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第99話『英雄の眠る日』

三章、完結です

『もう、無理なのね』


『……あぁ、俺達は完全に詰みだ。ごめん』


 紅い光が、崩落しかけた城の角から差し込んで玉座を照らしている。

 眼前に佇む翡翠の眼の女は、「そっか」と一言だけ呟いて“俺”の姿を見下ろす。既に指先は完全に麻痺しているのか、感覚は伝わってこない。左目も視覚はとうに機能を停止しているようで、辛うじて右目がうっすらと外界を捉えているのみだ。


 千切れ飛んだ両足の再生はしていない。この再生にリソースを割いてしまえば、この身は恐らく外界を知覚する手段を永遠に失ってしまうだろう。

 ならばいずれ終わってしまうとしても、せめて目の前の彼女と話す時間が欲しかった。


『……準備は出来たよ。本当に、これで良いのね?』


『ありがとう。それと、すまない。誰より苦しい役目を、君に押し付けてしまって』


『口調、また引っ張られてるよ。最期くらい、素の君と話したいな』


『ん……あぁ、悪い。そうだな』


『謝ってばっかり』


 ふふ、といたずらっ子のような笑みで笑った彼女に微笑みを返して、鈍い体に鞭打ちながら天井を見上げる。以前と比べて随分と風通しの良くなった城は徐々に崩落の速度を速めて、完全にここが埋まるのも時間の問題だろう。


『……“ナイア”には、悪い事をしちまった』


『仕方ないよ、あの子は優しい子だから……それに、きっとああした方が、あの子も幸せな最期に辿り着けるわ』


『そうだな――せめて、そうだといいな』


 せめて、彼女にとって暖かな死が待っている事を祈る。幸福になれない事が約束された“俺たち”と違って、あの子はまだ幸せな死を迎えられるかもしれない唯一の存在だった。


 瞼を閉じる。


 この理不尽な世界に反旗を翻したその時から、こうなることも覚悟はしていた。俺たちは主人公でもなんでもなくって、万に一つ、億に一つ、砂漠からたった一粒の砂を探し出すような奇跡を引き寄せる事など出来ない。


 俺たちは、敗れてしまった。


『悔しい、なぁ』


 気が付けば流れ落ちていた涙を、自ら拭う力すら既に無い。

 俺達はここで行き止まりで、戻る道もとうの昔に自ら塞いでしまった。これまで俺たちが築き上げてきた何もかも……覚悟も、意志も、そして骸の山々も、その全てが無に帰す。


 この狂った世界は続いていく。“俺たち”という存在は、ここで朽ち果てるのが運命だったのだろう。


 だが、だが、それでも。

 せめて、何も出来ずに朽ちるくらいならば。すべてが無駄のままに終わってしまうくらいならば。俺たちと同じように“終わり”に進もうとする枝分かれの世界――その世界の“俺たち”が、こんな想いを抱かなくて済むように。


『……準備は出来たよ。“世界の羅針盤”に細工も済んだ……あとは、私と、いずれやってくる“あなた”次第』


『――あぁ、そうだな』


 その時の“俺たち”は一体どうしているのだろう。もしかしたら、もっとマシな世界になって、幸せに暮らせていたりするのだろうか。それとも、やっぱりあの子はこの世界にとっての異物で、苦しめられているのだろうか。

 もしも前者だったなら、俺たちは完全にその幸せを壊してしまうだろう。だが例えそうでも、やめるわけにはいかないのだ。


 例え俺たちは絶対に幸せになれないのだとしても、せめて、俺たちと同じ苦しみを辿ろうとする“異なる歴史の俺たち”が、幸福になれるように。


 どこか一つでもいい、たった一つでいいから。


『どうか』




 俺たちにも“幸せな未来”があったのだと。


 信じさせてくれ。









 ――――――――――――――









 不思議と、悲しみはなかった。

 勿論寂しくはある、クロという少年の記憶からエマという存在が消えてしまうのは、当然受け入れがたい事実ではあった。だが同時に、言い方は悪いが“ちょうどよかった”と思っている自分が居たのかもしれない。


「彼に害を与える記憶を封じ込めてしまう事で、彼の精神的自傷を止める……そう解釈するのが適正でしょうか、メイリア」


「……意外だった。冷静なのね、エマ」


「自分でも意外です。もしかすると、なんとなくこうなると覚悟していた部分もあったのかもしれません」


 イガラシ・クロの記憶の一切合切は封印される。エマという存在は勿論、ナイアや、今も呆然とへたり込むミノリという少女の事も、これまで彼が過ごしてきた日々――これまでの旅も、“エマ”と共にナタリスで過ごしたという日々も、何もかもが無かったことになる。


 そして、エマの予測が正しければ。


「――少なくとも、私とナイアは、もう彼と顔を合わせるべきではない、ですね」


「……!」


 メイリアの瞳が、大きく見開かれる。

 当然と言えば当然の事だ。クロの記憶は焼却するのではなく、あくまでも“封印”。表に出てこないように封じ込めているのであって、場合によっては再び記憶が浮上する可能性も存在する。


 これがただの記憶喪失であったならば喜ばしい事だが、これは思い出す記憶そのものが彼にとっての毒。言ってしまえば、『思い出してはならない』のだ。

 彼にとっての毒となる記憶……“これまでの旅”に密接に関わっている存在――エマとナイアに触れれば、恐らく記憶の想起のリスクは一気に跳ね上がるだろう。


 ましてや、自分は彼にとっての罪の象徴。


 今ならばわかる、イガラシ・クロの自身に対する罪の意識は、その大半がこの体の本来の所持者たる『エマ』を救えなかったことに由来する。あの日、“わたし”が覚醒し、“エマ”が眠った日、イガラシ・クロはきっと、“エマ”を救うために走り出したのだ。


『源流禁術』が、魔王軍が、『四黒』が、あらゆる戦いという戦いが彼の精神を抉り続けてきたように、エマという存在もまた『イガラシ・クロ』を追いつめて、だがそれでもエマ(わたし)は彼の優しさに甘え続けてきてしまった。


 潮時だよ、“エマ”。


「……本当に、それでいいの?エマ」


 きゅっと手を握られる感触と共に、後ろからナイアがそう問いかけてくる。

 彼女も聡明な子だ、きっとエマの結論にだってとうに辿り着いていたのだろう。控えめに握られる手をぎゅっと握り返して、微笑みを返して見せる。


「はい。私がそうして彼が助かるのなら、迷う必要はありません」


「本当に……?もう二度と、会えないんだよ?」


「はい、きっと本当の“エマ”も納得してくれるでしょう……それよりも」


 くるりとナイアの方に向き直り、膝を付いてその小さな体をぎゅっと抱きしめる。驚いたように小さな声を漏らしたナイアにも構わず、ただただ抱擁を続けた。


「貴女まで巻き添えにしてしまって、ごめんなさい。そしてありがとうございます、ナイア。貴女が何を知っていたのか私には分からないけれど、それでも私たちを助けようと必死になってくれたことは分かります……だからどうか、貴女まで自分を責めないでください」


「……っ」


 彼女が何かを隠していたのは知っていた。だがそれはそれとしてナイアがこちらを助けようと必死に動いてくれていたのは事実で、そんな彼女が自分を責めるのはきっとお門違いだ。

 それよりも謝るべきは、彼女の大好きなクロと引き剥がす要因を作ってしまった、自分なのだ。


「……え、まぁ……っ」


 きゅっと力なく縋りついてくるナイアを抱きとめて、瞼を閉じる。

 “エマ”の記憶、“わたし”の記憶、イガラシ・クロを大切に思う全てのエマ(わたし)は、今ここでその気持ちに区切りをつける。彼に縋って生きるのは、もうやめにしよう。

 彼の罪は私が背負う。どれだけ時間が掛かっても、“エマ”は私が取り戻して、この体を返還する。それがこの世に私という生をくれた彼に出来る、唯一の恩返しだから。


「最後に、彼と話をしてもいいですか?」


「……ええ、今の状態で話が通じるかは、五分五分だけれど」


「充分です」


 メイリアの答えに少し微笑んでそう返し、再び彼の前に膝を付く。

 やはり彼の瞳は焦点が合わず、うわごとのように何かをぶつぶつと呟くだけだった。だが今度は無理に呼びかけるのではなく、強く握り込まれた手を、両手で包み込むように握る。


「クロ」


 “エマ”が彼を呼ぶときに倣って、彼の名を呼ぶ。


「……ぁ」


 ぴくり、と彼の体が震えた。

 ゆっくりと持ち上がる視線と交錯するように、エマもまた彼の瞳を見つめる。辛うじてまだ意思の疎通は可能らしい、“良かった”と小さく声が漏れる。


「もう休みましょう、クロ。後は、私がやっておきます」


「……だめ、だ……おれが、俺が、まちがえたから」


「良いんです、貴方のせいだけではありません。貴方を特別視するあまり、信じるという重荷を背負わせ続けていた“エマ(わたし)”にも、大きな要因があった」


「それでも、俺が、もう少しうまくやっていれば、エマを」


「でもそうはならなかった」


 彼の言葉を遮って、ぴしゃりと言い切る。

 確かに、もっとうまいやりようはあったのかもしれない。全てが丸く収まる『正解』の道筋が、どこかにあったのかもしれない。

 だがそれは理想論。結果はこうで、誰も手を抜いてなんかいない。誰もが必死に動いて、辿り着いた結末がこれならば、それはきっと必然だったのだろう。


「貴方は、出来る事を全てやりました。もう充分に頑張ったんです、もしも仮に貴方に罪があったとして、それらはとっくに清算されている。貴方はもう、休んだって良いんですよ。クロ」


 改めて彼の顔を見る。“エマ”の記憶の中のナタリスの集落に居た頃の彼とはずいぶんと様変わりして、顔の半分近くを覆う漆黒の痣や白く変色した髪は勿論、随分と顔色も悪い。

 彼は確かに強い、だがそれは単に戦いに於いての一点の話。本来の彼はどうしようもなく一般人で、命の重さを背負わされるような立場に無い筈だった。


 それでも歯を食いしばって、耐えて、上を見上げて、出来る事を成そうと戦った。本来背負わなくたっていい筈の責任まで無理に背負い込んで、戦った。


 もう、いいだろう。


「私が、後を引き継ぎます。どれだけ時間が掛かるかは分かりませんが、必ず、“エマ”にこの体を返して見せる」


「……え、ま」


 きっと長い道のりになるだろう、もしかすると誰かの手を借りっぱなしの旅になるかもしれない。たくさんの人に迷惑を掛けて、右往左往しながら、時には正解と真反対に進んでしまうかもしれない。でも、仮にそうだとしても、これ以上貴方を縛る鎖にはなりたくない。


「――でも、やっぱり私は弱いので、おまじない代わりにひとつ、お願いを聞いてくれませんか?」


「……?」


 呆然と、紅に染まった瞳がエマを見上げる。

 初めてだった、これま■ただただ命令を待つばかりで、自分の希望などなかったエマ(にんぎょう)にとって、最初で最後の“お願い”。何も望まなかった従順なだけの存在が手に入れた心の欲した、ほしいもの。


「名前を、付けてほしいのです」


「なま、え」


 エマ(にんぎょう)の欲した最初で最後、たった一つの願い。

 それは、彼女がエマとは違う、たった一つの掛け替えのない命だという、その証明だった。


「私は、やっぱり“エマ”ではありませんから。いずれ彼女に返す命だとしても、せめてそれまでは、『私』として在りたい」


 もはや、正常な思考など出来るリソースはなかった。ただ、彼女の願いを叶■てあげたいという想いだけが心の中を埋め尽くしていた。


 思考する、思■する。他の全てが、もはや記憶から崩■去ってしまっていた。一体何のために名を付けようとして■るのかも、思い出す事すら――思い出そうとすることすら、出来なかった。


 ただただ彼女に、その生に相応し■名を贈りたい、と。


「――■■」


「……ありがとうございます、クロ」


 短く、しかし■ッキリと発音したその“名”を聞いた■■は本当に嬉■■うに微笑んで、立ち上がる。入れ替わるように彼女の後ろからゆっく■と歩み寄ってきたナ■■は泣きそうな顔で■■の前に膝を付く■、ただ何も言■■に■■の胸に顔をうずめて、力いっぱい■■の小さな腕でクロを抱きし■た。


「……メイ■■、も■■界■■■てい■■■で■……始■ましょ■」


「え■、わ■■■■」


 兎に角抱擁を■■■■りたくて腕を■■ようとするけ■■■■の自由はどんどんと鈍くなって■く。思考がどんどんと■■■って、体への指示が■■■いのだ。何も出来ないのであれ■■■■いなりにせめ■■■せる事を■■■■、■■■■■■■■――――


 ――――■■■■■■■■。


 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。






 ――――。
















 ふわりと、唇に暖かな感触が触れた。











「さようなら、クロ。貴方の事を“私たち”は、ずっと愛していました」


 どこかで見たような気がする銀の髪の少女は、“おれ”と額を触れあい合わせて、頬に幾筋もの涙に線をつくりながら。


 ――最後の別れを、告げた。

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