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第26話『ありがとう』

「――。」


 クラウソラスの白銀の刀身は、真祖龍のその漆黒の巨体を貫いていた。

 叩き割られた硬質の鱗が飛び、鮮血が周囲に撒き散らされる。その巨刃は確実に真祖龍の心臓を貫き、その不死性すら貫き、その『災厄』という存在を絶命させていた。それに、一切の勘違いも憶測も無い。何故だか『確実に殺した』と、そんな絶対的な程の手応えがあったのだ。


 伸び続けるクラウソラスは漆黒の巨龍をその刃で貫いたまま直進し、封龍剣山の麓に叩きつけられる。巨大な轟音とともに大地が激震し、しかしその肉体を完全に大地へ縫い付けている。けれど、それも死体に鞭打つ行為なのをすぐに察して、何とか掠れる意識を元に『収納』へとクラウソラスを取り込んだ。同時に莫大な安堵感のせいか、全身に力が入らなくなる。体を覆っていた『禁術』の紅いスパークも、その輝きを徐々に薄れさせ、やがて消滅した。


 あっ、やべっ、『禁術』で勢いつけ過ぎた、『禁術』による肉体保護も無い状態で、この勢いのまま地面に頭から突っ込んだら確実に死ぬ。くそっ、どうしよう、本格的にヤバイぞこれ、早く最発動して勢い弱めないと。


 そう頭では分かっていても、体は動いてくれない。指すらもかすかに震える程度で、握る事さえ出来ないのだ。目的を果たした瞬間にコレかよクソったれ、殺せるんだったら確認も要らねぇじゃん、わざわざ跳ばずに、あの場で「収納」起動しとけば良かった。どうする、どうする、どうする――!


「ぴぃぃぃぃぃっ!!」


 そんな鳴き声と共に、銀翼の子龍が飛び込んでくる。堕ちていく俺の先に回り込んで腹に張り付き、必死に羽ばたいて俺が落ちるのを阻止しようとしているのだ。

 けれど些か、ナイアの力だけで俺を抱えて飛ぶというのは厳しいらしい。少し勢いは削がれたものの、着実に下へ下へと落ちていく。駄目だ。このスピードでは、未だ死亡圏内だ。それどころか、ナイアもそれに巻き込まれて潰されてしまう。


「──ぉ、ぃ。ゃめ……ろ、ナ……ぃ、ア……っ!」


 何とか声を絞り出すも、そのあまりに小さな言葉は音になった途端、風を突き進む轟音によって霧散していく。ナイアは当然気付いた様子もなく、仮に気付いても離れるつもりは無いとでも言いたげな様子で俺の体を押し上げようと羽ばたいていた。

 せめて、ナイアだけでも生かさねば。そう思ってナイアを抱え込もうとするも、相変わらず両腕も両足も殆ど動かない。うっわぁ、ナイアを道連れに死ぬとかホント何も残らねぇぞ。最悪だな。




 ……とか言ってる場合かッ!!どうすんだよ、死んでたまるか!せっかくここまでやったのに最後でドジ踏むとか死んでも死に切れねぇぞ!?くそっ、ふざけんな、生きて帰るんだよ、あの龍に殺されるならまだしも、こんなくだらないミスで死ぬなんざ御免だ。

 そんな思考をしている間にもどんどんと地面は迫ってくる。せめて受け身でも取れないものかと手を伸ばそうとするが、相変わらず体は動かない。いくらレベル90台間近でも、流石に雲に届くほどの高さからの落下では絶対に助かるはずも無い。


 思わず目を瞑り、すぐに訪れるだろうその瞬間を覚悟して――


「──クロっ!!」


 横から飛びついてきたエマに、その衝撃を殺された。


 下へ向いていた勢いは全て横に流され、エマに体を抱かれてやっと大地に降りる。エマの体には薄い水色のラインが浮かんでおり、それはかなり薄められているが『禁術』を行使している証だった。

 エマがその『禁術』により硬化された足でしっかりと大地を踏みしめ、ブレーキ痕のように地面に足型を削りつつやっと停止する。呆然としながらも腕の中に収まっている俺とナイアを見てエマはその瞳に涙を浮かべると、二人まとめて抱き締めてきた。


「……生きてる、生きてる……っ!クロっ、くろぉ……!」


『禁術』により強化された腕で締め付けられ、地味に息苦しい。ギブの意を伝えようと腕を上げようとするも、相変わらず全身を覆う疲労感のせいか、指をピクリと動かせた程度だ。

 俺の『禁術』は既に切れている為、肉体の硬化もない。完全に息が止まるというほどでも無いので諦めて、無心になり成されるがままにされておく。――というか、そうでもしないとこの状況に耐え切れないです。


 エマの白銀の髪が目の前にあり、胸に押し付けられた顔からは何か暖かい何かが染みてきた。恐らくは泣いているのだろうが、流石にそれを指摘するほどのKYでは無い。というかそもそも声すら発しにくい、いや待てって、いくら安堵したにしても酷くね?声すら出しにくいって本格的にヤバイだろ。


 そんな不安を胸に浮かべつつも、エマの抱擁を受けながら天を見上げる。


「──ぉ」


 そんな掠れた声が、思わず出た。

 日の昇った天に、その輝きに負けないほど美しい流星が幾筋も降りていく。それらは全て遥か彼方の空へと流れていき、天を覆う神星幕(ハルハ)がまるでソレに追随するかのように一瞬輝きを増し、流星がなぞるソラへ消えていく。それは本当に美しい光景で、しかし同時に、改めて俺に『ここが異世界なのだ』と再認識させる。

 流星は北の空へと流れていき、その旅を終えるかのように世界へと降り注いだ。


 ──世界に降りる星々は、新たなる門出を祝うかのように『世界の果て』を照らし出す。


 あー、マズい、ホッとしたら眠くなってきた。瞼が重い、身体が怠い、ぎゅっと抱き着いてくるエマの体温が心地良く、どんどんと深い眠りに誘われていく。視界が徐々に閉じていき、辛うじて動いていた指先すらその動きが鈍ってきた。今はただ、ひたすらに眠い。


「――、――!!――――!!!!」


 遠くから誰かの呼び声が聞こえてくる。けれどそれが誰の声なのか判別する暇もなく、俺の意識は速やかに深い微睡みの中へと落ちていく。胸の中に巣食う思いはただ一つ、己の中に確かに感じる『生』の鼓動への安堵だった。


 そうして俺はようやく長かった夜を終え、疲弊した肉体を眠りに没頭させた。











 ◇ ◇ ◇












「――知らない天井だ」


 ノルマ達成、前の洞窟では思いっきり忘れてたからやってみたかった。アレを天井と呼んで良いのかは謎だが。

 兎も角、目の前に広がるのは見知らぬ木製の天井。背後には柔らかなベッドの感触。それらに用いられている木材は無論アガトラムの木であり、そして俺の知識ではこのあたりに存在する小屋がある場所など一つしか知らない。つまり、俺が寝かされているここは――


「……ん、起きた?」


 ――ナタリスの集落、ということになる訳だ。

 俺に掛けられた布団を挟んで、エマがその白い両腕を枕に俺の体へと上体を預けている。その瞳は眠たげで、恐らくは眠っていたのだろう。とろんとした紅い瞳が優しげにこちらを見ていた。一先ず肯定の意を込めて小さく頷き、辺りを見渡す。どうやら少々大きめの小屋のようで、集落でまあまあ見かける家族で住んでいるような人の家だ。エマにはギール、ラナという名の両親がいる筈なので、恐らくはここはエマの家だろうか。俺の枕の隣には、ナイアが丸まってぐっすりと眠っている。

 うん?2ヶ月もずっと一緒に居て一度も入ったことが無いのかって?このDTコミュ症ニート野郎に女の子の家にお邪魔する度胸があると思ってんのかクラウソラスぶつけんぞ。


 まあ今こうしてお邪魔している訳だが、そろそろこの状況が辛い。


 なんでこの世界に来ていきなりこういう状況に遭遇するようになったんだろうか。なんだ、アレか、主人公補正という奴か。俺主人公なのか、最悪じゃねぇかこういう小説の主人公なんて大抵ロクな目に遭わねぇぞ……って既に大分酷い目に遭ってるか。

 よくよく考えてみれば左腕を喰い千切られ、全身を何度も複雑骨折し、筋肉もほぼ全域断裂して、更には精神にも『禁術』による汚染がかなり進行してる。あの日焼けとはほぼ遠かった肌も『禁術』の痣の影響で黒く染まっており、痣は左腕全域、右腕多数、胴体の左腕寄り部分、頰から首にかけての左半分、全身にちょくちょくと、結構な面積が痣によって侵蝕されている。これがほぼ全て負った傷の再生の結果と思うと、それこそ負った傷は数百じゃ効かないんじゃないだろうか。

 超速再生のせいか筋肉は以前よりも大分付いたらしく、体つきが前よりも大分ガッシリ――ってそういや、真祖龍を倒したって事はレベル上がってるのか?一応龍って事なら魔獣のカテゴリには入るんだろうが、そのあたりはどうなっているのか。


「えーと……『ステータス』」






 ―――――――――――――


 名前:クロ・イガラシ


 Lv:273

 種族:人族ノルマン

 性別:男

 職業:龍殺し

 年齢:16歳

 HP:145700 D

 MP:108790 E

 筋力:12300 F-

 敏捷:25780 E-

 魔力:47900 D

 知力:138500 SS


 スキル

 『観察王Lv.9』『幸運Lv.-』『思考加速・瞬Lv.MAX』『獣王殺しLv.5』『森の民Lv.8』『騎乗Lv.4』『並列認識Lv.MAX』『狩人の勘Lv.MAX』『竜殺しLv.MAX』『龍殺しLv.5』

『源流禁術Lv.-』『英雄Lv.-』『剣術・生ノ型Lv.5』


 固有能力:『収納』(Lv.273相当、絶対展開式(オベリスク)解放可能)

 概要:物質を特殊な空間に収納する。収納可能な物は非生物のみであり、レベルに応じて収容可能質量最大値が上がる。


 称号

『神話の超越者』:神話ですら成し得なかった偉業を成し遂げた者に贈られる称号。神々の領域にさえ踏み込んだ超越者は、新たなる神話へと飛び込んでいくだろう。

 《特典:これまでの称号特典+神性保持存在に対する特攻効果+獲得経験値2倍》


 ―――――――――――――






 ……おおう、これはひどい。


 レベルが約3倍になったぞ、どんだけだよ『真祖龍』。いやまあそれどけの価値が無いのかと言われれば断固としてNOと言い張るけれども。うん、アレは紛れもなく『災厄』の名に相応しい化け物だった。冗談抜きに。

 ナイアが居なければ間違い無く負けていたし、腕を治す事で『禁術』の持つ再生能力に気付かせてくれた俺の中の『誰か』にも感謝せねばならない。というかこの『誰か』が居なければ、俺はエマを助ける事すら出来なかった。その前に野垂れ死んで『真祖龍』も再臨し、下手をすれば全世界が滅んでいた可能性もあったかもしれないのだ。

 こればっかりは大袈裟でもなんでもなく、直接アレと相対した俺だからこそ言える事だ。


 が、一先ずハッピーエンドには辿り着けたらしい。心底安心して溜息が出る、全く、本当に生きた心地がしなかった。


「――一先ず、顚末を聞いてもいいか?」


「……わかった」


 エマに聞いた所によると、あの後すぐにナタリスの面々があの場所にやってきたらしい。『真祖龍』の復活に気付いて軽いパニックになったそうだが、その後に真祖龍がクラウソラスに貫かれ、沈黙した事を訝しみ、その様子を見ようと偵察に来たそうだ。

 エマと俺が行方不明になった事もあり、相当に焦っていたらしい。唐突に始まった騒ぎから、もしや俺達もここに居るのでは……?という話になった訳だ。そして、その予測はバッチリ的中していたという事になる。


 そして眠ってしまった俺と、疲労を溜め込み、気を失ってしまったナイア、俺達を抱き締めたまま、同じく安堵で眠ってしまっていたエマが発見されたそうだ。


 ――現在時刻は朝。俺がついさっき眠ってしまったばかり、という訳では無いだろう。恐らくは次の日か、2日後、3日後か、その辺りの筈だ。


 未だ疲労の残る上体を起こして、パキパキと首を鳴らす。その後伸びをした所で、こちらの顔をじっと見つめるエマと目が合った。……それはもうバッチリと。

 思わず体がフリーズし、完全に硬直する。お互い何故か目を逸らす事も出来ず、その赤い瞳を見つめる。


「……クロ」


「……どうした?」


 上擦りそうになる声を抑え、なんとか聞き返す。なんだ、こう、真正面から見つめられると、その、妙に照れ臭い。エマは何かを言おうとして言葉に詰まったかのように押し黙ると、しかし意を決したように問を投げてきた。


「……なんで、ここまでしてくれたの?」


 ……そう来るか。

 なんで、と言われれば返答に困る。成り行き、と答えてしまえば楽なのだろうが、きっとエマは納得してはくれないだろう。というか自分でも『成り行き』で済ますには大分無理があるのは自覚している。

 確かに俺は最初、エマに命を救われた事もあり、エマを助けようとしていた。けれどその意志は完膚無きまでにあの『影』に打ち砕かれ、その突破もやはり『誰か』に任せたのだ。俺自身はあの時、エマを諦めた。けれど『誰か』がそれを許さず、俺にエマを救えと託した。だから俺はその役目を継ぎ、運命の赴くまま真祖龍と戦い、エマを救い出したのだと思う。

 要するに俺は、エマを見捨てようとした罪滅ぼしに、あんな事をしたのかもしれない。


 1度はエマを諦めた。その事実は俺の心に深く突き刺さり、贖い難い罪悪感を齎してくる。結果的にはエマを救う事が出来たが、結局はその『誰か』の意向に従ったに過ぎず、そこに俺の意思はない。エマを救おうと決意したのは、その負い目が齎す使命感が全てだった。

 エマを見捨てようとした。だからせめて、少しでも可能性がある2度目では、エマを救いたい。――そんな汚い思考で、俺はエマを救ったのだ。


 そう正直に言ってしまうのも良いだろう。けれど、あの親愛の眼差しが軽蔑に変わると考えてしまうと、どうしてもそうはしたくなかった。


「……」


「……クロ?」


 上手い言い訳が浮かばず、押し黙ってしまう。エマからしてみれば、きっと真実を話せば良いだけの事なのだろうから、俺が押し黙る理由など理解出来ないかもしれない。けれど俺には、ナタリスのように美しい信頼関係などなく、そんな崇高な思想なんて持ち合わせていない。

 それはとても美しい事なのだろうが、大切な恩人を見捨て、更にはこうして嫌われる事を恐れて真実を話さないような汚い俺には、少しばかり眩し過ぎる。


「……話せ、ないの?」


 エマがそう聞いてくる。肯定するのも変だが、否定する事も出来なかった。

 結果、まただんまり。これで上手く口が回れば良いのだろうが、生憎と俺にそんな対人技能などない。その朱の視線を真っ向から受け止めることも出来ず、俺はつい視線を逸らしてしまう。

 俺はすぐにでもこの集落を出て、人界に帰らなければならないというのに、それでも嫌われたくないという下らない欲望が顔を出す。なんだかんだ言いつつも、俺はナタリスの人々が好きだった。だからこそ嫌われたくないし、俺の意地汚い根っこの部分が出てくる。全く、情けない話だ。


 そうしてまた黙ってしまう俺に、エマが口を開く。何を言われようともせめてしっかりと受け止めようと覚悟して耳を傾けたが、届いてきたのは意外な言葉だった。


「……わかった、なら聞かない」


「――へ?」


 思わず抜けた声を漏らす。エマはそんな俺の様子を見て可笑しそうに笑うと、次の言葉を続けてきた。


「……何に負い目を感じてるのかは分からないけど、クロは私を助けてくれたんだよ?その現実は、どんな理由があっても変わらないもん」


 その時になってようやく思い出す。ナタリス固有の能力は、相手の心情をぼんやりとだが把握出来るのだ。これだけ強く浮かべていれば、ナタリスからすれば把握する程度の事はワケないだろう。

 お見通しの本音に新たに焦りを加えて、次なるエマの言葉を待つ。けれどその言葉はやはり俺を責めるものではなく、むしろ感謝でも伝えてくるかのようなものだった。


「……クロは寝てたから知らないと思うけど、今の集落では『復活した真祖龍を倒した英雄だ』ってすごく褒められてるんだよ?クロは何も気にする必要なんてないし、それに――」


 エマはそう当然のように言ってくる。真祖龍に関してだって殆どマッチポンプだというのに、エマは関係無いとでも言いたげに言葉を続けた。

 違うんだ、俺はそんなに聖人みたいな奴じゃない。だというのに、そんな目を向けないでくれ。俺に向けられるべきなのは本来、軽蔑の視線の筈なんだ。

 だから頼む。そんな信頼に満ちた目を、俺に向けないでくれ。


「私は、クロを信じるって決めたから。――クロ。助けてくれて、ありがとう」


 それは、本来ナタリスという種族には存在しなかった言葉。『感謝』という概念はナタリスの間では存在せず、助け合うのが普通の事。けれど、敢えて今エマはその言葉を口にした。


 俺が教えた、その言葉を。


 ……ああ、くそ、全く。

 そんな事を言われたら、もう応えるしかないじゃないか。

 人の葛藤も迷いも全部まるまるぶっ飛ばしてくれちゃって、この異世界美少女め。俺の心のナンバーワンが決まってなかったら大分危なかったぞ。惚れちまったらどうしてくれる、年頃の男の子は純情なんだぞ。

 思わず笑いが出る。大分真剣に言っていたらしいエマが何やらショックを受けたように仰け反ったが、まあそこは人の苦悩を簡単にぶち壊してくれたエマへのお返しとしておこう。


 不満そうに頬を膨らませるエマに、微笑みを浮かべる。今度は迷いはない。お礼を言われたから、言葉を返す。当たり前の一幕だ。だからこそ、これは果たさなければいけない事なのだ。


 たったの8音の言葉。けれどそれはとても重要で、感謝を受け取った事を表す印。これを言わねば、俺はエマの感謝をドブに捨てるという事になる。これだけ迷惑を掛けておいて、そんな事が出来るものか。


 だから改めて、返そう。



「――どういたしまして」






次回に幕間を挟んで、1章を終了とさせて頂きます。お付き合い下さった皆様、ありがとうございました!

引き続き、幕間と2章をお楽しみ下さい。

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