第76話『動くは黒白の者共』
テスト期間が終了したため、少しずつ更新ペースも戻していけそうです。間が空いてしまい、申し訳ない……
「……ったく、まさかあいつに目を付けられるなんてね。よりにもよって……最悪だわ」
はぁ、と一つ大きな溜息を吐いて、メイリアはガシガシとその長い金髪に指を突っ込んで掻き毟る。その表情には明らかに不機嫌な様子が浮かび上がっており、すれ違うメルセデス魔導学院の生徒達がそのただならぬ様子に、萎縮すらする程だ。
メイリアの様子の原因は当然ながら、アルテミリアス――『絶空のアルテ』とも呼ばれるあの男。魔王軍の面々の中でも、魔王を除けば最強の極術使いともされる存在だ。最も、メイリアが苛ついているのはそこではなく、その女癖の悪さ……というか、一度気に入った女性を何が何でも手中に収めようとする、その気持ち悪い性質なのだが。
メイリア自身が彼と出会ったのは数百年ほど前であり、彼がメイリアに付き纏う様になったのはその時からだ。『アヴァロナル』――英雄の眠る街とも呼ばれるこの街に、遥か昔より続く伝統、“英雄伝承祭”。
かつてこの街は……というより、この大地は人族の領地だった。本来、現在世界に広がる四大大陸は全て人族の住まう地であり、魔族も精霊族も獣人族も存在していなかったのだ。
それが、こことは違う三つの世界……そこに住まう異種族の者達が、何の因果かこの世界に流れ込んだ。特に、最初に流れ込んできた魔族達は、このアルタナに住まう人族との戦を起こし、侵略に乗り出したのだ。その際、当然ながらこの街も標的にされた。
勇気の担い手は、防戦一方だった人族の軍勢に加勢し、当時この街に在ったとされる聖剣『アヴァロナリア・エクスキャリバー』を用いて、単騎で魔族の軍勢を撃退したのだ。
魔を打ち払う原初の輝き、天地を分かつ究極の斬撃。彼はその一撃を以ってこの街を護ったどころか、当時彼らを率いていた魔族の王を討ち取り、人族をその侵略の手から護った。
後の世界を揺るがす大戦争――人界、魔界、獣界、精霊界だけには留まらず、神々の住まう世界と言われる天上世界すらも巻き込んだ、『共栄主世界戦争』に於いても彼は再び剣を取り、見事絶望の象徴とまで呼ばれた四騎、『四黒』の討伐に成功した。
まさに偉業だ。人の身で成したとは思えない程の化け物じみたその逸話は、今も世界中で語り継がれている。この『アヴァロナル』はその最たるもので、勇気の担い手が遺した聖剣を祀り、毎年大掛かりな祭りを開いているのだ。
そこを訪れたのが、アルテミリアス。街を訪れたあの男は、祭の進行を引き受けていたメイリアを一目で気に入り、ひたすらに執着したのだ。
メイリアの経歴を一から調べ上げ、彼女が勇気の担い手……ジーク・スカーレッドの仲間として魔族の侵攻から人々を救った英雄の一角であった事すらも知り、彼女の何もかもを手中に収めんとした。
無論ながらその悉くを阻止してはいるが、こうも続くといい加減殺意すら湧いてくる。それ程までに粘着質、執着の深いあの男に気に入られた――というのはつまり。
「ツイてないわね、エマちゃんも」
あの人形じみた表情を浮かべる少女を思い浮かべて、軽く同情する。いくら鬱陶しいからといって、手を出せばそれは魔王軍との敵対を意味する。ジークが居るのならばまだしも、流石に自分単騎で魔王軍の軍勢からこの街を守る事が出来るなどと奢ってはいない。
「なんだよ、やけにテンション低いじゃねぇか。どうした」
「あの阿呆がまた新しい子に手を出したのよ……私の知り合い」
「へぇ、あの色ボケか。そりゃあまた災難なこったな、俺ァ関わるのは御免だぜ」
「分かってる、そういう契約だものね」
隻眼の男だ。この世界出身では珍しい黒髪はアルテミリアスのそれよりも深い色合いで、赤黒いコートから覗く首筋の傷は彼の心臓辺りから全身に広がっている。服の上からでもわかるほど鍛え上げられたその肉体は、凄まじいまでのプレッシャーを纏っていた。
少しばかり伸びた耳は、彼が魔族である証。顎髭を蓄えたその顔に浮かぶ笑みは好戦的であり、廊下と繋がる広間のソファの背もたれに掛けられた両腕には、無数の古傷が刻まれている。
ふと伸ばれた右腕がテーブルに伸び、小さな籠に積まれた果実を一つ手に取って、大口を開け一息にかぶりついた。
「……アンタねぇ、もうちょっとお上品に食べられない?果汁飛んでるんだけど」
「おぁ?……ん、むぐ、……っと、そりゃあ悪いな、皮剥ぐの面倒臭くってよ。それで?あの坊主共は向こうに着いたか?」
口に含んだソレを咀嚼して飲み込みつつ、何一つ悪いとも思っていないような様子でそう返す男に、メイリアが小さく溜息を吐く。彼女はその腰に巻かれたポーチから巻かれた紙を取り出すと、組まれた紐を解いてテーブルの上に広げた。
描かれているのは、紙いっぱいに描かれた魔法陣だ。メイリアがその魔法陣に魔力を流し込んで、予め指定されたの魔法を起動させる。
やがて紙面いっぱいが水面のように揺らぎ、遥かな場所の光景が映し出された。
「……へぇ、あん時とはまるで別人だな。いや、所々それっぽい要素はあるが……」
「そりゃそうよ、一応は別人だもの。今も、あの変な術で“変換”は進んでいってるみたいね」
メイリアの分析に男が「うへぇ」と眉をひそめて、手がつけられないとでも言いたげに首を振る。その感情にはメイリアも同意であり、あんなものを進んで自らの体に植え付ける気が知れない。
「……実際に会ってゆっくり観察してみたけど、やっぱりあの黒いのは呪いでも魔法でも何でもない。魔道具と性質的には近いけど、一切の魔力消費も無しに莫大な力を生み出すなんて、世界の理から反してる……あれ、例えるなら受信機ね」
「受信機?あの腕がか」
「遠隔から魔力を受け取って、純粋な力に変換する。それが彼の異常な力の根源ね。あの黒いのは変換器で、使えば使うほど変換効率が変わっていく代わりに、彼の自意識すらも置換していく。魔道具の同期に感覚的には近いわ」
クロやナタリスの面々が『禁術』と呼ぶソレを紐解きながら、メイリアが手元で小さな魔法陣を構築する。複雑な紋様を描きながら広がっていくソレに彼女は注意深くさらなる術式を書き加えていき、しかし数秒と経たぬうちにその魔法陣は砕け散った。
ハナから期待もしていなかったようで、メイリアが小さく息を吐き、背もたれに体を預ける。彼女が組んでいたのは、クロの体に深く刻まれた“受信機”……『禁忌術式:源流』を構築する、あの黒い物質を編む術式だ。
魔法使いの最高位階、『極術使い』の名を冠するメイリアですらも再現不可能なそれは、ああして成り立っている時点で不可解なモノなのだ。あんなものを創り出せるとすれば、可能性があるのは――
「……吸血鬼族、か」
共栄主世界戦争にて『四黒』の下に付き、当時“悪夢の王族”とも謳われた魔族の種だ。『四黒』のインパクトのせいで一般ではあまり知られていないが、体を蝙蝠などの使い魔に変化させ、目を合わせれば強力な魅了の呪いを受ける。
その魔法技術は現代の魔法学すらも大きく超えたもので、最上位のヴァンパイアともなればその戦闘能力は『四黒』には遠く及ばないとはいえ、メイリアの知るあの『白の王』にすら並ぶだろう。
そのヴァンパイア達が、なぜ『四黒』に協力していたかはわからない。四つの黒は滅び、吸血鬼達も途絶えた今、全てを知っているのは今も眠り続ける英雄――ジーク・スカーレッドのみ。
メイリアは、彼の戦いの領域に足を踏み入れることは出来なかった。当時のメイリアの力量では『四黒』と同じ戦場に立つなど自殺行為でしかなく、彼と共に戦へ赴いた『光の大賢者』と『断罪王』ですら、一対一でなんとか戦いを成立させたというのが関の山だったと聞く。
彼が目を覚まさない今、あの黒い少年と相対したメイリアが出来ることは、数少ない。
「……彼の監視、頼むわね。……もしも『最低最悪の魔王』としての側面が現れたら、その時はそうね――殺していいわ」
茜色の瞳を細めて言うメイリアに、男は無言で肯定の意を返した。
◇ ◇ ◇
「…………頭痛を、感知」
不意にこめかみに走る痛みを感じて、いつの間にやら閉じられていた両の瞼を開く。
反応の鈍い上半身を起き上がらせて辺りを見渡せば、どうやら自分が眠っていたのは見知らぬソファの上のようだ。腰から下にかけて少々ボロが目立つ布が掛けられており、どうやらエマ自身知らぬ間に意識を失っていたらしい。
一体何があったのか。最後の記憶は確か、あの精霊族の家族と会話を交わしていた筈だ。何故だか分からないが、どうにもそれ以降の記憶が一向に思い出せない。
毒でも盛られたか――いや、このナタリスという種が持つ鋭敏な鼻は、しっかりと己が『王』の存在を確認している。匂いに従って少し視線を動かせば、変わらず真っ黒な装束の王が壁に背を預け、片膝を立てて眠っていた。
横倒しになったもう片方の膝を膝枕としたナイアもまた眠っており、現状は特に非常事態、という訳ではないのだろうと一先ず安堵する。
それと同時に、覚えもなく意識を失うなどという失態を犯した現実にギリ、と歯噛みした。
この身は、王を守る為に全てを捧げるべきモノ。王の願いを受け、その願いを果たす為に、命すらも賭して命を果たす。そんな完全なる願望機でなければならないというのに。
「……現状の把握が優先事項と判断。周囲地形の探索に移行しましょう」
わざわざ口に出すのは、己の目的を明確化する為だ。今現在自身がすべき事は何か、後に続く行動は本当に当初の目的に沿ったモノなのか。それら全てを判断する為にも、口に出すという事は重要だ。
ソファから足を下ろして、置かれていたこの体の元の主人のブーツを穿く。ソファ横のテーブルに置かれていた『イージス』の籠手に腕を通してから、横に掛けられた大剣をベルトに掛ける。
部屋にある扉は、前後のそれぞれ一つずつ。窓の外の様子を見るに、前の扉は裏口――つまりは、外に繋がっていると見た。
キィ、とドアノブを回して、外に出る。なんという事はない、記憶があやふやになる前の酒場に入る前にも見たような、ごく一般的な街並みだ。裏口が置かれているだけあって少々細道ではあるが、天上を見上げれば今まさに暮れようとする夕陽がオレンジ色の輝きで、立ち並ぶ建造物を照らしている。
だが、何処か変だ。そう大したものではない……無い筈なのだが、妙な違和感が感じ取れてしまう。
まるで、絵物語の中にいるかのような。
まるで、御伽噺の中にいるかのような。
何処からともなく湧き出てくる、形容のし難い非現実感。その根元が一体何処にあるのかすらも分からず、だからと言って気味が悪いという感覚も生じない。むしろ、穏やかな空気が心地いい。
「……これは」
「どうかしたかな?お嬢さん」
……ふと、そんな声が聞こえて。
振り返る。エマが見ていた表の通りへの道とは逆方向……行き止まりであった筈の道だ。つい先ほどまでエマが見ていた筈なのだが、その時は確かに人影など無かったし、彼女の赤の眼にもそんな反応は無かった。
そして今も、なんの反応もない。だというのに今度はその瞳にしっかりとその姿が映っており、エマが小さくその異常な事態に息を呑んだ。
突き当たりの壁の、少し上。左右に立つ民家の二階ほどの高さにある窓の淵に腰掛けたその女は、エマと同色――いや、エマよりもさらに真っ白な髪を持っていた。
白い髪の上には蒼い雫のような髪飾りが付けられており、その身に纏う外套もまた純白。透き通るような白い肌は勿論のこと、挙げ句の果てにはエマを見つめるその双眸も真っ白。
瞬時に、エマの脳裏に『白の巫女』という言葉が浮かぶ。しかしその女はそれを見透かしたかのような表情で薄く微笑むと、「言っておくと、私は白の巫女じゃあないぞ」と優しげな声音で告げてきた。
「白の眼は生まれつきだが、この眼は後天性さ。髪もな。これでも昔は黒髪青眼の、何処にでもいる娘のような容姿だったんだがな」
「……貴女は、何者ですか」
「ん……何者、か。そうさなぁ、訳あって早々に話してしまう……という訳にはいかないのだが、だからと言って名前がない、というのも落ち着かんか。ではまあ、古びた友人の名から取って、こう名乗っておく」
ひょい、と女性は窓から飛び降りると、二階の高さから飛び降りたというのに、全く――文字通りほんの少しの音すら立てずに着地して、長い白髪を書き上げ、名乗る。
「――セト。私の事は、セトとでも呼んでくれればいい。悩み事でもあれば、話ぐらい聞こうじゃないか」




