第20話『俺じゃない』
「……いやいやいやいや、何を考えてんだ俺。なんだ突然『そこを退け』って、誰もいねぇし、誰も道塞いでないし、発作的に性格変わるとかそれ何処のラノベ?いやまあ異世界に居る時点でラノベみたいな状況だけどさ」
先ほどの突然脳裏に浮かんできた意味不明な思考から正気に戻り、自分の脳内での言葉と情報を振り返りつつ『何を言っているんだお前は』という自虐の念に包まれる。いやホントに何言ってんだお前、頭大丈夫か。
そんな具合に凄まじい自己嫌悪と、ナイア以外は誰も聞いてなどいないというのに羞恥心に襲われつつ、俺は肩を落としつつも道を進んでいく。なんだあの壁画、人に恥ずかしい思いさせやがって、後で"収納"で叩き壊してやろうか。ナタリスの人達に見せる必要も出てくるだろうからしないけど。
んで、現在進行形での問題はエマの事だ。あの壁画を見た途端に頭に流れ込んできた謎のイメージと一緒に何故だかこの空洞の構造が読み取れたのだが、その際にエマの居場所もだが大まかに掴めた。やはりエマはここに居るらしく、迷宮のようになっている洞窟の一番最奥に存在する超巨大な空間の中央に気配を感じ取れたのだ。
一番の問題は、その部屋に行くまでに幾つも意味深に大きな部屋が並んでいる、という事だ。
メタ的な思考で言えば、大抵こういった場所に待ち構えているのはボス戦だのトラップだのが定番中の定番、いわゆる『お約束』だ。そのどれもが生半可な力では突破出来ず、そしてそれらを超えていった先には掛け替えのない宝が眠っている――というもの。
ただ、エマの気配は先程から動いていない。無論エマがその為に来たとは思えないが、仮にそうだと仮定しても帰る素振りすらないというのはおかしい。
つまり、エマは現在何かしらの事情で動けない。或いは、そもそも意識がないという可能性もある。
どうやら死んではいないらしいが、しかし確かにその気配は弱々しく、衰弱している様にも感じられた。となると、何らかの存在が彼女をここまで連れて来たという事になる。その候補として上がる可能性を持つのは、今の所二通り。
その一、この山の下に眠っているとされる『真祖龍』……とは言ってみたが、現在進行形で封印は続いているらしいので、もう片方の可能性の濃厚さもあってかこちらはあまり疑っていない。無論、外の剣の状況もあるのである程度警戒はしているが、無いだろうとは思っている。
その二、ぶっちゃけこの可能性が個人的には一番高いと思っているのだが、《最低最悪の魔王》の残した何かしらの呪い。確かに『禁術』のみという制限を掛ける事により、ナタリスの子孫を洗脳するという考えは最低最悪と言われるだけあって分からない事も無いが、それもそれほど恐れられた魔王であるのなら対策される事も考えただろう。だとするなら、他の種も仕込んでいる可能性が極めて高い。
そう、例えば――何らかの条件を満たした『禁術』の使い手の意識を乗っ取り、自身の魂を移植する、といった風に。
勿論、確実にそうと決まったわけでも無いし、《最低最悪の魔王》の仕業では無いという可能性もある。もしかしたら『真祖龍』の方が何かしらの仕掛けを残していたのかもしれないし、或いは別の存在がタチの悪い罠を残していた可能性だってある。だとしたら傍迷惑なことこの上無いが、どちらにせよ早く進んで見つけなければならない。エマに救われたこの命なのだ、その彼女を見捨てられるほど落ちぶれてはいないし、この二ヶ月常に一緒に居た彼女相手にそんな白状をするつもりも無い。
「くるぅっ!」
「ん、どうした?ナイア」
自身の意志を再確認し、先に進む覚悟を決めた所で、先を飛んでいたナイアがこちらを呼んできた。その意思を問うとナイアはその速度を上げ、松明の照らす道の先へと進んでいく。どうやらこの先の部屋に何かがあるらしく、俺も小走りにその後を追った。
小石を蹴飛ばして、平面に整えられた道を行く。ほんの少しばかりの嫌な予感に襲われつつも、前方に見えた大きめの部屋に飛び込んだ。ナイアがすぐに高度を上げ、上空のよく見える辺りから部屋の全体構造を見下ろす。俺もまた部屋の中央に到着すると、軽く息を荒げながらも部屋の全貌を見渡した。
円柱状の部屋だ。ある程度まではまっすぐと上に壁が続いているが、天井はドーム型に丸まっている。そのドームに嵌め込まれたクリスタルが輝きを発して、部屋全体を照らしていた。ナイアのそのまた上で輝きを放つソレに思わず目を覆う。
周囲には今俺が入ってきた道とは別に三つの道が存在しており、そのうちの一つの道の奥に微弱ながらエマの気配を感じ取った。部屋自体は殆ど何もなく、ただ広大なだけの空っぽな、それだけの部屋だ。
と同時に、紅蓮の炎が部屋の周囲を覆う。蛇がとぐろを巻くように炎は部屋を巡っていき、すべての入り口をその灼熱で閉ざした。内心『案の定か』などと苦笑しつつも、これから起こるであろう試練に備えて最大限警戒を行う。すると、俺が立つ部屋の中央から5、6メートル離れた地面が不自然に揺らぎ、人間とも魔物とも取れないような奇妙な影が浮かび上がってきた。
その背から生えるものは、翼にも見えるが、ただの揺らぎのようにも見える。ドス黒い暗闇にその人影だけが塗りつぶされたかのような奇妙な感覚に戸惑いつつも、その影から目を逸らすまいとその動きに注視した。
すぐに襲い掛かってくる事だろう。いつでも収納を開けるように準備し、最悪の場合『禁術』の使用も念頭に置いて警戒を続ける。すると意外にもその影はすぐに動くことをせず、地獄から響いたかのような声でこちらに問いかけて来た。
――意外な、言葉を。
「──貴様か……『真祖龍』を呼び覚ましたのは……っ!何のつもりだ、あの災厄の化身を解き放てばどうなるか、お前達外の住人が一番良く知っている筈だぞッ!」
「……へ?」
えっ、何、この人対侵入者用のセキュリティアーティファクトだとか、そういう類じゃ無いの?普通になんか『真祖龍』が呼び覚まされたから危険を感じて駆けつけて来たとか、普通に人知れず世界の裏側で世界の平和を守り続けるとかいう善ポジの人とかそういうタイプ……って真祖龍が呼び覚まされたぁっ!?
「ちょ、ちょっと待て!真祖龍が呼び覚まされたってなんだよ、急展開過ぎて付いてけないんですけど!?」
「とぼけるなっ!ならばあの抜けかけの『クラウソラス』は何だというのだ、真祖龍の力だけでは絶対に抜けない筈のあの剣が、今まさに抜けようとしているのだぞッ!」
「はぁっ!?クラウソラスってなんだよ、アイルランドの魔剣がどっから出てきた!?」
「お前も外の住人ならば知らないはずが無いだろうがっ!この山に突き刺さるあの巨剣の名だ!」
「知るか初耳だバカヤロー!アレに名前あったとか聞いたこともねぇよっ!」
謎の影の意味不明な暴論と擦りつけに怒鳴り返して、彼の言う情報を一度纏める。どうやら彼の言葉を信じるのなら、今外ではあの巨剣――クラウソラスが抜け落ちそうになっているとの事だ。それは『真祖龍』のみの力では絶対に成らず、誰か他の存在の助力が必要。が、当然俺にそんな事が出来る訳もなく、もし可能性があるとしたらエマの方だ 。何かしらの干渉を受けてここまでやって来たエマが、その意志とは無関係に真祖龍の解放に使われている、という事になる。大概そんな目的に使われるといった事はされる方からすればロクなものではなく、強大な苦痛が発生したり、耐え難いような精神的な傷を負わせてきたりと、酷く残酷なのが定番だ。
無論これまで集落の中で平和に暮らしてきたエマがそんな事に耐性がある訳もなく、もし本当にそうなっているのだとしたらすぐにでも向かわなければならない。この物語特有の畳み掛けるような非日常と、これまでのテンプレ具合から察するに、実際にそうなっている可能性も極めて高いのだ。俺の命の恩人を、そんな辛い目に合わせ続けてたまるものか。
だと言うのに、この影は空気も読まずに邪魔をしてくる。くそっ、勝手に勘違いしやがって。
「兎に角、俺じゃないッ!今、女の子が嵌められて、この一番奥の部屋に居るんだよ!多分あの子に憑いた何かが原因だ、早く助けてやらねぇと……っ」
「何を馬鹿な、ここ数百年間、お前以外にここを通ったものなど誰一人として居ない!現にこの洞窟に人の気配など……!」
そんな頭の固い事を言う影は気配を探るように目を閉じ、五感に意識を傾ける。数秒経てばすぐさま目を見開き、考え込むように頭を垂れてしまった。恐らくはエマの気配にやっと気が付いたのだろうが、その侵入経路が疑問だとでも言いたいのだろうか。影はスッと目を開けると、納得していないような苦い表情を浮かべながらもゆっくりと息を吐いた。灼熱の炎が次第に収束していき、その影に取り込まれていく。
炎はそれだけで残滓すら残さず消失し、未だ変わった様子もない影がわずかに声のトーンを落として呟いた。
「……確かに、最深部の封印の間に人の反応がある。これは、半分依り代化しているのか……?」
「やっと気付いたかよポンコツが、そういう訳だから、俺はあの子を助けに――」
言い残して、エマの気配がする道へと走り出そうとする。上空で心配気に見守っていたナイアもそれに気付くとすぐに急降下し、俺の肩目掛けてグライダーのように滑空してくる。それをなるべく優しく受け入れる準備をして、今まさに俺達が大部屋を出ようとしたその時に、ボソリと影が呟いた。
その言葉はやけにハッキリと、頭の中に食い込んできた気がして――。
「……ならば、そちらを殺すか」
「――は?」
思わず、立ち止まる。
おい。
待て、待て、待て。
ちょっと待て、今このクソ野郎は一体何と言った、何をすると言った。
「……かなり真祖龍の核が移植され始めているな。それに、他にも何やらおぞましい力が肉体を侵食している。遺伝子からボロボロなところを見るに、末世まで残る侵蝕の呪いか……早めに命を閉ざさねばなるまいな」
待てよ、今自分で言ったろうが。末世まで残る侵蝕の呪いと、『禁術』に魂と肉体を蝕まれ、更にはその真祖龍の核を植え付けられて『依り代』とやらにされかけて、助けを求めている少女を、この影はよりにもよって殺すと言ったのか?そんな馬鹿な、エマは何もしてないだろうが。なんだよその理不尽な暴論は、お前のお家芸か何かなのか?助ける選択肢だってある、筈なのに、迷いなく『殺す』と?
「……いや、何言ってんだよ、殺す必要はねぇだろうが。俺はあの子を助けに来たんだぞ、そんなことさせる訳が……」
「誰がお前の許しを得るといった。"アレ"は万が一にでも外に出してはならないものだし、一度依り代となれば戻る事は不可能だ。それに、仮に戻れたとして、依り代の適性がある者など、存在すら許されない。早急に殺す。これは既に決定事項だ」
平然と言ってみせるその影に、纏まっていた思考がグチャグチャに掻き乱されていく。待てよ、どういう事だ、意味が分からない、何をする気だ。存在すら許されないってなんだよ、エマがなんだってんだ。これまで普通に集落で幸せに暮らしてきただけの子が、なんでそこまで言われなきゃならない。死ななきゃならない理由なんてないだろ?一度依り代となれば戻る事は不可能でも、まだ半分程度しか依り代化は進んでいないんだろう?それならまだ助けられるだろうが、何を言ってる。
頭が熱くなっていく。いつの間にか強く右手を握り込み、食い込んだ爪によって手のひらから血が流れ出した。歯を食いしばり、脳裏を埋め尽くしていく怒りが他の論理的な感情を押し流していく。自分でも何をここまで怒っているのか、と言うほどの怒りを抱き、俺は知らぬ間に『禁術』の紋章に手を当てていた。
ナイアが心配そうに頬を舐めてくる。けれど、それにすら気付く事なく俺は激情の赴くまま、目の前に立ち尽くすドス黒い影をただ睨み付けていた。唇を噛んでいたせいか、口の端から血が一滴流れ落ちていき、俺の着る半袖の黒いシャツを一部紅く濡らす。
異常なほどの怒りが、湧き上がってきた。単にエマを殺すと言って見せたこの男に対する怒りもあるのだろうが、原因不明の出処のない余分な怒りがさらに激情を滾らせていく。自分でも明らかにおかしいと分かっているのに、この怒りが収まる事はなく、ただ今は目の前の影に対する敵意――否、殺意だけが浮かび上がる。
それでも、今は抑えている。意志を持った相手に剣を振るった事などなかったから、その怯えもあったのだろうが、一番はこの異常な感情の暴走に対する不信感である。何かがおかしい、いつもの俺ならこんなにも感情を暴走させるなどあり得ないのに、今は目の前の存在を、殺して、殺して、殺し尽くしたい程に殺意が湧いた。
彼女を、守らなければ。
そんな思考を根元に、動き出そうとはする。道の先を急いでエマの下に向かおうとはするが、体はこの男を殺すまで言うことを聞かないとでも言いたげに火照っていた。訳が分からない、いくらなんでも、この殺意は危険過ぎる。最近の俺はおかしい、感情のコントロールが出来ていない。違う、この怒りの持ち主は、"俺じゃない"。
そんな状態で歯を食い縛る俺の目の前で影は、俺の様子を見て溜息を吐いた。
「──嘆かわしい。よりによって貴様のような男に、"ソレ"が巣食っているとはな……」
「……っ、ぐ、ぁ……っ!死……ね、やめ……っ、なん……だっ、コレ……!」
ガタガタと膝が震えている。感情の器がピキピキとヒビ割れる音を放ち、今にも決壊しそうになっていた。もう訳がわからない、どうすればいい、頭が痛い、死ね、やめろ、くそ、意味が分かんねぇ、なんだこれ、どうなって──。
グチャッ
────ぁ?
それは、本当に唐突で。
自身の怒りを抑えるのに、これ以上なく必死だったからだろうか。
全く、事前に気付く事すら出来ずに。
一瞬で、一度で、一薙ぎで。
影を起点に突如出現した、灼熱の龍が――
「──あ、れ」
――俺の左腕を、食い千切っていた。
地獄が始まる。




