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第51話『天空のヴァルキュリア』

お待たせいたしました……っ!ひっじょぉぉぉに遅れましたーーっ!

 ――?


 冷たい指先が頰に触れて、するりと肌を撫で下ろす。反面、暖かな温度が全身を包み込んで、安らかな眠気が纏わり付くように全身を囲った。願わくば、このまま深く眠りについてしまいたいような、深い暖かさ。

 一体ここは何処なのだろうか。いや、この感覚には覚えがある。いつの話だっただろう。ええと……温泉?ではない、何処か旅行先?……いや違う。確か、周りには誰も居なかったような。


 ……?親の同行もなく、一人でそんな経験をした覚えなどないのだが……寝惚けてしまったか。


 一体、俺は今何をしているんだろう。夢でも見ているのだろうか。ああ、そう言われて見れば夢だったような気もしてくる。それなら辻褄は合うだろう。

 明日も学校があるので生憎と昼までぐっすり、という訳にはいかないが、昨日は作業が詰まっていた。8時くらいまでに起きれば、登校時刻にもギリギリ間に合うか。


 おかしいな。眠りに就いたのが相当前のように感じる。やっぱり頭がボケてしまっているのだろうか。何か、よく分からない何かがすっぽりと抜け落ちてしまったかのような、出処の分からない喪失感。


 何を、していたっけ。



『――たたかってた、んだよ』



 ……聞いたことのない声だ。

 母さんのそれとも、妹のそれとも違う、今にも消えてしまいそうなほどか細い声。だというのに何処か懐かしさを感じさせるその声は、空気を伝ってではなく、心に直接水滴を垂らして波紋を刻むように、大きく広がって消えた。

 何故かそれに仄かな嫌悪を感じて、重くのしかかる瞼を押し上げる。眠気に逆らう度に左腕から奇妙な痛みが走り、その苛立ちも知るはずの無い声に向けられる。


 ――誰だ?


 ……と言おうとしたのだが、声が出ない。いつも通りに発声しているはずなのに、何故か喉だけが震えて音が出て来ないのだ。その理解不能の現状に無音の舌打ちをして、視線だけを声の元に向ける。


 女、か。

 白い髪と、紅い目を持った黒衣の女。穏やかな風……いや、波?に揺られてその裾を靡かせるその女の頰には、無数のヒビ割れと漆黒の痣が広がっている。何処かで見たような痣だ。良く知っている筈なのに、何故かその記憶が靄が掛かったように霞み、思い出せない。


 何かがあったんだと、それだけは分かった。ただ、思い出せるのは徹夜で「用事」を済ませて、明日の学校に備えて眠った所までだ。いきなりこんなファンタジーな空間に放り込まれたのに、どうにも夢と思えない。


『……おかえりなさい(・・・・・・・)。うまく、いったんだね』


 おかえりなさい?訳が分からない、まるで旧知の知り合いに会ったかのような顔だ。その顔立ちもヒビ割れと痣さえ無ければ整ったもので、浮かぶのも穏やかな表情だ。だというのに、やはりその顔を見て浮かぶのは出処の分からない苛立ちのみ。


【ああ。待たせてしまったな、アンラマンユ。苦労したろう】


『……大丈夫。彼は、紛れもなく、あなただから』


 ――っ!?

 喉の奥から、得体の知れないおぞましい音が漏れ出してくる。勿論ながら、自分で喋ってなどいない。確かに出処は自分の声の筈なのだが、その声音も自分がよく知るものでも無ければ、声帯はほんの少しの震えすら感じない。


 まるで喉の奥にスピーカーでも付けられたような気分だ。それに今、この声は今何と言った?


 アンラ・マンユ。ゾロアスター教に於ける『悪』という概念の具現であり、最高の善であるアフラ・マズダーと対抗する絶対悪。よくファンタジーやゲームなんかでも、『アンリマユ』やら、『アンリマンユ』やらとその名を変えて、大概は悪役として登場している。

 ……の、だが。


『……あの子、元気だった?』


【……あぁ、とても。いい世界線だったよ、ここは。私も、願わくばこの世界に居たかったものだ】


 目の前で優しそうな笑みを浮かべるこの女が、あの『アンラ・マンユ』?この世全てに存在するありとあらゆる悪性、邪の具現。災厄の悪神。その現し身がこれだというのか?

 ありえない。名が偶然同じだっただけの別人だろう。確かにこの女を見ていると出処の分からない不快感と嫌悪感に襲われるが、この女自身が悪に属するとは到底思えない。まあ、これすらも第一印象でしかないのだが。


『……ね、クロ(・・)


 ……これは、違う。

 俺の喉を使って喋る誰かではなく、確実に俺へと向けて話しかけている。だが俺はその声に応える喉を今持たず、声を発しようとしても音が出て来ない。


『……きっと、今のあなたは何も憶えていないと思うけれど、伝えておくね』


 真っ白な手が、頰に添えられる。同時にそこから焼け付くような痛みが走るが、痛みに呻くことすら出来ずに体は硬直するままだ。目の前の少女は儚い笑みを浮かべると、その真紅の瞳で俺の眼を覗き込んでくる。

 この女に近付くな、触るな、声を出させるな。そう、何か本能に近い所が警鐘を鳴らす。すぐにでも逃げ出してしまいたいような嫌悪感が全身に満ち、しかしやはり何も出来ない。

 そんな俺の内情を見通しているのか、少女は苦笑して『ごめんね』とひとつ呟く。そして、俺の右腕を取って持ち上げる。


 その手の甲に刻まれた、趣味の悪い紋章は、紅い光を宿していた。


『あなたはきっともう、すぐにでも壊れてしまう。けど、そうなる事も、そうなってしまう原因も、それはもう、"仕方のないこと"なの。だから、お願い』



 ――いつか、あなた(最低最悪の魔王)の本当の願いを、思い出して。



 そんな言葉を最後に、急速に意識が浮上する。動かないガラクタの肉体から意識が持ち上がり、ぐんぐんと上昇していく。先程まで俺の意識が残っていたその肉体が、最後に視界の端に映って……





 それは、色を失った長髪を持ち、全身を漆黒に染まった肌で覆った、魔人だった。












 ◇ ◇ ◇

















「や、ぁっ!」


「っ、ぐ、は……!?」


 ナイアの魔力を纏った拳が男の鎧に突き刺さり、その硬い壁を打ち砕いて破片を撒き散らす。衝撃は重々しくそのまま男の腹に伝えられ、胃液を吐いて倒れ込んだ。直前でナイアが「わっ」と慌てつつも転移して、その飛沫から逃げる。

 同時にその背後に居たもう一人の傭兵をエマが大剣の腹で叩き伏せ、すぐさまその意識を奪って無力化した。


「――!、そ、こ……っ!」


紅の眼(リード)』から伝わってくる敵意に従って、手首に巻き付けた綱糸を振るう。その先に括った小刀が勢い良く空気を裂いて、今まさに魔法を構築しようとしていたのであろう男の足に纏わり付く。

 すぐさま糸を思い切り引っ張って男の足元を崩すと、腰にある大剣の鞘を引き剥がして投げつけた。


 鞘は加えられた力に従って宙を駆けると、見事男の額に直撃する。エマの元々の腕力が、末端とはいえ『禁術』で強化されればその威力は相当なもので、重々しい音と共に男は後ろにドサリと崩れ落ちた。


 もう、周囲に敵の気配はない。持ってきた縄でその身を縛り、『末端禁術』で暫くは目を覚まさないように細工しておく。これで、しばらくは身を隠して進めるだろう。


「ふぅ……エマ、居る?」


「……うん、近い。多分、もう一つ上の階の……一番奥あたり」


 ちょうど上階の前方くらいから、他の気配から感じるこちらへ向けられた警戒心とは別に、不安に近い警戒心が見て取れる。自分たちの本拠地で恐怖を抱くとも思えないし、まずこれがルーシーと見て間違いはないだろう。

 すん、とひとつ鼻を鳴らす。気流や匂いの動きがこの場内の構造をありありと伝えてくる為に、幸い道に迷うことはない。


 問題は、その目的地まで続く道を塞ぐ、大量の『オーディンの槍』構成員か。

 一人一人の戦闘能力はそう高くない、エマとナイア二人掛かりで行けばそれこそ完封出来るだろう。ただ、そうしようと思えばそれ相応の力を使ってしまう。

 ただでさえナイアを遥かに上回るという魔法使いが敵に居るのだ、なるべく戦力は温存しておきたい。


 で、あればどうするか。


「『色彩を覆う姿なき布よ、今こそ我らを世界から隠し通せ――《フェイクカラー》』……っと」


 ナイアが対象の姿を覆い隠す魔法を構築し、自身とエマの体を覆い隠す。エマ自身が魔術を使えず、認識出来なかったとしても、他者からその効果を受ける分には他と何も変わらない。エマも問題なく透明化する事が出来る。

 二人分の魔力を使う為に消費魔力こそ多少かさむが、ナイアはそもそれすら気にならない程の膨大な魔力を持っている。それに加えて、エマがその身の魔力をナイアが組み上げた術式により常時、ナイアへと譲渡しているのだ。


 クロ曰く、エマは尋常ではない程の大気魔力吸収力を持つそうで、この程度の消費であれば瞬時に補える程だ。ナイアですら『魔力が使えたら、それだけでもとんでもない特性だったのにねー』などと苦笑するレベルである。


 なるべく足音を殺して、代わり映えのしない大理石で組み上げられた廊下を歩く。


「……ね、ナイア」


「……?どうしたの?」


 最大限声を抑えて、ナイアにだけ聞こえる程度の音で彼女に話し掛ける。その声はしっかり届いていたようで、ナイアが不思議そうに振り返って首を傾げた。

 エマはそのナイアの肩に手を伸ばして、そこに小さく残る漆黒の痣を撫でる。未だほんの微小ではあるがパチパチと紅いスパークが残るソレは、間違いなくクロの半身を覆うそれと同種のものだろう。

 ナイアもエマの言わんとしている事を察したのか、「あー、これ?」と自身の肩に視線を落とした。


「んー、確かに嫌な感じするけど、支障が出るほどじゃないよ?クロに比べたら、こんなの全然平気」


 ペチペチと痣を叩いて言うナイアは至って平然で、無理をしているようにも見えない。ナイアがクロの侵蝕の一部を請け負ってから既に2時間が経過しており、更にはその内の半分を人一人を背に乗せた状態で飛行、後半は敵地に潜入して戦闘続きと、かなりのハードスケジュールだ。これを経て平然としている辺り流石の体力だが、ナイアも生物である以上いつまでもは続かない。なるべく早く決着を付けたいところではある。


 周囲を警戒しつつ音を立てないよう小走りに移動して、廊下から繋がっていた人気のない部屋に身を隠す。一旦の休息を挟んだ方が、これから先の戦闘も効率がいいのは明白だ。


 魔術的トラップの確認後、一時的にナイアに魔法を解いてもらい、音を立てないよう扉を閉める。一つ大きな溜息を吐いて部屋を見渡すと、どうやら書架……いや、机に置かれた筆や羊皮紙を見るに、執務室か。

 だとすれば、何か情報の一つや二つあるのかもしれない。敵地の書類など重要な手掛かりの宝庫なのだろうが、しかし差し当たって大きな問題が一つ。


「……読めない」


 まあ、これまで文字なんていうものからかけ離れた集落で生きてきたのだ。そんなエマが見ただけでいきなり読めるようになる筈もない。集落にあった本は大概が絵本か、代々ナタリスの長にのみ継がれる書物だけだ。後者は遥か先の代からの決まりで、族長以外が読む事を禁じられている。


 これまで書類面のことは全てクロに任せていたツケが回ってきたか、と小さく歯噛みする。今から帰って解読してもらうには時間が掛かり過ぎる上、またここまで戻ってくるのは不可能に近い。警備体制はさっきの比ではない筈だ。


 いくら文字列とにらめっこしても読めないものは読めないので、諦めて急速に徹しようと机に資料を戻す。と同時にナイアが横から顔を出し、その資料をそのまま拾い上げた。


「えーと……『神代兵装、グングニル解析報告』、だって」


「……ナイア、読めるの?」


「うん、魔法覚えた時に一緒に覚えた」


「!?」


 軽い口調でサラッととんでもない事を言ってのけるナイアに驚愕しつつ、続きに目を通すナイアの経過を待つ。さりげなく、ナイアが読み上げた内容はかなり重要そうな物……"オーディンの槍(グングニル)"の根元に関わりそうな内容だったのだから、それは慎重にもなる。

 ナイアは少しばかり眉を顰めながらも、辿々しい口調で書類の中身を読み上げる。





 ――人界最北端、港町ロータスの外れに存在する祠、ヴァルナハリアの最奥地から発掘された槍──伝承より、これを『グングニル』と呼称する──は、かつて『最低最悪の魔王』が残したとされる呪具だ。文献によれば、使用者に勝利を約束する雷電の槍……戦を司る権能を持つ、神王の刃だという。

 それは本来、かつて神代よりも遥か昔に存在したという神が保持していた、最高クラスの力を持つ大槍だ。一つ振るえば草原は荒れ、二つ振るえば海が割れる。それ故に、これを行使する者にはそれ相応の負荷が発生する。


 我々『オーディンの槍』の発足目的――"『二人目の最低最悪の魔王』の誕生"の為には、この神槍を扱えるのが最低条件となる事は間違いない。そうして今、その条件に該当する人物を確認した。


 彼女、『ヴァルキュリア・オリジン』は不死者である。永劫の時を生き、幾千幾万の戦場をその不死性により生き延びた歴戦の戦士だ。我らは彼女を組織に迎え入れ、新たなる『最低最悪の魔王』とするため、かつて『最低最悪の魔王』が用いた呪具の適合試験を執り行い――





「……ヴァルキュリア?」


 確か、クロから聞いた話の中に似たような名前があった気がする。確か、ヴァルキリー、だったか。軍神オーディンに仕える戦乙女、戦場にて果てた勇敢な戦士達を選び取り、神々の住まう宮殿、ヴァルハラに迎え入れる役目を持つ……だったか。

 それが名前だというなら確かにグングニルとやらに関係はあるのだろうが、気になるのはそこではない。いや、そこも重要ではあるのだが、とある一文がエマの目にこびり付いている。


 ──『ヴァルキュリア・オリジン』は不死者である。


 不死者、つまり死を持たない者。他の該当者で言えば『真祖龍』、魔法を極め、人外の域に達した魔術師(ウィザード)の最終到達点、極法使い(ハイエスト・メイガス)。真相は不明だが、不死者と推定されるのは『黒妃』、『最低最悪の魔王』だ。

 考えられるとすれば、『ヴァルキュリア・オリジン』が極法使い(ハイエスト・メイガス)である可能性だ。しかしその場合、まずエマとナイアでは勝利が怪しい。


 彼ら極法使いは、かつての共栄主世界戦争(ワールド・エゴ)において『最低最悪の魔王』に対抗できる数少ない戦力の一つだった程だ。その力はそれこそ人智を超越している。ロクに殺し合いも経験した事のないような素人が敵う相手ではないという事は確かだ。


 この『オーディンの槍』本拠地潜入の第一目標にして最優先事項は、ルーシーの奪還と安全の確保だ。構成員の捕縛と組織の無力化は重要事項ではあるが、最優先目標ではない。いざとなれば、ルーシーを救出してすぐさま戦線離脱という手もある。下手に戦わない方がいいのは分かりきった事だ。


 ルーシーの恐怖、不安といった思念は、しっかりとエマの『紅の目(リード)』に写り込んでいる。今すぐに救い出せない力不足に歯噛みしつつも、確実にルーシーの安全を得る為にも今は休息すべきだと自分に言い聞かせて、床に座り込もうとした──




 ──時に。


「――ッ!」


 バッと立ち上がってナイアの腕を引き、すぐに後ろへと下がらせる。同時に腰に刺した大剣を抜刀して、扉の方角へと構えた。「んみゃっ!?」と舌を噛んだらしいナイアの奇妙な悲鳴を聞き流して、目の前に在るその男に視線を注ぐ。


 見覚えのある顔だった。会ったのは……そう、クロと共にギルドを訪れていた時だ。あの時、赤髪の女騎士キルアナと共に居た老兵……ジライヤ、といったか。


 ただ棒立ちしているだけだというのに、一歩踏み込めば即座に首を落とされると錯覚するほどの威圧感。あらゆる面に隙がなく、さして敵意を向けられているという訳でもないのに凄まじい圧力だ。

 あの時あった時とは、明らかに周囲を取り巻く空気が違う。さては、実力を偽っていたのか。この男の強さが、今となっては全くといっても過言ではない程に読めない。


「……なんで、ここに」


 何とか冷静を取り繕おうと絞り出した声は、そんなか細いものでしかなかった。

 最大級の警戒をしつつ、抜き放った大剣に意識を集中させる。あの時の穏やかな雰囲気なとカケラも感じられない今、いくら警戒しても自信が安全だという確証が持てない。

 だからこそ、せめて自分が取りうる限りの注意を行う。どう動かれようが、ほんの少しでも対応できるように。


 そんなエマの様子を興味無さげに一瞥したジライヤは、自身の左胸に手を翳すと、片膝を付いて深々と頭を下げた。そして同時に、低く味のある声音で、その要件を発する。




「……お久しぶりです、エマ殿。早速で申し訳ありませんが、我が主人が貴女方の招待を望んでおられます──ご同行、願えますね?」





まずは言い訳からさせ((ry

はい、期末テストで再試験と課題を食らいまして、執筆時間がまるで取れませんでした……本っ当に申し訳ない……

さらに言えば部活の合宿がありまして、結構な間執筆作業に移る事が出来ませんでした。ただ、これからは割と時間が取れるようになってきたので、なるべく更新ペースを上げていこうと思います。夏課題をやりつつなので多少の遅れはあるかもしれませんが、気長に待って頂けると幸いです。すまない……更新ペースが遅くて本当にすまない……


あ、そう言えばHJネット小説大賞、一次選考通過しました。やったー!

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