番外編『DEAD OR ALIVE COOKING―①』
試験勉強に時間を取られてなかなか執筆作業に移れないため、代わりにと言っちゃ何ですが以前に書いていた番外編を()
一応本編の執筆も進めているため、更新はもう暫しお待ちください。あとこの番外編も続きます。多分。きっと。必ず。以降たまに挟んでいくことになるかも
――あれは、いつ程の話だっただろうか。
「……ふ、ッ!」
「っぐ……!」
エマがその両手の木剣を霞むほどの速度で一閃し、クロがそれを視認すると同時、当てずっぽうに同じく木剣を振り上げた。が、エマの剣は当然の如くソレを潜り抜けて、クロの脇腹を打つ。
腹部に走る衝撃にクロが呻いて、ガクンと崩れる膝が木の葉の絨毯の上に落ちた。カサリと枯葉が舞って、頭上から振り下ろされようとする剣閃を躱そうと首を捻る。
ポン、と肩口に軽い衝撃が降りたのを感じる。
衝撃に備えてキツく瞑った目を開けば、その手の木剣をクロの首筋に置いたエマが屈んで、その真っ白な小さな手を差し伸べてきた。
「……やっぱり、まだ基礎的な能力が足りてない。力も、速さも」
「まあ……まだレベル70も行ってないしなぁ」
いくら以前に比べれば劇的にレベルアップしたとはいえ、レベリングを始めてまだ1ヶ月。初回こそ大量の経験値で莫大なレベルアップをしたものの、やはりレベルを上げれば次第に上がりにくくなるのは定石通りらしい。
レベル40を超えたあたりから目に見えて上昇速度が遅くなってきたのだ。それでもまだある程度経験値は稼げてきたが、60を超えてからは殆どレベルも上がらなくなってきた。
時折こうしてエマに剣の稽古を付けて貰っているのだが、流石のステータス差と技量差というか、まるで勝てるビジョンが浮かばない。動きが全く目で追えないのだ。
彼女曰く、魔族は大概身体能力が非常に高いそうだ。エマクラスに強いのがゴロゴロ居るとすれば、少なくとも現時点ではどうやったって人界へ無事に戻るなど夢のまた夢。
この調子では、人界へ単身渡れるだけの力を身につけるのはいつになる事か。何かしら、多少無理をしてでも対策は考えねばならないだろう。
「……今日はここまでにしよ。あんまり無理しても、逆に支障が出る」
「了解。悪いな、手間取らせて」
「……いいの。お返しは、いつも貰ってるから」
“お返し”というのは、俺の故郷の話――つまりは、日本の事だ。
正確には、ある程度この世界に合うよう改変してはいるが、それも殆ど誤差のレベル。決定的な部分は話していないし、特に後ろめたい話という訳でもない。
エマの読心能力もそう細かく働くものでは無いらしく、この程度の小さな誤魔化しならば通じるらしい。話がややこしくなるのも面倒故に、クロが異世界出身だという事は話していないのだ。
確か、この前はナタリスには無い状況として、人間の身内、他人の区別――そこから派生して、結婚とかそういう事の形式なんかの話をした覚えがある。やはり異世界とはいえ、年頃の少女はそういったことに興味を持つのだろうか。
差し伸べられた手を取れば、ぐい、とその細い体の何処からそんな力が出ているのか、体が浮きかける程の力で引っ張り上げられた。少し驚きながらも礼を言えば、「ん」とエマが小さく返事を返す。
くるくると器用にその手で木剣を回したエマは腰に吊った木製の鞘にソレを納めると、不意にエマがパッと空を見上げた。
「……エマ?どうした」
「……今、水が……」
エマがそう呟くのとほぼ同時に、クロの鼻先にポツンと水滴が落ちる。「うげ」と思わず漏れた声と共に空を見上げれば、灰色に染まった雲が頭上を覆い隠していた。
いつのまにと悪態を吐く暇もなく、次第にポツポツと雨足は勢いを増していく。慌てて近くのアガトラムの樹の下に置いてあった荷物を纏める頃には、雨が本格的に強くなり始めてきた。
急激に勢いを増して来た雨がびっしょりと全身を濡らしてきたので、咄嗟に『収納』で二人の頭上に盾の天井を形成して、雨を遮断する。が、どうやら隙間から雨が入り込んできているようで、ぽつり、ぽつりと、雨漏りがエマの瞼に落ちた。驚いたエマが「わっ」と声を漏らして、両眼を瞑り首を振る。
不覚だ。ここに天気予報なんて無いのだから、せめて雲の様子くらい確認しておくべきだったか。
「うっへぇ。確かここから集落まで結構距離あるよなぁ……」
「……近くに、洞窟があった。雲もそんなに広くないし、多分、すぐ止む……と思う」
「だな。とりあえず、一先ずはそっちに避難、か」
わざわざ集落を離れていたのは、海で魚を釣ってくる為だ。集落の周囲には川が流れてきていないため、魚を捕るためには海まで出向かなければならない。
流石に、ナタリスの人数が人数なのでエマとクロだけ、という訳ではないが、他の担当は皆それぞれ別のポイントに向かっている事だろう。クロがエマに同行しているのは、『単独で魔物と遭遇すれば、万が一が起きる可能性がある。同行した方が安全』という彼女の好意に甘えた結果だ。
大きめの桶に汲まれた海水には、結構な量の魚が放たれている。普段ならば荷物など『収納』に突っ込んでしまえるのだが、生憎と『収納』には生物は仕舞えない。こればっかりは仕方ないので、桶を担いでそのまま運ぶ事になる。
エマの案内に従って森を歩いていけば、どうにも何処か見覚えのある道だった。こんな所まで来た事があっただろうかと少し考えれば、すぐに心当たりが見つかる。
「……ここ、まさか俺が目を覚ました場所か?」
「……ん。昔っから、この近くまで来た時に雨が降って来たりしたら、ここで休む事になってるの……ここだとある程度の道具もあるから、クロの時も、ここに運んだ方がいいかなって」
目に入ったのは、見覚えのある洞穴だった。
その大きな入り口は改めて見れば整理されており、何処か誰かに使われたような痕跡も残っている。奥の広いスペースにはある程度の薪も置かれており、焚き木用に汲まれているらしかった。
洞窟の端に置かれている壺の蓋を取って中を除けば、いくらか食材の貯蔵もあるらしい。これがあれば、調理さえきちんとすれば、さっき釣った魚もある。多少は空腹も満たせるか。
「懐かしいな、大体一ヶ月くらいぶり……いや、もうちょい短いか」
「……うん、それぐらい。あの時、ホントにびっくりした」
「だろうなぁ」
そりゃあこれまで家族同然であるナタリスの仲間たちと平和に暮らしてたところに、突然種族からして違うような異邦人が流れ着いたんだ。漂流者なんて事からしてまず無いだろうし、驚くのも当然とは言える。
しかも、ナタリスはあまり外界との交流も多くないように見える。クロのような人族なぞ、本来ならば出会う事すら無かっただろう。漂流者なんて、いくら異世界とはいえそうそう無い。
あれからもう一ヶ月が経った。時間が流れるのは早いもので、ナタリスの集落での生活に慣れようと必死になっている内に、日数なんてあっという間に過ぎ去っていく。
日本での暮らしを知っている手前、多少不便ではあるが住めば都というのか。案外こういった暮らしも悪くないもので、“生活をしている”という実感が湧いてくるのだ。
一応料理なんかは、日本にいた頃から両親の『いつ独り暮らししてもいいように、料理くらいは覚えときなさい』というお節介によって強制的に覚えさせられたが、まさかこんな形で役に立つとは。
と、不意に。
……くぅ、と。クロの腹部からそんな音が鳴った。
「……」
「……お腹、空いてるの?」
こういった音を他人に聞かれる、というのは、何故か意味もなく恥ずかしいもので、クロが苦笑いしつつ視線を逸らす。
そういえば、そろそろ時間的には昼過ぎくらいだった。それは腹が減るのも当然の摂理であり、何故今になるまで気付かなかったのかと溜息すら出てくる。
エマが恥ずかしそうに目をそらすクロの様子にクスリと笑って、肩に掛けた荷物と、担いだ桶を地面に下ろす。とてとてと洞窟の端にある食材壺の横にまで移動すると、クロと同じようにその中身を覗き込んで、一つこくりと頷いた。
「……うん。食材もあるし、私、何か作ろっか?」
「え、そりゃあ有難いけど……いいのか?」
「……ん。大丈夫、道具もある程度ならあるから。クロは座ってて」
エマがその真っ白な衣装の裾をぎゅっと絞って、染み込んだ雨水を落としていく。普段は長く伸ばした真っ白な髪を片側のみ纏めてサイドアップにしているのだが、彼女は髪を纏めているゴムを解いて後ろに集めると、ポニーテールのように一つへ括った。
元よりエマは非常に可愛らしい容姿なのだが、普段の髪型とのギャップも相まって一瞬見惚れてしまう。そんなクロの心情が届いてしまったのかは分からないが、エマが恥ずかしそうに視線を逸らし、頬を赤らめた。
このままではいけない、と彼女から視線を逸らして、洞窟の外に視線をやる。相変わらず外ではごうごうと雨が降り続いており、奥に行くほど位置が深くなるというこの洞窟の構造上、いくらかの雨が流れ込んできていた。
まあ最も、完全に奥まで入ってこないように洞窟も加工されている。奥の焚き木が消えるということはない。
焚き木は奥でエマが使っているので、確かどこぞの魔物が落とした鉱石に魔力を通す。確か魔力を込められると継続的に熱を発するという性質を持っており、暖炉の代わりにも使えるのだ。
暖かくなるまでに時間こそ掛かるものの、かなり便利な代物だ。この一ヶ月近くの鍛錬で増加した魔力を石に込めれば、やがて少しずつ石から熱が放たれてくるようになる。荷物の整理をしながら30分も待っていれば、鉱石の周囲がある程度暖かくなってきた。
鉱石から届く暖かな熱で身を包みながらも、流石に体を冷やしたままにしておくのも拙いので、二つほど大きな布を『収納』から取り出す。片方を自身の首に掛けてから、もう片方を翳しながら、暖炉の前で料理に勤しむエマに一つ声を掛けた。
「エマ。布出したから、早めに体拭いとけよ。冷やしたら良くないしな」
「……ん、分かった。もう終わるから、ちょっと待ってて」
エマがその手て布越しに持った鍋から菜箸(正確には、菜箸に似た棒状の調理道具)を取り出して、コンコンと鍋の端を叩く。どうやらスープ系統のものらしく、横には切り分けられたパンもあるらしかった。
彼女はもうもうと湯気を立たせる鍋をひょいと持ち上げて、クロの前の床に置く。とろみのついた白いそれはシチューのようにも見える。この世界にもシチューがあるのかと少しばかり興奮しつつも、『収納』から二人分の食器を取り出した。
木製のお玉でそれを掬い上げて、それぞれの器にシチューを盛っていく。エマは何処か機嫌が良さそうに、クロに「はい」とシチューをよそったソレを手渡した。
「妙に機嫌良いな。料理好きなのか?」
「……うん、あんまり普段はさせて貰えないから。昔に何回かやったくらいなの」
「え?でもナタリスじゃ飯って確か当番制じゃ……」
シチューをスプーンで掬いつつも、ふと脳裏に浮かんだ疑問に首を傾げる。エマもまた不思議そうに首を傾げながら、「なんでだろ」と小さく不満そうに呟いた。彼女の珍しい不満を聞きつつも、手元のスプーンで掬い上げた見ているだけで腹が減ってくるソレを、ひょいと口に運ぶ。
「……お父さんもお母さんも、『エマは料理当番に参加しなくて良いから……いや、むしろしちゃダメだ。絶対だぞ』って。それ以来お料理させてくれないの」
「……へ?」
その言葉の意味を理解するのに、数秒。
その意味から、実際の行動に反映しようとするまでに数秒。
が、すでに行動を終えようとしていた手元には、その数秒という期間はあまりに短過ぎた。見た目からして美味しそうなシチューは既にクロの口へと運ばれてしまっており、もう行動を反映するには手遅れだった。
トロリとしたシチューが、クロの舌の上に落ちる。ある程度冷ましたために火傷こそしないが、瞬時に、それを上回る衝撃がクロの脳裏を駆け抜けた。
「……も、がぁ……っ!?」
バチバチと、視界が明滅する。一体何が起こったのか理解すら出来ない。唐突に呼吸が詰まって、全身が上手く動かない。力の抜ける手でなんとか器を零さないように地面へ置いたが、それを最後にクロの味覚を地獄が覆い尽くした。
これが、噂に聞く拷問というヤツだろうか。舌を何本もの針で串刺しにされている気分だ。動悸が収まらない、冷たい汗が全身から次々と溢れ出てくる。指先が痙攣して、ドサリとクロの上体が倒れ伏した。
一体何が、と思考する余裕すらない。唐突にそんな状態に陥ったクロを心配するかのようにエマが慌てたが、そんな彼女の様子すらクロの視界には入っていなかった。
ああ、そうだ。寸前になってクロが気付いたその事実。それこそが、この唐突な異常事態の原因。
つまりは――
――エマは、料理が絶望的と形容する事すら生温い程に下手だったのだ。




