第43話『強さの証明』
お待たせしました!
「『真祖龍』を討伐した人族の英雄……噂にゃ聞いてたが、まさか彼がねぇ」
「……もう、そんなに広がってるの?」
「そりゃそうさ。というか、今頃魔界全土のギルドを通して全国に通達されてるだろうねぇ。それぐらい、『真祖龍』の復活は魔界にとって最大クラスの危機だったんだ。……私もあの『声』は聞いたけどねぇ、近くに居ないって分かってるのに震えが止まらなかったさ。それこそ、死を覚悟する程にね」
『声』、というのは恐らく、『真祖龍』がクロと戦い始めて直ぐに放った咆哮の事だろう。エマはその時、戦い続けるクロを下から見ている事しか出来なかった上、その咆哮を直接受けた時は恐怖のあまり立ち上がる事すら出来なかった。むしろ戦っているクロが何故動けたのか不思議なほどだ。
どうやらあの咆哮は文字通り魔界全土にまで広がっていたらしく、遠く離れたエイラですらこの通り聞いたという。
それ程に規格外な存在。それこそが『真祖龍』であり、『四黒』であり、『最低最悪の魔王の眷属』だ。それにはクロが誘導するという『黒妃』も例外ではなく、これもまた規格外の化け物だ。
『最低最悪の魔王』が作り上げた殺戮兵器、ただ人を殺すことにのみ特化した無限機構、『黒妃』を指す名は多々あれど、その最終的な評価は『四黒の中でも最もタチが悪い』という所に落ち着くだろう。
その評価の通り、対人戦に特化した戦闘スタイル。魔法攻撃は持ち前の感知力で全て躱す、または撃ち落とし、近接戦を挑めば、その高過ぎる剣の技量によりあらゆる相手を圧倒する。更には正体不明の術式――恐らくはクロと同じ、源流の『禁術』によるものだろう――による、災害級の身体能力の補助もあって、正しく手がつけられない。
だが、『黒妃』のタチが悪いとされる最もの理由は別にある。
文献曰く、名を『魂変術式』。
『黒妃』がその全身に纏う常発魔法。知性体の体を傷付ければ、その肉体の損傷範囲に比例して対象の魂――正確には、魂を構成するとされるエーテル体に損傷を負わせる悪夢の術。
肉体の傷は治せたとしても、現代の魔法技術ではエーテル体の修復が出来ないため、傷を受ければ文字通りに『寿命を削る』ことになる。これで致命傷を負おうものなら、例え肉体の治癒が辛うじて間に合ったとして回復したとしても、魂の方が多大な損傷を受けるため、肉体としての命とは別に魂としての命が潰えてしまう。
こうなればもう、如何なる術式を以ってしても再生は不可能だ。唯一可能性があるとすれば、その術式の土台となったであろう『最低最悪の魔王』が用いた謎の術式のみ。
だがそれは、現在ナタリスの集落にしか伝わっておらず、ナタリスはその秘奥を公に明かすつもりはない。これはエマも良く知る事であり、以降ナタリス以外の存在が禁術を会得したのはクロが最初で最後だ。
――なんで、クロなら良かったんだろう。
デウスの判断にふとそんな疑問を浮かべたが、今考えても仕方のない事だと思考を振り切る。今は少しでもクロの生還率を上げる為に、情報を絞り出すのが先決だ。
と、そう改めて思考の海に浸ろうとした所で、エイラが「そういや」と話を振り出す。エマが疑問を浮かべて首をかしげると、エイラは「ちょいと気になったんだが」と話を始めた。
「エマ。あんたその『真祖龍』に捕まる前、体が勝手に動いたって言ってたね」
「……うん。『禁術』が勝手に発動してて、体の自由が利かなかった」
既にエイラには、ナタリスの集落で起きた事と自身の境遇については告げてある。彼女の命を預かる以上、出来るだけ真実は明かすべきだというクロの判断に、エマも同意した結果だ。
エマの肯定にエイラは一つ頷くと、思考を纏める為か一口カップのココアを啜る。そうして口元に手を当てて考え込んでいると、再度エマへと問いを投げた。
「結局、それは『真祖龍』の仕業だったのかい?」
「……多分。私が真祖龍と初めて話した時に、『待ってたよ』とか、『ちゃんと来たね』とか、言ってたから」
「ふむ……考え過ぎかねぇ」
意味深にそう呟くエイラの態度が気になったが、どうやら本人も上手く頭の中で纏まっていないようで、ナタリスの力によって読み取れた感情は疑念だけだ。
と、突然に部屋の扉が開き、カイル、ルーシーと遊んでいた筈のナイアが入ってくる。勿論ながら、人化魔法は使用済みだ。
「エマー、誰か来てるよー」
「……誰か?……衛兵さん?」
「"えーしちょー"?って言ってた!」
「……衛士長さん……?なんで……」
衛士長と言えば、衛兵達を纏める立場にある上司――今回の警護に於いては、いわば司令官に当たる人物だ。エマやナイアはギルドからの伝手を使ってこの警護に参加している為、そういえば顔合わせはしていなかった。
今回警戒すべき『オーディンの槍』は、攻性魔道具の開発、神話の遺産発掘の他にも、私設傭兵団としての一面も有する組織だ。その頭目は判明しておらず、その構成員の主な経歴は貴族崩れ、退役した軍人、社会不適合者など様々だ。
行く場所の無い彼らだからこそ、その結束は強固であり、その目的の為に手段を選ばない。自分達の利益を追い求める為に全力を尽くす彼らには、微塵の隙もないのだ。
だからこそ、彼らを捕らえるためには現場を直接抑えるしかない。最悪、警護されている事に気が付いて手を引いた可能性も無くはないが、念には念をだ。今回の件は、衛士長も動くほどの案件なのだから。
無論、エマも出来る限り協力する。勿論エイラ達を守る事が最優先ではあるが、彼ら『オーディンの槍』を捕らえる事は今後旅を続ける上で、禍根を断つ為にも可能な限り尽力すべきだ。
流石に、衛士長となるとエマも緊張するが。
「……わかった。何処に居るの?」
「お店のほう!」
一応剣を腰に刺してからエイラに視線を向けて、「いっておいで」という彼女の言葉を聞き届けてから、ナイアに手を引かれるまま店の方に出る。エイラには一応カイル、ルーシーと共に部屋の奥で待機してもらい、カウンターを出て視線を回し――
――その、小さな人影に気が付いた。
「エマさんに、ナイアさんで良かったかな?」
「……え、あ……はい」
言い表すならば、少年という呼び方が相応しいだろう。
短めに切られたナイアより少し暗めの金髪、銀縁の眼鏡の下には蒼色の瞳。銀色の軽鎧を纏ったその腰には、無骨な直剣が鞘に収まって吊られている。ただその振る舞いはどうにも戦闘に慣れた人間といった雰囲気ではない。
だがその軽鎧に刻まれている紋章は、確かにこの街の衛兵達が決まって刻んでいるものだ。
であれば、この少年が――
「……衛士長、さん?」
「うん。僕が一応、この街の衛士長を請け負ってる、ヘルメス・アンディート。今回の作戦ではよろしく頼むよ」
そうして手を差し出してくるヘルメスに、戸惑いつつも握手を返す。いや、別に幼い者が(とは言っても80年は確実に生きているだろうが)高い役職に就くのはそう珍しい事でもない。貴族の子が親の伝手を辿って高い地位を得るというのはアイリーン曰く良くある話だそうだし、エマ自身それも納得しているところだ。能力があれば年齢など関係ない。
だがしかし、衛士長となれば話は別だ。
完全な腕っ節の世界、体の大きさはそのままアドバンテージとなり、重ねた年は剣の腕に直結する。荒事を専門とする役職なのだ。それを治めるとなれば、それこそ数百年を剣に捧げ、あらゆる経験をしてきたベテランが望ましい。
目の前の少年――ヘルメスは、どう見てもそんな経験をしてきたようには見えないのだ。剣に全霊を賭けた武人特有のオーラも無ければ、体も小さい。
エマも人の事を言えた義理ではないが、ヘルメスは明らかに、身の丈が150ほどしか無いエマよりも一回り以上は小さいだろう。
衛士長というのは、部下からの信頼、他者を威圧する威厳も必要だ。人は見かけによらないとは言うが、ヘルメスの外見では些か不適切に見える。
と、どうやら少しばかり顔に出ていたようで、ヘルメスが小さく苦笑した。
「……あ、ごめんなさい」
「いや、良いんだよ。実際威厳も何も無いからね……正直、僕もなんでこんな立場に収まってるのかは疑問なんだ」
頭を掻きつつ苦笑いを浮かべてそう呟くヘルメスに、エマが「それでいいのか」と内心頰を引きつらせる。どうやら彼がこの役職に収まっているのには、何か事情があるらしい。
アイリーン曰く『その成果は確かなもの』らしいので深くは追求しないが、一抹の不安は残る。
「……『オーディンの槍』は、やっぱり、これまでにも……?」
「うん、何度も何度も各地で被害を出している。この街に限った話じゃあ無いけど、彼らは特に『最低最悪の魔王』の遺産に拘っている節があるようだ……どこからそんな情報を掴むのかは、甚だ疑問だけどね」
「……『最低最悪の、魔王』
エマも幼い時、何度も何度も両親に読み聞かされた神話大戦。
『黒妃』、『真祖龍』、『日蝕』の眷属達を引き連れた『最低最悪の魔王』は、地上全てに存在する生命を悉く打ち砕き、東の『精霊界』、西の『獣界』、南の『人界』、北の『魔界』、その中心に存在した中央大陸――『天界』。そこへ繋がるとされる、通称天国への門の扉をこじ開け、この世界を創造したとされる、創造神アルルマの命を狙ったという。
結局、アルルマが使わした三英雄――『勇気の担い手』、『光の大賢者』、『断罪王』によって『最低最悪の魔王』は倒されたというが、相手が強ければ強い程有利になるなどというインチキ級の力を持つ『勇気の担い手』さえ居なければ、到底『最低最悪の魔王』は倒せなかったらしい。
まさに災厄だ。その存在そのものが、全世界を蝕む化け物。
その恐ろしさは魔族であれば――いや、人族であってもよく知っている筈だ。だからこそ、その遺産を発掘するなどという『オーディンの槍』の所業はまさに狂気の沙汰だ。
神を殺し、この世界そのものを破壊せんとした悪魔。その悪魔が使っていた宝具など、とっくの昔に四種族絶対遵守法によって即封印を施すよう規定されている。それでも尚集めるというならば――その力が必要だと言うのならば、『オーディンの槍』は一体何を目的としているのか。
「ヘルメス殿、報告が」
――と、彼の部下らしき衛兵が店に入ってくる。彼はヘルメスの背後に跪くと、厳かな声でそう言った。
「ああゲルド、どうした?」
「不審な動きを見せる集団を発見しました、指揮を」
目を細める。ゲルドと呼ばれた衛兵はそう言ってヘルメスを促し、流れるように外で武装を隠した衛兵達に合流しようとする。なるほど、確かにその動きは洗練されているようだ。
ヘルメスは掛けていた眼鏡を外して懐に仕舞い込むと、その腰から直剣を引き抜いた。エマもまたその腰に下げた大剣を引き抜き、肩へと担ぎ上げる。ナイアには奥へ戻り、エイラ達を守っているように言い付けて――
――同時に、ゲルドの手を蹴り飛ばす。
「――っ!?」
ゲルドが狼狽えたように声を漏らして、同時にすぐさま飛び退る。だがその先にいつの間にか動いていたヘルメスが進路を阻み、ゲルドの体を地面へと引きずり下ろした。
抵抗しようとするゲルドの首筋に剣の柄を叩き込み、即座にその意識を奪う。一つ息を吐いたヘルメスが起き上がって、「お見事」とエマに賞賛を向けた。
「……もう、来た」
「その様だ。"魔道具による変装"とは、随分と楽しい事をしてくれる――そして本物は今頃天国へ、と」
意識を失ったゲルドの姿が徐々に歪み、やがて全く別の姿をした男が内から現れる。
魔道具を用いた、魔法による痕跡を残さない変装術式。それは本来高い精密性を誇り、真っ正面からではまず看破は不可能であると言われている術式だ。目視だけで看破するのはまず不可能であり、魔力による察知もかなり難易度が高い。
しかしながら、勿論術者の心情を覆い隠す術式など織り込まれていない。であれば、その胸に害意を抱いている限り、ナタリスであるエマの読心能力を欺けるはずもない。
というか、疑問なのはヘルメスだ。当然のようにエマの動きに合わせたのもそうだが、ゲルドに変化した男の正体を初めから看破していたらしい。彼から読み取れた心は、この偽物に敵意しか向けていなかった。
当然彼は、ナタリスでも無ければ魔法も使用していない。いや、後者ならばナタリスであるエマに感知のしようがないのだが、少なくとも魔法を使用する時間は無かった筈だ。
「……?ああ、部下との間にはとある合図を決めているんだ。奴ら、こういう事を平然とやってくるからね」
エマの視線に含まれる疑問を察したのか、ヘルメスが苦笑してそう話す。「この分じゃ何人かは殺られてるなぁ」などと物騒な事を涼しげな顔でこぼすあたり、外見相応の精神ではない事は直ぐに理解できた。多少の不信感も拭われる。
で、あれば。
「さて……じゃあ、少々お付き合い願えるかな、ミス・エマ?」
「……エマで、いい」
「であれば、僕の事もヘルメスと」
「わかった、ヘルメス」
剣を構えて、店を出る。
先程、あのゲルドの姿を真似た偽物はヘルメスを外へと誘導しようとしていた。であれば、外に待ち受けるのは予想が出来る。矢、魔法、魔道具による遠隔攻撃、その過程こそ様々だが、最終的な結末は変わらないだろう。誘き出した相手の頭脳を、遠距離から回避の余地なく的確に潰す。下手に人員を使う必要もなく、成功率も高い、実に合理的な判断だ。
だが、先陣を切って出たエマには――いや、ナタリスには、悪意がある限り、ありとあらゆる不意打ちは通用しない。
――ジッ
「……!」
雷撃。
微かな電撃のきらめきと共に、鉛で作られた小指ほどの大きさの弾丸が飛来する。その速度は亜音速に達し、その鉄身を赤熱させて宙を駆け、エマの真っ白な肌を容赦無く抉り抜く――
――ことはなく。
「……は、ぁ……っ!」
一閃。
エマが、その細腕から放たれるとは到底思えない速度の一振りを放つ。銀色の剣閃は流れるように弾丸へと直撃し、その鉛玉を真っ二つに切り分けた。
同時に、背後からヘルメスがその小さな身を空へと投げる。何処から取り出したのか、無数の短剣を弾丸の出場所に投擲する。小さな悲鳴が微かにエマの耳に届き、彼が的を外さなかった事を確認した。
「第一部隊、敵襲だ。構えろ」
「……ッ!了解、防衛陣形展開!!狙撃手が居るぞ!」
ヘルメスの指示と共に、店の外で待機していた彼の部下が各々の獲物を構える。最初に比べて人数が減って居るのを見るに、残りは皆裏で仕留められたか。エマが少し顔を歪めて、しかし今はそれどころではないと意識を切り替える。
――初めて一緒に戦う連中と、連携なんぞ考えるだけ無駄だ。幸い、エマは『アクロバット』のスキル持ってたし、遊撃が一番合ってる。相手の連携を引っ掻き回して、混乱させるのが一番良い……と思う。
それは、エマがこの警護に当たる直前にクロから言われた助言。彼は"あくまでも参考までに"とは言っていたが、エマも実際その通りだと思っている。下手にぎこちない連携の隙を突かれるよりは、自身は好きに動き回った方が有意義だ。
一つ深呼吸をする。慌てるな、こんなもの、あの時の理不尽さに比べればなんて事はない。
――私を守ってくれた彼を、今度は私が守ると決めた。だから、守れるだけの強さを、守られるだけではないという事を、証明しなくてはならない。
「……上々!」
あの時彼がそうしたように、エマもまた、その小さな拳を打ち合わせた。
2章もようやく折り返し地点に……




