第28話『再臨するテンプレ』
空間の揺らぎが一瞬大きくなる。どうやら魔物も俺が存在に気付いている事を察したのか、左右にその姿を揺らして自身の詳細な居場所を撹乱してくる。
本来ならば斬りかかる瞬間に今魔物が何処にいるのかを把握し、移動に合わせて的確に斬り掛かる、というかなり難しい技術が必要になるのだが、生憎と今の俺は『思考加速』スキルの上位互換、『思考加速・瞬』を持ち、更にそのレベルはMAXだ。いくら俺が戦いの素人同然とはいえ、この程度の動きの魔物を捉えるなど、例え魔物の場所を把握する手段が空間の揺らぎしかなくとも容易い。
剣を腰だめに構え、馬車の荷台の縁を足場に宙へと飛び出す。同時に姿無き魔物の残滓が上に跳躍し、俺の剣が届く範囲外へと逃れようとした。その速度は、これまでまあまあな速度が出ていた馬車を追跡し続けていただけあってかなりのモノだ。少しだけ余分に踏み込んで、馬車の速度で引き起こされる慣性が働く寸前に振り切る。
銀閃はしっかりと弧を描いて宙を一閃し、確かな手応えを感じる。同時に虚空から現れた青い血が大地に撒き散らされ、そしていつの間に具現化したのか、歪な形の緑っぽい足首が空間の揺らぎの中から投げ出された。『キシャァァァァァァァーーーッ!!』と耳障りな叫びが響き、擬態の解けたらしいゴブリン風の魔物が地面に転がる。
「っ、とととととっ、あぶねっ!?」
ダメージを与えたのはいいが、慣性に上体を引き摺られて転びそうになる。こんな勢いで転んでしまってはなかなかに痛いので、なんとか体操選手ばりのバク転を決めつつ速度を殺していく。地球にいた頃では絶対にできなかったであろう事だが、レベル制度の影響で身体能力が化物じみてきた今では難なくこなせる簡単な技術程度の感覚しか無い。真祖龍を殺す前のレベル90ですらああだったのだ、レベル270オーバーとなった今ではただ普通に歩くのと同じくらいに自然と出来る。
勢いを殺し切ってから立ち上がり、片足を失いながらもその目に憎悪を滾らせて突撃してくるゴブリン風の魔物と相対する。奇声をあげながら突っ込んでくるゴブリンモドキを前に再び剣を腰に構え、県の届く範囲内には入った途端に振り抜いた。
銀閃が、甲高い音を響かせながらゴブリンモドキの体を両断する。ゴブリンモドキはその一撃で身体中からフッと力を失い、次の瞬間には絶命する。二分された体が、やがてその体を光の粒子に変えて消滅した。
ドロップ品らしい青い魔石は勢いを保持したまま背後に飛んでいき、やがて平原の草の上にトスンと落ちるとコロコロと転がっていき、やがてやっと止まれたらしい馬車の近くで静止する。剣に付着した血を軽く振り払うと、腰に差しておいた鞘に収める。流石にチート組までとはいかないだろうが、これでも以前に比べればかなり上達した方だ。
一つ溜息を吐いてから踵を返し、馬車へ戻ろうと歩き出す。と、エマが馬車から降りて来ており、ゴブリンのドロップ品である魔石を拾って興味深そうにジッと見つめていた。
「どうしたエマ? もしかして、なんかレアなやつだったり?」
「……分からない。けど、初めて見る石」
「うん?……あぁ、そういやあの森にはゴブリンとか居なかったんだっけ。城下町の近くの森には、まあまあな数居たんだけどな」
確かに言われてみれば、ナタリスの森に出現するのは獣タイプの魔獣だけだった。魔獣なのに獣じゃ無いというのも変な話だが、基本的に意思疎通が不可能でありながら、尚且つ強力な力を持った動物が魔物とカテゴライズされている。
話を戻すが、ナタリスの森付近のそういった魔獣が落とすドロップ品は肉や毛皮等が殆どで、こういった魔石や道具を落としたりする魔物は殆ど居ない。故に、知識欲が人並み以上なエマからすると、あの程度の小さな魔石でも興味の対象となるのだろうか。その辺りは本人にしか分からないので、魔石はエマにプレゼントするという事で馬車に乗り込む。
「悪いねぇ、護衛まで任せちまって」
「いえいえ、ただでさえ無理言って運んでもらってるんですから。これぐらいの事はしないと」
苦笑いしながらも軽く跳躍して馬車に乗り込み、後ろに続くエマの手を取って引き上げる。ナタリスの村を出た際自分で軽く登っていた様に、エマならば別にこんな意味があるのか無いのかよく分からないような助けは要らない筈なのだが、一度目の休憩で一旦外に出た際になんとなく手を貸して以降、何故かエマの方から求めてくるようになった。いやまあその時点で素晴らしく可愛らしいのだが、こうして引き上げた際、エマはその勢いのままひしっと抱きついてくるのだ。心地良さげに目を細めて甘えてくる様は、もう俺みたいな奴がこんな天国のような光景を堪能して良いのかと心配になる程には天使だった。が、あくまでも俺の本命は姫路である為、真正面から受け止めてやることは出来ない。
あくまでも向こうでの常識に則るのならば、本命が居る時にこういった状況になるのは本来避けるべきなのだろう。が、彼女は俺には好きな子が居るという事を分かって尚、選ばれなくても構わないと純粋に好意を向けてくれている。そこまで言ってくれるエマをヘタレな俺が邪険に出来る筈もなし、現状のようにただ甘えられるという状況に留まっていた。
うん、まあ正直に言ってしまうと、滅茶苦茶甘やかしてやりたい。
思いっきり抱き締め返してやりたいし、その綺麗な銀髪の上から滅茶苦茶撫で回してやりたい。男ならもうこれは仕方ないとは思う。なんたってここまでとびきりの美少女に『好き』なんて言われてこんなにまで甘えられるとか、全健全な男子諸君の夢じゃないか。別にエマに好意を抱けない――という訳ではない。むしろエマには何度も救われているし、その人柄についても俺はかなり好感を持っている上、実際この少女に対して好意を持っていないと言うとそれは嘘になる。こんな情けない俺を『信じる』と、そう言ってくれたのだ。
しかし、俺が『好き』だと実際に言葉に出来るだろう相手は姫路一人のみ。彼女の元に帰ると誓った以上、この約束は破りたくない。何としてでも彼女と再会して、この想いを伝えたい。彼女の隣に居て、強い様でいて弱かった彼女を支えてやりたい。彼女と共に、あちら側へと帰りたい。その願いは今でも変わらず、確かに俺の心の何より大切な所に存在している。
故に、エマとの接し方にはかなり困っている。
俺が願いを叶えるという事はつまり、エマとはもう二度と会う事が出来ないという事になる。ここまで慕ってくれるこの少女を簡単に切り捨てて、さっさと自分は好きな人と故郷に帰るなんて薄情が出来る筈もない。完全な理想形としてはこちらとあちらの自由な行き来を可能にするという形だが、こういった小説だとそんなものは相当ヤバい相手――それこそこの世界の創造神『アルルマ』や、《最低最悪の魔王》クラスの化け物を殺さないと帰れない、なんて事はよくある話だ。そうなると当然共に居るエマにも相応の危険が迫るという事になり、そこまでの相手からエマを守り切って更に勝利を収めるなんて、楽観視どころの騒ぎではない。
最終的な理想は『二つの世界を自由に行き来する方法を確立』する事。この世界がどの様な物語の上に成り立っているのかは分からないが、出来ればなるべくイージーな話であってほしい。まあ、いきなり『真祖龍』と戦うなんて馬鹿げたスタートを切った時点であまり期待などしていないが。
温もりを求めるかの様にエマに抱き着かれたまま、少しずつ壁によって床板に腰掛ける。腰から剣の鞘を外して立て掛けると同時、冷やかす様な声が御者台から届いた。
「お熱い所悪いんだがお二人さんや、そろそろ出ても良いかい? 」
「……あー、なんか、はい、どうぞ」
本命は別に居るとでも言おうとしたが、信じてもらえなさそうだったのと、そもそもエマの目の前でそんな事を声を大にして言うのも性格が悪いという思いから却下し、適当に生返事して流す。抱き締めてくる力がキュッと強まった様に感じてエマの方を見ると、胸に押し付けて隠れていた顔が少し赤くなっていた。恥ずかしいなら止めりゃあいいのに。
「……お、丁度良いや、村が見えてきたぞ。そろそろ馬も疲れてきた頃合だろうし、今日はあそこに寄るとするか」
アルカナラがそう言って指差した先を見ると、確かに今走っている丘を一つ越えた先に少々大きめな村が存在していた。目測で見る限りは馬車で二十分程度だろうか、これまでの長距離移動に比べれば全く以って苦痛でもない時間だ。初めて見るナタリス以外の魔界の文化というものに不覚にも胸躍らせつつ、事前に用意しておいたローブを羽織る。流石に異世界ファンタジーでこの黒髪は目立つだろうし、そもそも俺は魔族ではないのだ、正体は隠さねばならない。故に目深にフードを被って、魔族の特徴たる耳を隠す。ちなみにナタリスの村で譲り受けたこのローブ、僅かではあるが魔力を宿しているらしく、アーティファクトとしての一面も持ち合わせている。なんでも魔術的なお守りみたいな術式が刻み込まれているようで、周囲の人間から自身の認識を外すのだとか。
数分待機していると自然と馬車は丘を越え、いつの間にや村の入り口付近にまで辿り着いていた。
アルカナラが先に御者台から降り、入り口の横に建てられた小さな衛兵の詰所の戸を叩く。何やら中から出てきた兵士と軽く雑談して、すぐにこちらへと戻って来た。馬の手綱を引いて村の中へと誘導し、衛兵の指示に従って馬車を動かしていく。ナイアを肩に乗せた俺とエマは馬車を降り、なるべく衛兵に不信感を与えない様に自然と横をすり抜けた。
「アルさん、先に行ってますね。バレるとマズいんで」
「おう、気を付けてな。後ですぐ合流するからよ」
ちなみにアルカナラはナタリスではないのだが、『商人は客に対しては平等に接しなきゃならねぇからな』と言う理由で俺が人間である事は別になんとも思わないらしい。なんで魔族ってイケメンが多いのさ、いやまあ物凄い助かるんだけれども。
アルカナラと別れて、エマと共に村を散策する。どうやらこの村はナタリスの集落のように一つの種族が集まって暮らしているという訳ではなく、多数の種族が共に共存しているらしい。まあ当然ながらその『多数の種族』は全て魔族に当てはまるのだが、少なくとも人族との戦争でピリピリしているという事はないようで安心し――って、む?なんか、ピリピリしてるというよりは……雰囲気が、重い?
なんだろう、村全体が暗い雰囲気に包まれているというか、何か全ての住人達に憂いがあるように感じられる。何だろう、普段の様子を知らない俺が言うのもなんだが、何処か空気が非常にギクシャクとしているのだ。
「……エマ、分かるか?」
「……皆、怯えてる。何かすごく本能的な部分から、完全に萎縮しちゃってるの」
怯えている、と来たか。
見た感じ、村の外見は平和だった。何かしら危険な魔物が出現するという雰囲気でもなかったし、村全体の様子を見ても不審な点は見当たらない。特に村が被害を受けているなんてこともなければ、何かおぞましい気配がする何て事もない。となると、怯えているというのはやはり戦争関連になるのだろうか。確か俺が魔界に来る直前では人族がかなり押されていた筈なのだが、2ヶ月経った現状ではどんなものなのだろう。姫路達チート軍団が居るのならばそうそう負けなどないとは思うが、現状の戦争の戦況は最優先に知っておきたい事でもある。となると、人が多く集まる場所に行った方が良いか。
暫く二人(正確には二人と一匹)で歩き、村を巡っていく。結構ナタリスの集落とは違い、家の構造は煉瓦造りのものが多い。主に置かれている光源も松明ではなくランプであり、やはり異世界ファンタジー特有の中世ヨーロッパ感はあるものの、ナタリスの集落と比べるとやはり幾らか技術が進歩していた。それでもやはり、何もかもが自動化されたような文明の利器だらけの世界を知っている地球出身の身からすると、物足りない感はあるのだが。
が、まあ当然ながらエマは興味津々らしく、その紅い瞳を輝かせて村中をしきりに見回している。ナイアもはしゃぐエマの肩に乗って楽しげであり、思わず走り回るエマを微笑ましく眺める。するとエマは何かを見つけたかのように一瞬何処かを凝視して立ち止まると、すぐにこちらに向かってきて俺の手を取った。
「クロ!あれ、何っ!?」
エマがその普段のゆったりとした口調を崩しつつ、興奮気味に指差したのは……ほう、あれは…………って、ふぁっ!?
「た、たこ焼きぃっ!?」
「……あれ、たこ焼きって言うの?」
愕然としつつも思わず叫んだ俺に、エマが興味深そうにその屋台を見つける。どうやら半円状に幾つもくり貫いた鉄板を並べて下から焚き木で熱しているらしい。えっ、なんでこのTHE・ヨーロッパの街並みに並ぶ屋台でたこ焼き?ってかなんでそもそも異世界にたこ焼き?なんでそこチョイスした?他にも色々とあるだろ色々と。いやまあ小さい頃親に連れられて行った大阪で食った本場のたこ焼きは美味かったけど。
こちらの視線に気付いたらしい店主が、暗い雰囲気では商売も出来んとでも言わんばかりに一瞬で笑顔を浮かべ、清々しい声音で「らっしゃい、たこ焼きどうだい?」等と推してきた。いやまあ頂きますけど。アルカナラと交渉して幾らかの物品を現金に交換してもらったし。
ちなみに、交渉の際は適正値段にする為にエマに同行してもらった。俺は適正価格なんて分からないので騙されても不味いと、きっちり適正価格である事はエマがアルカナラの心に直接確認済みである。
取り敢えず6個ほど買って、村の中を食べ歩く事にする。エマに爪楊枝の使い方を教えてやりつつ、一つ冷ましてから口に放り込んでやると、次第にその頰を緩ませた。どうやら大阪の三大美味(俺調べ)の一角はエマにもご満悦頂ける品だったらしい。自身もたこ焼きを口に放り込みつつ、久々に食べる大阪の味に懐かしさを感じる。やはりたこ焼きは良い文明。これを考案した奴とは仲良くしたいものだ。多分過去に来たのであろう同郷の仕業だろうが。
村を散策していると、一つ大きめな建物が目に入った。大きく張り出された看板の文字(どう足掻いてもそうは読めないのに、何故か意味は分かる。転移特典というヤツだろうか)を見る限り、その建物はこういった異世界ファンタジーには欠かせない重要要素である事を把握する。成る程、すっかり失念していた。ここは――
――ギルドか。




