第39話『再認識』
「……っ」
ただ、戦慄するしかなかった。
クロとて、心の何処かではこうなる可能性があるのかもしれないとは思っていた。だが、同じ心を持つ生命ならばまさかそんな事はしないだろうと、そう思い込みたかった。そんなこと、正気の沙汰では無かったから。
あくまでもフィクションの世界の話だと、いくらこんな馬鹿げた世界でも、そんなことをする奴が居る訳がないと、思っていた。
しかし、現に。
目の前の男は、毒を飲んで絶命したのだ。
「……ど、毒を飲んだのか……っ!?くそっ、歯に仕込んでいたか……!意識を失っている内に確認すべきだった……!」
男の前に座っていた衛兵がそう毒づき、なにやら他の衛兵達に指示を出す。その指示に従って慌ただしく彼らは動き始めた。そんな横でクロはただ呆然と立ち尽くし、動く事も出来ずにいる。
先程エマと共に捕らえたこの男を詰所に運んできてみれば、どうやらこの男、裏の世界で暗躍するかなり大きなグループの一員だったらしい。衛兵達は男の首に刻まれたタトゥーを見るなり、『お手柄だ!』『これで尻尾を掴めるかもしれない……!』などと言っていた。その様子を見る限り、相当厄介な相手なのだろうと思った覚えがある。
しかし、目が覚めたと同時にこの結果だ。男は自害し、なに一つ情報を引き出す事も出来ずに、貴重な機会を棒に振ったと、衛兵が愚痴を垂れる。
だがそんな事よりも、クロの心を蝕んだのは別の事だ。
――人が、死んだ……?
いとも簡単に死んだ。止める暇もなく死んだ。
何の躊躇いもなく、自らが捕まったと気付いた途端に、口内に仕込んでいた毒袋を噛み砕いた。即効性の魔法毒は一瞬で男の全身にその効果を及ぼし、瞬時にその命を奪い去っていた。
死にそうな目になら、クロとて何度も逢った事がある。自らの失言から藤堂に魔法を撃たれた時、魔森狼の群れに囲まれた時、荒れ狂う川に身を投げた時、封龍剣山であの黒い影と接触した時、真祖龍と戦った時。
しかし、クロはその危機を誰かの手を借りる事で何とか超えてきた。姫路やエマ、ナイアもそうだ。彼女らにクロは何度も何度も助けられてきた。だが、しかし。
『死』そのものに直面した事は、これまで一度たりとも無かった。
「……っ、ぐ」
「……クロ君と言ったね!?ウパム家に食客として招かれているのなら、君は一先ずウパム家の屋敷に戻るんだ!後日改めて連絡する、今見た事は他言無用だ!いいね?」
「……は、はい!」
停止した思考を無理やり回転させて、今自分がすべき事を考える。とは言っても自分はまだ子供だし、場に慣れた大人の指示に従った方が賢い選択である事は判り切った事だ。今クロがすべき事は、エマと合流して、ウパム家に帰還する事。その後は彼らの指示に従っていればいい。
一度店に戻ろうと、未だ慌ただしい衛兵達の詰所を出る。しかし冷静を装っていたとしても、明確な『死』の気配は明確にクロの心を蝕んでいく。『非日常の世界』に迷い込んでしまったクロにとって、既に死は『非日常の出来事』では無くなってしまっているのだ。
そしてその事実は、既にクロのみの問題ではない。同行者である彼女逹にも、その現実は当然ながら適用されるのだ。
例え力を手に入れて強くなったのだとしても、その事実は何も変わらない。こんな数値上のレベルが意味をなさない相手が居るという事を、クロは身を以て知っている。
「……生き残る。死んで、たまるか……」
うわ言のように呟いたクロは、ただその未来を考えないようにしているしかなかった。
◇ ◇ ◇
「……クロ?」
「……悪いエマ、ちょっと面倒な事になった。一旦屋敷に戻りたい」
店に戻ってきた俺に気付いたのか店の奥から出てきたエマが、俺の顔を見るなり何処か不安げな表情で首を傾げる。内心の動揺が伝わってしまったのだろうか。後で彼女にも事情を説明しなければならないだろう。
その旨を彼女に伝えている内に、エマが出てきた部屋からエイラと子供達が顔を出す。「あ、黒い兄ちゃんだ!!帰ってきたの!?」などと言って飛び付いてきたので、無理やり顔に笑顔を貼り付けて受け止めてやる。
適度に子供達をあやしてやりつつ、さりげなくエイラに一度戻る事を告げた。彼女は「そうかい」と微笑んでから頷くと、子供達を俺から引き剥がしてくれる。
子供達には悪いのだが、事態は急を要する。早く戻らねば――
……?
――いや、待て。何をそんなに焦ってる?確かに一旦屋敷に戻れとは言われたが、急げなどとは一言も言われていないのに。
なんの理由もなくただ先を急いでも、なんの特にもならない。寧ろ神経を使って消耗してしまうだけだというのに、なぜそこまで焦ってしまっていたのだろうか。
やはり、最近何か思考が変だ。例えようのない違和感がこびりついて離れない。これも『禁術』の影響なのだろうか。
あくまでも『禁術』は切り札だ。確かにアレは身体能力の底上げ、肉体の高速再生、反応速度の劇的な向上、更にエマのように慣れてくれば、魂や他人の肉体にも鑑賞可能だという。代償が伴うとはいえ、その効果は折り紙付きだ。
だからこそ、その代償が軽い訳がない。今では落ち着いてはいるが、真祖龍との戦いでも何度『禁術』そのものに意識を持っていかれそうになったか分からない。これ以上の進行は、絶対に避けねばならないだろう。その内、人格そのものから変わってしまいかねない。
冷静になれ、自分の意志を強く持て、そう内心で何度も繰り返し、自己暗示のように言い聞かせる。
エマと共に店を出て、屋敷への帰路を辿る。幸い屋敷はかなり大きく、坂の上にある為に高低差で目立ち易い。坂の上というフレーズに昔の俺ならば『うへぇ』とでも言っていたのかもしれないが、生憎と今の俺のレベルは273。この程度の坂道なら、全力疾走して駆け上がった所で息の一つも上がらない。というか、全力疾走すれば3秒と掛からず登り切れるだろう。
確認の為に一瞬だけ発動してわかった事なのだが、どうにも『禁術』の付随効果である身体能力強化は元の身体能力を特定の倍率で強化するといったもののようで、元の身体能力が高ければ高いほど、強化後の上がり幅も増える。
レベル約90程度の状態で使ってもあれ程の力を発揮したのだから、今全力で『禁術』を振るえば一体どれ程の破壊力になるのか、想像も付かない。
無数の馬車が行き交う坂道の歩道を、人混みを上手く避けつつエマと共に歩いていく。何故か先程から俺の腰布を掴んで離そうとしないエマを不思議に思いつつも、屋敷に辿り着いたので一先ず待機しているであろう使用人さん方に挨拶をしようとした所で、気付く。
「……誰も居ない?」
「……?」
馬鹿な、この屋敷は常に周辺は衛兵が警護に当たっており、屋敷内も衛兵は居ないと言えど数多く雇われた使用人達が24時間交代制で各自の仕事に当たっている。一時たりとも、そのシフトに穴はない筈だ。であれば、何が起きている?
異常な状況に一気に警戒心を跳ね上げて、五感に意識を傾ける。視線を動かして屋敷のエントランスを見渡し、耳をそばだててあらゆる音に集中する。
先程の出来事もあって、あからさまに怪しい雰囲気しかしない。何があった。アイリーンは居ないのか?一緒に残してきたナイアは?そんな疑問が次々と浮かんでくるが、生憎とそれに答える者が居ない。
と。
――――!
「……っ!」
今のは――叫び声、だろうか。
即座にエマと頷き合って、お互い腰に下げた剣を抜き放つ。一気に跳躍する事で階段を省略し、二階へと辿り着くと、叫び声の元である部屋へと向かう。
くそっ、襲撃か。だが何の為に?アイリーン……というよりはウパム家に襲われる理由など無かった筈だ。基本的にウパム家は俺知るテンプレ悪徳貴族とは違って、世間的にも民の事を第一に考える善良な貴族だった筈だ。民の不満が爆発、とはまた違うだろう。
ならば別の理由が?そうなってしまえばもうクロが原因を想定することなど不可能なのだが……いや、違う。そうだ。一つ可能性があったのだ。
仮に、先程の一件が既にあの男の大元に伝わっていたとしたら。
仮に、俺の事がその『大元』にバレていたとしたら。
仮定に過ぎない話だ。けど、もしそれがただの仮定に収まらず、真実だったとするならば――
「俺のせいか……っ!!」
酷い焦燥感に追われて、ただひたすら走る。走り続ける。早く、この異変の原因を究明しなければならない。仮に先程の一件の報復がコレだったとするならば、幾ら何でも速すぎる。相手はそれ程の情報網と行動力を併せ持つ相手だ。
俺が元いた世界の常識など通じない世界だ、『ありえない』こそがありえない。何があってもおかしくはない。
確か、声が聞こえてきたのはこの辺りの部屋だった筈だ。一室だけ半開きにされた扉の前に辿り着くと、すぐにその扉を開け放つ。すぐに現状を把握しようと、部屋の中に視線を走らせる――
――暇もなく。
「クローーーーーーーーっ!!!!」
「ごはぁっ!?」
何者かが、俺の鳩尾に頭から飛び込んで来た。
咄嗟に反応する暇もなく吹き飛び、背後の壁に背をぶつける。何事かと視線を下に落とせば、直ぐに黄金の輝きが目に入る。畜生、不味い、先制を取られた。クソ、速く退避しない……と……?
完全に戦闘態勢に入っていた思考に違和感が生じる。こいつは一体、何をしてる?敵なら即座に攻撃から入るんじゃないのか?
現状を再確認する。現在俺はこの謎の人物に押し倒される形で、壁を背に座り込んでい訳だ。で、こいつは一体何をしているのか。
……うん、思いっきり抱き着かれているな。
「できた!!できたよクロっ!!」
そう子供のような声を発してはしゃぐ目の前の幼女――黄金の髪と、長い前髪に隠れた美しい碧眼を持つ小さな彼女はそう嬉しそうに笑顔を浮かべると、その隠れた額をこちらに擦り付けてくる。
待て、何が起きた。何で俺はいきなり金髪幼女に抱き着かれている。なぜ初対面の筈の子にここまで懐かれている。
エマが目を丸くして目の前の幼女を見下ろす。当の俺とて何が起こっているのかまるで分からず、ただ困惑するしかない。そうしていると部屋の奥から、慌てた様子のアイリーンが小走りで出て来た。
「あぁ、お帰りになったのですねお二方。ロクな出迎えも出来ず、申し訳ありません」
「あ、アイリーンさん!?あのっ、これはっ!?」
平然といつも通りに挨拶してくるアイリーンにさらに困惑して、問いを投げかける。というかこの幼女、中々に力強いぞ……っ!?俺もレベル補正で相当に筋力は人外してる筈なのに、結構力込めないと腕も動かせない……っ!?
俺の問いにアイリーンは困ったように目を逸らすと、「ええと……」と頬を掻いて言い淀む。せめてこの幼女が何者なのかくらい教えて欲しいのだがっ!
未だに幼女は俺を離す気はないらしく、むしろ腕に込める力をどんどんと強めていく。昔の俺なら確実に上半身がねじ切れていたことだろう。
俺の必死の懇願が届いたのかそうでないのかは定かではないが、アイリーンはこちらへとゆっくりと寄って、幼女の肩を軽く叩く。
「"ナイアちゃん"、そろそろ放してあげましょう?クロさん、困ってるわ」
「えー!もーちょっとだけギュッとしてちゃダメ?」
……WHAT?
今なんと?ナイア?ほほう、うちの子供ドラゴンと一緒の名前とは、また珍しい偶然もあったものだ。ふむふむ、この子の名前もナイアというのか。いやぁ中々可愛らしい子だ。将来は美人さんになる事だろう、金髪碧眼、更には腕には所々銀色の鱗まで――
――うん、丸々白神竜の特徴だな。
「お前ナイアかよーーーーーーっ!?」
「わっ!?」
思わず口から飛び出た叫びに、ナイアが驚いたように声を上げる。だがそれでも手を離す気は無いようで、俺の服をずっと掴んだままだ。というか、ナイア?え?うちの子のナイア?あのちっこいドラゴンが、この子?
もしかして?→人化イベ
タイミング紛らわしいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!
「……ナイア?この子が?」
エマが困惑しながら、半信半疑といった声音で尋ねてくる。 が、俺に聞かれても正直答えに困るというかなんというか。
とりあえず俺の膝の上に座り込んでキョトンと首を傾げている幼女――ナイアの眼を覗き込んでみると、確かにその色合いはドラゴンだったナイアのものに酷似している。腕に所々残った銀鱗も白神竜由来の美しいもので、黄金の髪も思い出してみれば、鱗の下に隠されていた体毛に似ている。
成る程、言われてみれば確かにナイアの特徴を引き継いでいるだろう。ただ唐突すぎやしませんかね。
「すごいでしょ!?これでエマとおんなじようにクロとお話し出来るよ!」
立ち上がってくるんとその場で回転し、その動きにつられて彼女が着る真っ白なワンピースの裾が揺れる。どうやら紐を首に引っ掛けて体の前面のみを隠すタイプのもののようで、うなじから腰辺りまで健康的な肌が惜しげもなく晒されている。スカート部分には綺麗な竜の紋様が描かれており、活発な雰囲気を醸し出している。
腰に手を当てて「えへん」とでも言いたげに無い胸を張るナイアは、次いでエマにもぎゅっと抱き着いた。
「エマ、ふかふかー!」
「……ひゃっ、ちょっ、ナイア……!待っ……!」
エマの胸に顔を埋めて喋るナイアに、エマが頬を赤らめて声を漏らす。が、じきに慣れてきたようで、うっすらと微笑んでナイアの美しい金髪を撫でていた。
取り敢えず、ナイアの意識がエマに向かっているうちに立ち上がる。一先ずアイリーンに何が起きたのかを聞く為、彼女に視線を向けた。
「……なんで、ああなったんです?」
「それが……書架で本を読んでいたのですが……目を離している内に、机に出ていた魔術書を読んでいたらしく……まさか魔術言語を読めるとは……」
「!?」
おっかしいな、俺一度たりともナイアに文字を教えた記憶は無いんだが……?
未だエマにくっついているナイアに視線を向けて、微妙な表情を浮かべる。つまりアレは何だ?変化の魔術的なアレか?俺達が屋敷を出ていたたった数時間の内に習得したのか?魔術を?
あれ……おかしいな……俺がこっちに来て魔術の使い方理解するまでに丸一日は掛かって、更に実際行使するまで二日は掛かったんだが……まあ結局効率悪すぎてロクに使えなかったけど。
「ナイア……お前いつ文字読めるようになったんだ……?」
「さっき!アイリーンが読んでたから、横から見てたの!」
……こ、こいつ……一つ言語をゼロから片手間に解読した上、半日と掛からず魔術の構造すら理解しやがった……!?
サラッととんでも無い事をやってのけたナイアに驚愕しつつ、デウスから聞いたことを思い出す。
――白神竜は自由だが、頭脳が発達していない訳ではなく、寧ろかなり賢い部類になる。ある程度育った個体は人の言葉すら解し、魔法を扱い、国すら作る事もあるのだとか。
……まさかここまでとは……ニュータ○プめ……
規格外なペットに内心でそう零し、目の前ではしゃぐナイアを見る。ナイアはこちらの自然に気付いたのか、とてとてとこちらに走り寄ると、一気に飛びかかって来た。今度は二度目なので、今度こそしっかりと受け止めてやる。くくく、俺に早々何度も不意打ちが通用するとでも――!
「――。」
「……!?」
――俺の腕の中に収まったナイアは、即座にその唇を、俺のソレと触れ合わせたのだった。
事案発生事案発生




