第18話『クラウソラス』
「……ん、む」
ふと感じた暖かな感覚に重い目蓋を上げると、目の前には白銀の子竜が静かな寝息を立てていた。
どうやら眠ってしまっていたらしい。窓から外の空を見上げると、遠くの空には既に夕日が沈みかかっている。三、四時間はこのままだったかと認識して、未だ微睡みに包まれる意識を無理矢理に覚醒させる。
隣で子竜を眺めているだけのつもりが、思わぬ暖かさに気が緩んでしまっていたか。
起きようと地面に手をついた所で、頭の上に乗るあったかい感触に気付く。手を当ててみるとそこにはクロの手が乗っていて、意外と大きな手に妙に安心感を覚えた。誰かに撫でられた心地良さで眠ってしまうなど、まるで子供の様だと我ながら自嘲しつつ、同じく眠っているらしいクロを起こさないように手を退ける。
その手をゆっくりと下ろしてやってから立ち上がり、未だ眠る子竜を一つ撫でてから小屋を出る。
簾を潜って外の空気に当たり、一つ大きく伸びをする。欠伸とともに眠気を追い出し、軽く自らの両頬を叩く。ちょうどそれと同時に遠くから集落の子供達が走ってきて、心配そうな顔で私の周りを取り囲んだ。
「エマ!あの子大丈夫なの!?死んじゃわない!?」
「まだあの子起きてないの!?大丈夫!?」
そんな事を仮にも魔物に対する心配で躊躇いなく言う優しい子供達に微笑み、その頭を撫でる。困惑する子供達に笑い掛けて、「……大丈夫。もう治って、今は眠ってるだけだから」と伝えた。
子供達は安心したように息を吐き、「よかったー……」「ずっと出てこないから、すっごく心配したんだからねー」などと言ってくる。しっかりとナタリスの優しさを継いでくれているようで心なしか嬉しくなり、子供達をまとめてぎゅっと抱き締めた。
……そういえばおじいちゃんが先に出て行った筈だったんだけれど、おじいちゃんには聞かなかったのかな。
そんな疑問も浮かんだが、もう日も暮れかけている。夜になる前に子供達をそれぞれの小屋に送り、私も帰るべきだろう。その旨を子供達に伝えると、不満そうにしながらも渋々といった様子で従ってくれた。明日は遊んであげる約束をしてから、子供達を引き連れて歩き始める。間隔を空けてぽつりぽつりと小屋の建っている中央の通りを歩き、日も沈んできたので、その道すがら広場の中心の焚き火から取ってきた火種で、道の端に一定間隔で並ぶ松明に火を付けていく。
徐々に集落が松明の明かりに包まれていき、夜の冷たい風も松明の熱で緩和されてきた。子供達をそれぞれ送り届けた所で、私もやっと自身の帰路につく。いつも通り近道の為にぴょんと近くの小屋の屋根に飛び乗り、直接下の光が来ないと意外に暗かったので少し驚く。いつの間にか夕日は完全に沈んでいたようだ。
――と。
その時になって、ようやく気が付く。
「……剣が、光ってる?」
封龍剣山に突き刺さる巨剣――封龍剣・断世王が、その漆黒の刀身から青白いスパークを撒き散らしている。その輝きは微弱だが確かに存在し、その巨剣に散らばる水晶欠に同色の輝きを与えていた。地平線の彼方から顔を出した月の光を取り込むようにその輝きは増幅し続け、美しい刀身から黒が徐々に抜け落ちていく。
黒の落ちた辺りは綺麗な湖の水面のように透き通っていて、その奥には何か強大な『ソレ』が渦巻いているのが分かった。その輝きに目を奪われ、己でも気付かない内にクラウソラスへと足が進む。
不意に、ドクンと、私の体内で何かが脈動した。
それに強い違和感を覚えて、これ以上見てはダメだと悟る。早く目を逸らさなければ、早く帰らなければ。そんな思考とは裏腹に、私の中のソレは私の体を離そうとはしない。それどころか、無理矢理にクラウソラスへと足を進めようとする
冷や汗が流れる。不味い、不味い。このままだと何か取り返しのつかない事になる。ドクンと、再度の脈動が響き、同時に身体中に青白いラインが輝く。あまりにも見慣れ、既に日常の一部となりつつある、ある意味では世界のあらゆる術式よりも穢れた呪術。『禁術』を発動する際に体に走るその青白いラインは、確かにその剣とリンクしていた。けれど、あのクラウソラスと《最低最悪の魔王》が関係しているなど聞いたこともない。
視線を落とす。広場に未だ行き交う家族達は、皆平然と日の終わりを謳歌していた。私のように動きを封じられ、強烈な催眠の如き欲求に満たされているという事もない。
助けを呼ぼうとする。しかし、そのための声すら出ない。喉を震わせる事すら、出来ない。体は完全に私の言う事をきかず、先祖達が幾年もの日々を捧げて抑えてきた筈の、この忌々しい『禁術』に支配されていた。それが、言い逃れようもなく現実として突き付けられる。
意識に幕が降りていく。何かおぞましいモノが魂を侵食していき、私の意識は世界を守った筈の聖剣に吸い込まれていく。
──いや……助け……!
────────────。
──────。
"──やっと、見つけた──"
◇ ◇ ◇
──おい!居たか!?
──ダメだ、こっちには居ない!くそっ、どこに行ったんだ……!
──これまでこんな事一度も無かったのに……っ、何があったんだ……!?
「──ん、ぐ……」
小屋の外から聞こえてくる喧騒に、浅くなっていた眠りから解き放たれる。半端に寝たせいか異様に重い目蓋を擦り、膝の上で妙に怯えたような様子の子竜を肩に乗せる。その後すぐに流石にいくらなんでも異常な騒がしさだと理解してすぐに小屋を出る。すると、そこには松明を持って焦りの表情を浮かべ、集落中を走り回っているナタリス達の姿があった。
見た所大人達が殆どのようだが、稀にエマと同年代程度の子達も今にも泣き出しそうな顔で集落を駆けていく。流石にこれは非常事態なのだとすぐに理解し、すぐ近くに居たナタリスの青年――ローグを呼び止める。
ローグはその表情に焦りを浮かべながら、『早くしてくれ』とでも言うかのように凄まじい形相で振り返ってくる。流石にこの集落全員が出張るような異常事態で呑気に話している暇がないというのは俺も分かっているので、要件は手短に済ませよう。
「これ、何があった!?今さっき目覚めたからイマイチ状況が掴めてないんだ!」
「エマが居ないんだ!ちょっと前にギールとラナがエマが帰ってこないって爺ちゃんの家に飛び込んできて、今皆で探してるんだけど集落に居ないんだ!夜の森の危険はエマだって分かってる筈なのに……!」
「エマが……!?」
エマが夜の森に出る……?散々俺に『夜には絶対に集落の外に出るな』と耳にタコが出来るほど口煩く忠告してきたエマなので、彼女が自ら外に出るとも思えない。確か、実際彼女は小さい時に夕方の森で痛い目を見た事があるらしいので、それよりさらに酷い夜の森になど断固として入りたくないと言っていた。故に居るとすれば集落の中だと思うのだが、これだけ総動員で探しているとなったらすぐにでも見つかる筈だ。
それでも見つからないという事はつまり、何かしらの理由があって集落から出る事を強制された。或いは――
「誘拐……魔王軍か……?」
有り得ない話ではない。確か魔王軍は今日も含めて何度もナタリスに戦争への参加を求めていた筈なので、それを強行する為にエマを人質にでもするつもりか。しかしエマのレベルは100を超えているので、少なくともSランク以上の脅威度は持っている筈だ。それを抵抗も、逃走すら許さず、助けを呼ぶ暇すら与えずに誘拐したとなると、相手に相当な手練れがいる可能性が高い。或いは、何かしらの手段でエマを罠に嵌めたか。
どうやらエマは俺より先に起きていたようで、小屋の前でこの子竜を心配していた子供達を家に送り返したらしい。それは実際に送り返された子供が証言済みなので疑う余地もないとして、問題はその後。子供達と別れたエマがその後どこに行ったか、という話になる。家には戻っていないらしいので、その帰り道に何かがあったと考えるのがまあ当然か。
しかし、集落の大体の場所には必ず誰かしら人が居るので、誰の目撃証言も無いというのが解せない。魔王軍の刺客が来たにしても手練れ揃いのナタリスならば誰かが発見するだろうし、仮にエマが自分から出たとしてもこれまた誰かが気付く筈だ。
つまりは、何かしら特殊な方法を使って出たという事になるが……
「『禁術』でも使ったか……?いや、わざわざ侵蝕を深めてまで危険に身を晒す意味は……」
そんな事を考えていると、不意に髪を引かれる。振り向くと子竜が俺の髪を咥えてパタパタと飛んでおり、俺が反応した事に気付くとすぐに上へと飛び上がった。そして北の方に進み、何かがあるとでも言いたげに飛び回る。集落の防壁に隠れて見えないので、一度近くの小屋の屋根に登って子竜の後を追う。すると子竜が示した先には、相変わらず草木の一本すらも生えない殺風景な封龍剣山が見えていた。
――そう、この月明かりしか届かないような真夜中に、ハッキリと見えていたのだ。
「――っ」
思わず、息を呑む。
バチバチとまるで地球の電気とような青白いスパークを散らせながら、その山に突き刺さる巨剣が光り輝いている。この集落を丸ごと照らし出すとまではいかないが、確かにその剣は異常な気の高まりを見せていた。その風景は、この集落で暮らしていた二ヶ月の知識と比べると明らかに異常であり、異質であり、非日常であった。そして、それと重なるように姿を消したエマが、アレと全く関係が無いとも思えない。
周囲を見渡す。誰一人、あの輝きに気付いていない。もしかしたら防壁に遮られて見えないのかとも思ったが、同じように屋根に登って上から探すナタリス達も結構居るのでその線は無い。本当に、そもそもあの輝く巨剣の存在など無いとでも言うかのようなスルーっぷりだ。
誰もあの剣を見ようとしない現状に何故か苛立ち、適当に付近にいたナタリスを捕まえて、山の方角を指し示す。
「おいちょっと待てっ!封龍剣山を見ろよ、明らかに変だろ!あそこに居るとは思わないのかっ!?」
「はあっ?何言ってんだよクロ!今は冗談に付き合ってる暇はねぇんだって!早くエマを探さねぇと……っ!」
「だからっ!あのやたら光ってる剣の近くに居るんじゃねぇかって言ってんだよッ!」
マトモに取り合おうとしないナタリスに更に苛立ち、思わず怒鳴りつける。自分でも何故これほどまでに怒っているのかは分からないが、何故だか無性に腹が立っていた。何度もあのスパークを纏った巨剣を指し示し、エマがその近くに居る可能性を主張する。
が。
「ふざけてる場合じゃないって言ってんだろっ!?"光なんて全然無い"だろうがっ、寝言は寝てから言えっ!」
……は?
いやまて、明らかに見えるだろ。ここからなら思いっきり見えるし、真横に居る彼の位置からも問題なく見える筈だ。そもそもその巨剣の輝きでその山自体が照らし出されており、その光景はハッキリと視覚に捉えることが出来る。少なくとも俺はその風景を目視している筈なのだ。
けれど、彼は見えないという。仲間の命が懸かっている時にこんな無駄に迫真の演技を込めた冗談を言う程ナタリスは薄情では無い事など分かり切っているので、きっと彼には本当にあの景色が見えていないのだろう。では何故俺には見えている?なんでこの子龍は反応出来た?
俺と子龍の共通点と、その共通点とナタリスとの違い。
"──裏切りに気付いた魔王が、ナタリスに呪いを残した──"
まさか――
「……くそッ、あの光……魔力か……っ!!」
ナタリスは、その一族に残された呪いのせいで魔法が使えない。俺のように適性が全く無いという訳ではなく、『そもそも魔力を扱えず、感じられない』のだ。その性質上ナタリスは理論上魔法攻撃に弱く、不意打ちされ易いという傾向があるらしい。が、それも歴戦の戦士ともなれば殺気で気付けるモノらしく、殆どその常識は役に立たなくなりつつある。けれど、ナタリスが魔力を感じられないというのは事実なのだ。
ならば、ほんの少しとはいえ魔力にも通じている俺やこの子龍だけが気付けたというのにも納得がいく。あの輝きは魔力によって構成されたもので、それをナタリス達は視認も感じ取る事もできないのだ。
くそっ、ならどうする。多分今この緊急事態で話しても取り合って貰えないだろう。俺が行くしか無いか。
けど、出来るのか?俺だぞ?エマよりも弱い俺が言ったところで、焼け石に水になるのでは無いのか。『収納』で多少戦えるようになったからって、これだけで危険に飛び込むには少々心許ない。せめてあと一つ、何かが欲しい所なのだが──
「……だーッ!くっそ、絶対使いたくなかったんだけど……しゃーねぇっ!」
指貫グローブを剥いで、その下の手の甲に『念のため』と刻み込んであった術式を起動する。この集落に置いてあった数少ない本から得た知識とデウスへの相談、焼付くような痛みに耐えた苦労の果てに得た、俺の最後の切り札。
ナタリス達のように、耐性もなければ制御する技量も無い。故に完全なオリジナルであり、その出力もナタリスが使うモノとは桁が違う。代わりに、帰ってくるリスクも相当のものだが……背に腹は代えられない。
術式を起点に、おぞましい力が全身を包み込んでいく。何かが魂の大切な部分に根を張り、意識が僅かに曇った気がした。それと同時に押し寄せる、多大な吐き気と眩暈、そして生理的な嫌悪感。これがオリジナル、これが源流、これこそが彼の《最低最悪の魔王》が直接用いた、封印指定の大術式。
「……っ、ぎ、ぃ──が、ぁぁ……ご――っ!」
子竜が心配そうに隣に飛んできて、心配そうに頬を舐めてくる。その心遣いは嬉しいが、問題無い。一緒にエマを見つけてやろうじゃ無いか相棒。
……あ、そういや名前も付けてなかったな、オスかメスかは分からないから……適当だが、まあこれにしよう。人外って事で何か強そうな奴からもじったという訳で……
「……行くぜ、"ナイア"。手伝ってくれよ……っ!」
それが自分の名だとすぐに分かったのか、ナイアはすぐに嬉しそうに返事をして空高く舞い上がる。それでいい、先に行っててくれ。
俺もすぐに、後を追う──っ!
――起動完了。通称、禁術。正式名称、『禁忌術式:源流』。
……正直、こっちに来て急展開続きついてけないけどな……とにかく、命の恩人に恩を返す機会って訳だ。そういう事で絶対助けてやっから、そこを動くなよエマ……ッ!




