第79話『急がば止まれ』
なんとか間に合った……?
「……えーっ、と」
たっぷり十分以上掛けて漸く泣き止み、冷静さを取り戻したナイアは、まず話せる範囲で事情を説明するのが良いだろうと判断した。
思いの外“クロの知り合い”は人数が居たらしく、大部屋のソファに腰掛けたナイアの目の前には約20人ほどの――それも全て珍しい筈の黒髪、または茶髪だった――少年少女たちがそれぞれナイアの話に耳を傾けている。
まずは前提としてクロとの出会いと、ナタリスの村からこの街にたどり着くまでの出来事、今のクロ達の状況を話す。紅葉も含んだ彼らは、神妙な表情で聞き入れていた。
それはいい、それはいいのだが。
「何で、こうなってるの?」
「気にしないで、ちょっと癒し成分を補給してるだけだから」
現在のナイアは紅葉の膝の上に座り、背後から彼女の両腕に抱き締められるといったポジションに付いていた。
つまりはまあ要するに、先程の一件で紅葉の母性本能的な何かが刺激されてしまった訳て、先程からナイアはされるがままという事になる。ナイアを抱く両腕はしっかりと組まれており、まだ離す気は無いらしい。
ナイアは知らないことではあるが、実をリーダーとした勇者一行は、皆がクロの様に異世界召喚という異常事態に理解がある訳ではない。クロからある程度の説明を受けていたミノリ本人はあの調子であるし、何も分からないが故に安らげる状況というのが非常に限られていたのだ。
人界までは、人族のサポートがあった為にまだ良かった。が、魔界に入ってからはそれも無い。現状出会った魔族達は皆友好的だが、魔王軍という存在がある限り敵はどこかに潜んでいるという懸念は脳裏から消えないのだ。
故に、少しでもリラックスになり得る要素というのは非常に重要で、紅葉はその辺りの事もおおよそ理解していた。
――いや、まあ純粋にナイアの事が気に入った、という非常に個人的な事情も多く含まれるのだが。
だだ、話はこの微笑ましい状況と反して緊迫したものだ。内容を話す事こそ出来ないが、クロ達に危機が迫っているという事は既に伝えている。
「……その“呪い”とやらで詳しい内容は伝えられないけど、兎も角五十嵐達が狙われてる……って事でいいのか?」
そう確認を取ったのは、赤城輝彦と名乗った青年だった。
短く刈り込まれた髪は活発さが読み取れ、軽快な雰囲気が漂っている。その身に纏う紅いコートは非常に上質な魔力糸で編まれており、所々には特殊な術式が刻まれて居るらしい。
かなり高い精度で編まれた魔法陣は恐らく、相当高位の魔法使いによって付与されたものだと思われる。
腰に下げられた二本の刀は彼の主武装で、それぞれ何やら仰々しい名前の付いた魔剣だ。確か、『センジムラマサ』『イズミノカミカネサダ』、などと言っていたか。
「うん。多分、もう相手は動いてる……早く、クロ達を助けに行かないと」
「……姫路から聞いたとはいえ、イマイチ信じられねぇな。五十嵐、俺たちの中じゃ飛び抜けて弱かったろ?それが『真祖龍』だの、『黒妃』だのを倒したとか……」
「ホントだよ。私、クロとずっと一緒に居たから知ってる……一緒に戦ったもん」
「五十嵐君の強さについては、もう疑いようもないじゃない。赤城君だって、五十嵐君の異常な魔力見たでしょ?あんなの、ミノリのちょっと手前か、下手すれば同格レベルだったわ」
「それは分かるけど…….何をどうしたら、あの貧弱ステータスがああなるんだよ」
そんな彼らの会話は、魔界を訪れる以前のクロを知らないナイアにとっては耳を疑うような話であった。
ナイアが始めてクロの戦いを見たのは、エマが封龍剣山――真祖龍に取り込まれ、彼女を助ける為にと立ち上がったのが最初だ。その頃から既にクロは『禁術』を習得しており、それによる超人的なまでの身体能力はナイアに超高速空の旅というトラウマを植え付けられたのはまだ記憶に新しい。
勿論、クロの使う『源流禁術』がそういうものだというのは理解しているが、結局クロは『真祖龍』を倒した事により、素で凄まじい力を手にすることとなった。故にナイアは、『弱かった五十嵐久楼』というイメージがまるで湧かないのだ。
勿論、本人や以前のエマから、ナイアもそういった話は聞いていた。聞いてはいたが、それにしたって口を揃えてここまで言われるとは。一体どれほど弱かったというのか。
「……で、ナイア……で良かったよな?五十嵐達の居場所は分かるのか?」
「多分、アヴァロナル……だと思う。私たち、そこからこっちに来たから」
「アヴァロナルって言うと、確か『英雄の眠る街』……だっけ?」
そう口を挟んできたのは、ナイアの隣……正確には、ナイアを膝に乗せた紅葉の隣に座っていた少女。名は確か、山口楓と名乗っていた。紅葉の幼い頃からの友人、だそうだ。
肩下程度まで伸びた髪を一纏めに括り、所謂アサシンじみた軽装を纏った彼女は、いくつか巻かれたベルトに数本のナイフや小道具を挿しており、いかにも小回りが効くと言ったスタイルだ。
事実、彼女が与えられたチートは『幻夢』というモノで、主に撹乱や遊撃、不意打ちなど、多種多様な能力に莫大な補正を受けるという力。それこそが彼女の力の真価であり、そして同時に、本人の気質とは合わない困ったシロモノでもあった。
「アヴァロナルって、また離れたな。地図見た限り、早馬でも1日は掛かる距離だ」
「ミノリが作ってた小型魔導飛行艇は?私たちの魔力なら、6時間もあれば着くんじゃない?」
「あ、それダメ紅葉。ミノリがまだ試作段階だって言ってたし、一艇に4人まで乗れるとしても、三つしか無いから12人しか行けない。それに、起動術式もミノリしか知らないと思うよ」
「あー……そういえば言ってたね。じゃあどうする?ミノリ達みたいな精鋭なら兎も角、私たちだと走って行くのは厳しいよ?」
「……」
ナイアが呆然と会話に取り残される中でも、速やかに彼らの会議は執り行われていく。まるで当然のことのようにクロの救助に向かおうとする彼らに、正直ナイアは驚いていた。
勿論、初めから彼らに助けを求める気ではいた。が、話せないからといって『呪い』などという胡散臭い言い訳で助けを求めているのだから、正直、怪しまれてマトモに取り合って貰えるかも微妙だろうと思っていた。
まさかすんなりと信用されて、力を貸してくれるなど、想像もしなかった。
「……疑わ、ないの?」
「へ?疑うって……なんで?」
素で意味が分からないとでも言いたげに、間の抜けた声を出して、紅葉が首を傾げる。
「なんでって、私、いきなりこんな事言い出して……それに、詳しい事も何も伝えられないのに……」
ナイアの言い分は間違ってはいない。実際、普通ならば『詳しい情報は渡せないけどすごい危険が迫ってる人を助けて』などと言われて、即座に承認する方がおかしいのだ。
確かに詳細については言っていないが、それでも事の大きさは伝えられた筈だ。『真祖龍』、『黒妃』という二つの災厄を乗り越えたクロですら危険だと、そのレベルの相手だと既に伝えている。
だというにも関わらず彼らは、ナイアの願いをさも当然の如く聞き入れ、実行に移そうとしている。見渡しても誰一人反対意見を挙げる者はおらず、まるで初めからクロを助けるつもりだったとでも言わんばかりの様子だ。
「と言われてもねぇ……その、いつもとやってる事変わんないからさ……」
「……へ?」
カエデが横から挟んだその言葉に、今度はナイアが間の抜けた声を発する番であった。
「……元々、五十嵐君が私達と一緒の場所に居たって言うのは聞いてる?」
「え?う、うん……元々、クロは人界に居て……旅に出たのも、そこに居る好きな人に会うためだって……」
「へぇ!結構ハッキリ言ってるんだ、意外……ああ、ごめん、今の無し。忘れて?」
一瞬、面白いものを見つけたかのような目を紅葉たちは、すぐにそれを取り繕って忘れるようにと言う。ナイアも困惑したまま一先ず頷くと、彼女は言葉の続きを話し始める。
「その、五十嵐君の言う人……さっきも言ってたミノリって子のことなんだけど、私たちの中じゃ飛び抜けて強くってね。私たちのリーダーみたいな立場なの」
「ミノリ……?」
聞き覚えのない名だ。少なくとも、この『記憶』の中にはそんな名前は無かった。無論ナイア自身もそんな名前の人物とは会った事はない。
というか、それ以前に――
「……本当に、ミノリって名前なの?『ヒメノ』じゃなくて?」
「……ヒメノ?いや、そんな名前の子はクラス……というか、私達の中には居なかったと思うけど……五十嵐君がそう言ってたの?」
「あ、ううん、違うけど……ごめんなさい、やっぱりなんでもない」
唐突にそんな事を言い出したナイアに答えた紅葉に、そうかぶりを振って否定する。そんなナイアの様子に首を傾げながらも、「話を戻すね」と、紅葉は先程まで続いていた説明を再開する。
「そのミノリも、五十嵐君を探してたのよ。理由はまあ五十嵐君と同じ、両片想いっていうの?リアルにあるのね、ああいうの。ただ、お互い薄々勘付いてはいたみたい」
敢えて冗談めかして言う彼女にナイアが苦笑して、その話の続きを促す。紅葉もまたそんなナイアに微笑んで、話を続けた。
「まあ、そんなミノリがリーダーなった訳だから、まずは五十嵐君を探すっていうのが前提条件みたいになっててね。勿論、また別目的のグループも居るんだけど……今は私達とは別行動。
これまで、私達は五十嵐君を助け出すために旅してきたのよ。それが、ナイアちゃん的に言うアッサリ協力した理由。」
そんな紅葉の言葉をポカン、と惚けた様子で聞くナイアを、横からカエデがトントンと肩を指先で叩く。彼女は「それと」と紅葉の説明に口を挟み、空いたもう片腕に持たれた小さな紙――正確には、その紙に描かれた魔法陣を指した。
「これ、伝達の使い魔を送る魔法ね。この前送ったやつなんだけど、今ナイアちゃんから聞いた話をちょこっと内容に書き加えたんだ。届き次第すぐに、私達よりもずっと助けになれるすんごいのが行ってくれるわ。特に、ミノリは今の五十嵐君と比べたって引けは取らないんだから」
「ああ、姫路はホントにとんでもねぇからなぁ……正直、ここに居る全員で束になったところで傷一つ与えられるか微妙だよアレは」
輝彦がそう付け加えて、思い出したように苦笑する。他の面々も皆一様に同意らしく、ただ苦笑いを浮かべているしかなかった。ここに居る面々は一目見ただけでかなりの実力者だというのは一目で分かる。
だが、それでも敵わないとは、それほどまでに強いのか。などとナイアが戦慄していると、紅葉がナイアの頭を優しく撫でて、呟いた。
「だからね、ナイアちゃんはそんなに自分を追い込んじゃ駄目。体じゃなくて心の方……一目で分かるくらい疲れてるの、自分じゃ気付いてないでしょ」
「――!」
それ程、顔に出てしまっていたのだろうか。
ふと、思わず手で顔に触れる。勿論それで何が分かる訳でもないが、心が疲れているとそう言われてみれば、そうだと言えるのかもしれない。こんな事になるのは初めてだったから、自分でも気付けなかった。
「時間が無いのは分かるけど、むしろしっかり休んで、万全の態勢で挑まないと、助けられるものも助けらんない。ミノリにも何回も言ったけど、あの子の場合はそれをゴリ押し出来るから始末が悪いのよね……」
「……あはは。そっか」
良かった、と、安堵する。
類は友を呼ぶ、とはクロの言っていた事だったか。人は似たような人を呼び寄せるだとかそんな意味だった筈だが、正しくその通りで、なんとも的を射た言葉だと思う。
クロの知り合いは、優しい人ばかりだった。
そんな事実に頬を緩めて、自身を抱く紅葉の腕を上から包む。紅葉はそんなナイアの仕草に少し目を見開くと、堪えきれなくなったようにギュッと力いっぱい抱き締めた。
「やだ……何この子、かわいい……妹にしたい……」
「おぅい、本音が漏れてんぞ八重樫」
「いいのよ、なりふり構ってらんないわ」
そんな地味に危ない事を言い始めた紅葉に輝彦が口を出して、軽口の応酬が始まる。
そんな小さな喧騒をBGMに、ナイアは全身を包む暖かな感触に身を委ねる。確かに、この『記憶』を自覚してから――特にこの『トーキョー』に着いてからは、本当の意味で心を休められてはいなかったかもしれない。
エマがああなって、クロも今の調子になって、自然とナイアの心も強張っていた。勿論今の状況故にそうなってしまうのは仕方ないと言えなくもないが、それ故に少し立ち止まる事も必要だったのかもしれない。
休もう。休んで、さっぱり切り替えた頭で考えよう。
そして戦うんだ。
もう一度、“あの時”へ戻るために




