第42話『一途』
「そりゃ勿論ありがたいが……いいのかい?」
「……うん、私が決めたことだから」
エイラが申し訳なさそうにそう言い、しかしエマが笑って自身の意思を告げる。晴れ晴れとしたエマの顔にエイラが困ったように苦笑して、ポリポリと頭を掻いた。
クロやアイリーンと一度別れててから時間は流れて、現在エマとナイアは再びエイラ達家族のもとを訪れている。既に店の外には自然を装って武装を隠した衛兵達が駐在しており、常に視線を張り巡らせていることだろう。
ちなみにエマと共に来たナイアは、子供達と一緒に別の部屋で遊んでいる。"危なくないよう、子供達を守るように"と伝えているので、きっとやりすぎる事はないだろう。ナイアは賢い子だ。
エイラは困ったように笑うも、「ありがとよ、エマ」ときちんと礼をいい、照れ臭そうに頰を掻く。エマもこくんと一つ頷いてから、その手のひらのカップに注がれたココアを一口啜った。
『オーディンの槍』の事は、既にエイラにも伝えられている。エマがこの店を訪れた時には既に衛兵達がエイラに状況を説明している最中であり、暫くは店から出ないようにと勧告が出されたらしい。この家の現状を考えれば当然の措置とも言えるが。
当然、今の現状で客など相手にしていられる訳もない。店は当たり前ではあるが、クローズドだ。
「……それにしても、客も来なけりゃ外にも出れないって状況は、どうにも暇だねぇ。贅沢言えた状況じゃないのは分かっちゃいるが……エマ。話、付き合ってくれるかい?」
そんな現状に参ってしまったのか、エイラがつまらなさそうにエマに尋ねる。その言葉を聞いてピクリと反応したエマが一つ首を傾げて、彼女の真意を測る。
「……話?」
「なに、この前一緒に来てた彼の話でも聞こうと思ってねぇ」
「彼……クロ?」
浮かぶのは、その半身を『禁術』に侵された黒衣の少年だ。エイラがこくりと一つ頷いて、「黒髪黒目ってだけでも物珍しいってのに、加えてあの痣さね。何者だい彼?」などと尋ねてくる。
その問いに対する答えは、実の所エマもよく分からない。"一体クロが何者なのか"など、クロが魔界にたどり着く以前の事を"ほとんど"知らないエマには分かるはずのない事だ。
『イガラシ・クロ』という人族の少年は、様々な意味で特殊な存在だ。勿論ながら彼の持つ力である『収納』もその特異性の一つではあるが、その本質として彼そのものの価値観が大きい。
価値観というよりは、彼の精神性、といえば良いのか。
言っては何だが、集落を出て最初の村であのキルアナという名の騎士に言われた通り、彼はその考えが読めない。それはエマ自身、ナタリスの集落に居た時から何度か感じたことである。
彼の行動はどうにも自然とは言い難く、まるで彼自身の思考と行動パターンが別々に存在するかのようだ。
何処か、その行動が現実離れしている。性格自体はそう違和感があるものでも無いが、まるで物語の中に出てくる人物のような手段や行動を取る。他の者が人間的な羞恥や常識によって躊躇うような行動でも、必要であれば何のためらいも無く実践する。
彼の行動は、全て明らかに常識的範囲を超えているのだ。
だが、その理由もエマは知っている。かつて一度だけ、彼という存在の『本質』に触れたエマは、彼の本当の成り立ちを知った。その異様な『世界』が何処にあるのかなどエマが知る由も無いが、ただ一つ分かる事は――
「……クロは、一生懸命なひとなの」
◇ ◇ ◇
「人界の話?」
「……うん。外がどうなってるのか、知りたい」
いつ話だっただろうか。クロがナタリスの集落にやって来てから、確か覚えている限りでは一ヶ月前後だったと思う。
エマがようやくイガラシ・クロという存在を日常の中に当てはめる事で、晴れてクロはナタリスという種族の完全な一部として認められる事となった。
ナタリスでは非常に稀な事ではあるのだが、エマという少女は他人よりも少しばかり、他人というものに対して警戒心が強い。
まあそれでも一般的な種族と比較すれはフレンドリーの部類に入るのだが、流石に身元も不明、種族も違う、加えて異性であるこのイガラシ・クロという少年を、そう簡単に心から受け入れる事は出来なかった。
一ヶ月という時間を掛けてようやく彼という新たな日常に慣れ始めたところで、エマは漸く彼に外の世界の事を聞こうという気になったのだ。
「人界の話……か。かなり難しいな……」
「……?クロ、人界から来たんだよ……ね?」
もしや聞き間違えていただろうか。いや、しかしこの目の前に居る彼は何処からどう見ても人族であり、間違いの余地はない。もしや難しく考えさせてしまったのだろうかと、ただ"どんな所だ"とか、"他の人族はどんな人なのか"だとか、聞きたいのはその程度の事だと、クロにそう補足する。
だがクロはそうと分かってはいたようであり、尚更よく分からない。
「……まあ、多少なら分かるか。大体は中世ヨーロッパみたいな感じだったし……」
「……チューセー、ヨーロッパ?」
「あ、そこは忘れといてくれ。特に関係ないから」
そう取り繕って小さく手を振り、「そうだな」と考え込むクロ。彼はしばし黙考していると、何か思いついたようで一つ指を立てる。
「まず外ってのは広いからな。ここみたいに『みんな家族』って訳じゃない……ってのは神話とかでもそうだし、知ってるか」
「……うん。『最低最悪の魔王』が姿を表すまで、それぞれの種族では国同士が争ってた、って」
「意外とブラックな状況になってんな神話……いや神話なんて大概そんなもんか……主神は反省しろ」
一体クロは何を言っているのだろうか。大概も何も、神話なんて呼べるものはアルタナ神話――共栄主世界戦争の一部始終と、《最低最悪の魔王》とその眷属による神殺しの失敗という一連の話だけだ。
いや、もしかするとクロの居た外の世界では、更に多くの神話があるのだろうか。それはそれで興味深い。
"旧暦"――神代歴の実話、略して神話だ。《最低最悪の魔王》クラスの存在が他の神話にも存在するのなら、外の世界はどれ程恐ろしい所なのか。
いや、だがクロのように生まれて数十年間Lv.1のまま……つまりは一度たりとも戦ってきていない存在が居るという事は、それほど危険というわけでもないのだろうか。今度、村に行商に来るアルカナラさんにも聞いてみよう。
「家族ってのは自分の血が繋がった両親とか兄弟とかだけで、後は基本的には見ず知らずの他人だ。近所付き合いもあるにはあるだろうけど、家族と言える程じゃないな。ナタリスからすりゃ、ちょっと冷たいか?」
「……うん。ちょっとだけ」
「だろうなぁ、俺も基本的にはナタリスみたいなスタイルの方が好きなんだが……そうするには、外には人が多すぎるか」
ため息を吐いてそう呟くクロの声音は、その態度とは裏腹に妙に淡白だ。ぼんやりとクロから伝わって来る心象も何処か奇妙で、靄が掛かったようではあるものの、諦めの様な感情が読み取れる。
もしや子供の頃に何かあったのだろうかと一瞬脳裏に浮かぶが、しかしその思考は再び口を開いたクロに遮られた。
「まあその代わりに、エマと他の同じくらいの歳の子でいう『家族』の代わりに、外には『友達』、または『親友』って概念がある。他人でも、心を許せる相手、信頼に足る相手と、『友達』として日々を一緒に過ごすんだ。その中でも、飛び抜けて『こいつだけなら何があっても信頼し続けていられる』ってヤツを、『親友』ってな。……残念ながら、俺はその相手がかなり少ないんだが」
「……友達と、親友」
血の繋がった家族でなくとも、心から信頼出来る相手。
それが外の世界でいう、コミュニティの成り立ちなのだろうか。信頼出来る相手、信用出来る相手、それら全てが『友達』という事になるというのならば、最後の一言が少し解せない。
彼の普段の様子を見ている限り、勘違いも何もない。彼はナタリスであるここのみんなを、完全に信頼している相手、信頼出来る相手が『友達』だと言うのなら――
「……私たち、みんなクロの友達……それでも少ない?」
「――。」
クロが呆気に取られたように目を見開き、エマが何を驚く事があるのかと首を傾げる。ナタリス約200人の面々は、皆文句なしにクロを信頼しているし、信用している。家族を信じるのは当然の事だ。であれば、彼の言う『友達』の概念には、ナタリス全てが当てはまる。200人でも少ないとなれば、その『友達』というコミュニティはどれ程に広いものなのか。
クロはずっと固まっていたが、暫くすると漸く正気に戻ったのか、視線を下に落とす。なにやらブツブツと呟いていたが、やがて吹っ切れたように笑うと、「そういう見方もアリか」などとよく分からない事を呟いていた。
「俺、人界に大事な友達を残してきてんだ。だから、早くあっちに帰らなきゃならない」
「……うん。私も、手伝うよ。"言わなきゃいけない事"っていうの、あるんでしょ?」
それは、彼がこの集落で暮らし始めて数日と経たぬうちに聞いた事だ。"人界に残してきた、好きな人が居る。その人にどうしても伝えたい事があるから、俺は早く帰らなきゃならない"。それは紛れもない決意であり、エマもその決意に幼心ながら感心していた。
たった一人で見ず知らずの場所に漂流する。周囲には得体の知れない他種属の私たちしか居らず、きっと心細かったであろうこの状況で、自分がしたい事、しなければならない事をしっかりと把握して目指す。
それはきっと、簡単では無かったはずだ。
いかなる理由であれ、目標を掲げるのはいい事だ。その目標がが道を切り開いて、未来へと繋がることだってきっとあるだろう。実際彼は、この集落を出てもやっていけるように多くの鍛錬と狩りを重ね、着々とレベルを上げている。あの『収納』という特殊な力がそれを助けているのも事実だが、その努力は紛れもなく彼の功績だ。
一体、外の世界がどれ程恐ろしい所なのかはエマには分からない。けれど、きっと彼ならやっていけるだろうと確信している。
先日、クロはデウスとの長きに渡る交渉の結果、村の秘伝である『禁術』……その源流たる刻印をその右手に刻んだ。それはエマ達ナタリスが体に刻んでいる、末端禁術とは訳が違う。
その出力は、"元となる身体能力の10乗"。エマ達が使う末端が身体能力を3倍程度にするのとは文字通り桁が違う。
いくらクロのレベルが現状100未満とはいえ、既に人知を超えた力を発揮出来る事だろう。だが、その分その身に受ける『侵食』もまた莫大では済まない。
刻印が刻まれた時点で、自意識を喪失してもおかしくない程の精神汚染をその身に受ける。その説明はデウスから散々言われていたのに、クロはそれを承知で『禁術』を手に入れ、そして『侵食』に押し勝った。
すぐにライヴによる浄化を受けはしたが、如何なる精神構造を持ち合わせていれば『源流』の侵食に打ち勝てるというのか。
だが、それは彼の精神力の強さの証明でもある。余程、その相手の事を好いているのだろうか。
「うへぇ、もう外暗ぇな。早めに帰った方がいいぞ、エマ」
「……うん、分かった。……それじゃあ、また明日ね。クロ」
クロの言葉に従って、外まで付いてきてくれた彼に手を振って帰路につく。きっと、これから何度も彼に外の話を聞きに行く事になるだろう。もっと外の事は知りたいし、彼自身の話も興味がある。
そう、興味がある。強い意志を持つ彼が、一体どのようにこれまで生きてきたのか、興味があった。
これまでの生活とは違う、新たな刺激。そんな未来に胸を高鳴らせて、しかし同時に奇妙な感覚が残った。
「……クロの、好きな人」
何故だろう。ちょっとだけ、気分が妙に落ち込んでいるのは。
嵐の前のなんとやら




