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第50話『終幕への一本道』

テスト期間中のため、更新速度が著しく落ちています。すまない……遅筆で本当にすまない……

「――すぅ」


 息を大きく吸い込んで、紅い目を大きく見開く。だが街の中にいた時ほど大きな心による喧騒は見えず、それは街が『紅の瞳(リード)』の探知範囲外にまで離れた事を表している。

 既に地上から飛び立って数百メートルは上昇しただろうか。凄まじい風圧が全身に襲い掛かり、エマはそれを『末端禁術』により全身の姿勢を固定する事で耐え切る。ナイアの方はそもそも意に介してすらいないようで、力強い羽ばたきと共にぐんぐんと上昇していった。


 そして、ほんの少し。ほんの少しではあるが、上空に心の姿が映り込んだ。それは、雲に隠れた浮遊島の奥に、誰か意志を持った生命が存在する証。


 つまりは、『オーディンの槍』が浮遊島を根城にしている事は、まず間違いないという事だ。


「……居る」


『ほんと?よーし……それじゃ一気に上がるから、離しちゃダメだよっ!』


 脳裏に直接響くような声は真祖龍を思い出させるが、今回はナイアの魔法による念話だ。人一人を乗せられるほどの大きな竜の姿では中々発声が難しいそうで、念話を使うことにしたらしい。少しばかり落ち着かないが、気にする程ではない。

 ナイアの注意に従ってその銀鱗にしがみ付くと、上方から更に強力になった、叩き付けるような風圧が襲い掛かってくる。無数の雲が凄まじい勢いで下へと降りていき、やがて雲海が目下に広がった。


 同時に、空に浮かぶ無数の島々が視界に映り込む。


「……きれい」


 思わず、エマの口からそんな声が漏れた。

 生い茂る自然による緑が太陽の輝きを反射して輝き、海に浮かぶでもなく空に浮かんでいる島々。集落でしか暮らしていなかったエマにとっては初めての光景であり、そこに暮らす動物、育つ植物、そのどれもが新鮮であり、同時に美しく思えた。


 ましてや普通に生きていれば、こんな高いところにまで来る事なんて滅多にないだろう。『末端禁術』による跳躍で高くまで跳ぶ事はあるが、ここまで高くはない。精々がアガトラムの木々を一気に飛び越える程度のもの。

 こんな高度から空を見渡す事が出来るようになるとは、思いもしなかった。この光景を見ると、集落の子供達が夢見る『空を飛んでみたい』という願いも分かるかもしれない。


『クロにも、後で見せてあげなきゃね』


「……うん。絶対、連れてこよう」


 彼も存外子供っぽいところがある。この光景を見れば、きっと喜んでくれる事だろう。

 その為にも、私がルーシーを連れ戻す。大丈夫、ナイアだって手伝ってくれるのだ。彼が成し遂げた『真祖龍』殺しなんて偉業に比べれば、こんなもの簡単なミッションだろう。


 ――と。


『害意』が、エマの瞳に映り込む。


「――!ナイアっ!」


『雷神の剣よ。その権能を示し、今こそ我が敵を打ち払え――《ボルテクス・フィールド》っ!』


 ナイアがそう紡ぐと同時、周囲を雷電の檻が覆い隠していく。ナイアが起動したその魔法……《ボルテクス・フィールド》は、魔法に対して高い抵抗力を持った、『対攻撃魔法(アンチ・)特化防衛結界魔法(リーサルキャスト)』と分類される魔法だ。

反魔法(アンチ・キャスト)』とも呼ばれ、魔法の構成に侵入して魔力を打ち消す、という構造上、その構築難度、消費魔力、共に通常の『攻撃魔法(リーサル・キャスト)』の比ではない。


『真祖龍』を打ち倒した事により劇的に増幅したナイアの魔力からすれば、微々たるものではあるのだが。


 空から降り注ぐ無数の炎弾に紫電が走り、次々と虚空に爆散させていく。感知範囲内に入って来た魔法は一つ残らず撃墜され、その反動による衝撃にも怯まず、ナイアは再び羽ばたいた。


『――って、嘘っ!?』


「……ナイア……っ!?」


 ぐんっ!という薙ぐような風圧と共に、ナイアが急激に軌道を変更する。恐らくは魔法を回避しているのだろうが、魔法が見えないエマにはそれがいつ終わるのか、探知のしようがない。

 というか、魔法がここまで来ている?ナイアが防衛魔法を張っているのに?地上での結界の事といい、もしや相手には魔法を無力化、あるいは無視出来る力でもあるのだろうか。


『なんで……っ、結界が作動しない……!?だめ……なにこれ……っ!』


「……ナイア、近付ける?」


『……ごめんなさい、だめ。ある程度までならギリギリ行けるけど、それ以上は絶対避けきれない……!』


 距離はそう離れていない。目的の浮遊島までの距離はあと百数十メートル、といったところか。だがエマには見えていないだけで、その静かな虚空には数多の魔法が飛び交っている……らしい。見えないのでなんとも言えないが。

 だがエマに見えないということは、それが間違い無く魔法であるということ。そして、魔法が日常的に行使される外の世界に出るにあたって、エマが魔法に対する対抗策を用意していない訳がない。


 周囲の魔力を無尽蔵に吸収し暴発させる、特殊魔力反応鉱石『ライヴ』のカケラ。ライヴの元の大鉱石をナタリスに伝わる特殊な技術により切り取り、加工した手投げ爆弾のようなものだ。


 起爆地点の周辺に存在する魔力を根こそぎ吸収して、暴発させる。それは魔法も例外では無く、その燃料となる魔力を全て奪い尽くして魔法を消滅させる。


「――、ふ……っ!」


 ぶん、と、ライヴのカケラを腕を振りかぶって投げ上げる。ライヴはその黄金の水晶体を煌めかせたままある程度の高さにまで上がると、急にその面に巨大なヒビを入れる。

 急激な魔力の収縮。魔力を感知できないエマも、その強烈に吹き起こる暴風によって魔力の流動がありありと分かる。と、ナイアが高度を落としてその範囲外まで逃れれば、途端に収縮していた魔力がその流れを止めた。


 ――そして、暴発する。



 ォ、ォォォーーーーーーーーッ!



「……っ」


『わ、わっ!?』


 爆発の轟音と風圧によりナイアの龍体が吹き飛ばされ、エマも必死にその背にしがみつく。思いの外魔力総量が多過ぎた様で、想定の二倍近い威力にまで膨れ上がっていた。

 膨大な魔力が空気中に放散され、何もない筈だった空に魔力溜まり(スポット)が形成される。その二次現象として真っ白な霧が辺り一帯に広がり、二人の視界を覆い隠した。


 つまり、今この状況であれば、相手からもこちらの姿は捕捉出来ない。


「……ナイア!昇って!」


『うん……っ、あああぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!』


 気合いと共にナイアがその翼を大きく羽ばたかせ、ぐんぐんと上昇していく。霧によって先が見えないかと思いきや、突っ込んでみれば割と視界は明瞭だった。

 いやまあ、相変わらず霧は周囲を覆い尽くしていてまるで見えないのだが、エマたちの周囲だけな霧が晴れているのだ。まるで、霧に入った途端に周囲の霧のみが消えていくかのように。

 霧は上方にもかなりの規模で広がっていたらしく、中々霧の森を抜けられる様子はない。好都合だ、身は長く隠せるほどいい。このまま出来る限り上に昇って、浮遊島に限界まで近づく。


 敵意がかなり近付いてきた。霧も徐々にその密度を薄れさせていき、本当の意味でだんだんと視界が晴れていく。その岩壁が遂に映り込み、すぐさま飛び移ろうと、エマが体勢を低く落とした。


 と、同時に。再び悪意が疾る。


 半ば無意識に大剣に手を掛けて、横一線に薙ぎ払う。握り締めた柄から重い衝撃が両腕に伝わり、何か熱いものが頰を掠めた。エマがその姿を感知出来なかったということは、魔法――恐らくは、熱線タイプか。


『エマ!今の大丈夫っ!?』


「……大丈夫、逸らせた。それより、速く乗り込まないと、完全に的にされる……っ」


 再び走った直感に任せて、再び大剣を振るう。起動は違わない。瞬間的な風の動き、大気に渦巻く塵の焦げる匂い、例え魔法自体が感知出来なくとも、間接的にであればその存在は把握出来る。

 剣を腰だめに構えてから振り、実際に攻撃を打ち払うまでのコンマ数秒。それだけあれば、それらを全て把握して軌道を修正するのも可能ではある。『末端禁術』を用いて感覚を限界まで強化すれば、それも容易いことだ。


 身に余るその禁術(チカラ)の代償に、幾ばくかの躙り寄る不快感はあるが。


 とん、と跳躍して、硬化させた右腕を岩壁に叩き付ける。バガンッ!という破壊音と共に拳が岩にめり込み、巨大なヒビが全面に現れた。流れるようにブーツの爪先をひび割れに引っ掛けて、左手の大剣をしっかりと壁と垂直に突き刺す。

 刀身が半ばほどまでに壁の中へ消えたところで右腕を引っこ抜き、大剣の柄を軸にくるりと回転して、その刀身に着地する。


「ナイアっ!元の姿になって、こっち!」


『うえっ!?わ、わかった!』


 巨大な龍の姿から、いつもの小さな子竜の姿へとナイアが変身する。上空から降ってきた熱線をテレポートで回避しつつエマの腕に収まると、エマはその懐から再びライヴを取り出した。


『……エマ。それ、何するの……?』


「こう……するのっ!」


 ぶん、と再び放り投げる。但し、今度は魔法にではなく、遥か上方の岩壁に。


 ライヴは一定以上の衝撃が加われば、周囲の魔力を大気、物質、魔法に関係無く根こそぎ吸い尽くし、強烈な魔力暴発を引き起こす。勿論ながらこの魔力爆発は物理的な威力も持ち合わせており、全ての物質には必ず魔力が存在する。

 つまり、どうなるかと言えば。


『……ねぇ、これどうするの?エマ、これ何するの、ねぇ……っ?』


「……これが、一番効率いい」


 ――当然、魔力を根こそぎ吸い出されて脆くなった崖に爆発なんて加えれば、即座に崩壊する訳で。


 岩壁に入っていたひび割れが更に拡大して、ゴゴゴゴゴという地響きと共に、岩石の壁がズレる(・・・)。ゆっくりと、しかし崩落していく大質量のそれらは、空中で解けて散っていく。問題はそれが、二人の真上で起きているという事。


 そして、それらが全て二人の元に降り注いで来ているという事だ。


『わ、わぁぁぁーーーーーーっ!!?』


「……今度は、私に捕まって」


 エマが足場となっていた大剣から降りて、落下と同時に引き抜く。未だ崩壊に巻き込まれていない、何とか形を保っている壁の亀裂に足を引っ掛けて跳躍すると、落下してくる岩石の塊の内の一つに飛び乗った。

 ナイアが『まさか』と内心青ざめる。単純な基礎能力では確かにナイアはクロ、エマを含めた三人の中では最高クラスではあるが、三人の中では最も経験に欠ける。それに加えて、ナイアには一つだけトラウマというものが存在しているのだ。


 それは、『自分以外による、自分を連れた空中での高速移動』。言うまでもなく、ナタリスの集落でのクロに引き連れられた、音速を超えるほどの超超高速移動行動が原因だ。

 そして、思わずそれを思い出してしまうほどに、エマの取った手段はトラウマものだ――


 ――崖崩れで『密集して落下してくる岩』を足場に、上に登るなど。


 ぶぉんっ、という音と共に、すぐ近くを大岩が地上に落下していく。一応下は街から外れた平原だった筈だが、それでも(主に自分たちの被害的に)危なっかしい事この上ない。

 自分達に降りかかってくる細かい破片のみを剣で討ち払って、トントンと大岩の滝を遡っていく。だがそんな軽やかな動作とは裏腹に、その動作一つ一つは神業と呼べるものだ。

 そして同時に、それに巻き込まれるナイアとしては、その動作一つ一つがトラウマモノだ。


『え、えまーーっ!!?これっ、ほかっ、他のやり方、なかったのーーっ!!?』


「……大丈夫、すぐ、着く」


『確かに早いけどーーーーっ!!』


 それが怖いから、と文句を吐く暇もなく。エマはトントンと問答無用で岩雪崩を駆け上がっていく。一歩間違えれば足を踏み外して真っ逆さま……どころか、無数の岩に押し潰されてスクラップだ。この謎の胆力は一体どこから出てくるのか。


 自分が失敗するなど微塵も考えていないようで、平然とした様子で駆け上っていく。やがて崩落中の岩の最上部にまで辿り着くと、ポーチから一振りのナイフを取り出して、崖の上に生える大木を掠めるように投げつけた。

 くい、とエマが手元で何かを引っ張るような動作を見せると、ナイフの軌道が大幅に横にズレ、どうやらナイフに付けられていたらしかった鈍色の糸が巨木に巻きつく。エマはそれを確認すると一気に手元で同じ糸を引っ張り、一気に上まで跳ね上がった。


「……ん、到着」


『……う、ぎゅぅ……」


 エマの腕から解放されると同時に人化して、地表に広がる草原に身を投げる。太陽の光で陽気に暖められた草原が、今の心底から冷え切ったナイアの体に心地いい。無論、精神的な話だが。


 精神的に瀕死な状態からなんとか首だけ起こせば、見渡す限りの草原だ。所々には大木が散らばってはいるが、山もなければ島の端以外には谷もない。唯一視界に入る異質なモノといえば、島のど真ん中に存在する巨大な城。

 恐らくは、あれが『オーディンの槍』の根城なのだろう。改めて見れば、城と言うよりは、アイリーンの屋敷で読んだ本で見た、『教会』と言うらしい建造物の方が近いかもしれない。


 中央の盆地にぽつんと立つそれは静かなもので、通常の魔族と比べても五感が優れている部類であるエマやナイアの耳にも、聞こえてくるのは風が草木を撫でる音のみ。

 だが、エマの『紅の眼(リード)』にはしっかりと、その突き刺すような悪意が映り込んでいる。


 そして、微かに漂う不安の心も。


「……やっぱり、ルーシーもここにいる」


「……そっか。……じゃあ、頑張らなきゃね!」


「……うん。絶対、連れ戻す」


 キンッ、と音を放ちつつ、輝く一筋の光がこちらへと迫ってくる。即座に反応したナイアはそのレーザーを半分竜化した腕の鱗で逸らすと、すぐさま反撃の魔法を放つ。お返しの炎弾は教会の寸前にまで迫ると、直前で何かに阻まれるように消失した。


 どうやら、ナイアがしたように対魔力用の結界を張っているらしい。恐らくはその下に、対物理用の結界も張っている事だろう。ナイアの遥か上を行く魔術師ならば、それぐらいしているのは当然だ。

『クロが目を覚ます頃には、全てが終わっていますように』と、小さな願いを宿して、エマは前に進む。














 ネタバラシをしてしまうなら、後にちゃんと彼女の願いは叶ったと言えよう。


 ああ、だって――




 ――彼女の願い通り、クロが目を覚ました時には、『全てが終わっていた』のだから。

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