第23話『最初からクライマックス』
『あはははははははっ!すごい、すごいよキミ!これ仮にも神が施した最高クラスの大封印なんだよ!?』
「――っ、ぎ、ぁ………ッ、うる、せぇ……っ、お前に、褒められても……嬉しかねぇよ……っ!」
脳内に流れ込んでくる莫大な情報量に耐え切れず、想像を絶するほどの頭痛が絶え間なく襲ってくる。伸ばした手にはクラウソラスの切っ先が掴まれており、その封印と妨害術式を貫通して所有権を自分へと切り替えていく。
本来、収納は即時に引き起こされるものである。が、収納するモノが異常なまでの質量を保持する場合、その概念の分解、収納にはかなりのリスクが伴うのだ。膨大過ぎる情報量はクロの脳を破壊し、クラウソラスに仕込まれた呪いによってクロの肉体を破壊していく。
けれど完全に解放し切った『禁術』はそのどちらも許さず、破壊される側からその欠損を治していく。当然それだけ侵蝕は進むが、今の状況でそんな事を言っている暇はない。腐り落ちていく肉体を瞬時に再生し、そしてまた腐り落ち、再生する。その地獄は『クラウソラス』という存在を完全に読み解き、レベル90相当までレベルアップする事により最早その容量を測ることすら馬鹿らしくなるほどの許容量を得た『収納』により取り込まれる事で、やっと収束を迎えた。
これまでとは比べ物にならないほど巨大なノイズが剣を上下に二分するように開き、その巨剣を急速に飲み込んでいく。ノイズの両面から取り込んでいるせいか、まるで上下からクラウソラスを押し潰しているかのようなその異様な光景に我ながら目を丸くし、その巨大な質量が水面からこうも勢い良く引き抜かれていく事による強烈な波が、俺とエマが居る陸地にまで津波のように襲ってきた。それらを咄嗟に開いた『収納』から展開した無数の盾で防ぎ切り、飛んでくる水飛沫に顔を覆う。
無論天井からも引っこ抜いている訳であって、その大質量が山を砕いて減り込んでくるという異常事態に天井も耐え切れず、その全体に巨大なヒビを入れた。それでも尚急速に収納されていくクラウソラスに耐えかねたのか、遂にその危うかった均衡が崩壊する。
が、その寸前にクラウソラスの回収は完了した。
――故に。
ゴ────ォォォーーーーーーッ!!!!
既に封印は解かれ、真祖龍は天高くに解き放たれたのだ。
超大規模のブレスにより一瞬にして海が蒸発し、そのまま空に向けて突き進む高密度の灼熱は、天井の崩落すら知った事ではないとその全てを焼き尽くし、打ち砕き、消失させ、大穴を開ける。洞窟の上に溜まっていたのであろうマグマはブレスによって吹き散らされ、未だそのエネルギーを大量に保有していた火山すらまるごと消し飛ばす。大穴が開き、夜明けの光が差し込み始めた縦穴で、炎の残滓が儚く消えていく。
そしてその静寂も束の間、巨大な漆黒の影が、水を失った超巨大な逆半球状の穴から飛び出してくる。それはその巨体に見合わず俊敏で、その真っ黒な鱗の隙間から黄金の体毛を覗かせていた。鱗こそあの白銀の輝きは失われているものの、それは即ち、その龍が『白神竜』たる証であった。
『――――!漸く、漸く自由だよ!もう忘れてしまったけれど、何年ぶりだろう!外の空気だ!やっと解放された、やっと好き勝手に暴れられる、やっと報復出来る!はは、あはははははっ!!』
その脳に直接響くようなはしゃぎ声はまるで子供のようで、しかしその黒龍が全身から放つ威圧感は確かに化け物──否、化け物と形容することすらおこがましい、完全なる覇者のものであった。
黒龍が縦穴を抜け、その朝日の輝きを一身に浴びる。濃密なまでの漆黒の輝きは黒龍の存在感を一層際立たせ、その凶悪な牙の覗く口から解き放たれる咆哮は、この全世界に響き渡り、空を、海を、大地を激震させる。
――"此処に、太陽は覆われた"――
――"災厄の黒龍は脈動し、その蒼い瞳が見つめるのは破滅の未来のみ"――
――"その翼は空を裂き、その爪は海を割り、その牙は大地を噛み砕く"――
――"嗚呼、世界に蔓延る有象無象よ"――
――"しかとこの姿を見よ、何一つ零さず拝聴せよ"――
――"汝らを統べる王が、この世界の果てに降臨したぞ"――
――"故に、唯願え。その生を、その命を、その魂を"――
――"この身は、全ての存在に等しく降り掛かる災厄であるが故に"――
――"我は真祖。全ての始まりの龍也"――
――"全ては、我が復讐を果たさんが為に"――
それは、魔界全土に伝わる言い伝え。幼子に聞かせる童話にもなる程に、有名過ぎるほど有名な言葉。
かつて《最低最悪の魔王》と同じ時代に現れた彼の龍は、その咆哮と共に魔界を火の海に沈め、魔族という存在を悉く焼き尽くして行った。やがてその脅威は神々の領域にまで及び、その異常性を認めなかった一柱の神が真祖龍との戦争に赴き、幾重にも天変地異を伴う戦を繰り広げていた。が、神も力及ばず真祖龍に敗れ、しかしながら同時に、その存在を封じ込める切り札を創り上げた。
名を、断世王・封龍剣。
その銘の通り世界を断つ程に巨大な刃と、膨大な魔力をその身に秘める龍を封じる為の魔力強奪の力を持つ、神代の宝剣。その刃は災厄の黒龍をして阻むことも出来ず、結果、真祖龍は死にゆく神の最後の一手に敗北を喫した。
世界の果てに最も近き場所。魔界の最北端にそびえる神山の再奥にその身を封じ込め、宝剣をその楔とする事で永久の眠りに誘う。その目論見は、完璧なまでに成功したと言える。たった一つの誤算――つまりは。
――真祖龍が、文字通り『不死身』の存在でなければ。
幾千幾万の時が流れても尚、眠り続ける真祖龍がその息を閉ざすことは無い。《最低最悪の魔王》により与えられたとされるその不死性は、後の世で宝剣を守る役目を負った者達にどれ程の絶望を齎した事か。その途絶えることの無い鼓動が、どれほどの不安と焦燥を生み出した事か。
故に、守護者達は真祖龍への接触の道を閉ざした。真祖龍が眠る不魔の海に続く遺跡の入口を破壊し、偽装し、誰もがその存在にたどり着かぬように。間違っても、その眠りを覚ますことだけは無いように。
当然守護者達は、《最低最悪の魔王》を殺せば、その不死性も失われるのでは無いかと考えた。それ故にあの世界戦争、『共栄主世界戦争』に於いて魔族最強として君臨していた《最低最悪の魔王》を、当時の守護者――ナタリスの先祖達は、人間に売ったのだ。
しかし、《最低最悪の魔王》が死しても、残されたのはその負の遺産たる『禁術』と、ナタリスの一族に未来永劫その使用を強制する呪いのみ。真祖龍の不死性は失われず、魔族は人族に敗北し、ただ魔族の歴史には傷跡のみが残った。
故に真祖龍という存在は、魔族全ての遺伝子に刻み込まれた滅びの象徴であり、その咆哮には抗いようのない死の呼び声が刻まれているのだ。
全ての魔族達は知っている。例え直接聞いた事がなくとも、例えお伽話の中の話だと思っていても、例えその姿を知らずとも。その濃密なまでの『死』の気配は、その咆哮に乗って全ての魔族達を恐怖のドン底に陥れるには、十分過ぎるほど十分だった。
不意に、エマの体から淡い光が抜け落ちる。それは幾つもの小さな結晶となって天を舞う真祖龍へと集い、その中枢へと飲み込まれていく。それと同時に眠っていた筈のエマが激しく咳き込み、その顔色に多少の改善を見せた。つまりは、あれこそが真祖龍の核だったのだろう。
そして、その核を己が体に取り戻した真祖龍は、より一層その死の気配を強める。ああ、何という理不尽か、なんという絶望か。
──はは、なんだその無理ゲー。コレを『再封印』しろってか。そりゃ神も死ぬわこんなもん。
俺も内心で乾いた笑いをして、ガタガタと震える足を必死に抑える。体の萎縮は収まらず、空気を支配する重圧が本能に訴えかけてくる。"お前では勝てない、諦めろ"と。
けれど、それは許されない。俺はこの可能性に賭ける事を選んだ。選んでしまったのだ。逃げ出す事は出来ず、敗北もまた許されない。さもなくば俺はここで死に、死に物狂いで一度は諦めそうになって、それでもなんとか救えたエマを今度こそ死なせてしまう。それは、ナタリスの面々――否、魔界の面々全てに通じる。
今この場で、唯一真祖龍に勝利を収める可能性を持つのは俺だけ。ならば、挑む資格を持つ者も俺だけ。
「……っ、……く、ろ……?」
「……よう、エマ。起きたか」
寝かせていたエマが薄くその目を開けこちらを見上げると共に、真祖龍の黒鱗によって反射された陽光に目を細める。未だ力も入りにくいであろう両手でなんとか体を支えて上体を起こし、こちらを見上げてきた。一旦かがみ、その様子を確認する。
全身びしょ濡れだったので不安だったが、額に手を当ててみた限り熱は無い。怪我も特に見当たらず、魔力も徐々に回復を――って早っ、魔力の流れ込む速度異様に早っ!?この調子じゃ数時間で完全に戻るぞ!?真祖龍から魔力根こそぎ持ってかれてよく耐えられるなと思ってたら、そういう体質か。『禁術』の呪いのせいであんまり有効に使えてないけど。
一先ず枕代わりにしていた布は完全に水を吸ってしまっていたので、収納に放り込んでから別のものを引っ張り出す。顔を拭ってやってから最低限体も拭いてやり、これまた別の大きめな布を取り出してエマに羽織らせた。目を丸くしてこちらを見るエマの様子はそう重症というほどでもなく、一先ずは安心して溜息を漏らす。
「……間に合って、ホントに良かった」
「……ぇ、ぁ……」
周りを見渡した末に漸く現状を思い出したのか、その顔がなんとも言えない表情になる。それは生き残れたことによる安堵か、未だ上空で外の風を浴びている真祖龍に対する恐怖か、その真意は測りかねる。が、エマはすぐにその瞳に涙を溜めると、その肩を震わせ始めた。よろよろと伸びた手が、俺の背に回される。エマは額を俺の胸に押し込むと、未だ震えている声でぽつりと呟いた。
「……こわ、かった。こわかったよ……くろ……!」
背に回された手には力が込められ、俺の服を強く握りしめている。あの冷静なエマが取り乱す光景など初めて見るが、それも今回の騒動でエマが経験した事を考えると当然とも言えた。その言葉に込められた恐怖がどれほどの物かは、俺もよく知っている。
日常から、非日常へ。これまでは平穏な暮らしをしていたのに、唐突にその『平穏』の幸せは打ち砕かれる。その苦しみと痛みは、この世界に召喚され、何度も死に掛けた俺だからこそよく知っている。
あの完璧超人の姫路ですら、その恐怖には抗えなかった程なのだ。彼女も今のエマと同じように涙を流し、その異常性に震えていた。その点では、エマと姫路は似通っている点もあるのかもしれない。
けれどエマには、彼女程の力は無かった。
足掻いても足掻いてもどうにもならず、ただ死を待ち続けるだけという事が、一体この平穏を生きてきた少女にとってどれだけの苦痛か。自分ではどうにも出来ず、誰かの助けが来る事すら望み薄。そんな状況で正気を保っていられたのは、エマの精神力の強さもあるのだろう。けれど、いっそその場凌ぎではあるが狂ってしまった方が良かったのかもしれない。
幼い頃から聞かされてきた恐怖の象徴に、少しずつ、少しずつ喰い尽くされていく――それは確実に、エマの心を蝕んでいた事だろう。
胸の中で震える少女を安心させてやろうとその頭に手を置き、しかしそこでまだ安心するには早い現状を思い出す。未だ上空には、いつ暴れ出してもおかしく無い真祖龍が居るのだ。未だ生命の危機は去っておらず、これ以上エマを傷付けさせる訳にもいかない。
少し力を込めて、彼女を抱き締め返す。ただの抱擁にしては些か過分に力が込められたソレは、聡明なエマに違和感を感じさせるには十分だったらしい。頬をたくさんの涙で濡らす彼女の不安気な紅眼から伸びる視線が、俺の真っ黒な瞳を射抜く。
少し微笑み掛けてその頭を撫でてやってから、スッと立ち上がる。服を握っていたエマの手も俺の考えを感じ取ったのか、するりと落ちていった。
「……く、ろ?」
「……ゴメンな、まだ終わってないんだ。まだ、戦わなくちゃいけない」
全身に《禁術》を発動させ、今日何度目かの赤黒いスパークを身に纏う。強烈な頭痛と吐き気、眩暈と意識の混濁が現れ、俺の精神を確実に削り取っていく。右腕の紋章の痣が鋭い痛みと共に広がり、強大な圧力を全身に宿す。それが本来使用が禁じられている禁術の『源流』である事を悟ったエマが、流した涙を拭う事すら忘れて首を横に振った。
上を見上げる。そこには遂に標的を定めたのか、凄まじい殺気を膨らませた巨龍が存在している。俺の殺意もまた彼の黒龍にのみ注がれ、おぞましいまでの世界の歪みが今や崩壊した封龍剣山を中心に捲き起こる。エマもその標的を察してその顔を青くし、俺の手を強く握って必死に首を横に振った。
「……だ、だめ。だめ……そんなの、だめ……っ!勝てる訳ない……!くろが、クロが死んじゃう……!」
「だよな、俺も『収納』と『禁術』が無けりゃ絶対諦めてたし詰んでた。でも、可能性はあるんだよ」
「……そんなの、『あるにはある』だけ……!死にに行くのと変わらない……っ!」
実際、彼女の言う通りだ。可能性なんてほぼ0に等しいし、そもそも何も出来ずに即死亡なんてオチになる可能性だけで90%以上はある。真祖龍が何か得体の知れないチート能力を持っている可能性だってあるし、俺の唯一の『勝ち目』が通じなくなっている可能性だって多分に存在するのだ。
彼女の言う通り、この挑戦はもう『死にに行くのと変わらない』のだろう。けれど、挑まなかったって最後にはみんな死んでしまうのだ、それくらいなら、挑戦してその『ほぼゼロに等しい可能性』に掛けてみるしかない。幸い、その為の土台だけならば俺は持っているんだから。
無論、勝利する為のキーは『収納』の中に存在するクラウソラス。
真祖龍の馬鹿みたいな火力と範囲の攻撃を潜り抜け、その意識を『収納』から逸らし、再度不意打ちでこの山に封印する。しかし真祖龍は絶対に、このクラウソラスを何よりも警戒している筈だ。今の所真祖龍には俺の能力を『物質を分解する力』と説明してあるので、俺がクラウソラスを使えるとは思っていない筈だ。けれど、少しでも勘繰られれば一気に達成は困難になる。この山を出て行った時のあの俊敏性では、到底あの馬鹿デカイだけの剣で捉える事など出来っこない。
けれど、やるしかないのだ。
「――俺、この戦いが終わったら故郷に帰るんだ」
「……クロ?」
「此処は俺が食い止める、先に行けぇ!」
「……く、くろ?」
「こんな世界に居られるか!俺は故郷に帰るぞ!」
「……???」
唐突にエマからすれば何を言っているんだとでも言いたくなるようなセリフを並べ、死亡フラグを乱立する。そのどれもが向こうの世界のものである為エマに通じる訳がないのだが、今はそんなことは重要ではない。
「……アレだ、死亡フラグを立てまくったら逆に生存フラグみたいな話もあるからな。これで俺は確実に生き残れるってこった、主人公補正万歳!」
震えの残る足を思いっきり叩き、その震えを強制的に止める。強引に叫んで自身の心を奮いたたせ、ネタに走る事によって緊張を紛らわす。両手を掲げて文字通り『万歳』の体勢を取り、エマの方に再度振り返る。呆然としているエマの頭をポンポンと叩き、あくまで大丈夫なのだと安心させるよう微笑み掛けた。
グルグルと肩を回し、軽くストレッチをする。パンパンと両頬を挟むように叩き、『禁術』の反動によって霞む意識を無理矢理に覚醒させる。大丈夫だ、きっと俺は勝てる。仮に性格の悪い『神』、もしくはメタ的に言えばこの物語の『作者』が存在するとすれば、そして仮に俺がその『主人公』という役割に収まっているのであれば、俺は確実に生き残る。きっと、ハッピーエンドを迎えられる。
だから――
「大丈夫だよ。──信じてくれ」
そう言った俺の声音は、自分でも驚くほど平静で。
それを聞いたエマは、その理屈も理由もない一言に呆然とすると──
「……分かった、信じてる」
「上々!」
未だ涙で濡れる顔に笑みを浮かべて、そう返してくれたのだった。
――さぁて、物語的には最初からクライマックスだ。早過ぎる最終決戦と行こうぜ、『真祖龍』。
次回、一章最終決戦。




