第36話『お前のようなオネエが居るか』
「……申し訳ないんですけど、『黒妃』を倒せって事なら無理ですよ。『真祖龍』を倒せたのは、ほぼほぼ偶然だ」
「勿論、そんな無茶を押し付けるつもりはありません。ただ、倒すとは行かないまでも、誘導して欲しいのです」
「誘導?」
「その資料をお読み下さい」
アイリーンは俺の持つ『黒妃』の資料を指してそう言い、自身もまた同じものらしい資料を手に取る。俺も彼女に倣って資料に目を通すと、やはりこれは『黒妃』についての生態などを纏めた資料らしい。
――『黒妃』
《最低最悪の魔王》の眷属である、『日蝕』、『真祖龍』と並ぶ、最低最悪の魔王を含む『四黒』と呼ばれる超越存在の一体。『四黒』の中では唯一、現代に至るまで討伐も封印も叶わなかった、継続的な被害報告に於いては最も危険とされる魔族。
外見はその名の通りの漆黒に覆われており、常に黒い霧と紅い電光を纏っている。稀に見える浅黒い肌には紅いラインが走っており、これは主に《最低最悪の魔王》が用いた、正体不明の術式によるものだと推測されている。
普段は黒い霧に覆われているため見えないが、骨組みだけの翼や二本の黒い角、捻られ切ったような異形の足に、その片腕は剣と一体化したかのような姿を持っている。
ただし原型は人型らしく、服のような布切れを纏っていたり、腰ほどまでの黒髪を持っているなどの目撃情報も存在しているとの事。
理性を持たず、ただ無意味に魔界全土を徘徊し、道を阻む者を片端から殺戮して回る化け物。唯一の救いは、この化け物は盲目であり、魔力を極限まで殺し、気配を断つ事ができれば、やり過ごせるという事だ――が、それも個人の話。
その徘徊軌道上に町や村があろうものなら、そこに住む悉くの生命を奪い尽くす。幸運にも『真祖龍』とは違い体の大きさは人体と同程度であるため、なんとか『黒妃』の気配感知範囲外まで軌道が逸れれば、終焉を回避できる。
現状、『黒妃』の討伐はおろか、対抗すらも不可能と言われる程強力な個体であり、肝心の軌道を逸らす方法も確立されてはいない。
何かしらの要因により軌道を逸らし、事なきを得た町も存在すれば、感知範囲外であるにも関わらず急激に『黒妃』が反応し、その襲撃を受けて滅びた町も存在する。その行動パターンには謎が多く、現状明確ではないが推測される対処法として、町と相当に離れた場所に巨大な魔力放出陣を築き、そこから魔力を拡散させ、『黒妃』の気を引く、というものが最善とされるだろう。
――――
「……浅黒い肌に、紅いライン……?」
『黒妃』の外見特徴を復唱し、その既視感に困惑する。
確かに知っている。黒い霧は知らないが、浅黒い肌と紅いライン、そしてそれに付属する同色のスパーク。その特徴は、明らかに俺自身が何度も纏ったもの。
つまりは、『禁忌術式:源流』。
『黒妃』は《最低最悪の魔王》の眷属とある。であるならば、《最低最悪の魔王》が編み出したこの術式を使っていたとしても、何の不よ思議もない。だとすると、ますます勝ち目など遠ざかる。
仮に『黒妃』が常に禁術を使い続けているとすれば、明らかに俺は経験で負けている。いくら理性がないとはいえ、野性の本能も侮れない。俺のみが持つアドバンテージである『収納』も、キルアナ戦で確信した通り、体の小さな相手では活用し辛い。
そしてなにより、『黒妃』が"禁術のみしか用いない"なんて確証はどこにもないのだ。
「……先日、この街に向かっていた商人達との連絡が途絶。魔晶通話の最後の履歴により、彼らは『黒妃』に襲われたと判明しました」
「――!」
それは、つまり。
「偵察隊によれば、『黒妃』はこの街の方向へと進行中。方角に一切のズレ無し……このままでは、この街が落ちます」
「……その為の誘導」
エマが納得した様に呟き、俺もまたアイリーンの意図を察して歯噛みする。何故こうも不運に不運が重なるのか。これも異世界転移の宿命というものなのだろうか、非常に遺憾である。
成る程、依頼内容は『王城から盗まれた資料の奪還』の筈なのに、依頼主が貴族だったのは――
「先日の特務も、本命はこちらです。騙すような事になってしまい、申し訳ありません……何分、公には出来ない事ですから」
「どうにも変だと思ったら……そういう事か……」
ドラマなんかでもよく見る話だ。こんなとんでもない話を聞かされた群衆が、マトモに適切な対処を出来るわけがない。絶対に恐慌状態に陥って、ロクでもない結果になるのは目に見えている。
畜生、全然簡単な依頼じゃねぇ。ハレルヤさんには後で文句を言っておこう。
「クロ様は尋常ならざる魔力をお持ちと聞きました……この街から馬車で半日ほどの場所に、巨大な魔力放出陣を設置しています。そこでクロ様には、出来る限りの魔力を用いて、『黒妃』を街から引き離して欲しいのです」
ナタリスの集落の時ほどじゃない。あんな馬鹿げた戦闘はもう二度と御免だが、今回の依頼の大筋はあくまで『黒妃』の誘導。確かに誘導する以上接敵する可能性もあるが、今の俺のレベルに任せた莫大なステータスと、最悪『禁術』があれば、逃げ切れる可能性も高い。
そも魔力を発しているのは魔力放出陣であり、俺ではない。ならば、一度魔力を流してしまえば俺は魔力を消し、身体能力任せに逃げてしまえばいいのだ。
『――唯一の救いは、この化け物は盲目であり、魔力を極限まで殺し、気配を断つ事ができれば、やり過ごせるという事だ』
資料に載るその一文を信じるならば、それだけで仕事は終わり。あんな戦いをする必要をする必要はないと、そう思ってしまえば楽なんだろう。
ただ、そうは分かっていても。
「……っ」
「……クロ」
エマが心配そうにこちらの顔を覗き込む。その白い指先が遠慮がちに俺の手に触れさせられているが、彼女の手もまたほんの少し震えているらしい。
当然だ。あんなものを見た後であれと同格の存在を誘導しろなんて、例え戦う可能性が低かろうともそう簡単に決心出来る事ではない。 確かに勝利を収めたとは言えど、運と禁術、そして多大な苦痛の上になんとか成し遂げた奇跡。そんなものが二度と続く訳もなく、更にその性質上『黒妃』と俺は相性が悪い。
『真祖龍』の様に巨大であれば兎も角、同程度の体格の相手と戦うには、俺は圧倒的に戦闘経験が足りないのだ。そんな状況で戦闘に至る可能性が少しでもある道に自らを追いやるなど、正気の沙汰ではない。
「……遠隔から、魔力を流す事は出来ないんですか?」
「可能ではありますが……その場合、魔力を辿られる恐れがあります。確実に街から引き離す為には、やはり現地に直接赴く他ありません……」
至極真っ当な理由に舌打ちして、この理不尽な状況を内心嘆く。勿論ながらアイリーンに非がある訳ではない。この街を治める貴族であるならば自らの統治下にあるこの街を守る、その為に必要な手段を確実に遂行するのは当然のことであり、その為にリスクが付くのも当たり前だ。こんな大それた作戦以外にも、魔物との戦い、或いは犯罪者と交戦して命を落とした者も居るだろう。
『力を持つ者には相応の責任が生じる』なんて言葉もあるが、中途半端な期間で急速に力を手に入れてしまったが故に、本来力に伴って成長する筈の精神も未熟のまま。
命の危険に慣れることもないこの内心は、この作戦に参加する事にひどく怯えてしまっていたのだ。
――と、不意に。
俺達が入ってきた扉がノックされ、コンコンという小気味良い音が響いた。
アイリーンやライウッドが一瞬警戒する様に目を細めたが、次いで聞こえてきた「私よぉ、入るわねぇ」などという聞き覚えのある野太い声と同時に、その表情を緩めた。
カチャリと音を立てて扉が開き、同時にナイアとエマが怯えたようにビクリと体を揺らす。
入ってきたのは見覚えのある巨体で、薄紫のウェーブが掛かった髪と黄金色の瞳は見覚えしかない。というか、ここまでインパクトのある人物はそうそう忘れない。
「ぶっ、ブルアド!?」
「そう、私よぉ。数日ぶりねぇクロ君」
そう言ってニッコリと(鋭い牙を見せつつ)笑う彼はそのまま歩みを進めると、テーブルの一角に当然の如く腰掛ける。アイリーンがその顔に微笑みを浮かべて「お久しぶりです、ブラド」などと挨拶している辺りを見ると、旧友だったりするのだろうか。というかブラド?愛称か、ブラドとはまた吸血鬼らしい愛称だことで。
「まずはごめんなさいねぇ、クロ君。今回の依頼、仕組んだのは私なのよぉ」
「ブルアドが……?」
ブルアドはウインクしてそう切り出すと、「どうせだし、ブラドでいいわぁ」などと付け加えてから、その無駄に洗練されたネイルで華麗に彩られた手を突き出し、虚空に円を描くように指を回す。するとすぐさま魔力の塊が円状に薄く広がり、まるで鏡のように形を成した。
魔力鏡はどうやらスクリーンの役割を果たすらしく、どこかの光景が映し出される。
"そこ"はどうやら岩場のようで、立ち並ぶ巨大な岩石群の隙間を砂埃と共に風が吹き抜けている。荒れ果てた大地には地割れのような……というか、まごう事なき地割れが起こっており、底の見えない極小の谷を形作っている。
そしてそれらの最奥。砂埃で風景が遮られている為にぼんやりとしか見えないが、そこには確かに『何か』が居た。
漆黒のシルエット。それが異形のバケモノなのか、人の形をした存在なのかも分からない。周囲だけをドス黒く塗りつぶしたかのような霧に包まれたその影は、確かに見覚えがあるものだった。
封龍剣山内の遺跡で出会った、あの影。周囲の光すら飲み込んでしまいそうなほどに真っ黒なそれは、確かにあの時影が纏っていたものだ。だがその大まかな形はあの時とはまるで違っており、あそこまで判別が付かない程ではない。その背から伸びるものは明らかに翼であり、影の中心から離れる程にその形がぼんやりと分かるようになってくるのだ。
その体は小柄に当たるだろう、何か棒状のもの……爪、だろうか。それを引きずって歩くソレはどうにも不安定で、何処か悍ましい。
というか、この特徴は――
「コレが『黒妃』よぉ。遠見の術式で空間を繋いでいるわ、今はこことはかなり離れているけれど……このペースなら、三日後にはここに辿り着くでしょうねぇ」
「……見た目だけじゃ、よく分かんねぇな」
「そりゃそうよぉ、認識阻害の霧を纏ってるんだものぉ」
ブルアドの言葉を聞きつつ遥か彼方の風景を映し出す鏡を見ていると、不意に先ほどまで歩き続けていた『黒妃』が動きを止める。何事かとその動きに注目していると、、唐突にその影から腕……のようなものが伸びた。
腕らしきソレは天上へと伸び、周囲に散っていた黒い霧を集め始める。映像越しでも分かるほどの圧倒的な力の流れが発生し、やがて収束した一本の塊は細く凝縮され、ドス黒い大剣へと変化する。
――大剣、なのだろうか。
大剣のように見えるソレは、何処かで見たような覚えがある。だが、どうにもその記憶の出所が掴めない。確かに見た事があるはずなのに、何処でそれを目にしたのかが一切思い出せないのだ。
……と、やがて。
黒剣は静かにその刀身を振り下ろし、同時に爆発的な力を放出する。その暴発に飲み込まれた『鏡』は打ち砕かれ、あちら側の風景を映すこともなくなった。どうやら、遠見の術式ごと崩壊してしまったらしい。
「……思ったより、気付かれるのが速かったわねぇ。流石は『四黒』だわぁ」
「……今の、大丈夫なのか?俺達の場所が気付かれたりは……」
「そんなヘマはしないわよぉ。今の映像の送受信は魔力を使ってないわぁ、魔力しか感知できない『黒妃』には見つけられない力よぉ」
そう言って笑ってみせるブルアドはなにも映さなくなった魔力鏡を消すと、腕を組んで深く椅子に腰掛けた。彼の巨体で座っても尚流石の高級品らしく、椅子が重さに悲鳴をあげることも無い。
彼は懐に携えたバッグから一枚の地図を取り出すと、テーブルに大きく広げてみせた。
「その依頼には私も付いて行くわぁ。幸いながら、『黒妃』との戦闘経験はあるのよぉ」
「あるのかよっ!?」
平然ととんでもないことを言ってみせるブルアドに突っ込み、改めてブルアドのおかしさを実感する。今確信した、このオネエただの鑑定員じゃない絶対。なんでこんな人があんな辺境の村に居るんだ……?
実際、あんな『真祖龍』クラスの敵と戦って、逃げ切れるとも思えない。見逃される、或いは他に優先すべき対象が居た、というのなら分かるが……
「あの時は死ぬかと思ったわぁ。なんとか追い返せはしたけれど、あっちはまだまだピンピンしてたしねぇ」
「……」
うん、やっぱこの人化け物レベルだ。
◇ ◇ ◇
「――まあ目的は『黒妃』を誘導する事な訳なんだけれど、そう気負わなくたっていいのよぉ?そもそも直接戦闘する確率だって低い上に、仮にそうなったとしても逃げるだけなら簡単だものぉ」
「簡単……?」
ティーカップに注がれた紅茶を軽く口に含んでそう言うブルアドに疑問を投げ掛けると、ブルアドは「そうねぇ」と一つ呟いてから、ピンと一つ指を立てる。その指先に現れたのは透明な結晶で作られた魔法陣らしきオブジェであり、ブルアドはそれを地図上の一点に置いた。
次いでどうやら俺と『黒妃』を模しているらしい妙に完成度の高いオブジェを作り出すと、これまた魔法陣を挟むように地図上に置いた。
「この陣がある場所が、魔力放出陣よぉ。クロ君にはここから『黒妃』を誘導するための魔力を出して貰うんだけれど、一度多くの量を入れてしまえば、あとは近くに居なくても勝手に魔力を出し続けてくれるのよぉ」
この言葉と共に俺のオブジェの中から光が生まれ、その光は魔法陣へと移る。同時に『黒妃』のオブジェが魔法陣の方に向き、俺のオブジェがゆっくりと魔法陣から離れて行く。『黒妃』のオブジェがそれを追う素振りは無く、やがて魔法陣を完全に破壊してしまった。
だがその頃には俺のオブジェは遠くに離れ、『黒妃』もそれに気付く様子は無い。オブジェはそのまま進み出し、街の方角を逸れて歩き出した。
「こんな具合に魔力を陣に渡したら、あとはもう魔力を引っ込めて置くだけでいいのよぉ。あのバケモノは盲目どころか、視覚も聴覚も触覚も嗅覚も味覚も、五感全てを失ってるのぉ。魔力さえ絶ってしまえば、逃げるのは容易いのよぉ」
「そう、なのか……?」
イマイチ実感が湧かないが、話に筋は通っている。一度『黒妃』との戦闘を経験しているどころか追い払ったという彼も付いてきてくれるのなら、一応安全ではあるのだろうか。元ただの高校生である俺にそんな駆け引きなど出来るわけも無いので、今はただ彼の言葉を信用するしか無い。
……というか、それほど強いのならブルアドが行けばいいんでは無いかと思い聞いてみれば、「アタシはだめよぉ、魔族というより魔物寄りの種族だものぉ。魔物避けの結界に弾かれちゃうわぁ」などという理由で断られた。どうやら魔法陣の周りには魔物の侵入を阻むため、結界を張っているらしい。それなら仕方ない?……のだろうか。
「まあ、精神的に過酷な依頼って事には変わりないけれど、逆に言えば度胸が付くって事よぉ。魔王軍に多少なりとも狙われてるんだから、度胸が無くっちゃどちらにせよ生きて行けないわぁ」
「……それもそう、か」
その言い分は最もであるため大人しく引き下がり、そう言えば先程から一切会話に参加して居ないエマ達に視線を向ける。と、エマは相変わらず顔を真っ青にしつつも冷静を保とうとしているらしい、ガタガタと震えながら歯を食いしばっていた。ナイアに至っては俺の頭の上でのびている。強過ぎるだろブルアドの威圧感。
ブルアドも「ごめんなさいねぇ」などと小さく笑って、一つ指をパチンと鳴らす。すると何処からとも無く無数の蝙蝠が出現し、彼の体を覆い隠していった。
蝙蝠の隙間から「詳細はまた紙に纏めておくわぁ、それまではこの街でゆっくりしていてぇ」などと聞こえたと思えば、無数の蝙蝠達はブルアドと共に消失していた。なんだその移動方法、カッコ良すぎかよ。
軽く笑って、アイリーン達の方に視線を戻す。エマ達も漸く安堵の溜息を吐いてから姿勢を正し、その姿を見てアイリーンが一つ苦笑した。
「そういう事になります。どうか、お力をお貸し下さいませんか?」
「あー……まあ、はい。ブルアド……いや、ブラドが同行してくれるなら。エマ達は流石に連れてけない……だろうなぁ」
「……ごめんね、クロ。ちょっと、マトモに動けないと、思うから……」
初対面の、しかも比較的冷静な筈のエマにここまで怖がられるヴァンパイア族ェ……
ブルアドは『女の子は大概こんなものよぉ』なんて言っていたが、それにしたってこれは凄まじいな。
「……当日までの宿は、この屋敷をお使い下さい。使用人以外は立ち入り禁止なので、騎士達もいない分多少気楽に過ごせるかと思われます」
「あれ?ライウッドさんは騎士なんじゃ……そういや、さっきも言葉遣いが……」
この部屋に入った途端に話し方を変えた二人を思い出して、少し感じた違和感にそう問いかけてみる。するとアイリーン達はお互い顔を見合わせて「ぷっ」と吹き出すと、笑顔のまま衝撃的な答えを返してきた。
座るアイリーンの小柄な肩の横に、ライウッドが膝をついて肩を並べる。
「そう言えばこれはバラしていませんでしたね。ライウッドは私の息子です」
「騙してすまないな。ライウッド・ウパムだ」
「ふぁっ!?」
アンタ、その外見で既婚者かよっ!?
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