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第3話『目を背けていた本当』

本日2本目。

「姫路!?」


 突然倒れこんだ彼女の上体を起こし、その前髪を分けて真っ白な額に手を当てる。

 手のひらから異常な熱が伝わり、多量の汗が乾いた掌を湿らせる。


 明らかに危険な状態だ。それなのに、彼女がさっき言っていた事もあるのだろうが、こんな状態でわざわざ助けに来てくれていたのか。

 今すぐに倒れてもおかしくないような、ボロボロの体で。


「……くそっ、完璧超人ならまず自分の体を労われっての……!誰か、魔法でもなんでもいい!水と氷を寄越せっ!あと姫路の部屋何処だっ!ちゃんとした所に寝かせたい!」


「あ、ああ、こっちだ!オイ、氷水を用意しろ!勇者様の一人が倒れた!部屋を先に一室開ける、鍵を渡せ!」


 それなりに高い階級らしき男が慌てて指示を出し、周囲の人間も駆け足に散っていく。法衣の男の指示通りに未だ意識を失い、息を荒くしている姫路を背負って、案内に従って長い廊下へと飛び出した。

 走っている内も、胸の中を形容し難い苛つきのような感覚が暴れ回る。


「……頼むから、治ってくれよ……!」


 でなければ、彼女に貰った恩を返せない。

 彼女の自己犠牲で俺が助かったって、何一つ嬉しくなんてない。彼女はもっと先へ行ける人間なのに、それの足を引っ張るなんて御免だ。

 俺みたいな落ちこぼれの為に、彼女(天才)が犠牲になるなどあってはならないのだから。






 ◇ ◇ ◇







「――、ぐ……」


「……はぁぁぁぁぁぁーーーーー………っ」


「……え?」


 姫路が目を覚ましたのはそうあとの話でもなく、彼女が倒れ、ベッドに入れて氷水で濡らしたハンカチで頭を冷やしてやった、その三十分後の事だった。


 ある程度は保健委員で慣れた処置を施し、流石に服を脱がす訳にもいかないので顔や腕、足だけよく湿らせたタオルで汗を拭い、あとは脈を測って正常である事を確認した。どうやら咳はないようなので、尋常ではない程の高熱だけはなるべく頻繁にハンカチを取り替え、常に冷えた状態に維持する。


 そんな事をしていると案外30分なんてものはすぐ経ってしまい、こうして目が覚めた彼女を前に深過ぎる溜息を吐いたという訳だ。


「……わたし、は」


「広間で倒れたんだよ。異世界だの転移だので混乱しちまったんじゃねぇか?」


「──異世、界……?」


 姫路が呆然と、目を見開いて呟いた。

 そしてその言葉の意味を何度も反芻し、呟き、次第に顔を青ざめさせていく。ガタガタと肩を震わせ、歯を食いしばってその視線を落としていく。

 現実離れした、中世のような巨大なベッド。棚の上に置かれた燭台に刺された、先に炎を灯すロウソク。窓から見える光景は明らかに日本とはかけ離れたモノで、それは明らかに『ここは紛れもない異世界なのだ』と突きつけてくるかのような光景だった。


 次第に、姫路が悲鳴のような声を漏らし始める。


「――あ、ああ……あぁあ…………っ」


「姫路?」


「――嫌、嫌……ぁ、ああ……っ!ぁぁぁぁーーーあぁぁぁああぁっ!」


「な……っ、おいっ!しっかりしろって!姫路っ!」


 否、悲鳴のようなではない。

 それは紛れもない悲鳴。世界の理不尽に嘆き、ただ現実を否定する為に喉から絞り出す、冷静なんてものからはかけ離れた、幼い悲鳴。

 それが目の前の、完璧だと思っていた少女の口から発せられたのだという事を、咄嗟に信じる事が出来なかった。

 何をそんなに恐れているのか、何をそんなに錯乱しているのか。

 それが、この一瞬には理解出来なかった。


「嫌、いや――!帰れない……っ、帰れない……っ!!いや……ぁぁ……っ!」


 その言葉を聞いて、漸く理解する。何を恐れて、常に冷静だった彼女があんなにも取り乱していたのか。何を怖がって、常に冷めていた彼女があんなにも必死になっていたのか。

 簡単な事だった。いくら彼女が人間離れしているからといって、彼女は紛れもない人間だった。


 彼女は、もう向こう側の世界(故郷)に帰れなくなるかもしれないと瞬時に把握し、その現実を何があっても否定したかったのだ。


 家族だっているだろう。大切な人だって居たかもしれない。思い入れのある場所や物だってあったかもしれない。それが、問答無用でこんな場所まで引きずり込まれてしまった。

 こういう事に密かに憧れ、その闇を直視しようとしなかった俺達とは違い、聡明な彼女は一瞬でそれを見抜いたのだ。そうして内心、こんなになってしまう程までに追い込まれていた。


 浮かれていた。


 突然の出来事で、突然な非日常に巻き込まれて、感覚が麻痺していたのか。その程度の事すら、気付く事が出来なかった。

 大した交流も無かったクラスメイト達と一緒に、大切な人達を置き去りにして、何一つ分からない、そして帰る事すら許されない世界に放り込まれる孤独。それが、どれ程までに苦しいものか。


 けれど、慰める言葉なんて、持ち合わせている筈がなかった。


「落ち着け……っ、頼むから……!」


 咄嗟に口に出来たのは、気の一つも利かないそんな言葉だけ。

 何もかも失ってある筈のないモノを求める彼女の手を取り、視線を彷徨わせる彼女の瞳を真正面から見つめる。

 このままただ激情のままに流していては、いずれ彼女の精神が壊れかねない。


「ぁ、ああ……っ!いや……ぁ!あぁ……っ」


 弱々しい声を上げ続けながらも、漸くこちらの存在を認識したのか、握った手をキツく握り返してくる。彼女の莫大なステータスが働き、握る手に激痛が走るがそれでもお構い無しに握り続ける。やがてもう片方の手がクロのブラウスの胸元を固く握り込み、縋り付くようにその顔を寄せてきた。

 多少困惑しつつも今は彼女を宥めるのが先決だと、空いた手で未だ震える彼女の背をあやすように叩く。

 目と鼻の先にまで近付いた彼女の髪からは優しげな香りを感じ取り、しかしそれも胸元を濡らす涙の感覚と手に走る激痛に吹き散らされた。


 固く握った手と、胸に押し当てられた彼女の額から震えを感じ取って、やがてその華奢な体を抱き締める。兎に角、今は孤独に震える彼女を安心させてやりたかった。



 その弱々しい泣き声は数十分の間、この広い部屋に響き続けた。










 ◇  ◇  ◇












「……ごめんね、ちょっと取り乱した」


「あ、あぁ、分かってる。むしろその反応が普通なんだ、異世界だなんて浮かれてた俺たちの方がどうかしてる」


 ようやく落ち着きを取り戻した姫路は、目尻を赤くしながらも涙を止め、横になって額のハンカチに手を当てていた。

 握られていた手は未だそのままで、さっきのように痛いほど強くなくとも、繋がりを求めているかのようにしっかりと握り締められている。多少気恥ずかしいものがあるにはあるが、彼女がそれで安心できると言うのならばそうする他ないだろう。

 ……顔赤くなってるとか言うな。


「……ねぇ、五十嵐君」


「えっ、あ、はい。なんでしょう」


 テンパり過ぎてつい敬語になってしまったが姫路はそう気にした様子も無く、ハンカチに当てていた手をベッドに投げ出して天井に視線を戻した。一度深く目を瞑って、覚悟を決めるかのように深呼吸をしている。しばらく経つとそれも終わったのか、目を開いてポツポツと話し始める。


「……私ね、昔からそこそこ物覚えはよかったの」


「……そこそこっていうか、まあ『本当に同じ人類かよ』って思うくらいには良かったな」


「あはは、そこはうん……まああんまり声を大にして否定出来ないのが辛いところかな」








 ──初めにね、自分が他の人よりもずっと凄いんじゃないかって思っちゃったのは、小学校に入ったすぐ後くらいだったかな。



 え?結構自己評価高い?……うんまあ、こうまでなるとどうしてもそういう気持ちも出てきちゃうっていうか……なんというか……



 それは兎も角。……私、その頃にはもう中学三年生くらいの問題なら、その世代の一般的な点数は取れるくらいには勉強が得意だったの。よく言われたわ、異常だーとか、天才だーとか。



 その頃はまあ流石に小さかったのもあるし、素直に喜んでたんだけどね。小学五年か六年くらいの時に、色々と気付いちゃって。



 私は憧れられたり、褒められたりしてる訳じゃないんだって。



 どういう事って…….つまりはそういう事なの。気持ち悪がられてた。



 いくらなんでもおかしい。人間のレベルじゃない。何かの間違いなんじゃないか、って。



 もうその頃には、友達なんて呼べる子は殆ど離れていっちゃってね。



 中学に入ってからは、またそうなるのが怖くて、友達を作ろうともしなかった。



 自分から距離を置いたら、その成績なんかでもやっぱり怖がられて、誰も話しかけて来なかったの。結構辛かったよ?アレ



 親戚どころか親からも気味悪がられて、最後には周りから誰もいなくなってた。



 でもいい成績なのは親のキャリアなんかにもなるからね、もう十分気味悪がられてるし、今更取り繕っても遅いのは分かってる。だからせめて、継続していい成績を取って、親と話す機会なんかがあればいいなって思ってね



 そうやって多少頑張ってきたけど、結局話せずじまいだった。



 けどね、その代わりに、別の道を見つけたの。



 覚えてる?初めて会ったくらいの時。確か高校に入って3日目の、校内案内終わったくらいだったと思うけど。



 一旦教室に集まって、先生が来るまでの待機時間。絵を描いてたら隣から声掛けてくれたでしょ?



 あ、忘れてる?酷い。



 まあそれは良いとして、その時五十嵐君、『ネットとか投稿してんの?』って



 私その時、ネットとかはよく知らなかったから詳しく教えて貰ったんだけど



 その時、もしかしたらコレなら、誰かと友達で居れるかもしれないって思ってね



 今じゃ何人か仲の良い人も出来て、アプリなんかでよく話してた。本当に楽しいんだ、あの時間は



 これまでずっと一人だった分、遠く離れててもいいから、巻き返そうって



 そのキッカケをくれたのが五十嵐君だった訳だけど。親切にネットの友達だとか、マナーだとかまで紹介してくれたんだよ?あの時



 あれから私、ホントに救われた。もしかしたら、こんな気持ち悪い私でも誰かと仲良く出来るんじゃないかって。五十嵐君ともちょくちょく話してた訳だしね



 なのに。





 ──なのに。




「――なんで?なんで、こんな所に来なくちゃいけないの?

やっと出来た友達との繋がりを断たれて、あんなでも大好きだったお父さんやお母さんとも引き裂かれて、右も左も分からないような世界に、殆ど話した事も無かったような人達と一緒に放り込まれて。

……何が勇者よ、何が魔王よ、何が魔法よ、何が能力よ、何がチートよ。ふざけないで、私はこんなもの要らない、欲しくなんてなかった……っ!

チート(こんなもの)もううんざりだったから、散々振り回されてきたから、散々傷付いて来たんだから。その果てになってやっと見つけた幸せを、なんでこんな下らない事のために失わなきゃいけないのよ……!お願いだから……私をあっち(地球)に返してよ……っ!」


「――。」


 言葉を、失った。


 ようやく理解した。彼女の普段の憂鬱気な顔の意味を。

 ようやく理解した。人と関わろうとしない彼女の態度を。

 ようやく理解した。初めから持ち過ぎた故の痛みと苦しみを。


 ようやく理解した。あまりに深かった、彼女の孤独を。


 今一度、彼女の頬を涙が伝う。彼女はそれを隠すように手の甲で目を擦り、溢れ出る熱いものを留めようと必死に拭い続けた。

 自分の考え無しを、改めて呪う。何を浮かれていた、憧れだった異世界に来て、英雄譚の一員にでもなれると思い上がっていたのか?ふざけるなよ、孤独の痛みは、お前(オレ)自身がよく知っている筈だろうが。


 周りに取り残され、たった一人で歩く苦しみを、彼女程とは言わずとも知っていた筈なのに。


 物語なんざ知ったことか。ただ生き残る、それだけの難しさを、周囲の大人達に保護されてきただけの俺達が知る筈もない。異世界転移のもう一つのテンプレ、『転移した世界で生きていく覚悟が出来ていない』――よくある話なのに、たった今まで失念していた。


 理解しろ、お前(オレ)はもう、家族にすら会う事もできないのだと。


 一人では生きて行けない。誰かと手を取り合って、やっと人は人足りうる。それはこの世界でも、なんら変わることなど無い。


「――なんで、なんて疑問には、俺も答えらんないけどさ」


 繋いだ手を、二人の視線の先まで持ち上げる。


「一人よりは、二人だ」


 姫路が、目を丸くした。

 困惑するように握った手とこちらの顔を交互に見て、少し恥ずかしがるように目を逸らす。こちらも多少気恥ずかしいが、ここで引いては男が廃るというものだろう。ぎこちないながらも笑顔を保ったまま、続ける。


「俺はスペックも馬鹿みたいに低いし、頭も姫路みたいには回んないけどさ。帰る方法を探すくらいは、手伝えると思うぞ」


 こっ恥ずかしい臭い台詞を言っているせいか、羞恥で顔が熱い。今頃真っ赤になっているだろうが、それはお互い様だ。だから言い切ってしまおう。よくありがちな、先人の知恵(テンプレの台詞)を借りて。


「だからさ」


 なんだっていい、格好悪くたって、笑われたって。


 最後に笑えた奴が勝ちなんだ。



「これからは、友達でいようぜ」



 その時の彼女の何より眩しかった笑顔は、きっと何年経っても忘れる事は無いだろう。











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