第52話『勝利の狼煙』
コツン、コツン、と、ブーツを踏み鳴らす音が飾り気もない廊下に反響して、延々と続く静寂を覆い隠そうとする。歩き始めて数分経った今でも代わり映えしないその風景に、ナイアが退屈そうに欠伸を漏らした。
当然ながら警戒心を保ち続けるエマもまた、あまりに長い道のりに注意力を欠きつつある。何かを仕掛けて来るにしては、遅い。
二人の前を歩くジライヤからは友好的な感情も感じなければ、敵意も感じない。何故ここにいるのか、何故彼がこの城の道を知っているのか、あのキルアナという騎士は何の用で自分たちを呼ぶのか。疑問は多々あるが、今はまだ彼に従う以外の最善は分からない。罠ならば、エマは問題なく看破出来る。案内してくれるというならば、遠慮なく乗っておこう。
「……見えてきましたな」
「――!」
ジライヤの声にピクリと眉を上げて前方に目をやれば、厳かな鈍色の鉄門が行先の道を閉ざしている。真っ白な大理石の廊下とはあまりにも合わないその風景に「へんなの」とナイアが首を傾げ、エマも口には出しこそしないが同意する。
奇妙な構造だ。建物に入った時にあった円状の柱といい、天井に時折見られる奇妙な色彩のガラスといい、ナタリスの村ではまず見られない光景だ。エマが田舎者なだけだと言われれば、まあ反論のしようがないのだが。
カチャリと腰の大剣に手をやって、何があっても対応できるよう身構える。ナイアもその全身に魔力を通して、四肢の先に白銀の龍鱗を纏わせる。口元からはちろりと小さな牙が伸びて、ワンピースの裾からはしなやかな尾が伸びている。彼女なりの戦闘姿勢だ。
ジライヤが一歩踏み出して大扉を叩くと、扉の奥から「入れ」という声が聞こえてくる。彼が一礼して扉を押し開けば、重々しい音を立ててその先の風景がゆっくりと広がり――
「ははは、よーしよーし。いい子だルーシー、それじゃあこれはどうだ?」
「うーんとねー、うーんとねー……あ!これ、ホワイトゴブリン!お肌の色を変えて透明になるから、すごく危ない魔物だーって母ちゃん言ってた!」
「よし、正解だ!勉強熱心な子だな、ルーシー」
「えへへ〜」
にんまりと笑みを浮かべたルーシーの頭を、赤髪を携えた女がわしゃわしゃと撫でる。満更でもなさそうにルーシーがその手に額を擦り付けて、心地好さそうに目を細めた。
部屋の中にはそこら中にオモチャや絵本などが散らばっており、二人は部屋の奥に設置されたソファで中も良さげに談笑している。ルーシーも完全に警戒心すらなくしているようで、緊迫感など欠片も感じられない。
「……???」
「……え、エマ?」
あまりに突然のアットホームに硬直して、一瞬自分の目を疑う。困惑した様子でエマの服の背をきゅっと引っ張るナイアにも反応出来ずにただ目を丸くしていると、ルーシーがこちらに気付いたらしく、ひょいとソファから降りる。
「エマーっ!ナイアー!見たー?ここ、凄いんだよー!外、とっても綺麗なんだよー!」
「……え?あ、う、うん。すごく、綺麗だった、けど……?え、ええ?」
自分が誘拐されたという自覚があるのかすら疑わしい……というか、恐らく無いのではないだろうかこの娘は。思いっきりリラックスしているように見えるのだが。
チラリともう一人の女――あの時キルアナ・カナストル・ノッデスと名乗った女に目をやれば、相変わらず何を考えているのかまるで読めない。
正確には、いつも通りぼんやりとした心情程度なら読めるのだが、そこから一体何をしようとしているのかがまるで予測できない、の方が正しいか。得体の知れないその笑みに、ツー、と冷や汗がエマの背を伝う。
「ご苦労だったなジライヤ……そして、久しいな、銀の娘。その後変わりないか?」
「……銀の娘じゃなくて、エマ。まず、状況の説明からして欲しい。かなり、混乱、してるの」
あまりに話が飛躍しすぎていて頭が痛くなってくる。一礼をして部屋を出ていくジライヤの傍ら、こめかみを抑えて頭を振りなんとか冷静は保ちつつ、一先ずは目の前の危険因子に説明を求めてみる所から始めてみる。極度の緊張状態からの落差で。思考がマトモに働かない。
エマの希望を聞いたキルアナは何がおかしいのかひとしきりケラケラと笑うと、相変わらずの不気味な笑みを浮かべたまま口を開く。
「そうかそうか。それはすまんなエマ。では懇切丁寧に、今回の騒動の全貌を説明してやろう。なんならこの世界の成り立ち辺りから説明してやっても構わんぞ?」
「……冗談を言ってる暇、ないの……というか、貴女はどういう立ち位置、なの?」
疑問は山ほど存在している。軽口に付き合っていられる状況でもないのは明白だ、まずは色々と疑問を晴らしていく必要がある。今回の騒動は、色々と不可解な事が多過ぎるのだ。
オーディンの槍構成員が服屋の女主人、エイラに店……いや、店のある『座標』を明け渡すよう要求した事から始まる、オーディンの槍との抗争。彼らの目的は店の地下に埋まるという『王土鱗』であり、それを掘り起こすため店の解体をエイラに要求した。
当然ながらエイラはそれを拒否。亡き夫との思い出である店を守るため、エマ達と街の衛兵団の力を借り、抵抗を選択する。エマ達もまたそれを推奨し、街に迫る『黒妃』の誘導に行くクロを除く二人で協力する事を決定、交戦が始まった。
問題はその後。オーディンの槍構成員を捉え、尋問した時の証言だ。
『――究極的な目標は、『最低最悪の魔王』の転生体の、始末による、『共栄主世界戦争』の阻止と、聞いた』
食い違うのだ。あの部屋にあった資料と。
エマ達が休息に立ち寄った部屋に置かれていた資料には、オーディンの槍の発足目的は『二人目の最低最悪の魔王の誕生』とあった筈だ。勿論ながら『禁術』で精神を操作していた以上、嘘を述べたという事は有り得ない。
部下に嘘を吹き込んでいたのか、それとも本当に認識が違っているのか。そこはエマにも分からないが、少なくとも『オーディンの槍』という組織内で相違が発生している事は確かだ。
これまで一度だって情報を残した事がないほど、『オーディンの槍』は秘密主義の組織である。これほどの規模の組織を築き上げているにも関わらず情報が漏れないのは、その高い練度の連携と個人の意思の硬さによるものだ。先程のエマのように『禁術』による意思を無視した尋問のような外法を使わない限りは、その口を割ることは出来なかった程に、その結束は固い。
エマ達がヘルメスから聞いていた情報を加味しても、『らしくない』と言えば奇妙な響きだが、彼らの中で齟齬が生じているという状況自体が、事前情報と噛み合わないのだ。だからこそ、ヘルメスも首を傾げていた訳だが。
一先ずそれは置いておくにしても、知るべきことは山ほどある。例えば、有耶無耶になっているオーディンの槍の最終的な本当の目的、ルーシーを連れ去った理由、黒妃との関連性、そして――
「……キルアナ。貴女は、敵?それとも、味方?」
「――ふむ、そうだな。まずはそこをハッキリとさせるか」
剣を構えたエマの問いに、涼しい顔でキルアナが呟く。彼女の横で不思議そうに首を傾げるルーシーの目の前に手をかざすと、突然糸が切れた人形のようにドサリと崩れ落ちた。
キルアナは倒れこむルーシーの体を支えてソファに寝かせると、ひょいと立ち上がる。
その手にはいつの間に握っていたのか、彼女の腕の長さほどの短槍が握られていた。
「……キルアナ・カナストル・ノッデス。その名が偽名という訳ではないが、私はもう一つの名前を持っている。予想はしているかもしれんが、ヴァルキュリア・オリジンというのは私の事だ。正確には名前、というより、『神格』だがな」
「しんかく……?」
唐突にそんな事を述べるキルアナに、ナイアがいまいちピンと来ないようで眉をひそめる。エマもまたその言葉の意味が把握し切れず、内心疑問を浮かべているのも事実。
「唯一神アルルマがこの世界に誕生するまで、世界には無数の神々が存在していた。彼らは『共栄主世界戦争』によって滅び、後に残った最後の神、アルルマが世界を調停する存在として君臨した……と、創世神話に記されている。それは知っているか?」
キルアナの確認に、こくりと頷きで返す。その程度ならばナタリスの集落で聞いた昔話、絵本でもよく見たものだ。キルアナは一つ両の瞼を落とすと、その手に持つ短槍をグッと掲げた。
その行動の意味を察する事が出来ずに疑問気な顔を浮かべるエマに、ニィとキルアナが笑みを浮かべた。
その掲げられた槍は、歪な形をしていた。
黄金色の金属で形作られたソレは、幾重にも折り重なるように捻れた矛先を鈍く輝かせている。光の反射によって蠢いているかのように見えるソレは、武器というにはあまりに奇妙な構造だ。実用性も何もない。まるで。人の手によって作られたモノではないかのような、底知れぬ違和感。
その雰囲気を、何処かで知っている。明らかに人のために作られたモノではないその構造は、特徴こそまるで違うものの、エマとて生まれてこれまで数百数千……いや、万度も見てきた。
断世王・封龍剣。神の手によって造られた、神のための武器。あの巨剣と同じ種類の匂いが、この槍からは感じられる。
まさか、いや、確信した。間違う余地すらない。
あの槍は――。
「『創世神話・撃滅槍』。かつて、軍神オーディン……そして、『最低最悪の魔王』が扱っていた、絶勝の槍そのものだ。」
「……っ!」
途端に、その黄金の槍におぞましいまでの魔力が宿る。一瞬にして全身に鳥肌が立ち、思わず大剣を構えて戦闘態勢に移行する。ナイアも警戒した様子で全身に魔力を纏い、半龍の姿へと変化した。
キルアナは全身から滾らせる異様なほど巨大な魔力を緩める事なく、言葉を続ける。
「私はかつての軍神、オーディンに使える戦乙女、ヴァルキュリア達の原初。最初に生み出された壱番個体にして『失敗作』、それ故に『共栄主世界戦争』への参加を許されなかった、唯一の生き残り。そして――」
全身に緊張が満たされていく。今やエマの眼に映るキルアナの感情は、今にも溢れ出そうとする圧倒的な迄の殺意のみ。震える呼吸を整えて歯を食いしばり、自身の生存への最善を模索する。
それにしたって、クロが戦った時と全く気迫が違う。レベルは187だと申告していた覚えがあるが、明らかに嘘だと今なら断言出来る。流石に真祖龍とまではいかないものの、それに近い覇気が周囲の空気を鉛のように重くしている。
何を思ったのかキルアナは、その切っ先を自身に向けた。
「――オーディンには神性を、『最低最悪の魔王』に不死を授けられた、半神半魔の化け物。そして、復活せんとする『最低最悪の魔王』に仇為す者。端的に言えば、お前達の敵対者となった者。……それが私さ、『黒妃』の雛よ」
……話は、変わるのだが。
グングニルという武器には、クラウソラス同様に神の武器らしく絶対的な権能が宿っている。クロがエマへ伝えたのは、あくまで彼時自身が知っている範囲でのグングニル逸話や、オーディンの伝承などだ。
曰く、グングニルを投げれば、絶対に的を射損じる事はなく、敵を貫いたグングニルは主人の手に戻るという。対象に回避も防御も許さない、技術も過程も無視した、絶対的な権能を持つまさに神の槍。なるほど、確かにそれは強力な力だ。
だが、まだだ。
グングニルの本質は、そこには無い。この槍が絶勝足りうる理由は、そこではなく、もう一つ。グングニルのもう一つの権能にして、あまりゲームや小説などでは採用されない為にクロも知らなかった、敵に回すには最悪の力。
かつてグングニルは、その穂先で指した者、または軍勢に、絶対の勝利を約束したという。その過程こそ問わないが、如何な犠牲を出そうとも、如何な劣勢になろうとも、最終的には必ず勝利する。
そう、『必ず』。
――そうして。
エマの敗北は、確定した。




