第55話『そして英雄は悲劇へと進む』
「……はっ、は……っ、は……ぁっ、……っ」
荒くなった呼吸を何とか整えて、両腕に走る痛みを必死に噛み殺す。エマに魔力は観測出来ない為に、視界に捕らえられたのは迫り来る爆炎が大剣の軌道に合わせて両断されて行く風景くらいのものだ。
ブレスといえど、元は真祖龍の超広範囲に対する大火力ブレスをナイアが吸収したものであり、ナイアが貯蔵しているブレスは吸収した時からその一発分のみ。ナイアはそれを小分けに、一点収束して放つ事で、弾数と威力を保っている。
それ故にこのブレスも実はそう広範囲という訳ではなく、威力こそ桁外れではあるが、範囲はせいぜいこの部屋一帯を覆い尽くす程度。外側から見れば、城の一部を貫いただけに過ぎない。
それでも、充分過ぎるほどに高威力。人1人を焼くには、些かオーバーキル過ぎるとも言える程の熱線だ。逆に言えば、キルアナはこれを使わせる程の脅威であったと言い換えることも出来る。
あの騎士を捕らえるのは不可能だ。であれば、敢えて発動を事前に察知出来る程に大威力のブレスを選び、キルアナに行動の余地を残した。彼女であれば、逃げ出すことも出来ただろう。
そうなればエマは、容赦無く追撃を掛ける。ライヴを用いられた大剣には、溜め込んだ魔力に比例して持ち主の身体能力を向上させる能力を持つために、その魔力を解放した今、エマの身体能力は劇的に向上している。キルアナに追いつき、数秒の足止めをする程度ならば何の問題もなくこなせるだろう。
だからこそエマは、キルアナに示した。大剣の切っ先を、キルアナに向けて。
神話に描かれた、降伏勧告のオマージュ。アルタナ神話を知っているならば誰でも知っている、『お前は詰んでいる、降伏しろ』、という合図。
キルアナは確実にアルタナ神話を知っている、故に、キルアナもこの意味を即座に察した。そうしてキルアナも、その意思を行動で示す。逃げるか、降伏するか。
キルアナが本気でエマを殺す気――本気でエマと敵対しているならば、逃げる筈だ。このブレスをなんとかやり過ごして、ブレスを防ぎ切って疲弊したエマを狙ってくる。
逆に、エマと敵対しない――先ほどのキルアナの言動のように、エマに稽古を付けているかのように戦っているのであれば、ここで無理をする必要はない。降伏する筈だ。
敵か、味方か。この一撃でハッキリする。
――そう、思っていた。
「……う、そ」
呆然と、息を吐く。
辺り一帯はボロボロだ、膨大なエネルギーの奔流に焼かれた部屋は抉れ、天井は見事に消し飛んでいる。その先には龍化してその背にルーシーを乗せたナイアがその翼を羽ばたかせており、彼女もまたこの現状に目を剥いていた。
キルアナは、降伏も、逃げもしなかった。だからといって防いだ訳でもない。であればどうしたのか、と言われれば、至極簡単だ。やろうと思えば誰だって出来ること。
ただ純粋に、受けた。
灼熱の滝を真正面から、その全身に浴びたのだ。一瞬にしてその紅い髪は灰となり、肌は炭化して、純粋な力の前に崩壊していく。エマが必死でブレスを防ぐ横で、彼女は何もしようとせずに、即座にその身を焼いた。
正気を疑う。元から何を考えているのか分からなかったが、いよいよ彼女が本当に真っ当な思考をしているのかが疑わしく感じられてくる。
「……なん、で」
真っ黒に焼け焦げ、ボロボロの地面を歩いていく。先程彼女が立っていた位置には、灰の一粒すら残ってはいない。何一つ、彼女の残滓はこの場に残ってはいなかった。
あまりに、あっけなさ過ぎる。何か理由があったのか?いや、死んでは元も子もないだろう。何が狙いなのかまるで読めなかった。それても、自分が死んでも構わないとでも言うのか。
『え、エマ……今の』
「……ナイア」
ゆったりと翼を広げて降下してくるナイアが、困惑したような声音でエマの名を呼ぶ。彼女の気持ちはエマも同様であり、あまりに突飛な状況にただ困惑するしかない。
キルアナを無力化した、とは言えるかもしれない。しれないが、これは少しばかり、後味が悪くはないだろうか。
と、不意に、ナイアの背で眠っていたルーシーがその目を開けた。
「……ん、ぅ……?」
「……よかった。目、覚めた?」
「お姉、ちゃん?」
ぼんやりとそんな声を上げるルーシーに、一先ず無事を安心する。先ほどのキルアナがルーシーを眠らせる為に使ったのがただの魔術だったので良かったが、物語に出てくるような永遠に目覚めない呪いなんかだったりすればどうしようもない。
疑問は残るが、ルーシーを取り返せたのならもうここに居る理由はない。一度地上に戻って、エイラの元へルーシーを帰すのが最優先だ。
「……ナイア。私とルーシー、両方乗せられる?」
「多分大丈夫だよ。上りならともかく、降りるなら簡単だから」
任せて、とドヤ顔で自分の胸を叩く人化したナイアに微笑んで、ぽっかりと大穴の空いた天井を……いや、天井が丸ごと消し飛んだ空間を見上げる。元来た道をそのまま通るより、上から出た方が早い。幸い、天井は高いが『末端禁術』でも届かない高さではない。全力で飛べば外には出られる筈だ。
ナイアの背からルーシーを抱え上げて、一つ跳ぼうかと足に力を込めた時、ルーシーが不思議そうに首を傾げた。
「お姉ちゃん、なにしてるの?」
「……エイラさん達の所に帰るの。ルーシーも一緒に」
「あ、まだだめ。わたし、まだ“おしごと”終わってないもん」
唐突にそんな事を言い出したルーシーに首を傾げていると、彼女はエマの手を振りほどいて地面に降りる。「る、ルーシー?」というエマの困惑も気にした様子はなく、彼女は部屋の中央へと近付いていった。
亜麻色の髪を揺らした彼女は、焼け焦げた瓦礫の上をぴょんぴょんと跳んでいくと、不意にある一点で立ち止まる。キョロキョロと辺りを見渡したかと思えば、ふとエマの方に振り返って叫ぶ。
「お姉ちゃーん!赤い髪のお姉ちゃんはー?」
「――!」
そう言えばここに来た時、ルーシーはキルアナと仲が良さそうにしていた。先程、当のキルアナはナイアのブレスを真正面から受けて燃え尽きている。今や塵の一つすら残ってはいない。
当然ながらルーシーにそんな事を告げられる筈もなく、自然と口を噤む。
ルーシーはそんなエマの様子に不思議そうな顔を浮かべると、「まーいっか」と屈み込んだ。
「ね、なにしてるの?」
「おしごと!終わったらあの赤い髪のお姉ちゃんがご褒美くれるって言ってたんだ〜」
上機嫌にそんな事を言うルーシーに、エマが思わず息を呑む。
ルーシーに何をさせようというのかは分からないが、それが何であっても危険には変わりない。ルーシーと仲が良さげだったのは、ルーシーに疑いを持たせずに事を運ぶためか。
エマが気付いて動き出そうとする寸前に、ルーシーの足下で赤黒い魔法陣が広がる。魔力を感知できないエマでも観測出来るという事は、恐らく魔力ではない何か別の力。
何故そんなものをルーシーが展開出来るのか、今はそこは気にしない。正確には、気にする暇がない。今は何より、ルーシーの言う“おしごと”を止めなくてはならない。すぐに走り出そうとして、しかし直前に首にひんやりとした感触が這った。
――直後。
「……っぁ!?」
喉への凄まじい圧迫感と共に、視界が一気に転がった。
同時に焼け焦げた地面に倒れた事により、服越しとはいえ耐え難い熱が背に走る。『末端禁術』の自然治癒力により火傷こそ免れてはいるが、まるで背中を鉄板で焼かれているかのような熱と痛みだ。
すぐに起き上がろうとしても、喉を誰かに押さえつけられていて起きる事が出来ない。一体誰が、と目を見開けば、眼前で自分の首を締めるその姿に驚愕した。
それは、ついさっきナイアのブレスを全身に受け、燃え尽きた筈のキルアナで。
「……っ、なん、で、あなた、が、……っ!」
「おいおい、話を聞いておけよ白の娘。私はキルアナであると同時に、“ヴァルキュリア・オリジン”と名乗った筈だが?」
何処か期待外れ、とでも言いたげな表情を浮かべた彼女はそう言い切ると、エマの首を掴んだままその手を掲げる。重力に従って首が締まり、気道が圧迫され、呼吸が段々と困難になっていった。
衝撃により反応が鈍い体を動かして、キルアナの腕を外そうと、自身の首を絞め上げる腕を掴んだ。
「無駄だよ、魔力を血液の流動に流し込んで動きを阻害してる。1人じゃあ絶対に抜けられない……お前もな」
瞬間、キルアナの首筋に手刀を落とそうとしていたナイアの腕が、無造作に掲げられた手によって止められる。クロでさえ読めなかったナイアの“転移”をどうやって見切っているのかはまるで分からないが、キルアナに不意打ちが通じない。
彼女はナイアの手を弾いてエマを離すと、一呼吸の内にナイアの首筋に指を押し込んだ。同時にナイアの全身から力が抜けて、困惑した様子を浮かべたままに倒れる。
このたった一瞬、コンマ1秒の内、文字通り瞬く間に制圧された。
全身に力が入らない。指先の感覚が遠く、呼吸をするだけですら精一杯だ。大剣を持つ手からも力が抜けて、満足に握る事すら出来ない。足はガタガタと不安定で、持ち上げる事すら厳しい。立つ事すら難しい現状だ。
先程の戦闘ですらまだ手を抜いていたのかと戦慄する。これ程の力があるのなら、エマ達と戦闘を始めた途端に無力化する事も不可能では無かっただろうに。
というか、そこはまだいい。問題は別だ。
「……なん、で、生き、て……っ!」
「また妙な事を聞く。あの資料を読んでいなかったのか?」
あの資料、といえば、ここに来る途中に入った部屋で見つけた資料か。確かに、あの資料には“ヴァルキュリア・オリジンの名があった。そういえばその名について言及されていた事と言えば、確か――
「私は不死者。生きながらにして死んでいる者、生という概念から乖離した者。私は、あらゆる手段を用いても殺されることは無い――例え、肉片の一つすら残さず消し飛ばしてもな」
「――!」
出鱈目にも、程がある。
それでは、例えどんなにエマが力を持っていたとして、絶対に勝てないではないか。死なないとはつまり、どんな窮地に陥ろうが絶対に最悪の結果は訪れないという事。自分の損傷など全く気にする事なく、ただ相手を打ち倒す事にのみ集中出来る。そして相手はどれだけ攻撃しようが、キルアナを殺すことは出来ない。
詰みだ。エマではどうやっても、あの女を倒すことは不可能。
加えて体も動かない、と来た。こんな体たらくでは、ルーシーを連れ帰る事もできない。ギッと歯噛みして、視線の先に広がる光景を睨み付ける。
ルーシーはこちらの様子に気付かない、というより、あちらの魔法陣に意識を限定させられているのか。赤い魔法陣の上で朗らかな笑顔を浮かべている彼女は、まるで外の風景が目に入っていないかのような様子だ。
完全に、正気ではない。恐らくは精神干渉のような魔法を使われたのだろうが、ナイアでも気付けないとなると相当高度なものだろう。当然ながら魔力を感知できないエマにそんなものが看破出来るはずもなく、そう気付いてみれば確かにルーシーから感じ取れる感情は少しぎこちない。
どうして気付けなかったと後悔しても、事は進んでしまったのだ。
「――“我が王よ。幾千幾万、幾億の夜を越えて、この願いを彼の英雄に託さん。今一度再起の時を、我が永劫に齎せ”」
その言葉に魔力が込められていると気付けたのは、この場においてはナイアのみだった。
詠唱、とはまた違う。だからといってただ呟いただけという事もなく、その一文は確かな魔術的意味を込められた魔法言語だ。しかし、そのどれもがナイアの知る現代の一般的な魔術言語とは異なる。
「ーーっ、そ、れ……!」
「神代の極術使いが用いたという魔術言語だ。なに、お前にもいずれ使えるようになるさ、半龍の娘」
道理であらゆる魔法が通用しなかった訳だ、とナイアが内心で納得する。
ナイアの行使する魔法は高い精度を誇るが、使用している形式はあくまで現代のものだ。何処で習得したのかは知らないが、キルアナが行使する神代の魔法とはそもそも成り立ち、性質が違う。
ただでさえ、魔法というものは繊細だ。世界の法則に限定的ながら介入し、魔力を代償としてその法則を自分の都合の良いように書き換える。当然ながらルールを書き換える以上、基盤とする法則があるのは当然だ。
そして、現代と神代の魔法は、その書き換える『法則の基盤』が違うのだ。それ故に、お互いに干渉する事はない。恐らく、ナイアが結界を張っていたにも関わらずにルーシーが拐われたのは、転送の魔法でも使ったのだろう。
キルアナは――ヴァルキュリア・オリジンはゆっくりと手を伸ばすと、その手に込められた魔力をルーシーの足下に広がる魔法陣へと注ぎ込んでいく。同時に魔法陣がその輝きを増し、ルーシーの体へと魔力のパスが繋がった。
「――“該当座標検索完了。投影抽出、開始”」
ヴァルキュリアが魔法陣に触れて、自身にもそのパスを繋げる。輝く魔力をその手から吸い上げ、彼女はすぐさまその魔力を用いて足下の瓦礫の一つに何やら文字のようなものを刻み込んでいく。
「……なに、を……!」
「お前の推測通り、私は今この時点でお前を害する気は無い。この娘も、抽出の影響で多少疲れてはいるだろうが、特に何も問題は起きない筈だ――が」
文字を刻んだ瓦礫を手の内で弄びつつ、チャキ、ともう片方の腕で『創世神話・撃滅槍』構える。針のように鋭い視線はエマから横にズレて、彼女と同じく地面に倒れ伏しているナイアへと向けられた。
ヴァルキュリアはその穂先に魔力を集めると、もはや憎しみすら感じられる程の殺気を、ナイアにのみ注いだ。
ナイアが動かない体を何とか動かそうとして視線を彷徨わせている所に、彼女は容赦無く蹴りを入れる。小さな悲鳴と共にか細い体が吹き飛び、何度も瓦礫に叩き付けられたその体は血に濡れていた。
「……半龍の娘よ。お前、“知っている”だろう」
「――っ!」
ヴァルキュリアが低い声音で言い放ったその一言に、ナイアがその顔色を青くする。かと思えば次の瞬間にはナイアの全身が龍のソレへと変化して、その衝撃でヴァルキュリアの体が少し浮いた。
いつの間に動けるようになったのか、ナイアがすぐにその尾で彼女の体を薙ぎ払う。が、ヴァルキュリアはそれを自然と見切ると、逆にその尾を掴み、上昇しようとしていたナイアを地面へと引きずり落とした。
「先程のブレスで確信した。お前、既に継いだか」
『や、めて……っ!うるさい……!』
普段の朗らかな彼女らしくもない、怒りとも焦りとも取れぬ、複雑な表情。荒い言葉遣いでヴァルキュリアを睨み付けた彼女は、その顎門の奥に灼熱の吐息を溜め込んでいた。
が、それが解放される寸前に、『創世神話・撃滅槍』が閃く。
黄金の軌跡を描きながらソレはヴァルキュリアの手を離れると、龍化したナイアの喉奥を突き破り、その背までを貫通する。声にならない絶叫が放たれて、撒き散らされる血液がその痛々しさを物語った。
槍に貫かれた炎は爆散し、気道の内側から彼女の体内を焼く。目に見えるだけでも舌が灼け爛れ、翼の下辺りの背からは留まる事を知らないかのように流血が止まらない。
龍の体が崩れた瓦礫の山の上でのたうち回り、更に周囲を破壊していく。痛みに耐えられないといった様子で振り回される尾は、周囲に散らばる焼け焦げたガラクタを粉砕していった。
エマが助けに行こうにも、体はまだ動こうとしない。むしろ、先程よりも全身が重くなっていく一方だ。目の前で繰り広げられる残虐な所業を見ていられず、思わず目を背けてしまう。
『……わた、し、は……わたし、なんだ、もん……っ!こんな、もの……関係、ない……っ!!』
「お前にとってはそうであっても、私達にとってはそうでは無いんだよ。その記憶を保持している限り……お前は災厄を齎すのみだ」
2人の会話が、まるで理解出来ない。“知っている”とはどういう事なのか……いや、恐らくは地上でナイアが『言えない』と言った事なのだろう、とは予想出来る。だが、何故それをあの女が知っている――加えて、何故ナイアがこれ程までに痛めつけられているのか。
分からない、何も分からない。けれど、どちらにせよエマにはこの現状を打破する手段が無いのは明白で、ただ必死にこの体の異常に足掻こうとするので精一杯だった。
バキリ、どちゅっ、と、鱗が割れ、肉の裂ける音が聞こえてくる。その度にか細い悲鳴が上がり、その痛々しさに耳を覆いたくなる程だ。
このままでは、この調子では、本当にナイアが殺される。ヴァルキュリアの殺気は、今までと比べ物にならないような本気のものだ。きっとアレは、ナイアを殺すつもりでいる。
嫌だ。それは、絶対に許容出来ない。
そう思ってはいても、鈍い全身はエマの願いを何一つ聞こうともしない。『やめて』と、その一言を吐くことすらままならなくなっている。口に出そうとしても、舌の感覚すら遠のいてきているのだから。
いやだ、失いたくない。大切な家族を、家族も同然の彼女を失うなど、絶対に。
「……たす、けて」
――願ってはいけない。
そう分かっていても。
「……おね、がい」
――希望してはいけない。
頭では判断していても。
「……ナイ、ア、を」
――それが、彼の為だから。
それでも、この心は。
「……しなせたく、ない、よ」
――彼を、戦わせてはならない。
どうしても。
呼んで、しまうのだ。
「……く、ろ」
――瞬間。
視界を、漆黒が覆い尽くす。
「――ッ!?」
ヴァルキュリアが何かを察知したように、ナイアから一瞬で遠ざかる。しかしながらそれすらも関係が無いと地面が真っ二つに割れ、その奥から白銀の何かが彼女ごと部屋を叩き割る。
いいや、部屋を叩き割るという表現は、些か過小に過ぎたかもしれない。
正確には、“浮遊島を”叩き割った。
空に浮かぶ巨大な城は崩壊を始め、大質量による貫通の影響で巨大な激震が島中を駆け巡る。圧倒的なまでの一撃に打ち上げられたヴァルキュリアはその全身が醜く潰れ、刃によってその体を半分に分かたれる。
この白銀の輝きを、知っている。この巨大な……いや、一言に巨大では絶対に済まないこの巨剣を、かつてエマは幾度となく、毎日と言っても過言では無いほど見続けていた。
最も、当時のこの剣は白銀ではなく、漆黒だったが。
断世王・封龍剣。かつて『真祖龍』を封じたとされる、天を貫くほどに巨大な神宝。ただの人間にこの剣は扱えず、この剣を振るえるのは、剣に見合う巨人か、神か、或いは、『彼』のみ。
そして今、この剣を持ち得るのは彼を置いて他にはいない。
――ああ。
やはり、つくづく思うのだ。
白銀の刃を凄まじい速度で駆け上がり、ヴァルキュリアの手を離れたナイアの龍体を紅い残光と共に受け止めた、その青年。かつて、エマも同じように救ってくれた、その真っ黒な腕。
イガラシ・クロという青年は。
本当に、英雄なのだと。