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第25話『神話の約束』

『――同族かぁ。まだ生き残ってたんだ『白神竜』、一代でずっと生き残ってきてる私が言うのもなんだけど、大分しぶといんだね』


 「ぴぃっ!!」


 そう脳に直接語り掛けてくるかのような声にナイアが力強く返し、その銀翼を羽ばたかせて飛翔する。同時に黒龍がその口から爆炎を伴ったブレスを吐き、ナイアの白銀を身を焼き焦そうとその勢力を強めた。が、やはりナイアの直前で見たこともないような魔法陣が形成され、吸収されていく。

 それは紛れもなく、ナイア自身が形成しているもの。いつの間にか俺の知らない新しい能力に目覚めたのか、或いはナイアが元来持っていた力なのかは分からない。が、ナイアは確信を持って、あのブレスを正面から抜けられると飛び込んでいった。ならば、ナイアはあのブレスに対しての何か強力な対抗策を自覚しているという事だ。


 それが今この状況では、凄まじく頼もしい。


 俺単体を狙ったブレスならば、『収納』で盾を展開すれば一先ず凌ぎきる事は出来る。けれど広範囲の攻撃としてそのブレスをされれば、確実にその範囲には下の木々、アガトラムが含まれている。ナタリスの村を巻き込んで大火事なんて酷い惨事になる事は勿論御免だが、それと同じくらいに『勝ち目が無くなってしまう』事を避けたい。

 アガトラムの木々には恐らく、神秘の力のような物が宿っているのだろう。一般的にその力はあまり知られていないが、それも当然その筈、この力が姿を表すのはクラウソラスの輝きとしてのみ。元よりアガトラム単体で力を発揮する事は無く、クラウソラスの『担い手』としてのこの大地(アガートラム)に聖剣を持たせ、初めてその実力を発揮する。


 バラバラと、クラウソラスを包んでいた漆黒の外殻が崩壊していった。あれは不浄。クラウソラスが吸い上げた、封龍剣山が持ち得ていた魔力の全て。それがその剣に収まり切らず溢れ出し、その剣を濁らせた。

 長きにわたりアガトラムの木々の加護を受けていなかったクラウソラスはやがてその本来の性質を失っていき、ただ彼の龍を封じ続けるだけの古びた巨剣になったのだ。だからこそ今再び、この大地にクラウソラスを突き立て、その本来の輝きを取り戻させる。


 仮説はたった今、証明された。


『――っ!懐かしいねぇ、その鬱陶しい程に綺麗な銀剣はさぁぁぁッ!!』


「……っ、ぉおぉぉああああああッ!!」


 浄化の完了と共に黒龍がこちらに猛スピードで突進を始め、それをすぐさま確認してから『収納』に回収する。同時に足元で盾を展開して、一瞬のみ盾を超速でバネ仕掛けのように動かす。その勢いを用いて一気に跳躍すると、眼前から迫ってくる黒龍の目に思いっきり『収納』から展開した剣を突き刺した。

 傷だらけながらも無敵性の付与されたその二刀はしっかりと真祖龍の目を抉り、その刀身に付いた傷が更に内側から網膜を引き千切る。瞳孔も虹彩も何もかも引き裂いて、突き出された剣は黒龍から視力を奪った。


「ガぁあぁ"ぁぁぁ"ぁ"ぁぁぁァァァァァァぁぁぁぁァ"ァ"ぁぁっっ!」


「──そのまま、死ね……ッ!!」


 封印するにはまだ遠い。が、まずはそこまで追い込まねばならない。その両眼から血を垂れ流す痛々しい首を振りつつ仰け反る黒龍の顎下に潜り込み、『禁術』を発動させる。

 意識は右腕にのみに回せ、他の事に意識を削ぐな、全ての力を、全ての『禁術』をこの右腕にのみ集めろ。肉体の耐久限界など知った事か、今はただ一撃、この目の前の龍を吹き飛ばせるだけの力があれば良い。


 右の拳を握りこむ。指が折り畳まれ、収束し、その風圧によって突風が引き起こる。踏み込みは既に済ませた、この勢いを保持したまま突っ込み、このドス黒い拳を振り上げる。

 風圧の壁が邪魔臭い。故にその壁をブチ抜き、音の壁を破壊し、この右腕が出せる最高速へと。筋肉が断裂し、空気摩擦で皮が焼けていく。しかし即座に『禁術』自体がその傷を再生させ、威力を衰えさせる事はない。


 肘がビギンと張り、肩がねじ切れそうになる。しかしそのどちらも無視して、ただ一発を撃ち放つ。それぞれ関節は外れ、肩は肉が螺旋状に断裂する。が、しかし知った事ではない。無理矢理に傷を修復して、全ての力を解き放つ。


 最適の角度、最適の場所、最適のタイミング。その三つを全て揃え、一息に貫き通す。ただ、それだけの事。


 さぁ、見ろ。体の動かし方は完璧に掴めたはずだ、全力で殴り飛ばし、封龍剣山(あの山)まで引き戻す。微調整、完了、風圧検測、完了。あとはもう一直線、自損なんて勘定に入れるな。ただこの本能の赴くままに──


 ──ブン殴れば良い!


「失せろ、真祖龍……っ!」



 バガァァ"ァ"ァアァァ"ァンッッッ!!!



 そんな殴打とは到底思いたくないような轟音が鳴り、打ち上げた拳の反動で、俺が足でしっかりと立っていた大地に巨大なクレーターが出来る。その自分で撃っておきながらトンデモ威力の拳の拳圧に引きずり込まれる様に、衝撃の反動で浮き上がった小石や草花は一気に上昇した。

 黒龍の首がとんでもない方向に曲がり、その体が首に引きずられる様に吹き飛ばされていく。鮮血が舞い、数枚のドス黒い鱗が近くの岩に突き刺さった。しかし、あの龍にトドメを刺すには到底及ばない、精々、外殻にほんの少しヒビを入れた程度のダメージだ。倒す事なんて出来ない。


「……っ、ぎ、が、ぁ"ぁ……っ!!」


 そして同時に、右腕が決して曲がってはいけない方向に折れ曲がっている。

 踏ん張っていた両足の筋肉は引き裂かれ、足首はヘシ折れている。右肩は当然外れ、その皮が雑巾でも絞ったかのように捻れていた。肘は真逆の90度まで折れ曲がっていて、手首は今にも千切れそう。拳の表面の皮は既に擦り切れており、内側の肉の表面が露出していた。痛々しいほどの血がドクドクと絞り出されるかのように溢れ出し、その流れがさらに痛みを加速させる。


 痛い、痛い、痛い。


 不恰好に涙を垂れ流しながら、流れ込んでくる激痛を歯を食いしばって耐える。これまでも何度も経験してきた痛みだ、根性で耐えろ、再生は『禁術』に任せれば良い、痛みなんて今更な事だ。

 先を見据える。吹き飛ばされたはずの黒龍は既にその首を持ち直しており、しっかりと自らの翼で飛行していた。顎下に目をやっても、既にその殴打跡は消えようとしている。そのズタボロだった筈の腕の傷を見てみると、そちらも殆どが塞がっていた。やはりこの真祖龍は、何かしら高度な高速再生系のスキルを持っていると考えるのが妥当だ。


 予測はしていた。何しろ本当に永い時をクラウソラスという巨剣に貫かれながら生き延びてきた化け物なのだ、不死身や超高速再生なんて事が出来なきゃ、そんな芸当が出来るわけが無い。詳しい時期は知らないけれども、神話になっているほどの昔に封印されたのなら、考えたくも無いが恐らくは不死身なんだろう。


 こちらも肉体を再生するが、更に強烈な酩酊感に襲われる。不快では無い、が、それを『不快ではない』と感じてしまっている時点で既にマズい事態に陥っているのた。既に『禁術』の呪いは、俺の魂を取り返しの付かないところまで侵蝕してしまっている。


 心の再奥に、何か得体の知れない『ソレ』が産まれた。


 産まれたての『ソレ』は俺という存在の内側を舐めまわし、精神の根幹を陵辱していく。酷く不快なことの筈なのに、それを不快だと感じない俺の精神は既に呪いを刻み込まれてしまっていた。

『ソレ』は俺の根幹を揺るがすように、俺という存在を歪めるように、その呪言(のろい)を吐き出す。


 "――ゆるさない――"


「黙れよ」


 それを一言で切り捨て、足に力を込めた。

 禁術は問題なくその恩恵を発揮し、大地に破壊を残すと同時、俺の肉体を加速させる。風を越え、音を超え、真祖龍へと漆黒の弾丸となって突撃していく。黒龍がこちらに気付き、その眼に憎悪を滾らせて再度口内に炎を溜め込んだ。が、それを吐き出す直前に銀翼の子竜が、炎を遮るかのようにその身を踊らせる。

 ナイアは自らの体の数千倍はあるかというほどの爆炎を前に一切臆する事なく、その強い意志に輝く瞳で真正面から黒龍を睨み付ける。そうする子竜の目の前にはあの魔法陣が展開され、膨れ上がる紅蓮のブレスを全て飲み込んだ。そしてナイア自身もその小さな口で空気を思いっきり取り込み──


 ──放出する。


「ぴぃぃぃぃいいいぃぃぃぃぃぃっっ!!!」


 真祖龍のソレには及ばないが、それでも十分過ぎる程に巨大な爆炎がブレスとなって放出される。吐き出された焔は半ば黒龍の不意を突く形となり、その漆黒の甲殻を思う存分に炙った。が、真祖竜は憎々しげにナイアを睨み付け、そのブレスに構う事なくその身を進ませる。高密度の炎の中をまるでなんでもないかのように突き進み、ナイアも負けじとその火力を上げる。


 ナイアの爆炎と真祖龍の体当たりが拮抗し、両者が硬直している。恐らくはナイア自身のブレスではなく、吸収した真祖龍自身のブレスを全部纏めて放っているだけだろうが、恐るべきはあの火力を真正面から受けて尚突き進む真祖龍か。

 このまま拮抗が続けば、真祖龍から吸収した量という限界が存在するナイアが確実に押し負ける。故に、その拮抗を見届ける前に、俺が横槍を刺さねばならない。


 ナイアが時間を稼いでいる内に、決着を付けるのだ。


 手を伸ばす。ナイアが放つ極大級の紅蓮の炎の中に、超巨大のノイズを展開する。未だ実体を持たないそのノイズは炎を遮る事はなく、真祖龍にその存在を察知させない。逃げられたら終わりだ、一撃で決める。不意を突いてクラウソラスを叩き込み、その活動を停止させる。ナイアは真祖龍の情報からブレスを吐いている形だ、ナイアから真祖龍への一直線上には、崩落した封龍剣山が存在している。たとえ崩壊しているとはいえ、下に空洞のあるあの山ならば少なくとも、野晒しにされ、封印をまた解かれるという事は避けられる筈だ。


 狙うはその中枢、巨龍の心臓、その漆黒の甲殻に包まれた胸のど真ん中。躊躇うな、砕け、殺せ、一瞬の無駄もなく、一度きりのミスも許されない。そして悟られるな。悟られたとしても、逃がすな。ただの一撃。クラウソラスの射程ならば、ナイアから真祖龍を巻き込んであの山まで突き刺してもお釣りが来る。紅蓮の炎を掻き分けて、ただ早く、速く、疾く──!


「死ね――――ッッ!」


 全身全霊の罵倒。呪いの祝詞、祝いの呪言は、その執念を以って重い威圧を発する。その威圧に触れたせいか、それとも他の要因かは分からないが、真祖龍の巨体がピクンと震えた気がした。同時に、ナイアのブレスが更に火力を増し、真祖龍の全身を呑み込む。

 悲鳴じみた咆哮の下に、炎の中を行くクラウソラスが肉薄した。爆炎の中を突っ切り、その漆黒の外殻の下に眠っていた白銀の刀身を焔の紅色に染め上げて、神々しい輝きと共にクラウソラスは炎に焼かれる真祖龍の心臓へ突き進み、大岩を叩き割るような轟音と共に彼の山へと突っ込んでいった。


 爆炎に焼かれ、真の輝きを取り戻したクラウソラスに貫かれ、その全身を傷だらけにしているであろう真祖龍。


 その、漆黒の巨体は――








 ――ナイアにその巨爪を振り下ろさんと、炎の中から飛び出してきた。


「ナイアッッ!!」


「ぴぃぃぃ!?」


 咄嗟に『禁術』を発動し、ナイアの下に飛び込んでその小さな体を投げ飛ばす。少々焦ったせいか強く投げ過ぎたが、この直撃を喰らうよりはマシだ。咄嗟に「収納」から盾を取り出してその攻撃を防ごうと、身を守るように展開する。が、しかしその爪は唐突に動きを止め、回りこむようにその樹齢数百、数千の巨木のように太い尾の先端を振るってきた。咄嗟の事でガード出来ず、せめて回避を試みようと『禁術』を起動して空気を蹴り、瞬間的に離脱する。

 けれど、完全に躱しきる事はできず、その尾から生える凶悪な棘が腹を掠める。普通ならばそれで終わりだったのだろうが、相手は『真祖龍』。そんな常識が通じる筈もなく、巨人の鉄槌の如き風圧の一撃が全身を死すら感じさせる勢いで打った。


 凄まじい速度で空気を割き、再度地上に堕とされる。空気摩擦で肌がジリジリと焼けていくのを感じ、せめて衝撃を和らげようと連続的に「収納」から物質を展開して滑り台の要領で勢いの方向を変えようと──


 ──ガシャっ、ガシャン




「――ぇ」


 数多に展開された武具は、その道となってはくれなかった。

 まるでただ単に空へ放り投げられた武具群に俺が突っ込んだだけのように、無数のそれらは俺の道を阻む事なく、分散していく。俺の体は再びアガトラムの木々に突っ込み、衝撃を多少和らげながらも全身の骨を打ち砕き、筋肉を断裂させて、俺の肉体をバラバラにぶち壊していく。容赦無く森を荒らす不届き者に、二度目の容赦はない。


 小枝は容赦無く太ももを貫き、群生する木の幹は全身を着実にへし折っていく。蒸せ返るような血臭が辺りに撒き散らされ、胴体には幾重にも傷跡が入っている。激痛すら既に麻痺し、全身に残るのは今や遠く離れてしまったぼんやりとした感覚のみ。


 なんでだ、なんで「収納」の無敵性が機能しなかった?「収納」は展開中ならばどうやっても動かす事すら出来ない筈──


 あ。


 畜生、ああ馬鹿だ。「収納」の本来の用途は無敵を使っての展開なんかじゃないんだぞ。要するにただ物を仕舞えるってだけなんだ、その持ち主の俺が触れりゃ無敵性なんて解除されるに決まってるじゃねぇか、クソッ。「収納」に頼り過ぎた、無敵性に肖り過ぎた結果がこれかよ畜生が。


『――危ない危ない、すぐ元に戻しちゃって。こんなの喰らったらまた封印されるじゃないか』


 そう言う真祖龍の半身には、大きな傷跡がある。それは他の傷と違って再生される事はなく、クラウソラスがその力を発揮している証なのだろう。今のクラウソラスならば、きっとあの龍を倒す事が出来る。が、それはつまりあの巨龍がこちらの危険性を認識したという事だ。


 つまり。


『これは流石に分が悪いかなぁ。逃ーげよっと』


「……っ、ぎぃ……ま、てぇ……っ!」


 くそ、駄目だ、逃したら全部終わる。この世界に被害を出さない為に今此処で封印しなきゃならないのに、此処で逃せばまず間違いなく追えない。確実に俺を避けてくる。あのクラウソラスを使えるのは多分、今の所俺だけだ。俺さえ避けていれば、真祖龍は好き勝手出来る。俺はそれを止めるのに、絶対に間に合わない。


 くそ、生かせるか、再生を、速く、畜生、速くしろよ、戻れ、痛ぇ、速く、やめろ、逃げるな、死ね――っ


 全身が急速に回復していく。『禁術』は全身の細胞を活性化し、一瞬でその致命傷とも言えるほどの傷を癒していく。今ならまだまだ間に合う、くそ、早く、早く治れよ、早く追わないと、逃げられてしまう。すぐにでも封印しないといけないのに、クソが、行くな、やめろ。


「――待、てぇぇぇーーーーッ!!」


『おっと、忘れてた』


 俺の叫びを聞いてか、それとも偶然か、真祖龍がこちらに振り向いた。


 その巨大な口に、莫大なまでの炎を溜め込んで。


「っ!!」


 マズい、くそ、まだ足が治ってない、さっきの防御で焦って、盾は全部ばら撒いちまった。今の「収納」には盾が無い。防御が出来ない、ナイアも今は動けない、ヤバイ、ヤバイっ!

 辺りを見回す、何も無い。アガトラムの木々ではあのブレスを防げない。装備も何一つあのブレスを防げるものは無い。「収納」の中にも、どう足掻いたってあのブレスを無力化出来るモノがある筈もなかった。くそっ、どうする、どうする。


 思わず、胸に下がる翡翠ブローチを握る。

 それは幸運の首飾り。この世界に来て装備を整えた際に、王宮の官人達が唯一のクソステだった俺を哀れんで渡してきた簡単なアーティファクト。幸運の加護を持つそれは本来大した効力は無く、所謂気休めというやつだった。


 その中に眠る、『ソレ』が無ければ。


 それは世界の寵愛、幸運の種子。太陽、光、慈愛、真実、秩序を象徴する最も尊い神、『天照大御神』が齎す、一時的な幸運。それは一時的故に絶対の幸運、姫路実(ヒメジミノリ)という少女が五十嵐(イガラシ)久楼(クロ)という少年に齎した、神々の慈悲。クロのステータスに『幸運』のスキルを与えていた要因。

 それは今こそ輝きを齎し、天を覆う『神星幕(ハルハ)』に作用する。正確には、その『神星幕(ハルハ)』が呼び込むとされる流星群――その一つへと。


 その名は『ニケー』、この世界特有の彗星。この世界の住人は知らぬ事だが、ギリシャ語で『勝利』の名を持つ巨星。


 それは今、その軌道を落とす。流星は隕石となり、今この地上へ――


 ――天に飛ぶ、真祖龍へと。



『……うっ、そぉ』



 その巨体では、回避も間に合わない。

 堕ちる流星は防御も破壊も許さず、真祖龍に直撃した。尋常ではない爆発と暴風が地上の全てを薙ぎ、周囲に飛び散る隕石の欠片が地上へと降り注いでいく。それらの全ては森へ落ち、ナタリスの集落に堕ちる事は無い。それすらも太陽神の『幸運』が齎す結果か。結果真祖龍は、その口に溜め込んだ爆炎を矛先無く吐き出し、その飛行を妨げた。

 巨龍はよろめき、その身を落としていく。彗星が与えたダメージは、確実に真祖龍の体力を削り取っている。


 そして、『禁術』によって修復された体は、その力を解き放つ時を今か今かと待ちわびている。


 今だ、此処だ。このタイミングを逃すな、跳べ、今度こそ、今こそ、あの龍を――


 ――殺せ!




 飛び出す。全身の侵蝕など構うな、跳べ、跳べ、跳べ。大地を蹴って、空気を蹴って、風を蹴って、音を蹴って。


 ノイズが広がる。幅400メートルのソレはその内から尋常では無い雰囲気を撒き散らし、白銀の刀身を出現させる。その銘を、『断罪王(クラウ)封龍剣(ソラス)』。龍を封じる為に神が作り上げたその巨剣は、今度こそその黒龍を貫く為に。


 銀閃が疾る。


 黒龍の青い瞳が、その刀身を睨み付けた。今度こそ、見失う事も無い、外す事も無い、ただ一直線に、ただ一撃を、その龍を殺さんが為に。





 ――けれど、その光景を見て真祖龍の胸に浮かぶのは、不思議と憎悪ではなかった。




 永い、永い時を封印され、磨耗し切った記憶。復讐に身を焦がされ、本当の道を見失った黒龍に、その『光』を思い出させた、その輝きは。





 ──あぁ、なんだ。


 それは、無数の殺戮の記憶。


 ──遅すぎるよ。


 それは、愛しき日々の記憶。


 ──ずっと、ずっと待ってたんだからね。


 それは幾千、幾万年も前の約束。未だ幼かった『真祖龍』が、愛する人と交わした約束。


 永遠とも思える時だった、終わり無き時間のようにその世界は真っ白で、ただただ苦痛の日々だった。故にこの記憶も磨耗し、記憶の彼方に置かれていたのだ。けれど、今その約束は果たされようとしている。その一生を超えた約束は、空だった龍のココロを潤していく。あぁ、やっと思い出した。

 確かに、辛かった。死にたくなる程、孤独だった。



 ──でも、こうして満たされると。



 待っていて良かったと、そう思える。



 目の前に、巨大な白剣が迫る。けれど、恐怖は無い。きっとその刃は不死性を貫き、この真祖龍という存在を終わらせるだろう。アレはきっと、そういう剣だ。幾千年前ではその『資格』を持たなかった神でも、この身を封印し切る程に強力な剣。けれど、その『資格』を持つ彼が使うからこそ、この身を滅ぼし切る力を持つ。ああ、きっと大丈夫だ。


 この時を待っていた。この身が『死』に至る、この時を。



 ──ずっと待たせるんだから、疲れちゃったよ。



 根を閉ざす。もう、心残りなどあるはずも無い。愛する彼との暖かな記憶を思い出せただけで、もう死ぬには十分過ぎる返礼だろう。



 ああ、でも、最後にこれだけ、『あなた』に伝えたい。











 ──大好き。










 災厄の化身、世界を滅ぼす者、『真祖龍』は。



 ――今やっと、その生を終えた。

次回、第1章最終回。

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