第37話『吸血鬼のみぞ知る』
今回は少し短め
「全くもう、人が楽しくお話ししようと思ってたところに……マナーがなってないわぁ」
そのおぞましい光景を、クロ達が知る事は無いだろう。
現在ブルアドは肉体分解による高速移動――ほぼ転移に近いヴァンパイア族特有の術を用いて、屋敷の上空へと出現した所だ。彼が見下ろす先には無数に蠢くモノが存在し、それら全てが『黒妃』と同じようなドス黒い影に身を包んでいる。
それらを一瞥したブルアドは一つ大きな溜息を吐くと、その巨大な蝙蝠のような翼を羽ばたかせ、ゆっくりと彼らの前に降り立った。
同時に『それら』の中の一体が前に出て、ブルアドと相対する。
『……ブルアド・ツェルペスか』
「あらあら、 "守護者"サマに名を知られているなんて、光栄の至りねぇ」
『戯言を。何のつもりだ、化け物め……貴様も、あの男の正体は見抜いているのだろう』
分かりやすい作り笑顔で答えるブルアドの言葉を『ソレ』は冷たく切り捨てて、そうブルアドに問いかける。ブルアドもまた「まあねぇ」と肩を竦めて返し、チラリと屋敷の方向を見やる。
五十嵐久楼。北方から現れた英雄の資格を持つ人族の少年。源流禁術を扱い、その呪いに半身を侵された存在。
彼の素性に関しては、ギルドも未だ掴めきれていない。ワクタナ村よりも北方に集落や村の類があった事すら記録には無いし、彼と共に現れたエマという少女の種族に関してもだ。『ナタリス』という種族は普段まず集落から出る事はなく、前例はそれこそ創世神話、『最低最悪の魔王』と四大種族そのものの大戦、共栄主世界戦争くらいのものだ。
『最低最悪の魔王』の配下であった彼らは、神話によれば『最低最悪の魔王』を裏切り、四種族に勝利を齎した種族と言われている。白銀の髪に、他者の心を"完全に"見抜くとされる赤い瞳。そして高い身体能力を併せ持つ、魔族内でも頂点を争う戦闘民族。
しかし彼らはその裏切りにより『最低最悪の魔王』の呪いを受け、それ以来表舞台から姿を消した。
彼らは、ナタリスという種族が再び表に出る事を酷く嫌っている。実際、魔王軍がかつてナタリスを軍に勧誘した時も、そう言っていたのだ。「軍に参加する気はない」ではなく、「ナタリスを外の世界に出す訳にはいかない」と。
それがどうして今になって彼女を送り出す気になったのか、ブルアドには分からない。
だが、予感がある。
これは魔界でも最高機密、極一部の者しか知り得ない事ではあるが――四黒の中に、魔族と呼べる者は一体しか居ない。
『最低最悪の魔王』はそもそも、種族からして曖昧な存在だ。その出自をたどる事はできず、そも生物として成立した存在なのかすらも怪しい所である。
『日蝕』は驚くべき事に人族であり、『真祖龍』は、白神竜の成体の成れの果て。
そして『黒妃』は元々――
――ナタリスの少女であった、と言われている。
『……あの様な歴史を繰り返してはならない。あの化け物を目覚めさせてはならないのだ。それは貴様にも分かっているはずだぞ、ブルアド』
禁術を扱う正体不明の少年と、彼と共に歩むナタリスの少女、そして『白神竜』の幼体。偶然にしては出来すぎているだろう。分かりきった事だ、歴史は再び同じ末路を辿ろうとしている。
『日蝕』は、時間に関する魔法すらも会得していたという。『最低最悪の魔王』が操る禁術は、人の魂魄にすら作用するという。であれば、彼らが狙ってこの時代に再び現れたとしても不思議ではない。
――だが。
「それが、どうかしたのかしらぁ?」
『――!』
ブルアドはその頰に笑みを浮かべて、『影』にそう返す。
「あの子達は、『最低最悪の魔王』とは違うわ。それが、アタシが"視た"結末よ、邪魔なんてさせない」
ブルアドが右腕を掲げる。同時に赤黒い輝きが腕に集い、巨大な魔法陣が展開される。『影』達は一斉にその場から飛び退り、魔法陣の外側へと逃れていった。しかし、ブルアドはその魔法の行使をやめようとはしない。
キィィィィィィン、と耳障りな音が響く。魔力が術式に従って組み上げられ、その形を成していく。
「それが、"あの子"との約束だものぉ」
――闇属性極大魔法、『フロッド・ミィース』。
漆黒の津波が出現し、即座に『影』たちを押し流していく。その先に待ち受けるモノは冥府の門であり、一度そこに落ちてしまえば二度と這い上がれぬ、最悪の魔法。闇属性の魔法の頂点に立つとされる終末の大洪水。
深く昏い世界に沈む亡者の手が、数多の『影』たちを引きずり込んでいく。即座に脱出を図ろうとするも、既に遅い。
『――っ、ブルアドォォッ!!』
「……夜は静かに。綺麗な月が台無しになるでしょう?」
吸血鬼は満月の下、ただ静かに笑った。
◇ ◇ ◇
日が明けて、翌日。
"――どちらにせよ、決行は二日後です。それまでの間はゆっくりお過ごしください。"
「……とは言ってもなぁ」
アイリーンに言い渡された猶予を満喫すべく屋敷を出たのは良いものの、特にやることも無い。何か楽しめる場所でもあればいいのだが、生憎とこの街に来たばかりであるためにこの街については殆ど知らない。
事前情報として知っているのは、ここは複数の街が集まって城下町を形成している中の一つであり、リヴァイヴ王国の首都。アイリーンの家であるウパム家が統治する、『南城下街』と呼ばれる場所だという事だ。
東西南北、四つの扇型に広がる街の中心に巨大な王城が建っており、街の周囲には魔物の侵入を阻むため、高い城壁が築かれている。アルカナラ曰く貿易が盛んであり、中央の街道では露店が立ち並んでいるそうだ。
ぶっちゃけてしまえば、正直街が広すぎて逆に行く場所が決まらない。とうしよう。
「……クロ、あれ」
と、不意にエマがくいくいと俺の服の裾を引っ張り、何処かに向けて指を差している。その指先に沿って視線を動かして行くと、その先にあったのは……なんだあれ、服屋?
チラリとエマに視線を戻すと、エマは俺が纏っているマントの下に手を入れると、この世界に来てからずっと使っているシャツ――『真祖龍』との戦いでボロボロになってしまっていたそれを引っ張り、「……新しいの、要る」と一言呟いた。
成る程、確かにそうだった。ナタリスの集落に服屋など無かったし、縫い直して貰うには損傷が酷過ぎたので放置していた訳だが、服屋があるのならば買い換えない手は無い。流石にこのボロボロのシャツではみっともないし、若干肌寒いかもしれない。
「……新しいの、買うか」
「……うん」
「くぅっ!」
エマとナイアの了承(?)を取ってから服屋へと向かい、人の波を上手く避けて店に滑り込む。ガラス製のドアを押し開く。不審者扱いされるのも何なのでフードは外し、念の為にヘアピンの位置を調整して、髪を耳に被せる。キルアナから別に魔族が人族を排斥する事はないと聞いてはいるが、あくまで念の為だ。
と、店内を軽く見回すも、どうにも人が見当たらない。他の客も居なければ、店員の姿も全く見当たらないのだ。もしや、営業時間では無かったのだろうか。であれば鍵を閉めているなりなんなりしているとは思うのだが……
「……店は、空いてた。外の表示、見たから……多分、奥に居る」
「あー、奥か……」
心を読んだのだろう、エマがすんすんと鼻を鳴らして横から補足してくれる。「……うん、やっぱり、誰か居る」などと言って居るところを見るに、匂いで分かったようだ。
ナタリスは五感が優れていると聞いたので、人の匂い程度なら分かるらしい。そういえばナイアの時も、血の匂いでその存在に気付いたりしていたか。
一応、カウンターに置かれたベルを鳴らしてみる。暫くすれば「ごめんよー!ちょっと手が離せないんだ!用あるんなら入って来とくれや!」などと聞こえてきた。それでいいのか販売業。
エマと向き合って一つ頷き合い、普通なら確実に関係者以外立ち入り禁止である筈のカウンター裏の廊下、その奥に進む。
ゴチャゴチャと物が転がる通路を足の踏み場を探しつつ歩き、声の元であろう部屋の前に辿り着く。一応軽くノックと、高校にいた頃の名残で「失礼します」とだけ言っておいて、扉を開け放った。
――と。
「隙ありぃぃーーーーっ!!!!」
「ぬおわっ!?」
扉が開かれると同時に、頭上から小さな影が割り込んで来る。
その影は自由落下に任せて眼前に迫り、その手に持った棒状のものを一気に振り下ろしてきた。が、今の俺のステータスは素の状態でも相当のものであるため、咄嗟にそれを受け止めてその人影を捕まえる。
思いの外自分でもスムーズに行動を繋げられた事に驚愕するが、この一連の流れを思い出して次の瞬間に合点がいった。
これ、よく集落でもイサナ達に仕掛けられた事だ。要するに子供の悪戯だわ。
背後からも気配を感じたが、そちらはエマが即座に動いてその気配の正体――同じく紙を丸めたものらしい棒をもった少女の上下をひっくり返す。そのまま流れるように棒を奪い取って少女をゆっくり着地させると、その紙の棒で軽く少女の頭を小突いた。「きゃー!」などと楽しそうな声が聞こえる。
俺の方も捕まえた少年を地面に下ろしてやると、逃げる暇を与えずにくすぐってやる。「ぎゃーーーーっ!?ま、まってー!ムリ、ムリー!」などとすぐに根を上げるが、すぐには離してやらない。人様に突然襲いかかるとはなんてやつだ、30秒間くすぐりの刑に処してくれる。
集落でもあった懐かしい流れに笑みを浮かべて子供の相手をしていると、部屋の奥から一人の女性が顔を出す。青よりの髪を纏めたバンダナの下からその眼を覗かせた彼女は一度驚いたように眼を見開くと、怒ったように散らばった箱の中から子供達が持っていたものと同じような紙束を取り出す。
そしてすぐに二人の子供の首根っこを掴み上げると、スパァン!と良い音を立たせて思いっきり二人の頭へと叩きつけた。痛そう。
「いってぇぇぇぇーーーっ!?」
「何してんだこのガキども!客に迷惑かけてんじゃないっての!今日の晩飯抜いちまうぞ!」
「ごめんなさーーーい!!!!」
子供達が頭を抑えて涙目になりつつ、謝罪の叫びを上げる。コントのようなその光景にポカンとしていると、女性がハッと気を取り直して一つ咳払いした。
「あー……その、なんだ。すまないね、うちのガキンチョ共が迷惑かけた」
「……大丈夫、慣れてる」
エマが微笑ましそうな顔を浮かべてそう良い、女性の方も「それなら良いんだが……」と照れ臭そうに頰を掻く。先ほど彼女に思いっきり叩かれた子供達はというと、少年の方は頭を抑えて悶絶していた。少女の方は「いったーーい!」と叫びつつ頭を抑えており、再起には双方時間が掛かりそうだ。なんとも騒がしい家庭だ事で。
「おっと、そういや名乗っちゃいなかったね……私はエイラ。エイラ・リハッターだ。一応此処で服屋をやってる。入用かい?」
「イガラシ・クロだ、こっちの子はエマ。ちょっと俺の服がボロボロになってたもんで、新しいのが欲しいんだけど……」
一応そう名乗ってから、マントを一部捲る。一応痣は隠すように上げたので服しか見えていないとは思うが、どうだろうか。「うへぇ、何したらこんなになるんだい」などと苦い表情で言う彼女の様子を見るに、バレてはいないか。……いやまあ、服を見繕って貰う以上最後にはバレるのだろうが。
エイラは一つ口元に手を当てて唸ると、足元にあった箱を蹴り飛ばして、その下に眠る衣服の山を漁り始める。仮にも服を売る職を持つ人が、服の扱いそれで良いのか。というかそこを漁ってるという事はそれ売り物なのか。今更ながら大丈夫なのかこの店。
微妙な表情のままその光景を眺めていると、エイラが一枚のシャツを引っ張り出す。それは今俺が着ているシャツに似た黒いものであり、流石に人族の王宮が用意した今のものよりは質が下がる――が、基本的に庶民派の俺からすれば、寧ろ普段着るには楽そうだ。
「これなんかどうだい?ちとサイズが合わないかもしれんが……そこは寸法測って直してやるさ。手持ちは?」
「ちっと不安かもしれない」
「まあまあ良いやつだから結構掛かるよ、銀貨五枚」
「手持ちじゃ銀貨二枚と大銅貨三枚、あとは銅貨が何枚かしか無いな……負けてくれたりは?」
「しないよ、ウチはキッチリ金勘定してるんだ」
「そこは真面目なのね……」
一つ苦笑いして、どうしたものかと考え込む。もう少し妥協して安いものを買うか、それともウパムの屋敷に戻って貯金を取ってくるか。また着た道を逆戻りというのも億劫だが……いや、無理に金を使う理由もないか。特に服に拘りがある訳でもない。何か別の安いものを選ぼう。
と、そう思い直して喉元まで言葉が出掛かった所で、不意にベルの音が鳴る。俺達が着た時も使った、呼び出し用のベルだ。
「む?あいよー!今行くから、ちっと待ってな!……ってな訳で、話の続きは店の方でな。着いてきとくれ」
「あ、ああ」
特に断る理由もないので了承し、先に部屋を出て行くエイラに追随する。二人の子供も共に来るようだ、エイラの足にくっついて歩いているのが非常に微笑ましい。
再び散らかった廊下を抜けて歩くいていくと、再度店内へと戻って来る。一応は客の立場なのでカウンターから出ようと向きを変えた所で、突如エイラがその足を止めた。
「……ったく、アンタらもしつこいね。何度も断ってるだろう!この店を畳むつもりはないって!」
「そうはいかないんですよエイラさん。此処の土地を譲って頂かなければ、我々も困るのです」
待っていたのは、向こう側の世界で言うスーツに当たる礼服に身を包んだ男だった。
如何にも胡散臭い笑顔を浮かべて"らしい"事を言う男を見て、内心『うへぇ』という感想が浮かぶ。また面倒ごとに巻き込まれそうな予感しかない。願わくば何も知らないままでいたいのだが。
……あ、いかん、これまたフラグな奴だ。
「だから、ウチの地下にはそんなもん無いっつってんだろう!?」
「いいえ、確かに存在する筈なのですよ。『最低最悪の魔王』が残したとされる宝具、『王土鱗』……我々はそれを手に入れなければならないのですから」
……。
……なんでまたそんな重要そうなモノ引っ張り出すんですかー!やだーーーーーーっ!




