第27話『門出』
ガラガラと馬車の木製車輪が小気味良い音を立てて回転するのが、今まさに俺が座っているこれまた木製の床板から伝わってくる。空いた窓から見える景色は既に森一色ではなく、地球生まれだと到底信じられないようなとんでもなく広く美しい平原だ。更に言うと空を見上げれば、何やら光り輝く結晶体を幾つもその中に埋めた大岩やら小島やらが宙に浮かんでいる。
小島なんかはその上に小規模ながらも森だの林だのが広がっているものもあり、いよいよアニメかよと言いたくなる程現実離れした絶景は俺の常識を悉くぶち壊していった。まあ既にアニメみたいな状況に巻き込まれているとか言われたらもうなんとも言えないのだが、こればっかりは地球生まれ地球育ちの俺からするとかなり受け入れがたい光景なのだ。簡単に言うとSAN値ピンチ。
視線を窓から下に戻せばそこでは白髪紅眼の美少女――エマが、その艶やかな髪と同色の鱗を持つ子竜、ナイアをその胸に抱いてすぅすぅと心地良さげに眠っている。ナイアもまた彼女の腕の中で小さな寝息を立てており、その鱗の隙間から覗く黄金の体毛が馬車の御者台の方から流れてくるそよ風に揺れている。
無論直接床に眠っているという訳でもなく、用意した大きめの布を下に敷き、俺の膝を枕に眠っているという訳である。どうにもエマは誰かの体温を感じつつ横になると直ぐに眠くなってくるらしく、以前エマが行方不明になった騒ぎのほんの少し前も、 彼女は俺の膝に頭を預けるなり直ぐに寝てしまっていた。思わず苦笑して、その少し乱れてしまった白銀の髪を直す。
俺は――五十嵐久楼は今、ナタリスの森を抜け、遥か遠き人界へと戻る旅の途中にある。
◇ ◇ ◇
「……やっぱり、行ってしまうのね。エマ」
「……うん、勝手に決めてごめんなさい──けど、私はクロの助けになりたいから」
祭の夜から日の明けたナタリスの集落、その正門。そこに待機する小振りな馬車の横で、俺とエマ、そして彼女の両親である二人が向き合っている。更に正門の下にはラグやデウスなどの今まで世話になった大人達も立っており、それぞれその表情にはどこか暗い色もあった。
――今更言うまでもなく、別れの挨拶に他ならない。
ラナが寂しそうながらも笑みを浮かべて言い、エマもまたその笑みに困ったような顔で答え、笑う。ラナの隣で複雑そうにしていたギールがその頰を小さく緩ませて、その大きな手のひらをエマの頭に乗せた。不思議そうに見上げるエマにギールは笑い掛けると、くしゃくしゃとその髪を撫でてから思いっきり抱きしめる。
驚いたように胸の中から見上げてくるエマに、ギールが穏やかな笑顔を浮かべたまま言葉を掛けた。
「行ってこい、エマ。憧れ続けた外の世界を見てきて、そんで全部やる事が終わったら、その話を聞かせてくれ。なぁに、気負わなくても、クロはこの集落を救った英雄なんだからな。気楽に行けば良い」
「オーケーギール、ストップだ。その話は俺の主に羞恥心に刺さる」
目の前で英雄だの言われるとか、それなんて新手の拷問?
言葉の裏に僅かな威圧も込めてギールを制止すると、『おお怖い怖い』とでも言いたげにギールが肩を竦めてみせる。この男……全く反省してやがらねぇ、当然か。ヘタレな俺の性分はキッチリ見抜いてくるからナタリスの読心(と言って良いのかは分からないが)能力は嫌なんだ。いやまあ本気で嫌がってる訳でも無いが。
微妙な表情でギールを睨み付ける俺に、エマが困ったように笑う。そんな彼女の下にとてとてという足音が続き振り返ってみれば、そこ居たのは集落の子供達。さらにそのまた後ろには村中の大人達が集まっており、思いの外大掛かりな見送りになってしまったようだ。
この別れはエマの両親、そして世話になった一部の大人達にしか知らせておらず、集落の子供達には『大陸の下へと仕事に行った』とでも誤魔化してもらう予定だったのだが。
何処から情報が漏れたのか、どうやら全員にバレていたようだ。
「エマ、また何処かに行っちゃうの? ……もう、会えないの?」
そのナタリス特有の赤眼に涙を浮かべて、子供達がエマの服の裾を握る。先日のエマの失踪事件の影響もあるのだろうが、俺自身の存在がその別れを齎したのだと思うと、酷い罪悪感が心を抉ってくる。居た堪れなくなって少し目を逸らすと、腰に当てていた手がギュッと握られた。その真っ白な手は当人であるエマのもので、その優しげな瞳がこちらの瞳を射抜いてくる。"クロのせいじゃないよ"でも言いたげにエマはこちらの手を強く握り締め、不意にその手を離し、子供達の頭に置いて屈む。
今にもわんわんと泣き出しそうな子供達を安心させるようにエマは笑い掛けると、子供達を纏めて抱き締めた。
「……大丈夫、絶対帰ってくる。クロだって一緒に居るんだもん、危ない事なんてないよ」
「……ホント?」
「本当。……私、これまで皆に嘘を付いた事、ある?」
「……ない」
子供達はその一言でやっと落ち着いたらしく、全身に入っていた力を抜く。それぞれがぎゅっとエマを抱き締め返し、エマもまた笑って力強く抱き締め返した。
エマは立ち上がり、決心の付いたような顔で馬車に向き直り、歩いていく。その御者台に座るのは稀にこの村へ商売に来る商人――アルカナラという名らしい――であり、今回クロが幾らかの人界産の品と、一応は魔獣のカテゴリに入るという事であの後回収した真祖龍のドロップのいくらかを差し出すという事で同乗を許可されたのだ。人界としては大した事のないものであっても、場所が違えば高価になり得る事もある。そんな財政チート系異世界召喚で培った事前知識はこの世界でも通じるようで、色々とジャンルを齧っておいて良かったと安心した。真祖龍の素材の価値はどれ程になるものか予想はつかないが、なるべくは使わないつもりではいる。が、そんなやりにくい事この上ない品での突然の交渉に応じてくれたアルカナラには感謝せねばなるまい。
「兄ちゃん、あっちに帰るんだよな」
イサナが子供達の隙間を縫って割り込んでくる。その瞳は何処か他の子達よりも達観しており、その外見とは似つかわしくない笑みを浮かべていた。ヤケに大人びた雰囲気を醸し出す悪ガキの様子に困惑を覚えつつも、その肩が小さくプルプルと震えているのを見て察した。こんな子供に気を使わせてしまうとは、悪い事をした。
少し暗い顔で俯向くイサナにデコピンをかまし、額を抑えて抗議の視線を送ってくるイサナの頭を思いっきりぐしぐしと撫でる。
「ぐわっ!?な、何すんだよ兄ちゃん!」
「変な気使ってんじゃねぇよ。いつもみたいに好き勝手にすりゃあいいんだ、子供なんだから」
冗談めかして言い、ポンポンと軽く頭を叩く。イサナはやがて他の子供達がしていたように涙を瞳に溜めると、声を上げることはなくとも俺の腹あたりにガシッとしがみ付いて涙をこぼし始める。その顔を見せず声も上げないのは男の子の意地というやつか。
そうして落ち着くまでその背をさすっていると、不意にギールが俺の方に近寄り、耳元に顔を寄せてきた。何かあったのかと耳を傾けると、ギールは「何、大した事じゃない」と前置きしてから、一気に表情を険しいモノに変える。鬼気すら感じさせるその雰囲気に体が底冷えし、冷たいものが背中を走った。
「――エマを泣かせてみろ、お前をぶん殴ってエマを連れ戻してやる」
「……っ!」
とんでもなくドスの効いた重低音。それは俺の体を芯から冷やすかのように、危機本能を全力で喚起させてくる。ギール自身の強さについては聞いた事もなかったが、この分だとラグと同等かそれ以上ではないだろうか。純粋に父親としてエマを心配しての忠告なのだろうが、やられる俺の身からすれば心底恐ろしい。
無論、こんな危険な旅に付き合わせている以上、そんな無様を晒すつもりは無いが。
「――絶対に、これ以上エマを傷付けるような事だけはしないと、約束します」
思わず、敬語で返す。既に彼女の気持ちに応えられないと振ったばかりの分際で何を言っているのか、そんな気持ちもあったのだが、それは彼女にも再三言っていた事だ。だからせめて、これ以上彼女を傷付けないように全力で守り切ろう。あの時のように全部投げ捨てて『誰か』に任せるのではなく、今度こそ自分自身の手で、何があろうとも彼女を守る。それはあの時エマの命を諦めてしまった俺が、再びエマを危険に引き摺り込もうとしている事への最大限の償い。最低限の義務だ。
例えまた幾度この身を擦り減らそうとも、彼女をこの集落に送り返すその時まで、彼女を護り切る。
ギールが暫し俺の瞳を真正面から恐ろしいほどの眼光で睨み付け、やがてフッと笑って俺の頭に手を置く。そのままガシガシと不器用な手つきで撫でてくると、俺の背をまるで後押しでもするかのように突き出した。
「……うし、じゃあ行ってこい。エマを宜しくな、息子よ」
"一度同じ飯を囲めば、それでみんな家族だ"
それはナタリスの常識であり、必然である理。同じ飯を囲み、同じ話をして、一緒になって笑い合う。それは彼らナタリスの歴史に続く思想であり、その考えは今も衰えてなどいる筈がない。故に、彼はこの種族すら違う2ヶ月程度の付き合いの人間を家族だと言う。ならば彼は俺の家族であり、第二の父という訳だ。故に、俺もこう返そう。
「……あぁ、行ってくる。父さん」
父にそう返して、落ち着いたらしいイサナの頭を最後にぐしぐしと撫でてから、背を向けた。先に行っていたエマが馬車の荷台に乗り込んで腰を下ろす。俺もその後に続き、朝早くから起きていたせいか肩に乗っている眠たげなナイアを先に馬車に乗せ、自分もまた乗り込んだ。思いの外台が高く、以前の俺では絶対にありえなかったであろう柔軟性を以ってのし上がる。
集落を振り返る。その視界の先では家族達がこちらを注視しており、ほんの少し気圧されそうになった。けれど、今この別れの場にそんな情けない姿は見せていられない。意志を気丈に保ち、笑顔を浮かべて彼らと相対する。アルカナラが見計らったように馬の手綱を引き、馬車が勢い良く動き始めた。慣性の法則により強い揺れに体勢を崩し掛けるも、ほぼほぼ座っていた為に被害はあまり出ずに済む。エマがその真っ白な右腕を掲げて、大きく手を振り始めた。
馬の速度はどんどんと早くなり、森の道を進む内にやがて家族達の姿も小さくなっていく。俺もまた彼女のソレとは対照的に、『侵蝕』の影響で黒く染まった左腕を持ち上げて手を振った。まるで本当にアニメや漫画の旅立ちの風景のようで内心苦笑しつつも、案外悪くないと笑みを浮かべる。
あちら側も大声の声援とともに手を振ってきており、いつもは静かだったアガトラムの森に幾つもの叫びが木霊した。しかしそれらの声すら掻き消して、一際大きい声が響く。
「――行ってらっしゃい、エマっ!クロっ!」
母がその瞳に少しの涙と、満面の笑顔を浮かべて、旅立つ子達を祝福する。魔界の最北端から南の人界へと、何年掛かるかも分からないような、長い長い旅。魔界に居ればクロが排斥され、人界に行けばエマが排斥される、そんなお互いにとって過酷な旅。未知数の危険へと突き進む二人を、しかし彼女はしっかりと後押しした。そしてその言葉に対するお返しの言葉は、たった一つ。それは地球出身のクロであろうと、ナタリス出身のエマであろうと変わらない。
故に、俺達は声を揃えて返す。
『――行ってきます!』
「──んで、出て来たのは良いものの」
既にナタリスの森を抜けてから12時間は経過した。別れの時は未だ顔を出しかけていただけの太陽も、今や南の空に沈んでいく。そういえばこの世界、太陽の軌道は地球と違うようで、なんと北から登り南に沈む。それだけでも地球出身からすれば摩訶不思議な事この上ないが、付け加えて言うのならばなんとも複雑な事に、月の軌道は東から登り、南の空を通って西に沈む――かと思いきやそのまま北の地平線スレスレを低空飛行し、今度は大陸の真上を通って突如一気に崩壊するそうだ。
ここまで行くのに約半年。月の移動速度はやたらと遅く、昼間でも普通に上空に出ている。まあ太陽の輝きでその姿も掻き消されているのだが、夜中はキチンと太陽の光を反射して輝いている。
どうやらこの月、宇宙を漂う小惑星群が結集したものらしく、最終的には崩壊して慣性の法則に従い『世界の果て』へと降り注いでくる。あの時『真祖龍』の動きを止めた流星もその一つらしく、あの流星群は全て月の欠片だった、という話だ。そのりくつはおかしい。
尚、月が崩壊すればまた新たな月が誕生する。天文学はこの世界にもあるらしく、この世界の周りに漂う無数の小惑星群がいずれ統合されていき、一つの月となるという話だ。ナタリスの中でも特に博識な者に聞いてみれば、あの神星幕もその月が砕け散る前兆なのだとか。本で得た知識と合わせて、徐々にこの世界のアホみたいな常識が分かってきた。
如何にも堅苦しい雰囲気の王城の大図書館にこんな馬鹿げた内容の本がズラリと並んでいた為、俺としては少々シュールに感じていた。それも俺があくまで地球の常識を根元として思考しているからなのだろうが、やはり違和感は拭えない
現在進行形でアルカナラの馬車にお邪魔し、魔界大陸の広大な大地を縦断しようとしている訳だが、もうかれこれ移動の12時間中10時間以上は平原をずっと走っている。無論途中で疲れた馬を休ませたりはしているが、それにしたって長過ぎる。地図を見る限り、魔界の縦の長さは日本列島四つ分はあるんじゃろないだろうか。
魔界の縦の長さが世界地図の縦の長さの三分の一ほどなので、要するに縦に並ぶ魔界、大央海、人界を並べて日本列島一ダース分だ。更に端数は切り下げているので、実際には更に長い。車も飛行機もないこの世界でこれを縦断するとなると、それはもう片道数年規模で掛かる。
俺が魔界に流れ着いた時の、海に起こっていた次元の歪みなんて前例もあるので、ファンタジー特有の転移、ワープなんて手段が無いとも思えない。探せば見つかるんじゃ無いだろうか。
ちなみに言うとこの世界は、主に四つの巨大な大陸により構成されている。
十字に並んだ四つの大陸は大央海を挟んでそれぞれ東西南北に別れており、北に魔界、南に人界、東に獣界、西に精霊界と綺麗に分割されている。どうやら領土的な問題は先の大戦争、共栄主世界戦争を越えた現在でも変わっておらず、お互いの領地は神代の時代から決定されているというのだ。
曰く、神は一つの種族だけが突出して強力になる事を認めず、四大種族にはその均衡を保たせる為にこの法を敷いたのだとか。故に、今現在行われている魔族が仕掛けた戦争に領土の拡大や物資の強奪なんて目的は無く、ただ己が誇りを守る為だけの戦いという事になる。成る程、戦いを好まないナタリスからすれば傍迷惑な話という訳だ。最近生まれたという『魔王』はよっぽどの愛国?者なのだろうか。
そういえば『魔王』という概念が生まれたのは最近と聞いていたが、その割には《最低最悪の魔王》なんて名が神代からあるのは謎だ。全然最近じゃないじゃないか、神代とか何万年前の話だよ。魔王と《最低最悪の魔王》は別という事か?いや『最低最悪の』なんて言われてるくらいだし、他にも魔王は存在してるだろ。ますます分からん。
まあいい、話を戻そう。
平原を移動し始めて早くも10時間。未だ行く先に町など見えず、見えるのははるかな地平線ばかり。後ろを振り返れば遥か彼方にボンヤリと森の端が見える程度だ。つまりはまだ次の街までの道を半分も渡っていないという事になり、思った以上に持て余す暇に溜息を吐く。
「アルさん、あと何時間くらい掛かりそうですか?」
「うん?そうさなぁ、途中にちっさな村だの集落だのはあるけど、街に直行となったらあと1日掛かるぐらいか」
「うへぇ、この長旅は想定外だった」
「こんなもん俺ら商人からすりゃ旅にも入らねぇさ」
そう言って高らかに笑うアルカナラに苦笑しつつ、後ろの小窓から顔を出す。平原に吹く風が目に掛かる前髪を煽り、その心地よい温度に少し目を細める。どうやら地球のように最北端だからといって冷えている何てことはなく、少なくとも俺が魔界に来てからのこの2ヶ月はずっと心地良い気温が続いている。小窓から侵入したしてきた風が俺の体に遮られて下に流れ、膝の上で少しの寝息を立てて眠るエマの頰を優しく撫でた。同時に小さくエマが身じろぎし、うっすらとその目を開ける。
半ばまで閉じたままの目蓋の隙間から、紅い視線が真っ直ぐにこちらを射抜いた。
「おはようさん、エマ」
この2ヶ月でナタリスの習慣が徹底的なまでに身に染みているため、挨拶は欠かさない。夕日を反射して茜色の輝きを宿した銀髪の上に手を置き、力を込め過ぎずに軽く撫でてやる。すると未だ寝惚けているのか、エマはとろんとした表情のままその手を掴むと自身の顔に持っていき、俺の手のひらを頰に擦り付けた。その真っ白な柔肌に薄く朱を差しつつ、幸福そうな笑みを浮かべてその口を開く。
「……おはよぉ、くろ」
……いかん、いかんぞ。耐えろ俺、心を落ち着かせろ。大丈夫、お前にはもう一番が居るだろう、あの子の笑顔を思い出せ。よしよしオーケー、今日もまた頑張れる。もう夕方だけど。
しかしこの美少女、昨日の夜の一件以降吹っ切れたように思いっきり甘えてくるようになった為か、ますます可愛さを増している。流石に昨日のようにキスをしてくるという事はないのだが、今だって寝ぼけ眼のまま上体を持ち上げてひしっと抱きついてきているのだ。しかも今の声も寝起きのせいかいつもよりも間延びしたようで、小動物のような愛おしさがある。さらに先程のアレだ、何この子本当に人間?明らかに姫路レベルに人間の可愛さを超越してるんだけど、天使かよ、人間じゃないけど。というかエマの天然で俺の理性がヤバい。
「……きゅぅ?」
と、不意にいつの間に目覚めたのやら、ナイアが馬車の後ろの方を見て何やら鳴いていた。何かあるのかと思いその視線の先を見てみるも、何もない。なんとなく頼もしい相棒の銀鱗をさすってやると、ナイアは心地良さげに目を細めた。エマに抱き着かれたままながらも体を捻り、少々無理な体勢をしつつも搬入口から馬車の後方を覗く。
「……お?」
何もないと思っていた空間に注意して視線を向けると、何やら微かに空間が揺らいでいた。その空間の揺らぎは明らかに異質で、移動を続ける馬車にしっかりと追従してきている。というかむしろ徐々にこちらとの距離を詰めてきており、明らかにそれは異常だった。
まあ、その正体はすぐに察せる。まず確実にステルス、擬態系統のスキルを持った魔獣か何かだろう。これまでの移動中にもちょくちょくと動物は見かけたので、恐らくは平原で獲物でも待ち伏せしていた所を俺達が通り、奇襲でも掛けようと追いかけてきているのか。恐らくナイアが居なければ寸前まで気付けなかっただろう、相変わらずの相棒の頼もしさに笑みを浮かべると、馬車に並べてある二振りの剣の内、小さい――といっても、普通の西洋剣程度のサイズはある――方の剣を手に取る。それは集落を出る際にラグからプレゼントされたもので、護身用にという話だった。
更に言うと驚くべき事に、このもう一振りの二メートルはあるかというほどの大剣、これはエマの私物らしい。
なんでも魔獣退治で使っていたらしいが、明らかに武器として使うには超級の重量だ。が、エマは魔族故に、当然の如くこの巨刃を片手で振るってくる。小柄な女の子に巨大武器、ロマンあると思います。これだから異世界ファンタジーはやめられねぇ。好きでやってる訳では断じてないが。
さて、魔獣が引っ付いてきているというならばする事は一つだ。漸く目覚めてきたらしいエマに事情を説明して手を離してもらうと、剣を抜いて立ち上がる。一応念のために『収納』の具合も確認しておき、アルカナラにはゆっくりと減速するように頼んで搬入口の縁に足を掛ける。
さぁ、剣術の鍛錬がてら、一狩り行かせてもらうとするか。
2章開幕。精霊族や獣人族については、まだ暫く出番はありません。




