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第69話『魔王、その手に剣を携え』

「……っ、アンタね……!人様に迷惑掛けるのも大概に……!」


「嫉妬は嬉しいが、あまり突っかからないでくれメイリー。さしもの僕も少し困ってしまうよ」


「アンタにくれてやる感情は嫌悪と侮蔑だけよ!」


 アルテミリアスのその笑みに心底気持ち悪そうに返したメイリアは、その手に持った杖に魔力を込める。その魔力が形を成して魔法となり、現世に干渉しようと力を発揮し始めるその寸前。

 バチリ、と紅い電光が輝く。ドクンと、空間を押し潰さんばかりの禍々しい魔力が覆って、メイリアすらもあまりの気配にその手の魔法を中断した。アルテミリアスがハッと目を見張って、その魔力の発生源へと目を向けると同時に。


「――その手を、離せ」


 漆黒の拳が、走った。


「……!」


 ゴ、ガァンッ!と。

 そんな金属に衝撃を与えたかのような大音響が周囲に響き渡って、巨大な魔力の波が周囲に拡散する。ギチギチと押し込まれるその拳はアルテミリアスの直前で止まり、その目に見えない障壁に呑み込まれていく。


 アルテミリアスはその手から魔力を放って、瞬間的に魔法による障壁を展開していたのだ。その壁はクロの全力を込めた一撃を押し留めて、彼の拳はその一撃に込められたあまりの衝撃に流血している。

 一瞬面食らったように両眼を見張ったアルテミリアスは、しかしすぐに冷静さを取り戻して声を発した。


「……全く、危ないじゃないか。僕を目の前にして同じ男としての自信を失うのは結構だが、だからと言って僕に当たらないでくれ」


「聞こえなかったか、その手を離せっつってんだ」


「なんだい。君、この娘に片思いでもしてたのかな?悪いけど、この娘は僕の妻なんだ。諦めて――」


 バガンッ!と、障壁が割れる。

 アルテミリアスが目を見開いて、本来有り得るはずのないその光景に目を見開いた。白銀の剣が、何も存在しなかったはずの空間に出現した穴から突き出て、障壁の中心をいとも簡単に貫いている。

 粉砕された障壁を超えて、クロがアルテミリアスの懐へと潜り込む。その紅い瞳がアルテミリアスをギンと睨み付けて、その拳を再度握り込んだ。


「――二度、言ったぞ」


「貴様……!」


 クロの拳がアルテミリアスの腹部に突き刺さると同時、アルテミリアスの体が霧散する。強烈な暴風が拳の拳圧によって巻き起こり、アルテミリアスの形を成していた真っ黒な靄はすぐさま吹き散らされて空気に溶けた。


 が、やがて遠く離れた場所にその靄が集中して、再びアルテミリアスの形を形成する。その表情は元の余裕ぶった顔とは違って、忌々しいモノを見るようにクロを睨みつけていた。

 アルテミリアスは性格こそ難があるものの、実力だけは凄まじいまでの力を持った極術使い(ハイエスト・メイガス)だ。そして極術使い(ハイエスト・メイガス)という名を名乗るためには、とある二つの条件をクリアする必要がある。


 一つ。この世に現存する、規定された魔法の全てを完全な形で行使出来、尚且つそれらを組み合わせて行う複合魔法を完璧に扱えること。現在その規定魔法の数は数千を超えており、既にその座は凡百の魔法使いが容易く辿り着ける境地ではない。


 そして二つ。自身の手によって組み上げた、他者と一線を画す、オリジナルの魔法を確立している事。これもオリジナルの魔法を構築するだけならば容易いが、しかし極術使い(ハイエスト・メイガス)を名乗るに相応しいモノを創り出す必要がある。


 そして、アルテミリアスが持つ彼のみの魔法は、まさに極術。魔法の極み、頂点の一角に位置するモノだ。


「……僕の『女神の威光(アルテミス)』を、どうやって破った。一体どんなイカサマを使った」


「知るかよそんな事、お前の魔法が脆かっただけじゃねぇのか」


「物理的に不可能なのだ。僕の魔法は、その原理により絶対に破れない。理論上は、この世界を滅ぼす程の一撃だろうと簡単に防ぎ切る事だって出来る力だ。一体、何を――」


 アルテミリアスが言い終えるのを待つことも無く、クロの蹴撃が彼に迫る。アルテミリアスは寸前で再び体を霧散させて逃れると、すぐさま少し離れた位置で体を再構築させる。

 彼はそのまま大きく飛び退るとギリ、とその歯を噛み締めて、その黒い外套を翻した。


「……良いだろう、此度は引かせて貰う。だが……その顔覚えたぞ。僕の証、僕の力を否定した報いをいつか必ず君に下し、彼女達を迎え入れる。しばし待っていてくれ、愛しい少女達よ。準備が整い次第、すぐにその男から救い出してあげよう」


「戯言は寝てからも言うもんじゃないわよ、二度とその顔を見せないで」


「ははは、君はいつも元気が良いねメイリー。そんな所も君のチャームポイントだ」


「気持ち悪い……っ」


 メイリアがそう言って両腕を組み、忌々しげにアルテミリアスを睨み付ける。彼は一つ肩をすくめると再度その体を霧散させて、やがて完全にその残滓をソラへ解かしていった。

 先程まで空気を重くしていた心地悪いプレッシャーが薄れて、メイリアが大きな溜息を吐く。どうやら相当彼女も迷惑しているようで、普段の彼女からは考えもつかないほど機嫌が悪いように見えた。


 確かに、あんなのに長年付き纏われると考えるとストレスが溜まるのも道理か。変な奴に目を付けられてしまったと、特大の不運に嘆くしかない。


 チラリと視線をやると、当のエマは眉ひとつ動かさずに無言のまま腰の剣に手を掛けていた。しかしアルテミリアスが戻ってくる気配がない事を察すると、やがてその手も離して普段通りに沈黙する。

 どうやらアルテミリアスの話をまるで意にも介していない……いや、そもそも話を聞いてすらいなかったらしい。むしろその程度の気概で相対した方が、ああいうタイプ相手には楽か。


(マスター)、如何なさったのですか」


「……その体なら、俺の感情くらい大体分かるだろ」


(マスター)の御心を覗くなどという不敬は犯しません。私の『眼』は、(マスター)以外にのみ適用されます」


 相変わらずの自動音声じみた応答に、沈んだ心が更に淀む。それと同時にアルテミリアスの言葉が脳裏に走って、途端にクロの心が何かドス黒い感情で埋め尽くされていく。

 エマを妻として迎え入れる。あのアルテミリアスとかいう男は、そう言ったのか。


 させる訳がない、奪わせてなるものか。エマの失わせてしまった心を取り戻さなければならないのに、エマに謝らなければならないのに、エマを幸福にしなければならないのに、エマに本当の命を取り戻さなければならないのに、だというのに――


 ――そんな下らない理由でエマを失うなど、絶対に許容出来ない。


「……大丈夫?顔色、悪いよ」


 不意にそんな声が聞こえて、ピトリと額に冷たい感触が触れる。

 一体何だろうかといつの間にか閉じていた両眼を見開けば、メイリアがその指先でトンとクロの額を突いていたのだ。心の内を蝕んでいた暗い感情が途端に鳴りを潜めて、上がった体温が急速に冷えていった。


 相変わらずガンガンと酷い頭痛のする頭を抑えて、一つ頭を振る。『侵蝕』が進行してしまっているせいか、酷く気分が悪い。


「……クロ。やっぱり、かなり進行してるんじゃ……」


「……気にすんな、耐えりゃどうとでもなる」


 ナイアのそんな心配げな声に、ポンと頭を撫でてそう言い聞かせる。大丈夫だ、こんな所で限界を迎えていては、エマを元に戻すなど到底不可能。この程度で足を止める訳にはいかない。

 そうやって襲い来る嫌悪感を押し殺して、一つ深呼吸してから心を落ち着かせる。大丈夫だ、まだ、冷静で居られる。


「……それで、メイリア。俺達に見せたいもの、って」


「あぁ、もうすぐそこよ。こっち」


 思い出したようにメイリアがくるりと方向転換して、先程アルテミリアスに塞がれていた道を進む。彼女の行く先にあるのは何やら他の校舎に比べると小さな倉庫だ。それでもまあまあ大きいのは変わりないが、しかし風景的にも他と比べれば見劣りする。


 カチャリとメイリアがその扉を開けて、クロ達に入って来るよう促した。


 彼女の誘いに従って倉庫の中に入ると、中に幾つも置かれた棚には無数の魔道具が積まれている。その種類は多岐に渡り、剣や盾、鎧にブーツ、果てはランプのようなモノや地球で言うスケートボードのような物まで存在していた。

 魔道具の保管庫、といった様子のそこは、しかし全くと言っても過言ではないほど魔力が漂っていない。本来なら何処だろうと一定の大気魔力は存在するもので、気性の問題により魔力密度が濃くなる事はままあるが、魔力がほんの少しも存在しないというのはまずあり得ない。


 つまりこの空間は、人為的に創り出されたもの。何かの目的を持って魔力を取り除かれた、特異な空間。


「そこ閉めて。一応、本来は立ち入り禁止区間だからね」


「あ、あぁ」


 促されるままに扉を閉めれば、自動的にガチャリと音を立てて鍵が閉まる。どうやらこれも魔導具らしい、オートロック機能とはまた便利なものだと感心していると、不意に棚の一部に目が留まった。

 ギシギシと軋む床板を慎重に歩いて、そこに積まれていたソレを手に取る。どうやら古びた刀のようで、無骨な鞘に収まったソレは、これといった特徴がない。


 だというのに妙に気になって、少しだけ刀を鞘から抜く。刀の鍔の裏から現れたソレは色が無く、透き通った透明の刀身だった。まるで硝子のようなそれは、しかし全く脆さを感じさせない。


「ん、それ気になるの?」


「……ああ。何故か、妙に気になってさ」


 意識を引き込まれるというか、妙に手に馴染むのだ。まるで長年使い続けてきたかのような感覚で、どう扱えばどう動くのか、そういった事がなんとなく伝わって来る。

 神具、という訳ではない。クラウソラスやグングニルのようなプレッシャーも無ければ、切れ味が良いようにも見えないし、武器としての性能は三流、とまでは行かないまでも二流程度だろう。


 だというのに、この刀は妙に愛着が湧く。


「なーに、欲しいの?その剣」


「いや、そういう訳じゃ……ない……と、思う」


「あはは、正直ねぇ。でもダメよ、それ曰く付きだから、人には渡せないの」


 ひょい、とメイリアがクロの手から刀を取り上げて、刃を鞘に納めてから元あった棚に刀を仕舞う。一瞬名残惜しく感じた様な気がしたが、きっと気のせいだろう。または、メイリアの言う“曰く”のせいなのかもしれないが。


 メイリアがくるりと体を回して、倉庫の奥へと歩いていく。どうにも奥には割と広めの空間がある様で、メイリアが立ち止まったのはその中央だ。

 トンとその床に杖を立てて、自身の中に眠る体内魔力(オド)を循環させる。杖から伝って床に降りたそれらの魔力にはほんの少しの無駄も無く、魔法を用いた時によく起こる余分な魔力の放散現象も発生していない。

 魔力は精密な軌道を描いて、床に魔法陣とも言えないような奇妙な紋様を描いていく。


 片方のみが折れた翼のような、そんな紋様だ。見方によっては何かのエムブレムのようにも見えるが、しかしそれを確かめる手段も、そて必要もクロにはない。


 と、不意に背後からバタン!という扉の開く音が聞こえて、咄嗟に振り返る。ついさっき鍵も閉まった筈で、本来ならその扉が今のタイミングで開くというのはない筈だ。

 一体誰が、と、逆光で暗く染まったその人影に注視する。ナイアよりも少し高い程度のその姿には見覚えがあって、今は確か休んでいる筈の少女だった。


「レコーア……?」


「……メイリア様っ!わ、私も……!」


 魔力に集中して目を閉じていたメイリアがパチリと目を開けて、レコーアの姿を視認する。彼女は特に怒るでもなく焦るでもなくニッと笑うと、レコーアの方へと指を伸ばした。それと同時に、レコーアの体を黄金の輝きが包み込む。


 黄金の輝きはいつの間にか自分たちの全身も覆っているようで、その光は魔法陣から放たれているようにも見えた。


「いいよ、おいで。どうせだし、一緒に連れてってあげる」


 と、そんなメイリアの声を最後に




 目の前の風景がブツリと消えた。











 ◇ ◇ ◇










 夢を見る。


 懐かしい夢だ。地獄のように辛い毎日だったあの頃の、しかし天国のように尊かったあの頃の残滓。自分は結局選ばれることはなかったけれど、それでも本当に楽しかった。それでも本当に嬉しかった。


 ただ共に居られる。それだけの時間がどれほど愛おしいか、それだけの時間がどれほど恋しいか。


 毎日のように傷付けて、傷付けられて、奪って、奪われた。その日々は正に私にとって悪夢だったけれど、その悪夢を代償に得た美しい日々は、今でもこの瞼に焼き付いている。



 ――『  』。どうしたの?……やっぱり、故郷のこと?


 違うんだ。私が泣いているのは、ただこの瞬間が幸せだからなんだ。


 ――そっか、私も幸せ。『  』が居て、『  』が居て、あなたも居て、私が居て。ホントに、幸せ


 そうか。……じゃあ、“向こう”に行けばもっと幸せになれる。今みたいに、戦わなくっても良くなるんだ。


 ――ほんとに?


『本当だよ、前にも言っただろ?』



 と、その愛おしい声が耳に届く。白く伸ばされた髪を揺らした彼は『彼女』の頭を優しく撫でて、嬉しそうに微笑む少女をギュッと抱き締めた。言い聞かせるように『向こうに行けば、本当の幸せを見つけられる。だから、もう少しの辛抱だ』と、その耳元で呟く。


 彼の愛は、私には向けられていない。私もそれは分かっている、けれど、そんな事は関係がない。共に居られるだけで十分だ、それは『  』とも決めた事であり、私達はそれだけで、いつまでだって頑張れる。



 ――わたし、置いてけぼりにされてない?


 不意に、少年の後ろから、漆黒の鱗に包まれた龍が顔を出す。少年が『んな事ないさ』と苦笑して、自身の頰にすり寄せられるその頭を鱗越しに撫でた。心地好さそうに黒龍は身をよじって、少年がニッと笑う。


『だから、そのためにも――』













「……っ」


 ツー、と、頰を涙が伝う。

 零れ落ちるソレを指先でこすって、パチパチと両眼を瞬かせる。それだけで急速に涙は止まって、縁についたままの涙は手の甲で拭い落とした。

 目の前に広がるのは、あの幸せな風景ではない。誰もいない、今となっては『  』以外に入る事を許され無くなった孤独の玉座だ。


 昔は、ここに座るのは『  』ではなく、“あの人”だった。けれどあの人はもうこの世界に居らず、かつての仲間達も既にその永い命を終えたのだという。

 つまり今、約束の四人の中で生き残っているのは、自分だけ。あの幸福な世界を『  』は二度と見る事など出来ずに、後はもうその役目を果たして、人にしては長すぎる寿命を終えるのみだ。


 あの決断をした時から、もう幸せなど感じる事はないと覚悟していた。故にこそ、永い孤独ももうとっくに慣れた。大丈夫、自分はまだ、戦える。一人で歩み続けるのは、もう慣れてしまった。



「――王よ、行軍の準備が整いました。指揮を」


「……分かった。今、行くわ」



 重厚な扉越しに届いてくるそんな声に、そう呟いて返す。例え声が小さくとも、魔力を通して意志は伝わっている。何も問題はないと、玉座に掛けられたマントを羽織る。魔族の王の象徴たるティアラは黒銀の輝きを宿して、『  』の頭上に輝いていた。


 その手に持つのは、黄金の剣。コツ、コツ、と靴音が静寂に包まれる玉座に反響して、その空間の異様さを際立てていた。


 一つ振り返って、玉座に設けられた巨大な窓からソラを見上げる。既に時刻は夜中に入って、天上には巨大な満月が浮かんでいた。零れ落ちる月光が玉座の間を照らし出して、その輝きに『  』がほぅ、と息を吐く。


 冷たい夜だ。雲ひとつない空に輝く真円の月は、これ以上無いほど美しく輝いている。であればこそ、既にいない“あの人”へ、その言葉を送ろうと思った。


「『――月が、綺麗ね』」


 きっと彼ならば、その言葉の意味が分かるだろう。けれど、そのテンプレートの返しを贈ってはくれない筈だ。


 でも、それでいい。ただの自己満足、彼の『死』は、あの黒の少女に贈る為にある。私がそれを、奪う事など出来ないのだ。……きっと、何度生まれ変わっても。



 さあ、行こう。彼の望みを果たす為に。今宵も一つ、剣を取ろうじゃないか。





『魔王』は、戦いへの扉を押し開けた。









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