第38話『小さな温もり』
「……母ちゃん?どうしたのー?」
声を荒げる彼女の様子を不安に思ったのか、エイラの足元で少年が不安げに声を上げる。少女の方も少し怯えた様子でキュッとエイラのエプロンを握っており、それに気付いたエイラがバツの悪そうな顔をした。
二人の前に屈み込み、その頭の上にポンと手を置く。
「……ごめんよカイル、ルーシー。奥に行ってな。なぁに、すぐ終わるさ」
「大丈夫なの……?」
「ああ、大丈夫さ。ガキが大人の心配してんじゃ無いっての」
エイラがニカっと笑ってカイルとルーシーの背を叩き、店の奥へと押しやる。エイラはそれを見届けると再び立ち上がり、カウンターの前に立つその男に向き合った。
どうしよう、正直逃げたいんだけど。
こういう出来事は、大概最後にはロクな結果にならない。これもまた俺のよく知る物語世界での"お約束"というものであり、どう見ても目の前の男が国から派遣されたクリーンな役員には見えない。偏見かもしれないが、こういう奴らは大概ヤバい連中だ。関わらないのが最善手なのは確定的に明らか。
――なのだが。
先ほど彼が言った、『最低最悪の魔王』の宝具とやら。メタ読みをするなら、確実にこれから先に何らかの形で関わって来る。これまでのラノベ知識による悪い予感が大概当たっている事を考えると、ここで無視するのは得策では無い。
問題はそれが敵として現れるのか、それともこちらの戦力として行使できるのか、ではあるのだが。
内心で、"考えを伝えたい"という思いを強く浮かべる。それと同時にエマがピクリと反応し、視線だけをこちらに向けた。流石の読心能力だ。今のように発言し辛い状況では非常に有効である。
次いで、"様子を見たい"という考えを強く思う。それもうまく察してくれたようで、エマは小さくこくりと頷くと、目の前の会話に意識を傾け始めた。
「……『王土鱗』とやらが何なのかは知らないけどねぇ、そんなあるのか無いのか分からんモノのためにどうしてウチの店を渡さなきゃならないんだ」
「宝具が眠るのはこの座標の地中深く……それを掘り起こすには、この店が邪魔なのですよ。工事に取り掛かれない」
「それはアンタ達の都合さ、私がアンタらに協力する理由にはならない」
エイラは毅然とした様子で、彼らの要求を呑むつもりはないらしい。男は呆れたように一つ溜息を吐くが、諦めた訳では無いようだ。頭を書いて「ですから……」と言葉を続ける。
「別の土地に住宅の用意もあります。此処よりももっと良い家だ、店を開く事も出来るでしょう。なんなら支援しても構いませんと言っているのです!何故そこまで頑なに……」
「私が執着してるのは『この家』だっつってんだ。話は終わりだよ、帰んな」
エイラが厄介払いするように手を振って、カウンターから出ようとする。男は忌々しそうに舌打ちをすると、懐の奥へと手を突っ込んだ。どうやら何かを探っているらしく、引っ張り出したものは、手のひらに収まる程度の大きさ筒だ。
と同時、エイラがその両目を見開く。その動揺を見抜いたのか、男がニィっとその顔を歪めた。
あの筒が何だというのかと思い、目を凝らす。彼の親指の下にはどうやら起動の魔法陣が刻まれているようで、筒の裏側で何かしらの魔法が起動するのだろうか。少しだけ首を動かして筒の奥を覗き込んでみると、どうやら中に入っているのは玉のようなものらしい。だがこの何がそこまで驚くような――
うん?玉?
魔法陣が刻まれた筒に、その中に込められた玉。起動の術式に、筒の穴をエイラに向けたこの状況。……ふむ。
……。
――あの筒、どう考えても魔導銃じゃねぇかぁっ!!
「男女平等キィィィィィック!!!!」
即座に男の腕を蹴り飛ばし、跳ね上がった筒を回収して『収納』に落とす。何処かに蹴り飛ばすよりはよっぽど有効だろう。突然すぎる妨害に男が「な……っ!?」などと声を漏らしていたが知ったことでは無い。同時に動いていたエマが男の足を払って、地面に組み伏せる。即座に発動した末端禁術を用いて、男の一切の身動きを封じた。
悪・即・斬、斬っちゃいないが。
突然の捕縛劇にエイラが呆然としていたが、やがて正気に戻ったようで「んなアホな……」などと声を漏らしていた。うん、まあ今の光景を昔の俺が見れば何と言っていたことやら。高ステータスの暴力だ、チートかよ。
一応脳内で受け取った『収納』からの情報によれば、やはりこの筒、魔法による金属弾発射装置……要するに魔導銃だったらしい。構造的には電磁砲に近いようで、雷系統の魔法陣が筒を囲うように刻まれている。起動されてしまえば雷によって弾丸を高速で打ち出し、対象を殺傷する。
……また異世界の癖にコンセプトだけは妙に現代チックなものを。
「れ、『レイル・キャスト』を持った相手をそんな簡単に制圧しちまうなんて……何者だよアンタ達……」
「『レイル・キャスト』……?ああ、これの事か……」
『収納』からその『レイル・キャスト』と呼ばれた魔導銃を取り出して、手の中で転がす。魔法陣に魔力を注がねば起動はしないようなので、勿論魔力は切りながらだ。
この世界に於ける兵器のようなものなのだろうか。その割には人界にいた頃の戦争で魔族は持っていなかったが……ああ、生産が追いついていないと考えるのが自然か。見た感じ、かなり複雑な術式が使われているらしい。
「……クロ。この人、どうする?」
「衛兵を呼ばなきゃな……俺が代わるよ、連れてく」
「……分かった」
意識を失ったらしい男を担ぎ上げて、この辺り周辺の地図をポーチから取り出す。幸いに衛兵の集まる詰所はここから近いようだ、面倒が省けて助かる。
衛兵に連れて行ってから、この男に聞かねばならない事もあるのだ。例の『王土鱗』とやらについてもそうだが、『最低最悪の魔王』についてもだ。これから先に一体どういう事が起きるのかなど、現状では何一つ分からないのだ。であれば、知り得る情報は可能な限り得ておくのが得策だろう。
気は進まないが、後に『黒妃』の誘導も控えている。それに関しても何か役立つ情報が引き出せるかもしれない。
「……いってらっしゃい、気をつけてね」
「ああ、行ってくる。また後でな」
そう送り出してくれるエマに返して、俺は男を肩に担いだまま店を出た。
◇ ◇ ◇
「……あんたら、一体」
「……」
クロが店を出て直ぐに、未だ驚愕したままのエイラがゆっくりとエマに問い掛ける。
だが、エマはその問いに返す言葉を持ち合わせてはいない。というか、どう説明すればいいのか分からない、というのが本音だ。正直にすべて話してしまえばいいものなのか、それとも暈して話すべきなのか。
そういった駆け引きはこれまで全てクロに一任していた為に、いざ自分一人になってしまえば自分がどうするべきなのかが分からない。クロが何を基準として判断しているのかも分からない以上、彼のようにはなれないのだ。エマは聡明ではあるが、天才ではない。
というか、仮に話したところで信じてもらえるかも疑問だ。ナタリスの集落では中の上程度の実力というのがエマ戦闘面での自己評価だが、これまでの様子を見るにその『中の上』は外界に於ける『最上の上』、ナタリスの"平均"というものはあまりに高過ぎた。故に、ここで仮に"辺境の集落から来たただの旅人です"と答えたとしても信じてもらえない可能性が高い。
悩めば悩むほど、エイラの顔が訝しむように歪む。答えは迅速に出さねばならない、どうするのが最善だ、どうするのが最高なのか。
唇を噛んで、脳をフル回転させる兎に角、なにか彼女が一先ず納得する言葉を――。
「すげぇーーーーっ!!!!」
と。
突如その思考を、大声を持って遮る者が現れた。というよりは、戻って来た、の方が正しいか。
驚いて声の方向に視線を向けると、そこはカウンター越しのさらに奥。エイラが立つそこの裏側、廊下を渡ったまたさらに先。溢れる衣服や資料の山を越えた先に、その声の主人――言ってしまえば、カイルとルーシーは立っていた。
不意をつかれたように驚くエイラを気にもせずに、二人はカウンターを乗り越え、笑顔を浮かべたままエマの方に飛び掛かる。直前の動揺が後を引いたのかそれに全く対応する事もできず、その勢いに押されて二人ごとエマが倒れ込んだ。咄嗟に受身は取れたので痛いと言うほどでもないが、エマは二人を抱きながら、ただただその真っ赤な眼を丸くする。
未だ現状を上手く飲み込めていないエマにも遠慮した様子もなく、子供達ははしゃぎながら言葉をまくし立てる。
「今のどうやったの!?すっごく早くて見えなかった!!」
「あっという間にあの人やっつけた!!魔王さまみたい!!」
「お姉ちゃん、兵隊さんなの!?あのお兄ちゃんも!?」
「さっき動き止めたのって魔法!?初めて見たー!」
「……!?!?」
次から次へと言葉を投げかけてくる二人に全く対処出来ず、慌てたエマが眼を白黒させる。思わず助けを求めるようにクロが先ほど出て行った扉を見つめるが、生憎と既に彼は出て行った後だ。堪らず「うぅ……」と小さな悲鳴を漏らす。
次いで視線を動かすと、未だ困惑しているエイラと視線が合う。流石にここまでがっつかれたのは初めてであるエマは涙目であり、堪らずエイラに視線で訴えかけた。
一瞬の静寂が店を包む。
「……ぷっ、くくっ……」
不意に、エイラが耐え切れなくなったように噴き出した。
「く、くくっ……あはははははっ!!あーアホらしい!何を警戒してんだか!」
突然そう言って笑い出したエイラにエマが眼を丸くし、呆気に取られる。彼女はひとしきり大笑いした後に三人の方へと向かうと、カイルとルーシーの首根っこを掴み上げる。「わー!」と言いつつも成されるがまま持ち上げられた二人を脇に担ぐと、エイラはカウンターの奥へと向く。
「エマっつったね、入りな。助けて貰ったんだ、礼はしなきゃならないしねぇ」
「……ぇ、ぁ……わ、分かっ、た……」
エイラの言葉に従って、未だ困惑を残しつつもなんとか立ち上がる。一応、難は逃れたという事なのだろうか。兎も角、あの状況を無かったことにしてくれた子供達には感謝しなくてはならないだろう。一つ大きなため息を吐いて、胸を撫で下ろす。
彼女の後に続いて、今度は先程とは別の居間らしき部屋に辿り着く。「そこ座ってな」というエイラの指示に従って机の横に座り込んでいると、カイルとルーシーが後ろにやって来て「この剣見てもいい!?」と、腰に吊るしていた巨剣を指した。
流石に子供に渡すには危険な代物なので「……見るだけだよ」とだけ注意はしておいて鞘から抜き、部屋の端のスペースに飾るように置いておく。二メートル近くもの刃渡りがある為に置けるのか心配だったが、なんとか収まったようだ。置いておけば、自分から刃に触らない限りは大丈夫だろう。一応常に剣が視界に入るように置いてはいるので、監視は出来る。
暫く待っていれば、4人分のマグカップの乗った盆を片手にエイラが戻り、その内の一つを手渡してくれた。どうやらココアのようで、一口飲めば甘く暖かいソレが体に染みる。
「……美味しい」
「そうかい?安物の材料で作ったココアなんだけど、そう言ってくれるなら嬉しいね」
エイラはニカっと笑うと、ずずっと自分もマグカップを啜る。勢い良く啜り過ぎて火傷したのか、「あちっ」と言って舌を出した。
「……さっきの人は?」
「前からちょくちょく此処に来ててね、此処の土地を譲れってしつこいんだ。さっき聞いてた通りに『最低最悪の魔王』の宝具だのなんだのがこの地下に眠ってるだとか……ったく、考えただけでもおっそろしい事を言ってくれるもんだ」
憤慨したように言うエイラはココアに息を吹きかけて冷まし、今度はゆっくりと啜る。そしてマグカップをテーブルに置くと、そのまま片手を床に置いて、少しシワの入ったカーペット越しに床を撫でる。
エマが不思議そうに首をかしげるていると、エイラはポツポツと呟くようにはなしはじめた。
「この家はねぇ、私の旦那が自分で建てた家なのさ。文字通りに、自分の手でトンカチ振って、釘打ち込んで、木を組み上げて、一から十まで全部自家製だ。所々ボロっちいだろう?」
「……そんなこと……」
エマが周囲を見渡して否定しようとするも、よくよく細部に眼を向ければ、確かに所々粗が目立つ。天井の板が一部割れていたり、壁から折れた釘が飛び出ていて、接着液でコーティングされていたりと、確かに綺麗な家とは言えないかもしれない。
「ははは、遠慮しなくたっていいさ。私も旦那にこの家を見せて貰った時は、散々言ったしねぇ」
なんでもないように言うエイラは軽く笑うと、そのまま視線を部屋の隅に向ける。それはナタリスの集落には無かったもので、薄く伸ばされた結晶の中に二人の人影――いや、それぞれ一人ずつ幼子を抱いているのを見るに、四人分か。大人の内片方は、今よりも少し若いようだが、エイラだろう。となると、抱かれている二人の子供はカイルとルーシーか。
であれば、残りの一人が――
「あれが旦那。おっ死んじまって、もう2~30年になるかねぇ。兵役で駆り出されて、二日三日であの世行きさ」
「――!」
なんとなく、彼女の話を聞き始めた時から予感はしていた。
机の端に置かれたコップに入っていたのは、三人分の食器だ。ナタリスの村でもあらかじめその席に座る人数分のフォークやスプーンをコップに入れておくという事はあったので見慣れていたが、それにしては一人分足りなくはないかと思ったのだ。
であれば、あそこまで頑なにこの家を譲ろうとしなかったのは――
「……旦那さんの建てた家を、守るために?」
「……そんなトコだね。だから、アンタたちにはホントに感謝してるよ?旦那を失くしちまった私には、もうこの家と、そこの生意気なガキどもくらいしか守れる奴が居ないんだ」
自嘲するような笑みを浮かべて話すエイラに、エマは何も言葉を返せない。
無論、家族を失う悲しみを知らない訳ではない。ナタリスの村でも狩りの途中に命を落とした者が何人か居たし、長い寿命を終えて先に旅立った者も居る。その度に、もう会って話す事は出来ないのだと悲しみに暮れたものだ。
だが、エマはまだ子供だった。エイラのように、親としての責任も、残された者としての覚悟もない、ただの子供。
「重いし、あんまり喜んで話すような事でも無いんだけどね。私の我儘に巻き込んじまったんだ、事情くらいは話とかなきゃ筋が通らない。悪いね」
「……いえ、わたしも、ごめんなさい。そんな、傷口を抉るようなこと……」
「おいおい、私から話したんだよ?アンタが気にする事じゃないさ、なんなら軽く聞き流してくれたっていいんだから」
ケラケラと笑ってエイラが再びカップを啜り、コトンと机に置く。同時にパンッ!とその両手を打ち合わせて、「さて!」と話を切り替えるように声音を上げた。
「貰った恩は返すさ。さっきの服、持って行きな。他にも困った事があったら、出来る限りは協力してやるよ」
「……いいの?」
「何を遠慮してんだい、これでも足りないくらいさ!なんなら、そこで暇してるウチのガキどももこき使ってくれていいんだよ?」
「えーーーーっ!?それはないよかーちゃん!」
即座にルーシーが抗議の声を上げるも、エイラは「何言ってんだい。いつも暇だ暇だって喚いてるくせに、仕事の一つも手伝わないじゃないか」と取り合わない。不満げな子供達と楽しげなエイラはとても仲が良さそうで、自然とエマの口元にも笑みが浮かんだ。
――ちゃんと、幸せなんだ。
そう改めて確認して、その現状に『良かった』と安堵する。一度下を向いてしまえば何処までも暗くなってしまう事は、エマも身を持って知っていたから。実際、あの時クロがあの暗闇から救い出してくれなければ、きっと最後まで絶望しきったまま死んでいただろう。
小さな家族の、小さな温もり。
それは、外の世界に出て未だ緊張したままだったエマの心を、ゆっくりと解きほぐしていったのだ。




