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第61話『全てを無駄にした日』

すいません、筆が進まず更新遅れました!

 消えていく。


 消えていく。


 ああ、いやだ、いやだ。失いたくない、無くしたくない、消したくない。


 だって、知らなかったのだ。こんな事実があったなんて、知る由もなかった。知れる筈もなかった。ごめんなさい、ごめんなさい、と、そう謝り続けてもまだ足りない――足りる筈もない。


 だって、私は彼女の苦悩を知らなかった。何も知らずに、彼女の願いを、想いを、数千年の情景を踏み躙ろうとしていた。無限にも等しい刻を、ただ延々と“それ”だけを願って探し続けてきた彼女の前では、自分の想いなど吹けば消える程度のものなのだろう。

 けれど、それでも意地があった。この想いは確かに自分が初めて得た感情で、だからこそ自分にとって最も大切なものだったのだ。


 書き換わっていく。書き換えられていく。勿論、彼にそういった自覚が無いのは分かっている。それを伝えられなかったのは、自分もまた混乱していて、錯乱して、言葉が纏まらなくって、そしてそれが命取りとなった。


 自身が消失していく、意識が溶けて無くなっていく。命が紡がれて、エマの想いは追放されていく。この肉体に、ヒトらしさは不要だと。その生き様に、感情は不要だと。


 ――この先、(クロ)と共に在るという願いは、叶えられた。しかし、違う、違うのだ。それでは、何の意味もない。


 やめて、と声を紡ぐ事すら出来ない。泥沼の中に決意は沈み、声は泡に解けて消える。その事実を悲しむ感情すら落ち窪み、涙の一滴がソラに零れた。指先から感覚が喪われて、とくん、と聞き慣れぬ鼓動が鳴った。


 彼が、好きだった。愛していた。けれど、こればかりは、彼に恨み言を残さずにはいられない。いくら彼だって、これだけは譲りたくはなかったというのに。



『――契約は完了された。これより、(マスター)の願いを叶えるため、この身を捧げます』



 声が聞こえる。どこまでも冷たい、感情を含まないその声は、しかしながら限り無く聞き慣れたものだったのだ。


 その声は、どう聞いたって、エマ自身の声で――


「……かえ、して」


 そんなエマの泣き声は、誰の耳にも届くことは無かった。









 ◇ ◇ ◇










「……エマ?」


 不意に、腕の中の少女の体からスッと力が抜け落ちる。唐突に崩れ落ちるエマを咄嗟に抱き抱えて、その手首を取って脈拍を確認すれば、しっかりとその命の流れは確認出来た。『源流禁術』を通してその魂が傷を癒した事を確認して、一先ずはエマの命を救えた事実に深く安堵の息を吐く。


 エマの体内――より正確に言うならば魂の領域だが――に繋がっていたパスを切断して、延長していた赤化神経を引き戻す。エマの鎖骨下ほどに空いた服の穴からは漆黒に染まった肌が少しだけ覗いており、それは彼女が少しばかりとはいえ『源流禁術』に侵された事を意味している。


 その事実に目を伏せて歯噛みすると、神経を巻き取った手の甲に浮かぶ紋様が、何やら歪に変化した。


「……?」


 鎖。三叉の紅い鎖の紋様がその手に刻まれて、僅かなスパークと共に薄い輝きを宿している。半身にまで及んだ侵蝕がクロの精神を蝕んで、既に左目に映る視界には紅い流動がそこら中で映り込んでおり、これまで見慣れた風景とはまるで違う世界のようだ。この流れが何なのかは分からないが、何かしらの意味はあるものとして今は気にしないとしよう。


 ちろり、と目にかかる前髪に違和感を覚える。指先でそれを一束のまま摘んでみれば、本来日本人特有の黒色である筈のソレは真っ白に色を失っていた。


 今やクロの髪には、幾筋かの白い髪が混じっていた。それは紛れもなく『源流禁術』の侵蝕による作用であり、禁じられた封術を使い続けた代償は着実にクロの身を蝕んでいる。ガンガンと頭蓋に釘を打たれるような痛みが断続的に響き、思考に靄が掛かったような感覚があって、冷静な考えを保てない。

 加えて、何か出どころの分からない不安感に駆られるのだ。何か、取り返しのつかない事をしてしまったような。


「……そうだ、『黒妃』は」


 どうにも頭が上手く動かなくって、痛むこめかみを抑えつつ振り返る。瘴気が少しずつ散りつつある“それ”に近付いて瓦礫の山を蹴り飛ばせば、『黒妃』を覆う黒霧はその色を薄れさせていた。


 崩壊しつつある床のクレーターの底で、紅く輝く瞳を揺らしながら、『黒妃』はただ体を横たえていた。クロが近くに歩いて行ってもソレが動きを見せる気配はなく、黒霧の下からは湧き水のようにドス黒い血が溢れ出ていた。ぱしゃり、ぱしゃりとその血だまりを歩いて、邪魔臭い『黒妃』の黒霧を腕で振り払おうとしてみる。

 クロの動きに従うように黒霧はぶわりと舞い上がって、周囲の砂埃と同化し消滅していく。『黒妃』の生死を確認して、死んでいないようならば確実にトドメを刺さなければならない。


『黒妃』は最悪級の怪物であり、魔族だけでなく、この世界に存在する全ての者にとっての災厄だ。反撃してこないと言うなら都合がいい、俺が今ここで殺さなければ、これから先もきっと莫大な損害が出る事だろう。


 いくつもの街が滅びて、何人もの人が死ぬ。クロの罪悪感一つで決めていい問題な訳が無く、可能ならば今ここで仕留めなければならない。それは、いくら思考が纏まらない今のクロにもハッキリと分かる事だ。

 あれだけ殴っても死なないのならば、確実に殺せる方法で。頭上に巨大なノイズを開き、膨大な威圧感がクロの頭上から降り注ぐ。やがてその白銀の剣先が姿を見せて、ゆっくりとその刀身を下降させてくる。


 断世王(クラウ)封龍剣(ソラス)。あの『真祖龍』すら殺した絶勝の巨剣が崩壊した壁から覗く夕焼けの風景を反射して、茜色の輝きを部屋中に齎す。その輝きはまるで炎のようで、紅の陽光は未だ薄い黒霧に包まれる『黒妃』の姿を照らし出した。

 陽光の輝きを受けて僅かにその身を揺らした『黒妃』は、ゆっくりとその右腕を伸ばして、クロの方へと伸ばした。クロの体に力が篭り、警戒心を保ち続ける。


 真っ黒な細い腕は手探りのように伸ばされると、クロの腰布をきゅっと握り締める。困惑するクロに倒れる『黒妃』は擦り寄ると、グチャグチャに粉砕された肘を伸ばして彼の足元にまで辿り着き、血だらけの体でその足にしがみついた。


 離したくないと。


 離れたくないと。


 ギリ、とクロがその奥歯を噛み締める。エマの魂をあれだけ傷付けておいて、何を、と。『黒妃』が何故クロにそこまでの執着を見せるのかは分からないが、何があってもそれはこの行為を止める理由にはならないと、巨剣の高度を落としていく。

 大質量が上空から迫ると同時に、それによって巻き起こされる膨大な空気の流れが風となってクロの髪を揺らし、彼の中で静かに燻る怒りを表すかのように、バチバチのその刀身から紅い雷電を纏い始めた。


『源流禁術』の輝きがクロの右足に宿り、怒りのまま振り抜かれる一撃が『黒妃』の腹部に突き刺さる。バツンっ!という音と共にその体が浮いて、ガラガラと瓦礫の山を転がり落ちていく。だだでさえ辛うじて皮一枚繋がっていただけの左の手剣が捻じ切れて、ガランと音を立てて漆黒の大剣じみたソレが転がり、ヒビ割れた刀身にさらなる傷を付けた。


『――a、aa』


 ぐちゅり、ぐちゅりと音を立てて、ミンチのようにズタズタになった体を支えようとする『黒妃』が、懇願するような視線を向けた。あらぬ方向に折れ曲がった右腕を伸ばすと、全身の血肉を酷使して瓦礫の山を登ろうとする。けれどその速度は絶望的なまでに遅くて、到底落ちる巨剣が辿り着くまでに逃げられそうにはない。


 これはいわば、処刑のようなモノになるのだろうか。数え切れない程の罪を犯した『黒妃』は誰にも止めることが出来ず、今の今まで好き勝手に殺し、奪い、蹂躙を続けて来た。その報いが、この巨剣だ。

 もう、十分に痛めつけた。これ以上、無為に傷付ける理由はない。クロ自身も、これ以上痛めつけるのはきっと無理だ。故にこの一撃で始末して、全てを終わらせる。


 遂に、白銀の切っ先がクロの目の前を通り過ぎた。その風圧によって僅かに残った黒霧が吹き散らされ、漸くその見えなかった全身が明らかになる。




 長い、黒髪だった。腰ほどまでに伸びたそれは左耳の上あたりで少し纏められて、サイドテールのように括られている。エルフ耳、と言うほどではないが、人よりも長いその耳は『黒妃』が魔族であると言う事を示した。


 その頭蓋からは二本の真っ黒な角が伸びていたが、しかしその両方は既にクロによってヘシ折られた後だ。本来は透き通った白い肌だったのだろうが、その整った顔立ちにはそれらを台無しにするように真っ黒な痣が広がっている。両眼に収まる紅い瞳は美しい色彩を持っていたが、しかしその機能はとうの昔に停止した。


 白い民族衣装らしきそれは既に修復の余地もないほどボロボロで、血や煤汚れ、泥によって見るに耐えないほどだ。裾は何度も引き摺られたのかほつれ、優美さのかけらもない。


 背中に空いた服の穴からは、片翼の骨組みのみのような翼が伸びていたが、しかしそれもまたクロによって引き千切られた後だ。僅かに残った接続器官からは膿が垂れ流され、見ていて気持ちのいいものではない。その右腕は先に行くほど黒く変色してグチャグチャに折り曲げられ、左腕は巨剣と一体化していたものをついさっき自身の蹴りが捩じ切ったばかりだ。


 伸びる両足は既にヒトの形を留めておらず、剣のように変質してしまっている。クロは預かり知らぬことではあるが、それは『黒妃』が魔界を歩み続けるにあたって傷付いた両の足を、如何なる環境にも適応出来るよう造り替えたモノだ。



 既に魔族とすら言えるかも分からないような、異形の化け物。しかしながらその姿はどこか見覚えがあって――いや、確実に知っている。その特徴こそ元とは全く違うのだが、しかしクロの魂が、そして『源流禁術』が、間違いないと告げていた。



『――お、ね、がい。』



 声が、上がる。



『――まって、いか、ないで。』



 堕ちる銀の巨剣の、その下で。



『――わたし、を、ひとりに、しないで。』



 処刑を待つ怪物は、その紅い瞳から涙を零して。



『――ずっと、いっしょに、いさせ、て。』



 ただ、懇願する。



『――クロ』



 そう、呼んで。



「――なん、で……っ」


 気付いた時には、もう遅く。

 咄嗟にソレを止める事も叶わず、堕ちる巨剣はその漆黒の体を粉砕して、一片の血肉すら押し潰して、その超巨大な刀身を大地に叩き付けた。島中が再度激震して、困惑するクロも体勢を崩す。しかしそんな事など彼の思考には映らず、最期に見たその『黒妃』の顔が瞳の奥にこびり付いて離れない。


 その泣き顔を、見間違える筈がない。その声を、聞き間違える筈がない。クロの知っているモノと確かに多少の違いこそあれど、しかし本人だと一瞬も掛からずに理解できた。


 しかし既に、彼女は巨剣の下。確実に殺したのだという手応えがクロの身に伝わって、それがよりクロの心を打ち砕く。


 だって、おかしいじゃないか。そんな筈がないのに、そんなことがある筈ないのに、しかし現実に目の前で起こり得ていた。ドサリと膝を突いて、乾いた声を漏らす。


 ――嘘だ、だって、それなら、俺は、そんな



「……『黒妃(エマ)』?」



 名を、呼ぶ。

 その化け物の、今この時代に於いては、誰にだって知られていない名を、呼んだ。


 同一人物、という事はない筈だ。だって今彼女(エマ)はクロの背後で意識を失っていて、その肉体には傷一つだって残してはいない。けれど紛れもなく怪物とその銀の少女はそっくりという次元ではなく、そも同種……いや、まったく同じ存在なのだと確信した。根拠はない、無いのだが、それでも尚そうだと確信する程に決定的な感覚で、彼女と『黒妃』が同一のモノだと断定する。


 だが、しかし、なら、何故。

 エマが、この世界に二人存在するとでも言うのか。仮に存在したとして、なぜあの黒妃(エマ)は俺の事を知っていた。そして何故、彼女が『最低最悪の魔王』と、その3人の同包――『四黒』の一人として、数千年もの間を生き続けている。


「……ぁ、ああ、ぁ、あぁ……っ」


 心当たりが、あった。


 こういったファンタジーなフィクション小説でよくある設定の内の一つ、メジャーと言えばメジャーだが、あまりこの状況とは合致し辛い。しかしながら解釈によっては確かに理屈は通り、しかしそれは――


「――俺、が、エマを、殺し、て……っ」




 時間旅行。或いはタイムトラベル、タイムリープ。


 同じ時間軸、或いは多種の並行世界を渡り、遥かな未来、または過去に移動する、SF作品なんかでも用いられるメジャーな概念の一つ。その代表的な設定として、『同じ時間軸、同じ世界に、全く同じ人間が二人存在する』という矛盾が起こる、というものがある。その時間軸に本来住まう存在と、異なる時間軸から現れた別時間の存在。その二人が同時に同じ世界に在る事によって、起こり得る筈のない矛盾が発生する。


 それによって引き起こされる事態もあるのだが、今回のケースに於いてそれは重要ではない。問題は『黒妃』が、またはエマ自身が、そういった別の時間軸から辿り着いた存在であるという事。

 ――つまりは、両方が本物であり、クロの良く知るエマであるという事だ。


 黒妃(エマ)は、クロに強く依存しているように見えた。それは黒妃(エマ)の時間軸に於けるクロがそういった状況に陥っていたのか、或いは別の理由があるのか、それは分からない。そもそも、この仮説が合っているという確証だってないのだ。考えるには早計すぎる――そう、分かっている筈なのだ。


 しかし、しかしながら、そうなれば――


「……違う、違うっ、違う……ッ!」


 脳裏に幾らでも湧いてくる負の思考の連鎖を、そう我武者羅に叫んで掻き消そうとする。乱暴に拳を床に叩きつければ軽く砕けた石の山が吹き飛んで、ガラガラと崩れ落ちていく。


 エマは、エマ一人だ。あんなもの、知ったことか。エマならば絶対に誰かを傷付けるなどという事をする筈がない、あの子はその本質からして心優しい子なのだ。一つの種族を滅ぼし掛けるほどに殺戮を繰り返した『黒妃』が、エマと同じなどと言えるものか。


 脳裏に焼き付けられた泣き顔が、瞼の裏にチラついて離れない。あの縋るような視線が、クロの心を蝕み、少しも消えようとしない。


 呪いのように纏わりつくソレを見て見ぬ振りして、早足にその場から立ち去る。断世王(クラウ)封龍剣(ソラス)を回収して、銀の少女が眠る横へとすぐに駆け付けようとする。


 気付けば、彼女はぱちりと目を開けて、その上体を起こしていた。不思議そうに辺りを見渡して、やがて小走りに駆け寄るクロの姿を確認する。クロは憔悴する心に少しばかりの安らぎを得たように笑みを浮かべて、胸を縛る苦しみに耐えきれず、少女の小さな体をその胸に抱き寄せた。


 不思議そうにその眼を白黒させるエマをぎゅっと力一杯、しかし壊してしまわないように抱き締める。今はただ、安息が欲しかった。きっと、『源流禁術』の行使をし過ぎて疲れてしまったのだろう。


「……ごめんな、エマ。もうちょっとだけ、こうさせてくれ……っ」


 そうしなければ、心が壊れてしまいそうだ。あまりにもたくさんのことがあり過ぎて、何もかも整理しきれていないんだ。たかだか16歳の高校生をこんな状況に放り込むこと自体が無茶振り甚だしいというのに、こんな事態、受け入れられるわけがない。少しだけ安らぎを求めたって、バチは当たらない筈だ。


 エマはそんなクロの様子に暫し驚いた様子でいたが、やがてその眼を瞑って、小さく口を開いた。







「――構いません。それで(マスター)の気が安らぐのであれば、如何様にもお使い下さい」









 ……え?






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