第62話『人界勇者。敵地、魔界首都にて』
三章、遂に開幕!
「アイリーン。執務中すまない、客人が見えた」
「……客人ですか?今日どなたかとお会いする予定は無かった筈ですが……」
クロ達がこの街から出て数日が経った後、アイリーンの気分は未だ晴れずにいた。
見送りの時にクロが浮かべていた表情は決意に近いモノで、恐らくは彼に何かしらの目的が……もしかすると、彼女を元に戻す手掛かりが見つかったのかもしれない。それだけならば喜ばしいことなのだが、彼の表情はただの決意と表現するには、些か危なっかしいモノだったのだ。
まるで、目的のためならば自分の身を犠牲にしてでも、他の何を捨ててでも成し遂げるというような、漆黒の決意。それは決して誉められたものではなく、本来止めるべきだったのだろうと、今更ながらに後悔する。
彼らをああしてしまったのは、間接的にはアイリーンの依頼が原因だ。街の守護のためにはそれ以外に無かったとはいえ、それでも彼らは……特にクロは、20年も生きていないような幼子。本来、彼らはまだ人生を楽しんで生きるべき年頃なのだ。
そんな彼らをあんな惨い状況に押し込んだのは、アイリーンの責任。その責任が、アイリーンの心を少しずつ押し潰していったのだ。
「アポ無しだ……が、生憎門前払い出来るような相手でもないので、申し訳無いが連れてきた」
「……貴方が、そこまで言う相手ですか」
基本的に、ライウッドは礼節と仕来りを重んじる男だ。キチンと手順を踏んで礼儀を弁える相手ならば彼も最大限の礼儀を尽くすが、しかしその礼儀を弁えない相手には滅法厳しい。そんな彼がこれまでアポ無しの面会を通した事はなく、そもアイリーンに伝えた事すら片手で数える程だ。
そのライウッドが通した、という時点で、アイリーンの脳裏を緊張が走る。一体、誰が――
「……え」
「……こんにちは。突然の訪問、申し訳ありませんが……どうか、ご協力願いたいのです」
アイリーンの前に現れたのは、長い黒髪と翡翠の瞳を持つ少女だった。
その前髪はヘアピンで分けられて、凛とした顔立ちはしかし疲労を重ねているように見える。本来ならば絶世の美少女と形容しても何一つ過剰では無いのだろうが、しかし目の下の隈がその美しさに疵を付けているのだ。
その衣装はあまり見ないものであるが、知識としては知っている。確か人界の一部の地方で織られた『キモノ』と呼ばれる衣装で、美しい装飾が各所に散りばめられていた。
何より目を引くのは、その腰に吊られた黄金の刀だ。その細身の刀身とは裏腹に刃渡りは長く、神々しい輝きを宿している。人の目を惹きつけるオーラを宿したソレは、クロがその腕に纏っていた籠手と似た感覚がした。
「……私は、姫路・実。人界からの使者です……イガラシ・クロという青年の行方を、知りませんか」
再会の時は、近付こうとしている。
◇ ◇ ◇
その書物を見つけたのは一ヶ月前ほど。ミノリがクラスメイト達と共にに魔族に乗っ取られた村を取り返した、その時だった。
村の書架に籠城した敵魔族たちを外部から魔法で撃退し、鍵を解いてその死骸を焼こうとした時の話だ。折角の本の山に傷を付けてはならないと慎重になっていたのだが、その際に興味深い一冊を見つけたのだ。
「……『最低最悪の、魔王』?」
少なくとも、王城の大図書館では見なかった名だ。ミノリは既に大図書館に貯蔵されている全ての書物を読破し、その全てを脳内に記憶している。だというのに彼女にも見覚えが無いという事は、この辺り特有の名なのだろうか。
何でもいい、この世界の情報は可能な限り収集すべきだ。それが姿を消してしまった彼を探し出す一番の近道だと信じて、ミノリは、その分厚い本の一冊を開く。
結論から言えば、その本はミノリの中にあった『共栄主世界戦争』の全ての情報を前提からひっくり返した。
共栄主世界戦争、ワールド・エゴ。かつて魔界、人界、獣界、精霊界の全てを巻き込んで発生した、世界規模の大戦争。この世界を統治する最上位種族を決定するという目的で始まったソレは、英雄『勇気の担い手』の活躍によって人族の勝利に終わり、以降人族は世界の最上位種族として君臨するようになった。
だが、この本はそれらの歴史とまるで違う。そも、共栄主世界戦争の目的から違うのだ。
『最低最悪の魔王』と、彼が率いる三騎により構成される絶望の象徴――『四黒』。白神竜の『真祖龍』と魔族の『黒妃』、人族の『日蝕』、そして、種族不明である『最低最悪の魔王』。
彼らは世界そのものと対立し、創造神アルルマは彼らを討つよう全世界に啓示を放った。人々は彼らが世界に齎す災いを恐れて、死力を尽くして戦う事を選んだ。
四種族は結託し、武器を取り、彼らたった四騎と戦う事を選んで――
――人族は王を失い、獣族は早々戦意喪失し、精霊族はその人口の殆どを皆殺しにされ、魔族はその戦力に決定的な打撃を受けた。四種族はたった四騎に壊滅寸前にまで追い込まれ、世界は文字通り滅亡の危機に追い込まれたのだ。
『四黒』は一騎一騎があまりにも強く、中でも『日蝕』と『最低最悪の魔王』の強さは人智の及ばない領域にまで及ぶ程だという。幸いと言うべきかその二騎は『勇気の担い手』によって討たれたが、彼もまたその戦いで力尽き、魔界の都市の一つ、“アヴァロナル”で眠りに就いたという。
残る『真祖龍』は神が直接相対し、その命と引き替えに魔界の果てに封印した。『黒妃』も封印こそ叶わなかったが、神代の極術使いが全霊を賭して、その五感を全て奪い取った。
世界を憎んだ絶対的な魔王による、全世界への宣戦布告。それが、共栄主世界戦争の真相だと、そう言う。
「……でっち上げにしては、本が古過ぎるし、設定も細かい。むしろ、城にあった本の方が違和感が大きい……まさか、人族が歴史を隠してる……?」
「姫路、何かあったのか?」
ふとそんな声が聞こえて、本の内容から顔を上げる。すると青白いデザインの軽鎧を纏った少年……イガラシ・クロの親友たる少年、神薙和也が、ミノリの持つ書物を覗き込んでいた。
その突出した敏捷性はクロを除くクラスメイト35人の中でも群を抜いて早く、亜音速に達するかというほどの剣は、クラスメイト内でも今や受け止められる者はミノリくらいのものだ。そのレベルは既に90を超え、ステータスもそれ相応の圧倒的な数値を誇っている。
彼もまたクロを探す為に全力を尽くす者……“捜索派閥”の一人であり、魔界への突入を目前に意識を高めている。最優先で魔王の討伐し、速やかな帰還を目指す“討伐派閥”を率いる五条一誠とは険悪な雰囲気が漂っており、ミノリを除くクラスのツートップの対立は、そのまま他の意志が弱い者達の意志の指標となっていたのだ。
クロが姿を眩ませたあの日から、皆本当に変わってしまった。各々が初めて本当の『死』を実感し始めたせいか、情緒不安定に陥った者や、元は多彩だった感情を薄れさせていった者もいる。或いは、ミノリやカズヤのように、目的に達する為に全霊を掛ける者も、また存在している。
「……成る程な、人族が何か隠してるってか」
「嫌な予感がするの。クロ君が言ってたんだけど、こういうファンタジーに限らず大概の創作物じゃ、そういう意味深な情報は大概何かしらのフラグになるって。一応、警戒しておいた方が良いかもしれない」
「分かった、覚えとく……それと」
カズヤが少し言うのを躊躇ったように口をつぐみ、しかし首を振ってミノリに向き直る。ヤケに真剣な様子の彼に、ミノリが不思議そうに首を傾げた。
「……転送魔法陣、調整終わったらしい」
「――!」
彼から齎された報せに、ミノリが全身を固くする。
それは以前からクラスメイトの中でも特に魔法的才能に優れた者達が開発に専念していたものであり、元より存在した転移魔法陣をより広範囲に届くよう改造した強化型。勿論ながら安全性の課題はクリアしており、後は多人数用に調整、そして座標を魔界の敷地内に設定するのみだったのだ。
それが完了した、という事はつまり。
「……魔界に、入るのね?」
「……ああ。クロの反応は、魔界からなんだろ?」
ミノリがクロのペンダントに施した祝福は、未だその魔力を通してクロの生存をミノリに伝えている。そしてその反応は遥か北方――つまりは、魔界の遥か果てを指しているのだ。
陸続きの大陸ならば、莫大なステータスに任せて千里を駆け抜ける事も可能だろう。だが生憎と海を挟んでいるために、ただ船で超えるとか、水上を凍らせて走るとか、そういう訳にもいかないのだ。
精霊界、獣界、人界、魔界は、それぞれ東西南北、十字に広がる四大大陸に分かれて存在している。しかしその四大陸の中央は巨大な海が広がっていて、この海は特殊な魔力の渦巻きにより半ば異界化しているのだ。そんな所に飛び込んでは、何が起こるか分かったものではない。
加えて外周を回ろうにも、外は外で空間の歪みが発生している。恐らくはクロもそこに巻き込まれたのだろうが、何処に辿り着くかまるで読めないのだ。
故に、四大大陸を行き来する方法はただ一つ。転移魔法を用いて、直接距離を越えるしかない。
「魔族達も大抵追い払った。何人かは人界に残るらしいし、多分気にしなくていいと思う」
「うん」
「やっとだ。やっとクロを迎えに行ける」
「……うん」
まさに悲願だった。
クロが消えて二ヶ月にも満たない期間ではあったが、しかしそれでも充分に長かった。
何度も、何度も戦ってきた。魔族の兵士達が向ける、怨念の込められた視線。剣が彼らの肉を引き裂く、生々しい感触。焼き焦がした命から漂う、沸騰したような血の匂い。
一体それらを何度見て見ぬフリして、打ち破ってきた事か。異世界人というだけで与えられた特権の数々を、ただ運によって恵まれただけの力を使って、本当に血の滲むような努力をしてきた者達を踏み越えてきた。
きっとミノリも、その身に掛けた暗示を解けば、すぐにでも崩れ落ちてしまう。背負ってきた命の重みに耐え切れずに、この足を止めてしまう。
けれど、ダメだ。
ここで止まる訳にはいかないから。ここで諦める訳にはいかないから。ただ願い続けてきたクロとの再会のみを目指して、ここまで歩み続けてきた。
この身が崩れそうになるまで、この身が壊れそうになるまで、限界まで酷使し続けてきた肉体は、既に悲鳴すら上げない。そんな余力などとっくに残っておらず、身に宿す膨大な魔力で無理やりドーピングしているだけの、危うい状態だ。
しかし、後少し。本当に後少しなのだ。疲れ切って歩けなくなってしまう前に、絶対に彼を見つけ出す。
――
……その時に固めた決意を、今でもミノリは覚えている。
きっと魔界に入れば、これまで以上に戦火に巻き込まれるだろうと。戦争相手の統治する大地に乗り込むのだから、一段と休む暇は無くなるのだろうと、そう内心で予測し、それらに向き合う決意もしてきた。
魔法陣を越えて、転移で辿り着いた敵地。意外にも人界とあまり変わらないように見えるその大陸にて最初に訪れた街。その街を訪れたミノリ達は、あまりに予想外の光景に目を疑う事となった。
「……なぁ、姫路。俺達、確か異世界に召喚されて、魔界の首都近くに転移したんだよな」
「……うん。その筈、なんだけど……」
カズヤがそう改めて確認するのも無理はない。ミノリとて目の前に広がる異様過ぎる光景に目を疑っており、本当に此処が魔界の首都なのか。何かの間違いではないのかと思いたくなっているのだ。
魔界南部、超巨大な城壁に囲まれた極大都市。その最北端に存在する魔王城に並ぶよう建造された無数の建物は、なるほど魔界の首都なのだろうと納得できる。魔族の民がその道を闊歩し、住宅街や露店街など、首都に相応しい賑わいを見せているのだ。何もおかしいところはない。
――“それだけならば”。
「ようし、身元確認も取れた。長旅で疲れたろう、宿をとって休むといい」
魔族の衛兵がそうやって人族である彼らに何も言わず、むしろフレンドリーに招き入れてくれたこともまあ違和感の一つではある。
今現在人族と魔族は戦争中故に本来は正体を隠して忍び込む手筈だったのだが、身元確認のためというもので耳を見られてしまった。魔法を使って隠してもバレて更に拗れるのは目に見えているので、敢えて何も隠さず、難破船だの魔法実験の失敗だので知らぬ間に魔界に来てしまった……と適当な方便で撤退くらいは出来るか。
などと僅かな期待を抱いてそう説明しようとすると、衛兵はまるで気にしていないかのように彼らを街に通したのだ。
だが、それ以上に、どうしても見過ごせない事がある。
……どうして異世界の、それも魔界の首都が――
「ようこそ、我ら魔族が誇る最大の都、『トーキョー』へ。ゆっくりしていくといいよ」
――高層ビル群に、近代的建造物の立ち並ぶ、まるで本当の『東京』の如き街なのだ、と。




