿論ラナとギールにもある」


 そう言ってやれば、エマはそれは嬉しそうに笑って、手元の切り分けたガトーショコラに視線を落とす。包丁の腹を使ってクロと同じように皿に移せば、外見も立派なものに見える。

 あの様子だ、味も上手く仕上がっていたのだろう。初のお菓子作りにしては、戦果は上々か。


「……クロ、すごい。こんなに美味しいもの、食べた事ない」


「確かに教えはしたけど、それを作ったのはエマだろ?頑張った結果だ」


「……それも、クロのおかげだもん」


 そう微笑んで言うエマに照れ臭くなって、自分のソレに視線を落とす。さて、あちら(地球)のようにラッピングは出来ないがどうしたものかなどと思考を逸らしていると、不意にエマが思い出したように「あ」と声を漏らした。


 どうかしたのか、と聞こうとするも既にエマは動き始めていて、聞くに聞けない状況のまま、彼女は手元のガトーショコラをもう一切れ抜き取る。

 エマは先程と同じように一口程度のサイズにショコラを小さく切ると、不意にクロの方へと振り返った。


「……クロ、口開けて」


「へ?……むぐっ」


 唐突にそんな事を言われて、一瞬ではその意味を理解出来ずにそんな間抜けな声を漏らす。そこにエマが手に持ったガトーショコラの一切れを持ち上げて、クロの口に押し込んだ。

 急に口を塞がれた事で一瞬何事かと困惑したクロも、しかし口に広がる甘い味に状況を理解して、大人しくそれを味わうことにした。


 エマの作ったそれはまだ不慣れなのだろうし、仕方のない事ではあるが、まだクロの作ったそれには及ばない。しかしながら、しっかりとした美味しさが感じられて、初挑戦には十分の出来だった。


「……美味しい?」


「ああ、美味い。……けど良かったのか?皆に配るんだろ?」


「……良かった。あと、それ、クロの分だよ?」


 口に付いた生地の一欠片を指で拭いながら言うクロに、エマが何を言っているんだろうとでも言いたげな声音で平然と言う。そんなエマの一言にクロが即座に硬直して、エマが更に首を傾げた。


「……どうしたの?」


「……いや、悪い。バレン……ヴァレイティでチョコ貰った事なんか、親とか妹が作った余りだとかくらいしか無いからさ。初めてだったから、ビックリしてた」


「……そうなんだ」


 バレンタインは勝ち組と負け組が明確に生まれる日、そして自分は常に負け組に位置する――などと悲しい持論を持っていたクロにとって、エマのそれはまさに衝撃の展開であった。

 チョコの作り方を教えるのは、これが初めてではない。妹にチョコを教えた事もあるし、なんなら昔から五十嵐家と交流のある、近所に住んでいる小学生の女の子に教えた事もあった。なんでも好きな人が居るんだとかで、微笑ましかったので快く協力したのだ。


 だがまあ、よくよく考えてみれば血の繋がりもなく、そして同じくらいの年頃――といってもまあ遥かに年の差はあるが、精神的なものだ――に教えるというのは初だろうか。


 そして、そんな子に貰うのも、初。


「そうか。これが……上位者共が居た世界か……」


「……クロ?」


「……いや、何でもない。ありがとな、美味しいよ」


 そんな下らない事を呟きながらお礼を言って、心なしか浮ついた気分のままガトーショコラのラッピングに取り掛かる。高揚した気分を落ち着けるように素早く『収納』の中を検索して、良さげなモノが無いかを探していると、不意にエマが声を漏らした。


「……初、めて」


「?エマ、どうかしたのか?」


 不思議に思って声を掛けると、手を止めたエマが何やらうわ言のように呟いていた。クロの問いに気付いたエマがふとクロに視線を向けると、何やら疑問を投げてくる。


「……クロ、これまで貰った事無かったんだよね」


「……それは少しばかり男の名誉に関わる話なので、ほじくり返さないで頂きたいかな……っ」


 さらりと心に刺さる事を言ってくるエマに苦笑しつつ、そう戯けた調子で返す。流石に高校一年生にもなって、歳の近い女の子からバレンタインの一つも貰ったことがないというのは流石に重症だと自分でも思っていたのだ。

 勝手にそんなダメージを受けていると、エマが「……よかった」などと言っているのが聴こえて、その意味がよく分からずに、続きに耳を傾けた。



「……クロに、一番最初に渡せたなら、嬉しい」



 ――。


 その一言は、少しばかり恋愛経験に乏しい、思春期の男子高校生には刺激が強過ぎた。


「……あの、エマさんや。それはどういう……」


「……エマさんじゃなくて、エマ。……何でだろ、なんとなく思ったんだ。一番最初は、クロに渡したいな、って」


 自分でも疑問だとでも言いたげな表情でそんな事を言ってくれるエマに固まって、ヘタレ(クロ)は無言で天を仰ぐ。いやまあ、天井があるので仰いでいるのは天井なのだが、そこはそれ。

 その台詞は流石に少し、反則ではないだろうか。そんな事を言われれば勘違いしてしまっても罪はないだろう、いやまあ本人に全くそんな気は無さそうなので、勘違いのしようもないのだが。


 クロが消沈している間に、エマはテキパキと慣れた手際で用意してあった包みにガトーショコラを詰めていく。こういう料理とは関係のない部分では普通に出来ているのに、料理が絡んだ途端なぜああなってしまうのか。


 内心でガックリと肩を落としつつ、しかし同時にバクバクと跳ねる心臓を落ち着かせようと、一つ水を飲んで気をを紛らわせる。エマに続いてラッピングを始めたクロが作業を終わらせる頃には、エマはしっかりと配る包みを仕分け終わっていた。


「お疲れさま。これで明日には間に合うな」


「……うん。あ、クロ、『収納』に入れてて貰ってもいい?クロの『収納』なら、時間劣化しないから」


「あいよ、分かった。明日の朝にでも持ってくるよ」


 エマから預けられた包みを一つ一つ丁寧に『収納』へと保管していき、ついでに自分で作った分も押し込んでおく。勿論ゴチャゴチャにならないよう、ラッピングで一目でわかるように差別済みだ。

 使った調理道具などは洗って片付けて、ゴミもしっかりと処理する。後片付けを完璧に終えたのを確認すると、エマが自分で持っていた残りの包みをクロへとポンと手渡した。先程、エマがクロに食べさせた残りのものだ。


 可愛らしく包まれたそれを受け取って、有り難くゆっくり食べさせてもらおうとこれまた『収納』に。その直前に「……言い忘れてた」と、エマが呟いて、クロがそんな彼女を疑問げに見つめる。


「……ちょっと早いけど、ハッピーヴァレイティ、クロ」


「……ああ、そういう事か」


 ハッピーヴァレイティ……地球で言う、ハッピーバレンタイン。

 どうやらこちらにもそう言った言葉があったらしい、実は古代に転生した現代人が広めたとかそんなんじゃないだろうな、などと仕方のない事を考えるも、今となってはそれを確認する術もない。


 だがまあ、そう言われたのならば、そう笑顔で言われてしまったのならば、返す言葉は一つしかない。





「……ハッピー・ヴァレイティ、エマ。明日は、皆喜んでくれるといいな」




「――うん!」






 その花のように眩しい笑顔は、たかだかガトーショコラの作り方を教えた事程度の報酬にするにしては、いささか大き過ぎた。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ