第19話『知るはずのない何か』
――――オォォォーーォォォォォォーーーーーッ!
風を切る轟音が鳴り響き、音を超える速度で移動する人大の物質が、その衝撃波で森を酷く揺らす。枝が折れ、草が舞い、鳥が慌てて逃げ出していく。けれどその物質──否、生物は、それに気付く素振りすら見せずにただ疾走する。
一直線に、脇目も振らず、弾丸の如き勢いで宙を走るその漆黒の存在は、全身に禍々しいまでの力を纏わせて、ただ封竜剣山に向けておぞましい眼光を向けていた。
もっとも、その内に宿す感情は決しておぞましいという程では無いのだが。
「……うん、まあ正直すまんかった」
胸の中には未だ行方が確定していないエマに対する焦りを浮かべつつも、ひとまずは音速を超えたことにより凄まじい逆風にさらされ、身を守る為に俺の腕の中で縮こまっている子竜──ナイアに一つ謝罪を述べる。先に行けなんてカッコつけた割には文字通り一秒以内に追いついてしまって、その際回収してからずっとこの調子だ。
そりゃ病み上がりの所を無理に飛んで、更に『禁術』で肉体の限界突破を果たした結果遂に音速を超えるとかいうアホみたいな事をした俺に回収されたのだ。それはそれは負荷を掛けてしまった事だろう。
自分の全身を見回すと、『禁術』を発動した際のエマと同じようにラインが走っている。が、その色は極限まで薄められた彼女のモノとは違い、赤黒いスパークを迸らせている。いつの間にか右手に刻まれた術式は消滅し、代わりに何か趣味の悪い紋章と、ほんの小さな痣が浮かんでいた。こうして『禁術』を使い続けると共に少しずつ痣はジワジワと広がっていき、それに比例して少しの痛みと気持ち悪さが押し寄せてくる。
同時に意識に靄が掛かったような気味の悪い感覚に陥り、成る程これが噂の『侵蝕』かと理解する。もっとも、エマ達ナタリスが持っている節約版とはその速度も桁違いなのだろうが。
デウスと術式の使用について話し合った時は散々反対されたが、いざという時に力が無くて死んでしまうなど冗談じゃない。何にしろ、生きていれば何とかなるものだなどと楽観論を押し通して、不満げながらも術式の根本を頂戴した。確かに長時間続けるにはとても耐えられそうにないが、短時間ならばまだ余裕はある。故に、早くエマを探し出してしまいたいのだが──
「――ど、らぁぁぁッ!」
気合を込めて叫びつつ、半径数十メートルほどの大地に地割れを起こしながら着地する。鋭角に着地した為か滑る足はどんどんと地面にめり込んでいき、膝下程度まで土に埋まった辺りでようやく停止した。即座に両足を引っこ抜き、腕の中で未だ固まっているナイアを解放する。
ナイアは先程までの超高速移動がやっと終わった事を察すると、すぐに俺の腕を離れて飛び上がり、その硬いクチバシで何度も何度も頭をつついてきた。
「くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
「わっ、ちょっ、待っ、痛ぇっ!?悪かった!悪かったって!帰りは普通に帰るから、なっ!?」
聞く耳持たんとでも言いたげな様子で鳴きつつ攻撃を繰り返してくるナイアを捕まえてその背を撫でてやり、なんとか怒りを鎮めてくれたらしいナイアに苦笑する。ナイアはそのまま腕の中から肩によじ登り、自分が収まる定位置を決めたようだ。
やっと落ち着いたので一先ずは上を見上げ、その頂上に突き刺さる光り輝く巨剣を見上げる。未だ青白いスパークは衰えを見せず――どころか、先程よりも出力が上がっているようにすら感じた。真夜中の暗天を照らす輝きは徐々にその勢いを増し、剣が突き刺さっている付近では何故かきめ細やかな砂で満たされていた。よく見ると剣が突き刺さっている根元で、放出される魔力により周辺の土を分解し、極小さな砂にまで変換しているようだ。あまりに巨大な魔力は、その器を持たない者には収まり切らず、宿主を殺すという。恐らくは砂への分解もその一部なのだろうと仮定し、絶対にあの剣に触れるのはダメだと理解する。恐るべきは、それほどの魔力をどこに溜め込んでいたのか……という話になるか。
何かが、この巨剣に力を注いでいる。それだけならば見れば分かる事だが、問題はそれが何か、という事だ。
一先ず頂上に行って様子を見なければと、ボロクソに破壊されて見る影も無くなった大地に足を踏み出す。肩に乗って明らかに休む姿勢なナイアを担ぎ直し、地割れに隆起と散々な道なき山道を登り、早くエマの手掛かりを見つけなければ。
──などと考えていた。その時。
──バシュゥゥヴゥウッ!!
突如、極限まで熱されたガスがひび割れた大地から噴き出してきた。
「あっつ"ぁッ!?」
腕に一瞬でやってきた冗談みたいな熱量に驚き、すぐさま腕を引っ込める。それでも巻き込まれた左腕にはクッキリと火傷の跡が残っており、既に感覚が薄れてきていた。何事かと大地を見下ろすと、ズタズタに引き裂かれた山肌からは尋常ではない熱気が立ち昇り、隙間の奥には何やら紅い輝きが見えた。どうやら今のガスはここから吹き出てきたらしく、奥のドロドロとしたソレはぼこり、ぼこりと沸騰するような音を立てている。それは紛れも無く、マグマと呼ばれているものだった。
高熱のガス、山の中、そして大地の下にある熱源。それらの正体と悉く一致し、今の状況に当てはまるモノを俺は一つしか知らない。が、そうなるとつまりここが『そう』なる訳であって……
そう、それらの超危険的要素の詰め合わせから浮かび上がる物騒な『ソレ』は、知る限り『こちら』でも『あちら』でも一つだけ。
──うそん、封竜剣山、火山とか初耳なんですけど?
そんな現実逃避じみた思考と共にひび割れた大地が勢い良く決壊し、次の瞬間に吹き出た灼熱の炎は更地の山肌に流星群となって降り注いだ。
◇ ◇ ◇
「ナイアぁぁぁぁぁっ!離れんなよぉぉぉぉぉッ!」
「ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
降り注ぐ火山弾モドキを"収納"から取り出した盾で迎撃しつつ、全力疾走する。頭上でズガガガガガンッッ!とマシンガンの炸裂音の如き轟音が鳴り響き、その度に背筋を凍らせつつも、稀に抜けてくる小さな火山弾を回避しつつまた走る。今度はナイアに負担のないよう走り、不本意ながらも山を駆け下りていく。本来ならばすぐにでも登りたいところなのだが、生憎と上に待っているのは容赦のない火山弾の流星群だけ。っていうかなんであの位置で火山がここまで盛大に噴火するんだよ、まだ中腹だったろ、まだ頂上まで三分の一くらい残ってただろふざけやがって。
まあそこらへんの物理常識も俺の元居た世界とは違うのだろうが、流石に文句を叫ばずにはいられない。どうするんだよこの状況、逃げるのに精一杯でエマを探す余裕すらねぇぞ、くそっ、もうちょっとちゃんと自然環境に配慮して着地しとけば良かった……っ!
見えてきた大岩の裏に引っ込み、身を丸める。ナイアも俺の頭の上にすぐさま着地し、その小さな4本足でがっちりと頭にしがみ付いていた。
バガンッ!ドゴォッ!ズガァッ!と無数の衝突音が響き、背後の大岩が火山弾の衝撃に揺れる。流石にそのまま壊れるなんて事は無く、普通に今は盾としての役割を果たしていた。が、それも時間稼ぎ。しばらく経つと徐々にひび割れが大岩に入っていき、未だ宙に舞う岩石の事を考えると後々持ちそうもない。なにか打開策はないものかと頭を捻り、あらゆる可能性を検証する。
まずは一つ、純粋に"収納"の中の武器防具を空中に展開し、火山弾を悉く叩き落としていく方法。
却下、いまさっきみたいに火山弾は防御を抜いてくる事もあれば。別の要員によって攻撃を受けた際は悲惨だ。例えば下に行けば夜の森が広がっている為、火山弾と魔物の両方を凌ぎ切らなくてはならなくなる。単純に火山弾が全て落ちるのを待っていれば良いという考えもあるのかもしれないが──
「……流石に、これ全部凌ぎ切る度胸はねぇぞ……」
岩から顔を出し、空に広がる紅蓮を見上げる。
それは明らかに自然な噴火では無く、空一面を覆うほどの灼熱が雨のように降り注いでいる。こちらに向かって降ってきた火山弾が鼻先を掠め、生きた心地がしないまま頭を引っ込める。冷や汗が滝のように流れ、一先ず下を見た。
可能性二つ目、『禁術』で強行突破する。禁術を使えば突破出来ないという事はないだろうが、それも却下だ。そもそも頂上に情報があるかどうかも分からない状態で禁術という一種の賭けに出るのはなるべく避けたかった。侵蝕が酷過ぎると『ライヴ』を用いても回復は難しいとの事なので、そうなる前に侵蝕をリセットしなければならない。無論、本当に緊急事態というのなら使うことに全く躊躇いはない。その時になればすぐにでも発動するつもりだ。
では三つ目の可能性、逃げる事もかなり難しい。下に降りても既に火山弾はかなりの広範囲にまで広がっており、逃げられそうもない。右も左も火山弾の雨嵐、上は論外だ。完全にネズミの袋状態になってしまった訳だが──では、かの高名な聖人お父さんの名言を借りてこうしよう。
――なに?上から火山弾が降ってきて逃げられない?それは無理に範囲外に逃げようとするからだよ。逆に考えるんだ。
『潜っちゃえばいいさ』と考えるんだ。
「──う、らぁッ!」
そうッ!俺はッ!上に逃げるでも横に逃げるでも無く、敢えてッ!『"収納"から出した武器類で穴を掘り、穴の中に逃げ込んだ』ッッ!
既に山からは大分降りたため、穴を掘った辺りにマグマは無いだろう――そんな考えはぶっちゃけこれっぽっちも持っておらず、ただ考え無しに地面に穴を開けただけである。が、これが功を奏したようで、座り込んでいた床をブチ抜いた。重力に従い落下していき、そのまま少し下の地面にドサリと尻餅をつく。どうやら空洞があったらしく、俺達はそこに落ちたらしい。
パラパラと降ってくる小石を払い除け、落下の際に打った腰をさすりつつも立ち上がると、その空間は以外と広かったらしく、直径十数メートルはあるようだ。四方にはそれぞれ道が繋がっており、その左右には暗闇を照らすための松明が……松明?
ハッとして、よくよく空洞を見渡す。先程は埃で曇っていたせいか意識していなかったのだが、よくよく見てみれば壁は自然にできたにしては異常なほど綺麗に整えられている。明らかに人の手が入ったような空間であり、その証拠にと道の左右には薪もないのに力強く燃える松明と、壁一面に描かれた遺跡っぽい壁画が刻まれている。よくよく眼を凝らして見ると、それぞれの道の先にも光源があるようだった。
無論、こんな所に遺跡があるなんて事は初めて知った。ナタリス達も山の近くに遺跡があるなんて事は言っていなかったし、この埃の量から見るに恐らくは知らなかったのだろう。何の遺跡かは──まあ考えるまでも無く、例の『真祖龍』と『神』の争いについての遺跡か。壁画をよく見てみれば純白の巨大な龍が描かれており、山にも劣らぬその巨体が周囲の人間達を脅かしている。その逆にはこれまた神々しい、純白の人が描かれており、これが聞く所による『神』だと把握した。
で、一番気になるのは。
「……なんだ、こいつ」
「くるぅ……」
双方の中心。今まさにぶつかり合おうとしている龍と神の間に、なにやら真っ黒な人影が描かれていた。
漆黒の髪に、浅黒い肌。どうやら頬――と言うより、頬から下の半身には火傷のような痣がある。紅い瞳はただおぞましい視線をこちらに向けており、まるで全てをその腕の中に収めようとでもするかのように、その両手を広げていた。同じく漆黒の服は傷だらけで、この壁画の誰よりも苦しんでいるかの様な、そんな印象を受ける。けれどそのドス黒い雰囲気は全て彼にのみ集約されており、まるでこの世全ての悪を一点に搔き集め、濃縮したかの様だ。
そして、その真っ黒な『ソレ』を縛るかのように、三つの鎖が存在していた。
一つ、白銀の鎖。虚ろな彼に道を示し、導くかのような繋がりの鎖が、彼が倒れてしまわないよう両足を縛っている。それは決して諦めを許さず、彼という穢れきった存在の未来を証明する為の、苦しみの証。
二つ、黄金の鎖。何もかもを失って狂気に堕ちる彼を引き戻し、全て投げ出してしまわないようその両腕を縛っている。それは彼という存在に課せられた呪いであり、彼に傷だらけの道を歩ませる為の酷い証。
三つ、無色の鎖。何もない、何もかも存在しないかの様な空虚の鎖が、彼の身を擦り減らすかのように縛り上げている。それは彼という存在に打ち込まれた楔のようで、彼という存在を確立させる為の災厄の証。
――なぜ、そんな事を思ってしまったのだろうか。
見た事もない筈の壁画、見た事もない筈の絵を、何故か理解してしまう。何もわからない筈なのに、何かが分かってしまった。
頭痛がする、吐き気が酷い、あり得る筈のない『何か』が脳内でのたうち回り、俺に何かを伝えようと叫んでいる。けれどその声は何一つ届かず、聞き取る事が出来ない。なんだ、これは。訳が分からない、意味がわからない、理由が分からない。
何故だか、無性にイラついた。"ソレ"が思い出せない自分に、自分ですら驚く程怒りを抱いていた。
何か、大切な事の筈なのに。
何か、大切な物の筈なのに。
「……っ、が……ぁ、っ」
「……くるぅ?」
急に座り込んだ俺の顔を、地面に降りたナイアが心配そうに覗き込んでくる。そのまま首を近付けて口元を舐められたので、少し笑ってその背を撫でてやる。
大丈夫だ、何もない。何もない筈だ。今は余計な事を考えるな、エマを探す事だけに集中しろ。多分、ここにエマが居る。何故だか、それが分かる。
思考に何か暗闇が差す。何か不吉なモノが大切な『なにか』を犯していく。
壁画へ乱暴に手をついて、それを支えに立ち上がる。ナイアが同時に肩に乗ってくるので、好みのポジションを見つけるまで待ってから顔を上げた。吐き気のせいかいつの間にか唾が垂れていた口元を拭って、四方の内一方の道を睨みつける。
その目は、既に人間が浮かべる眼光では無く――
目指すのは、封龍剣山方面の道。そこでエマを見つけて、集落に連れて帰る。それだけの話だ。
……それで、終わりの、筈だ。
"──後悔するぞ──"
……ああ、知るかよ。
……邪魔だ。
……いいから。
……早く。
──そこを、退け。




