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第71話『長く短い、血濡れた旅の記憶を』

「……イマイチ信じられなかったんだけど、本当だったんだ」


「……俺も正直、あんな事になるとは思ってなかったよ」


 場所は変わって、紅葉達が泊まる宿の一室。一先ずお互いしっかりと話をしようという紅葉の提案を承認したクロが彼女についていく事で、一先ず対話の舞台は成り立った。

 大きな広間に設置された机を挟んで、両側のソファに腰掛けた紅葉とクロが正面から相対している。部屋の端でその経過を眺める他のクラスメイト達の視線はクロが座る背後で佇むエマへと向けられており、しかし彼女はそんな視線などまるで気にした様子も無くただ無言を貫いていた。


 一つ溜息を吐いた紅葉はちらりと視線を落として、クロの左半身……『源流禁術』の影響で真っ黒に染まったソレを見る。ドク、ドク、と脈拍に合わせて浮き出る紅いラインは既に『源流禁術』が多少なりとも発動している事を意味し、そしてそれは既にクロの自由意志で抑えられるものではなくなっている。


「大分イメチェンした?」


「……好きでやってんじゃないっての、自然とこうなってんだ。察してくれ」


 茶化すように言う紅葉にクロがそうかぶりを振って、自身の黒く染まった左腕を眺める。その手の甲には紅い鎖のような紋様が付加されていて、それはあの空中城に行く前は確実になかったモノだ。

 原因を考えられるとすれば、エマをあんな状態に落とし込んでしまった時以外には無いだろう。この紋様が一体何なのかは判らないが、ロクなものではないのは理解出来る。


 クロの言葉を受けて口を噤んだ紅葉は、やがて「それで」と流れを変えるように話を切り出した。


「私達、現状二組に別れてるの。この街に残って準備を整える私達待機組と、ミノリみたいに強い人達を集めて、魔王討伐の手掛かりを集める探索組……まあ、ミノリは殆ど五十嵐君を探すためみたいなものだったんだけど」


「……そりゃ、ありがたいが……」


 その言葉を受けて、クロが少し顔をしかめる。勿論ながら、探してくれていた事が嬉しくない訳ではない……無い、のだが、今は既にもう状況が変わってしまっている。

 仮に姫路と再開出来たところで、彼女と共にすぐさま元の世界へと戻る手段を探しに行けるか、といえばそれは……


「……無理、だな」


 ちらりと視線を動かせば、目に入るのは虚ろな目を持つ作り物めいた様子のエマ――いや、エマの体に宿った、ただ従順なだけの人形だ。その紅の視線がクロを見返して、しかし何の言葉を発することもなく、ただ指令を待っている。

 彼女を元に戻すまでは、まだ帰れない。クロが犯した大き過ぎるミスがエマを蝕み続ける限り、クロに自由意志は許されない。いや、より正確には、クロ自身が許さない。


 紅葉が不思議そうに首を傾げて、クロの視線を追う。その先には当然エマが無言で立ち尽くしており、彼女は「そういえば」と一つ思い出したように呟いた。


「そっちの子は、誰なの?見たところ、ただの仲間……って感じにも見えないんだけど」


 そんな紅葉の疑問に、エマがその視線をクロへと向ける。彼女のソレには『発言の許可』を求める意が含まれており、クロもこの数週間である程度慣れてしまった。彼がその視線を受けて無言で首を縦に振ると、エマは小さく一礼して一歩前に進み出る。


 困惑する紅葉の前で自身の胸に手を当て、エマは恭しい態度で頭を下げた。


「北方の部族ナタリスに属する魔族(グァトラ)。エマ、と申します。契約を元に、(マスター)に仕える従者――初めまして、で良かったでしょうか。(マスター)


「構わない、挨拶は合ってる。下がってろ」


「はい、失礼致します」


 あまりに堂に入った言葉遣いに思わず紅葉が唾を飲み、部屋の端で状況を覗いていたクラスメイト達もまた目を丸くした。しかしそれらを丸ごと無視した二人は、まるでこれ以上何も話すことはないとでも言わんばかりに、何事も無かったかのように元の配置へ戻り、平然と会話を元に戻そうとする。


 流石にそれだけではまるで訳が分からないので、焦った紅葉が「ちょ、ちょっとストップ!」と止めに入った。


「従者……?え、な、も、もしかして五十嵐君、なんか知らない間にすごい役職とかに収まってたりするの?」


「……無ぇよ、こいつが言ってるだけだ。俺は従者なんて取ってない」


「しかし(マスター)、貴方様の打った楔は確かに我が身を服従存在として規定しました。あの時より、我が身の全ての行使権は貴方様に帰属します」


「――っ、だから……ッ!」


「わ、わかった!分かったから落ち着いて!らしくないよ……!?」


 思わず声を荒げたクロの前に紅葉が割って入り、ギリ、とその歯を噛み締めたクロが忌々しげに顔を歪める。その日本に居た頃にはまるで見たことも無かった表情に紅葉が困惑し、本当に本人なのかとすら疑いが浮かぶ程だ。


 そして同時に、彼の怒りに呼応するように全身から溢れ出した魔力が、かつて彼が城にいた時とはまるで別物なのだ。そもそもの次元から違い過ぎる。下手をすればミノリと同等か、そうとは行かないまでも確実にミノリを除いた仲間達の中では誰も及ばないのではないかと思える程に。


 そして、その全身から放たれる殺気が、もはや尋常の域ではない。その片側のみ紅く染まった眼に睨みつけられた時、紅葉は心臓を握り潰されたかのような恐怖を確かに感じたのだ。


 確かに、この世界での最大の敵、『四黒』とやらの内半数を屠ったという話は聞いていた。だが、話に聞くのと、実際にその本人と相対するのではまるで説得力が違う。

 これまで一度だって感じたことの無い程に重い圧力。それを、あれ程戦闘を得意としていなかった彼から感じる事になるとは。


 クロはその恐ろしい程に鋭い目付きをサッと部屋中に巡らせて、周囲で彼に怯えたような視線を向ける同級生達を視界へ入れる。彼はハッとした様子で目を見開くと、小さく目を伏せてその真っ黒な左腕で顔を覆った。


「……すまん。冷静じゃなかった」


「いや……私もゴメンね。事情、よく知らないのに」


 クロは、明らかに変わっている。あの日常を共に過ごしていた時の、温厚で余裕を持っていた彼がここまで感情的になるなど、それ相応の何かがあったからに決まっているのに。


 見れば、髪に混ざる白髪や左半身の巨大な痣、変色した左眼の他にも、記憶の中の彼と相違点は多い。記憶では彼はこんなにしっかりとした骨格をしていなかったし、衣服の上からでも分かるほどにしっかりとした筋肉が付いている。

 髪も、気のせいでなければ伸びているか。そこは大して問題はないが、このたった三ヶ月のうちに起こる成長としては些かオーバーに過ぎた。


「……『白の巫女』って人を、知らないか」


「……白の巫女?」


 唐突にクロの切り出したそんな単語を、紅葉が繰り返し呟いて首を傾げる。


「探してるんだ。魔王軍の“カルロ”って奴が何処ぞの街から攫ったらしい」


 現状、白の巫女に関する情報はかなり少ない。その人物が“白の巫女”と呼ばれていること。白の眼(ロスト)を保持していること。魔王軍幹部、カルロの管理下に置かれていること。

 そしてこれは、正確には確定ではない。可能性がある、というだけだ。だが、もし『白の巫女』もルーシーと同じ力を得ているのならば、面倒な事に、あちらは意図的に眼の色を変える手段を持っている。


 旅立ちの直前にルーシーが話してくれた事だ。白の眼(ロスト)保持者は己の力が一般に割れるのを嫌い、その力を隠したまま一生を終える事が殆どだという。見つかれば、『白の巫女』のようになってしまうから。


 故に、各地には一般的に認識されているよりももっと多くの白の眼(ロスト)保持者が存在している。そして彼らの殆どは、その真っ白な眼を何かしらの手で隠している、とも。


 生まれた時からその眼を知られていた『白の巫女』が、その手を知っているのかどうかは分からない。だが、仮に知っていたとすれば探すのは非常に困難になる。

 “白の巫女が必要だ”なんて探したところで、あちらもこれ以上好き勝手に利用されるのは避けたいだろう。未来を見通すなんて力を持つ相手に身を隠されれば、それこそ完全に可能性が途絶える。


 紅葉は何度かその名を呟いて頭を巡らせているようだが、しかし見ている限り思い当たる節があるようにも見えなかった。知らないならば仕方がないと、少しばかりの期待の空回りと共に口を開く。


「……知らないなら良い、悪いな。時間取らせた」


「えっ、ま、待って!ミノリ達に五十嵐君が帰ってきたこと知らせないと……!」


「……探してくれたのは本当に嬉しいし、俺も本音言うなら戻りたい所だった。けど、すまん。今は時間がない。白の巫女に会わなきゃいけないんだ」


 紅葉の言葉をバッサリと切り捨てて席を立つクロが本気で言っているのは、紅葉にも容易に理解出来る事だった。何か彼を引き留める材料は無いかと、必死に思考を回す。

 ここで彼を行かせてしまえば、ミノリが彼の手を掴み損ねてしまう。あの今にも崩れてしまいそうな程に張り詰めた表情を知っている身として、彼女をあれ以上追い詰める訳にはいかない。


 それほどに、ミノリは追い詰められていたのだ。ようやく見つけたのであろう心の拠り所を失った彼女は、その圧倒的な力を限界まで酷使して戦い続けている。歯車も錆を落とさねば回らないように、どんな完璧超人だって、人間である限りいつまでも戦い続けられる訳がない。

 今の彼女には、安息を得られる場所が必要だ。このままではいつか必ず、ミノリが壊れてしまう。さらに言えば、この目の前の少年が浮かべる虚ろな瞳もまた放置できる訳がなかった。


 あの、エマという少女と何かがあったのは分かった。彼女があの機械じみた応対をする度に彼が苛立ち、恐らくそれは彼があそこまで必死になっているのとも何か関係があるのだろう。それは、分かる。


 だがそれはそれとして、あのまま行かせてしまっては、二人の友人の心を壊してしまう事となる。自分勝手な意見だとは理解しているが、しかしそれでも、そんな未来はあまりにも酷過ぎる。


 何か、彼を引き留める材料は無いのか。必死に思考を回して考え、クロの言葉を脳裏で何度も反芻した。



『“白の巫女”って人を、知らないか』


『探してるんだ。魔王軍の“カルロ”って奴が何処ぞの街から攫ったらしい』



 彼の言い放ったその言葉。彼の目的たるそれらの情報を頭の中で回して、単語一つ一つを脳裏でピックアップする。何か、何か手掛かりは無いのかと思考を進めていけば、ふと、とある一点で思考が止まった。


 ……カルロ?


 何処かで、聞いた覚えがある。あれはいつだっただろうか、確かあまり思い出したく無い記憶の一つだった……つまりは、戦いの中で聞いたものだった筈だ。

 いつ、誰だ。何処でその名を聞いて、それは一体いつの話だった。イメージを脳裏に組み立てていき、ツー、と頰を一筋の汗が伝う。誰だ、何処だ、いつだった――




 ――ガキどもが、未来を知る俺様に勝てるとでも思ってんのかよぉ、アァッ!?



 ――この……っ、デタラメがぁ……ッ!!薄汚ぇ人族(ノルマン)風情が、よくも俺様に……ッ!



 ――よぉーくそのちっせぇ脳みそに刻み込めよ!……魔王軍、六将が一角……俺様の、名は……ッ!





「……カルロ・レーゲンスブルク」


「……?」


 ふと思い出したその言葉を呟いて、少しだけ彼の耳に届いたのか、クロが小さく振り返った。思いの外近くに転がっていた手掛かりを記憶の底から引き摺り出せば、当時の事が鮮明に浮かび上がってくる。


 そうだ、あの魔族(グァトラ)は、そう名乗っていた。血塗れの体を引きずって、肘から先を失った腕を振り上げて、喀血しながらもその大きな声で、戦場に名乗りを上げていた。

 覚えている。いや、思い出した。そう、あの魔族の、悪魔族の男の名は……



「……ちょっと待って。その、『白の巫女』?は知らないけど、カルロって方ならまだ覚えてる……!魔王軍六将の一角、カルロ・レーゲンスブルク!ちょっと前に、ミノリと一騎討ちして……もう死んでる!」




 クロの紅い瞳が、大きく見開かれた。






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