第12話『不安と緊張のファーストコンタクト』
「……大丈夫?」
「……ああ、大丈夫。ちょっと予想もしなかった事態に混乱してるだけだから」
エマが心配そうにこちらを覗き込んでくるので、手を振って大丈夫だとジェスチャー混じりに伝える。が、当然ながら全く以って大丈夫ではない。
俺みたいなクソステの無能をいきなりラスボスダンジョン……それも『世界の果てに最も近い場所』とか聞く限り明らかに裏ボスダンジョンみたいな所に漂流するとかおかしいだろ。
確か読んだ本じゃ『人界』から『魔界』までは世界で最も広い、世界の中心に広がる大央海を挟んで異常な距離があるらしい。どう足掻いたって俺が生きたまま『人界』から流されて『魔界』に辿り着くなんてことはあり得ないのだ。
などとそんな話をここまで流れてきた経緯と共にエマに話すと、彼女は少し考えた後それらしい答えを返してきた。
「……一部の海には、次元の歪みが生じてる……歪みは他の歪みと繋がってるから、稀に長大な距離の転移が引き起こされる事もあるの」
「流石はファンタジー……っ」
そんなTHE・ファンタジーな世界の厳しさにげんなりして、大きな溜息を吐く。エマはこちらをじっと見た後、特に気にする程の事でもないと判断したのか、袋から干し肉を一枚取り出して小さく千切り、自分の口に放り込んだ。
項垂れていても仕方ないので、大分体力も回復した体を起こす。どうやらあの干し肉、相当回復性能が高いらしい。やたら固いが。
エマに詳しく聞いてみると、ここは彼女の暮らす魔族の集落、その近くにある洞窟らしい。更に言うと、彼女含む集落の住民は皆、数ある魔族の種族の内でも最も数が少ないとされる、『ナタリス』なる種族なのだそうだ。聞いた事もないから多分この世界独自の種族なのだろうが。
ちなみに、最も数が少ない理由は別に強過ぎるからとかではなく、そう数が必要ないからなのだそうだ。
先程にも聞いた『封龍剣山』――その天頂に突き刺さっている、超巨大な剣を守る為の種族らしく、同時にその剣の封印を見守りつつ生活しているらしい。が、実態の所はただ剣山の近くに集落を作って暮らしてきただけだそうだ。これまでその封印が解ける事なんて一度も無く、その神と龍との数万年は経過したとの事だ。
なにしろ、その巨大な剣とやらがヤバい。神(アルルマとは別存在らしい)が巨大な真祖龍を倒す為だけに創り上げた剣と伝わっているだけあって、まず本当に馬鹿デカい。少しだけ洞窟から顔を覗かせてみたが、巨大な山に突き刺さったそれはかなりの遠目にも見えるほど巨大なのだ。
ドス黒い刀身とは反対に、光り輝く結晶が所々に散りばめられているようなその剣はどこか神聖さも感じられる。
エマ曰く「集落の大人達20人が両手を広げて並んでも一割も埋まらない幅」らしいので、横幅だけでも400~500メートルはあると思う。
それだけでも剣としては頭のおかしいデカさなのに、それで『山に半分ほど刀身が埋まった状態で』雲まで届く程の高さだというのだ。
しかもこれまた遠目からの目測ではあるが、巻積雲くらいまではあるんじゃないだろうか。だとすればその全長は最高だと13キロはある計算になる。
流石にそこまでとなると剣としてのバランスからおかしいので、あの巻積雲モドキが元の世界の常識とは違う事を祈りつつ5000~8000メートル程と仮定する。要するに5キロから8キロじゃねぇか、馬鹿にしてんのか。
しかもあの剣、あらゆる魔術に触れるだけで無効化して、斬ったモノから魔力を根こそぎ奪い取るなんてチート能力持ちだそうだ。そりゃその真祖龍とやらも負けるわ。
ちなみにその性質のせいか、その剣が刺さっている封龍剣山は草木一本生えていない。やはり物質にも魔力はあるらしく、それを奪い取られると生命活動に異常をきたすのは人間と変わらない。
つまりあの剣、魔力を持つ全ての存在に対して特攻能力持ちなのだ。なんだチートか。
「……クロ、落ちついた?」
と、ひとしきり纏ったところで声が掛けられる。
無論その声の主はエマであり、俺の名前に関しては経緯を説明する時に話した。流石にこのレベルの美少女にいきなり名前を呼び捨てにされるのはコミュ症の血が騒ぐので、せめて苗字で呼ぶように頼んだのだが、それに関しても聞いてくれない。
何故かエマは名前に関しては思い入れがあるらしく、家名を持たないらしい彼女の一族――というか、よくよく考えれば家名がないのならば、本名を呼ぼうとするのは当然か――は勿論、遠方から稀に訪れる旅人相手にもいきなり下の名前で呼ぶらしい。俺がエマの名を初めて呼んだ時のように話が進まなくなる可能性もあるので、こればっかりはもう慣れるしかないかと腹を括った。
「ああ、大分纏まってきたから。悪いな引き止めて」
「……そう……それじゃあ、そろそろ出ましょ」
エマはそう呟くと立ち上がり、焚き火に手を翳す。その真っ白な左腕に一瞬だけ魔法陣のような刺青が浮かび上がり、青白く輝いたかと思うと、炎はフッとその輝きを消した。僅かな煙を残して、洞窟内には向こう側の出口から届く細い光のみが届いていた。
エマはその光に従って出口へと向かい、俺もその後を追う。
数十秒歩いているとやがて洞窟から出て、こちらに着いてから二度目……漂流時に僅かに目覚めた時も含めると三度目となる、外の風景と対面した。
同じ大地の上にあるので当然といえば当然だが、俺の知る『魔界』のイメージとは全く違う清々しい程の晴天に苦笑しつつ、周囲に広がる巨木を見上げた。30メートルはあるその木は『アガトラム』という名前らしい。なんでネーミングが銀の腕なんだ。
そして相変わらず木々の間に開けられた道の先には『封龍剣山』がそびえ立っており、その巨大な剣は太陽の光を受けて輝いている。しかし見れば見るほど本当にデカい、アレを創るとかどんだけだよとか思ってみたが、結局は『神だから仕方ない』の結論で落ち着いた。
どうやらこの道の先、剣山の麓に集落があるらしいので、俺も道に沿って歩き出そうと──
「……ん」
「…………あの……エマさん、これは?」
「……だから、エマさんじゃなくて、エマ」
そう不満そうに口を尖らせて返す彼女の右腕は、俺の左手首をしっかりと握っている。何事かとエマを見ても彼女は気にする素振りも見せず、そのまま剣山の麓に視線を向けた。そして視線はこちらに向けずに「……捕まって、口を閉じてて」と一言呟き、ぐっと足に力を貯める。嫌な予感を感じて、咄嗟に掴まれた左手を動かしてエマの手首を握ると、次の瞬間にまた手首に込められる力が強くなった。
更に額を冷や汗が伝う。
「……『瞬間強化:跳躍』」
そして、景色が一変した。
「ーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!??」
絶叫を上げる事も叶わずに暴風に打たれ、肩が引っこ抜けそうになるのを必死に耐える。凄まじい勢いで景色が流れ、蒼天の中を轟音と共に跳んでいたのだ。
突如ガクンと下降するも、すぐにエマがアガトラムの木の頂点に着地して再度跳躍する。その勢いは尋常ではなく、もうこの時点で普通の人生で体験できるだろう速度は通り越している。ねえちょっとまって何が『強過ぎるわけでもない』だよ思いっきり人間離れしてんじゃねぇかと思ったらそもそも人間じゃねえや。って待てそれならここらの魔族みんなこんな事出来んの?強過ぎる奴とかはこれより遥かにヤバいの?えっなにそのインフレ。これから生きて人界に戻る自身一気に失ったんだけど。
暴風で乱れる前髪を掻き上げてて視界を確保し、掴んだ手の先で平然と先を見ている少女に絶叫混じりの問いを投げかけた。
「エマーーっ!?これ着地どうすんのっ!?俺今度こそ死ぬよ!?」
「……大丈夫……口は閉じる。舌噛むから」
相変わらずの低めのテンションで答えたエマはこちらの手を引き、俺の胴と膝裏に手を回して抱き抱えてくる。咄嗟の事でなんの反応も出来ず無言の絶叫を上げるも、お互いの肩に顎を乗せているという現在の体勢上仕方のない事ではあるが、彼女の銀髪が顔に掛かってマトモに視界すら確保出来ない。あ、あの、こうも密着してるとですね……その、胸が……当たって……
「……不穏な気配」
「あぶんっ!?」
突如移動速度に急制動が掛けられ、手が離された為に柔らかい草原に投げ出される。世界が変わっても問題なく働く慣性の法則に吹っ飛ばされた顔面から土の大地にスライディングし、暫く滑って体の前面を泥だらけにする。口にいくらか入った土をペッペと吐き出して文句を言おうと振り返った所で、自身の胸元を抑えて僅かに顔を赤くし、ジト目でこちらを睨み付けるエマと目が合った。その意味を一瞬で汲んで、即座に体勢を究極奥義に切り替える。
「……えっち」
「誠に申し訳ございませんでした」
後に聞いた所、彼女の該当する種族である『ナタリス』固有の能力として、他人の感情をぼんやりと感じ取れる力があるそうだ。多分さっきの下心を覗かれたのだろうか。バレてしまってはしかたがない。こんな時の男の立場はゴミ虫以下なのだ。
地面に額を擦り付ける俺を変わらず睨み付けた後、俺の手を引っ張り上げて無言で歩き出す。一瞬体勢を崩しかけるもなんとか立て直して後を追うと、確かに先程までは存在しなかった筈の小ぶりな村が、いつの間にかそこに存在していた。
エマに手を引かれて中に入ると、ほんの少しの酩酊感を感じてすぐに元に戻る。やがて彼女と同じような銀髪を持った人々が現れ、こちらに視線を向けた。ジロジロと頭から爪先まで睨み付け、眉をひそめている。
彼らは怪訝そうに目を細めたものの、俺の手を掴んで引っ張るエマを見つけると途端に顔を輝かせて数人が奥へ走って行った。
「母ちゃぁーーーん!エマが男連れて帰ってきたーーーっ!」
「それは違うぞっ!?」
思わずロンパしてしまったじゃないか。
◇ ◇ ◇
「そうですかそうですか、漂流者の方だったとは」
案内された先はナタリスの長の家らしく、俺は座布団に座って銀髪の老人と向かい合っていた。老人の隣にはエマも座っており、彼女は目を瞑って黙っている。
老人の名を『デウス』というらしく、まあ当然ながらナタリスの族長本人だ。人の良さそうな笑顔を浮かべて、俺と同じく座布団に胡座をかいて座っている。しかしながら長としての威厳というものなのだろうか、ただ楽にしているだけだと言うのに一定のプレッシャーが感じさせてくるあたり、流石は異世界ファンタジーの強キャラ定番ROUJINといった所か……こいつ、強い……!
などと馬鹿な思考で気を紛らわせて、改めてデウスと向き直る。流石に異種族の長相手に、魔族と敵対関係にある人族が無礼を働くのは不味いだろうと、緊張しながらも会話を再開する。
「ええ、地元での戦争に巻き込まれましてね。川に落ちて目が覚めたら此処ですよ」
「それは災難でしたな。何、ここは平和な所です。宿も用意させましたので、帰る準備が整うまではゆっくりされるとよろしい」
ハハハ、と朗らかに笑うデウスに内心ホッとしつつも、ふと疑問が浮かぶ。いやまあ俺が言えた事でもないけどさ、種族的に敵対関係にある人族相手にヤケに心優しいな。などとそんな事を考えていると、デウスがそれを見透かしたかのように笑みを浮かべる。
彼はエマに一つ視線を向けると、エマもそれに反応するかのようにパチリと目を開けた。彼女はデウスに疑問気な視線を向けると、すぐに把握したように「……ああ」と相槌を打った。
「エマが貴方を助けたように、ナタリスのような非好戦的な種族は大して人族に恨みがある訳でもありません。あなた方を毛嫌いしているのは一部の好戦的な種族ですよ。……それに、貴方は私達を恐れなかったではありませんか」
優しい笑みを浮かべたデウスが、嬉しそうにそう言ってくる。それだけでわざわざ宿まで用意してくれるものなのか――?そんな疑問を浮かべていると、デウスは「そうした疑問を浮かべてくれる事が良いのです」と付け加えた。
どういう事かと視線で訴えかけると、エマが代弁するように口を開いた。
「……私達の願いは、全種族の恒久的な平和……けど、種族差別のせいで、なかなか歩み寄れない」
「……あ」
確かに、王城で読んだほぼ全ての本では、大概魔族が悪として描かれていた。それは例えどんな種族であろうとも例外ではなく、魔族を貶めるような表現も多かったように感じる。俺は多少流し読みしていたのであまり何も思わなかったが、幼い頃からアレを常識として刷り込まれていると中々差別も抜けないのだろう。
やっと理解が及んで納得していると、それを察したのかデウスが更に付け加えた。
「故に、貴方のように偏見を持たない人材というものは非常に嬉しいのですよ。貴方のような存在が、将来世界を繋いでくれるかもしれない……そんなささやかな希望を込めた投資です。お受け取りください」
「……は、はぁ」
世界を繋ぐ、ねぇ……
あまり実感は沸かないし出来るとも思わないが、貰えるものは貰っておこう。恐らくここを出れば二度と会わないとは思うが、そのお礼はこれから準備を整えるまでの生活で返していけばいい。俺の願いはただ帰る事だ。魔界から人界に返って、姫路と共に元の世界へ帰る方法を探し出す。『二人で探そう』などと臭い台詞を言ってしまったからには、約束を違えることも出来ない。さっさと帰って、彼女を安心させてやらないといけないのだ。
……まあ、出来る限りはやってみるけれど。
「宜しく頼みますよ、クロ殿」
「殿はやめてください、なんかくすぐったくて……宜しくお願いしますね、デウスさん」
デウスに差し出された手を、握る。
とりあえず不安と緊張のファーストコンタクトは、うまくいったようで何よりだ。と、一先ずは胸を撫で下ろすことにした。




