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第49話『黒妃』

『――それにしても、相当な出力ねぇ。侵蝕は大丈夫なのぉ?』


 そんな事をブルアドが問うて来たのは、『黒妃』を行動不能にしてから逃げ出し、魔力を殺し切って帰路を辿っていた最中だった。


『……正直言うと、今にも吐きそう。頭はハンマーで殴られたみたいに痛いし、視界もグラグラでさ』


『ちょっとちょっとぉ、よくそれであそこまで動けるわねぇ』


『禁術で無理やりドーピングしてるだけだよ。後になったら一気に来るから、その度ダウンだ』


『笑えないわぁ』


 ブルアドの言うとうりに、全く笑い話ではない。インフルエンザの異常な頭痛と気怠さ、ついでに五感の異常を更に数倍濃縮したかの様なこの感覚は、何度陥っても慣れるものではない。大げさな表現かもしれないが、今にも死にそうなほど辛いものがある。


 当然そのままの状態で戦闘など到底出来るはずもなく、これまた『禁術』によって感覚を強化しなければいけない。そしてそうすれば後に『禁術』の代償が自身に降り掛かり、再びそれを抑えるために禁術を――という負の連鎖。

 いくら必要なこととはいえ、麻薬でもやっている様な気分だ。一度頼ってしまえば抜け出せない上、無理矢理に辞めても侵蝕はどうにもならない。強制的に辞めさせる事も出来ないという点なら、麻薬よりもタチが悪いのではないだろうか。


 その内幻覚などが見えてきたらそれこそ末期だ、本格的に『禁術』への対策を練らなければならない。

 侵蝕による言い表しようのない喪失感と痛みは失われる事はなく、『禁術』を暫く使わなかったとしても御構い無しだ。その効果は延々と続き、1日や2日……いや、例え数年間休んだところで、欠片も軽減される事はないのだから。


 今は目的があるからこそ何とか我慢出来ているが、一生このままというのは流石に酷なものがある。


『それで、これからどうするのぉ?あの白いガールフレンドちゃんと合流するぅ?』


『がっ……!?……と、取り敢えずはエマ達と合流しようと思う。俺も手伝った方が効率は良いだろ』


 今頃は既に交戦中かもしれない、ならばなるべく早く援軍に行くべきだろうか。エマの剣とナイアの異能があれば大概は大丈夫だと思うが、それは心配する事とは話が別だ。

 それに、何故か先程から嫌な予感……というか、"本当にこのままでいいのか"という気がしてならない。その出所はまるで分からないのだが、どうにも落ち着かない。


 兎も角街に戻ろうと馬車のある所まで戻ろうとして、ふと思う。


『……そういや、なんでブラドは『禁術』を知ってんだ?』


『なんでって、そりゃあ――』







 ――『禁術』の元となる術式は、私達ヴァンパイア族の先祖が組み上げたモノだものぉ。こんな風に"外側から弄る"のだって、簡単よぉ?



 その言葉を最後に、クロの記憶は途切れた。










 ◇ ◇ ◇










「ふぅ……肝が冷えたよ。彼、いつもあんな感じ……って訳ではないよね、その反応を見る限り」


「……うん、明らかに変だった。……大丈夫、なのかな」


 ただでさえ侵蝕のスピードがエマの『末端禁術』よりも遥かに早い『源流禁術』を使っている上に、その中でも特に侵蝕を進めやすいという高速再生能力をクロは酷使し続けたという。

 今やクロの体は半身を『禁術』に犯され、意識を保っていられるのが不思議なくらいだ。それでも彼がなんでもない様に振る舞うので考えない様にしていたのだが、やはり限界が来ていたのだろうか。


 ナイアが居なければ、一体どうなって居た事だろう。あのまま、クロが帰ってくる事はなかったのだろうか。肉体をあの得体の知れない何か……いや、『最低最悪の魔王』に奪われたまま、彼は自分の前から消えてしまっていたのだろうか。


「――っ」


 考えただけでも恐ろしい。

 クロとナイア、そしてエマによるこの魔界から人界へ渡る旅は、果てしなく長い。とはいえ、いつか必ずその終わりは訪れるのだ。クロが人界に辿り着けば、約束した通りに、彼と別れる事になる。


 ――クロが、想い人と再開するまで。それが、エマがクロと接していられる、自らに課した期限だ。


 だが、一生の別れという訳ではない。互いに良き友人としてならば、再び会う事も、言葉を交える事も叶うだろう。だが、それ以上は望まない。望んではいけない。それ以上は、きっと彼の幸せを奪ってしまうから。


 けれど……いや、だからこそ、『最低最悪の魔王』にクロを奪われてしまう事だけは避けねばならない。その結末だけは、絶対に受け入れられない。そうなってしまえば、クロが幸せになる事も、エマ自身のささやかな幸福すらも消え失せてしまう。

 それは、それだけは、絶対に許容出来ることではない。


 これ以上、クロに『禁術』を使わせるわけにはいかないのだ。その為には、クロが『禁術』を使わなくても済むように、エマ自身が今よりももっと強くならなければならない。


 ……と、不意に。


「……ん?おう、誰かと思ったら嬢ちゃんじゃねぇか」


「……アルカナラ?」


 聞こえたのは、ナタリスの集落から自分達をここまで送ってくれた商人の声。アルカナラ・ゲシュタは、気楽そうな表情で軽くその右手を振った。

 確か彼にはワクタナ村で用事があったはずなのだが、一体どうしたというのだろう。この街にも何かしらの仕事で来ているのだろうが、つい先程まで戦闘が起こっていた上に、ここ一帯の道は衛兵達によって封鎖されている筈だ。

 戦闘が起こっている現場に一般人を近付けさせる訳もなく、なぜアルカナラがここに居るのかという疑問が浮かぶ。


「やあ。久しいねアル、呼び立ててすまない」


「おうヘル坊、なあに気にする事じゃねぇさ。金貰ってる以上は商売だ、せいぜい上手くやるさ」


 どうにも親しげな二人の様子を見て、ますますエマが首を傾げる。ヘルメスが呼んだという事なら、少なくとも今回の騒動に関してアルカナラが呼ばれたという事は確実だろう。だが何のために?確か、アルカナラは本人曰くただの商人であった筈だ。

 ……いや、そうか。アルカナラは先程"商売"と言った。ならば、彼を呼んだ理由はアルカナラ本人と言うよりは、商品の方。


 彼はその背に背負う大きなバックパックの中から何やら白銀の金属――というか、籠手、だろうか――を取り出すと、そのままそれをエマの方へと放り投げてくる。一応紅の眼(リード)で事前にそれを察知していた為に、余裕を持って受け止める。

 どうやら、この籠手を着けろ、という事らしい。


「こいつは今回のとは別件だが、ナタリスの集落付近で出土したアーティファクト、『イージス』だ。お嬢ちゃん達(ナタリス)の心透視能力を強化して、感知範囲を広げるとかなんとか……デウスからの預かりもんさ」


「……おじいちゃんから……?」


「おうよ、そんでもってこれが本命の……よっ、と」


 彼は再びバックパックの中にその太い腕を突っ込むと、その中から何やら金属板を引き抜く。どうにもその表面には複雑な魔法陣が描かれているようで、これまた何やら特殊なアーティファクトなのだろうか。


「名前が面倒臭くってな、『魔力駆動式対象指定魂魄探査コンパス』……だったか?まあ兎も角、魔力を使って自分の記憶をこいつに読み込ませたら、探してる相手の居場所を指し示すってシロモノだ」


 アルカナラがその金属板に手をかざすと、ぼんやりと魔法陣が光を帯びていく。やがて輝きは一点に収束すると、糸のようにエマの方へと伸びた。

 それがエマに視認出来るという事は、恐らくは魔力ではないのだろう。古代の技術で作られた何かしらの輝きはエマを指し示しており、それがアルカナラの言う『探した相手の居場所を指し示す』という効果なのだと理解した。


「で、魔力を扱えない以上お嬢ちゃんには起動が出来ない訳だが……難儀な事に、対象の事を直接知らなきゃ起動が出来なくってな。その連れてかれた子を知ってて、魔力を扱える奴は――」


 と、アルカナラが辺りを見回したところで、彼女は店から出てきたらしい。先程の条件も耳に入っていたようで、彼女は柔らかい笑みを浮かべて声を上げた。


「私がやるよ、おじちゃん」


「……ナイア」


 とてとて、とでも擬音が付きそうだなどと、クロが居れば言ったのだろうか。

 そんな調子でアルカナラの近くにまで寄ってきたナイアは、ちょんとそのアーティファクトに指先を触れさせる。同時に魔法陣は先程とは比べ物にならない程の光を生み出して、一息に収束させていく。

「おぉ……」と小さくアルカナラが声を漏らし、ヘルメスもまた興味深そうにその光景を見つめていた。


「ほう……凄まじいな。相当の魔力量だ、お嬢ちゃん、何者だい?」


「何者?……んーとね、なんて言うんだろ……クロの……ペット?」


「……ペット?」


 あ、まずいと、エマは直感的に悟る。

 完全に言い方が誤解を招く。いや、まあ何一つ間違ってはいないのだが、間違ってはいないのだが、現在のナイアは人化している。さらに言えばその容姿は相当に可憐なもので、追い討ちの様に幼い少女の姿だ。

 その状態で『自分はクロのペットだ』などと言ってしまえば、完全にクロが危ない人に見える。


「んー……っ、むっ!」


 と、突然にナイアが体に力を込めると、その背から一気に銀色の翼が広がった。

 スカートの中から同じく白銀の尾が伸びて、地面の砂利を払いつつその腹を下ろす。さらにその額からは一対の小ぶりな角が伸びた。ナイアが戦闘を行う際に好んで取る、半人半竜形態である。

 訝しむ様な視線を向けていたアルカナラは暫し考え込む様にナイアの銀翼を見ていると、何か思い出した様にポンと手を打った。


「……あぁ!お嬢ちゃん、あん時の白神竜(ヴァストス)の子か!」


「うん!久しぶり、おじちゃん」


 アルカナラは「『成長したドラゴンは人化の術を得る』なんて聞いたが、実物を見るとは思わなかったな……」などと呟いていたが、にこっと活発な笑みを浮かべて会釈したナイアは、そのまま気にした様子もなくコンパスに意識を集中させる。

 光の帯はその質量を増幅させて、輝く魔法陣から一息に解き放たれた。予想していた東西南北、しかしそのいずれでもなく、全く以って予想外にも程がある方向。


 ――即ち、上空へと。



 魔界には、時折"浮遊島"と称される、文字通り空に浮く島が存在する。

 原理は詳しく解明されている訳ではないが、魔界に渦巻く豊富な魔力を受けて天然の魔鉱石が特殊な発達を遂げた結果、山一つを持ち上げて空へと舞い上がるに至ったとかなんとか。


 納得した。『オーディンの槍』の本拠地がいくら探しても見つからない理由に。

 それは見つからない、見つかる訳がない。いくら街を探し回ったところで、いくら無数の国々を洗ったところで、そんな常識の範囲内を探したところである筈が無かったのだ。


 ――軌道は不規則、地上にすら無い。空を渡る無数の島々の内の一つを、本拠地としているとするならば。


「……最悪の想定が当たったね。拙いな、まだ飛行技術は魔界首都"トーキョー"にしか伝わってない。飛行船なんてここには無いよ」


「じゃあ奴らはどうやって……専用の転移アーティファクトでもあんのか?どっちにしろ上空にある以上、手の出しようがねぇぞ」


 ヘルメスが冷たく目を細めてそう零し、アルカナラは一つ舌打ちをして、どうにもならない現状に愚痴を垂れる。当然ながらいくらエマでも、例え『末端禁術』込みの全力跳躍をしたとして届かない。というか、落下で衝撃を殺し切れずに潰れるのがオチだ。


 クロの『源流禁術』なら或いは届くかもしれない。だが、それはダメだ。これ以上、クロは絶対に戦わせてはいけない。いや、正確には、『源流禁術』を使わせてはいけない。

 故に、クロの協力無しでルーシーを奪還する。だが、どうする?奪い返すだけならば可能かもしれないが、そもそも本拠地に辿り着けない。空を飛ぶなど、翼でもなければ――


「……あ」


「……?どうした、嬢ちゃん」


「……もしかしたら、登れるかもって」


「な……!?」


 いやまあ、冷静に考えればすぐに思い浮かぶ事だ。なぜすぐに浮かばなかったのだろうと、自分自身に疑問すら出てくるほどに。

 くるりと振り返って、不思議そうに首を傾げてこちらを見てくるナイアを見つめる。当然ながら、先程半竜化――いや、元が竜なので半人化か――をしたナイアの背には、大きな翼が広がっている。


 子竜の姿をしていた時よりも、遥かに大きい翼が。


「……ナイア。大きい竜になって、私たちを乗せて飛べる?」


 ナイアの変化の術は、本質的には"肉体の構造を組み替えて姿を変える"というものだ。その変化には人であるという事は関係なく、質量的な問題も関係はない。故に、原理上は巨大化も可能である筈だ、と。


 組み上げた推測の答えをナイアに問い、彼女の答えを待つ。ナイアはキョトンとした顔に再び笑顔を浮かべると、こくんと首を縦に振った。


 ――『一人ぐらいだったら、大丈夫だよ。』


 と。










 ◇ ◇ ◇  












 ――つめたい。


 ――つめたいなぁ。


 その声は音になる事すらなく、誰にも届かぬ思念となって消滅していく。全身を覆い尽くす冷たい氷のような寒気が、絶える事なく彼女の意識を串刺しにしていく。

 肉体はとっくの数千年前に動ける限界を超えて、既に足は削り切れた。故に"彼"がくれたぬくもりが代替の脚となって、大地を踏み越える肉体を維持する。


 一体何千、いや、何万年の時を過ごしたのだろう。魂の寿命は既に破却した、肉体の寿命は、肉体をそもそも作り変える事で克服した。


 全ては、ずっと"彼"と一緒に居たかったから。

 自身の全てを捨ててでも、自分の何もかもを捧げてでも、"彼"と共に在り続けると誓った。


 好き、大好き、愛してる。いいや、こんな言葉では絶対に足りないほどの愛を、この胸はあの日から抱き続けている。


『――大丈夫だ。ずっと、一緒に居よう』


『――絶対に、お前をこの世界から救い出してやる』


『――誓うよ。絶対に、幸せにするって』


 嬉しかった。何度嬉し涙を流しても、それでも尚足りなかった。

 夢でも見ているのだろうと疑って、しかし彼は『夢なんかじゃない』と言ってくれた。その暖かい腕で抱き締めてくれた。あの時の心安らぐ温もりは、今も脳裏に刻み込まれている。


 初めて、好きになった人だった。


 初めて、愛してくれた人だった。


 初めて、守ってくれた人だった。


 初めて、手を差し伸べてくれた人だった。


 こんなにも欠陥だらけの私に、『関係ない』と口付けてくれた"彼"。

 私には勿体無いというのに、それでも"日蝕"でも"真祖龍"でもなく、"黒妃(わたし)"を選んでくれた彼。他の誰でもない、私の為に、世界そのものと戦った彼。


 だが、『最低最悪の魔王(かれ)』は、消えてしまった。


 どこにも居ないのだ。世界中を巡ったというのに、彼の姿は残滓すら見当たらない。

 一体何処に言ってしまったのだろうか。また、何時ものように無茶をしているのだろうか。まったく、私にも少しは頼って欲しいと言ったのに。心配性だ。


 何も言ってくれないのなら、私は彼を信じていればいい。けれど、やっぱりちょっと怖いので、迎えに行くぐらいならきっと許してくれるだろう。


 ――ああ、さむいなぁ。


 ずっと視界が真っ黒だ。何も見えない。早く彼と迎えに行かないと、夜が明けてしまう。

 何も聞こえない、風を切る音すらこの耳に届かない。早く彼の声を聞かないと、寂しくて死んでしまうそうだ。

 何も感じない。指先どころか体の感覚すら消え失せている。ああ、早く、彼の体温を感じたい。


 彼の力の残滓を感じて、ようやく見つけたと思ったのに。彼の温もりを、感じる事が出来たのに。

 周囲に魔力が満ちている。それが壁となって感知がままならず、彼の行方が追えない。一体、どこに行ってしまったのだろう。


 ――さむい、つめたい、こわい。


 まだ、彼は戦っているのだろうか。私はまだ、彼の背に追い付けないのだろうか。それは、酷く恐ろしい。


 ――どこにいるの?あいたいよ、『  』。









 ……LAaaaaaaaaaaaaaaaーーーーッ!!!!




 狂った妃は、哭き続ける。

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