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第98話『イガラシ・クロの終わり』

『なぁ、勇者さま』


『……』


 死の灰が降り積もる終末の戦場、決して消えない白き炎の燃え盛る地獄の最奥で、遂に最低最悪の魔王は膝をつく。

 周囲に散らばるのは無数の残骸、つい先刻まで最低最悪の魔王の肉体を構成していた、首、腕、指、足、或いは下半身、頭蓋。

 “無数に存在する”その残骸の海の中央で、先刻切り飛ばした四肢を既に再生させた怪物は、しかし力なく嗤うのみ。その首に添えられた黄金の聖剣は、どす黒い血に塗れている。


 対する勇者に、傷はない。その身を黒く染めるそれは、その全てが最低最悪の魔王のもの。


『主人公ってもんが実在するなら、そりゃきっとお前みたいなやつの事を言うんだろうな。どんなに迷っても、最後には必ず正解を引き当てる。皆を幸せにして、悪い奴をやっつけて、ハッピーエンドを引き寄せる。はは、随分と都合のいい生まれだ』


『……随分とお喋りだな、怪物』


『その怪物を四人纏めて叩き潰したお前が言うのかよ。饒舌にもなるさ、くそったれな理不尽だらけの現実なんだ。悪態の100や200、どうしたって出てくるだろうがよ』


 およそこの世の者とは思えない憎悪を宿した真紅の双眸が、勇者の眼を睨みつける。ただそれだけで零れ落ちる呪詛は、しかし彼に触れる前に消失した。


『……こんな世界、守ってどうする。どこもかしこもゴミクズだらけだ、分からないのか』


『……否定はしない。腐った奴らがこの世に溢れてるのは事実だ。だが、全員が全員そうって訳じゃない』


『そりゃそうさ、誰もが悪人って訳じゃない。中には善人もいるだろうよ』


 “だからタチが悪いんだ”と吐き捨てて、怪物は力なく笑う。

 諦め、失望、怒り、様々な感情がごちゃ混ぜになって魔力に染み付き、ただ存在するだけで死を撒き散らす世界の敵。この世全てを焼却せんと暴威を振るった生きる災厄。

 勇者の前についに屈した終末の化身は、掠れ切った声で、ジーク・スカーレッドに問いかける。


『――教えてくれ。誰もを幸せにしたいなんて言わない、ただ、たった一人だけでいいんだ。たった一人幸せにしてやることすら、俺には出来なかったんだよ』


『……』


『世界があの子を拒絶するんだ、この世全てがあの子を傷つけるんだ、あの子がただ生きているだけで、世界があの子を呪うんだ』


 黒ずんだ涙が、その頬から伝い落ちる。床に落ちた絶望の雫は、足元を構成する石畳をじゅう、という音と共に溶かし、抉った。


『何が正解だったんだ。どうしたら、あの子は幸せになれた……?俺には、もう』






 ――何が正解だったのか、分からないんだ。










 ――――――――――――――









「……ぁ、あ」


 今にも消え入りそうな掠れ声が目の前の少年から発されたものだと、エマは一瞬気付けなかった。


 部屋中から延びる鎖はその先端で杭とつながっており、その杭はクロの肉体の各所に打ち込まれている。杭はどうやら彼の肉体の魔力の流れの継ぎ目に差し込むように打ち込まれているようで、内部から源流禁術の侵蝕を食い止めているのだろう。彼自身の身すら蝕む莫大な魔力を床に刻まれた魔法陣が逃がして、もはや意思とは関係なく稼働し続けるそれから力を奪い取っているのだ。


 エマの手がゆっくりと、彼の頬に添えられる。びくりと怯えたような様子で反応したクロはいまいちハッキリとしない焦点を持ち上げてエマの顔を視界に入れると、耐えきれなくなったかのように彼女の手を振り払う。


(マスター)……?」


「ちが、う、ごめん……ごめん、ちがう、ちがうんだ」


「しっかりしてください、私が分かりますか……?もう脅威は去りました、怯える必要はないのです……!」


 言い聞かせるようにゆっくりと話すも、しかしクロにその言葉が届いている様子はない。

 禁術の代償はヒトの心すら狂わせるのか、これほどに衰弱し切ったクロをかつてエマは見たことがない。エマは勿論、この場にいる誰も彼の視界に入ってはいない。


 誰かを認識する余裕すら、既にないのだ。


「見ての通り、心の方が尋常の域を超えて衰弱している。こいつの大まかな来歴は二人から聞いたが、随分な大立ち回りだったらしいな」


 故郷を離れ、魔界の最北端――ナタリスの集落にまで辿り着いた人族(ノルマン)の少年。後に源流禁術をその身に宿し、四大災厄の一角たる『真祖龍』を討伐。

 その後南下を続けるに付随して、激突した同じく四大災厄の一角『黒妃』を撃破する。


 そしてアヴァロナルに流れ着き、魔王軍の襲撃に遭遇。その魔王当人に攫われかける――こう見るとあまりに激動の来歴だ。


「……それに加えて、奴の故郷は争いごととは無縁の場所だった、と彼女(ミノリ)から聞いた。その精神性は、年相応の少年のそれだった筈だ。むしろよく、これまで正気を保っていられたな」


 源流禁術は常識からかけ離れた再生能力を有する。が、当然ながらそれは決して無敵になるとイコールではない。


 治るとはいえ、怪我もすれば痛みもある。再生するたびにその箇所が黒く変色する特性が示す通り、今の彼の肉体は本来半分以上は吹き飛んでいる筈なのだ。

 腕はいったい何度落とされた?はらわたを抉られたのも一度や二度ではない。致命傷になり得る損傷は数えるのも馬鹿らしい。そこまでいかなくとも大小を問わないなら彼の負った傷は更に多いだろう。


 当然だ、イガラシ・クロは武人ではない。剣の達人でもなければ、そもそも本来戦いに通じる者ですらないのだから。


 故に彼は自分の持ちうる特権である『収納』、そしてそれでも不可能ならば『源流禁術』という最悪の切り札(ジョーカー)を切らざるを得なかった。痛みに耐える鍛錬すら積まずに、地獄のような痛みと何度も付き合ってきた。

 そこにさらに圧し掛かる代償という追撃は、容赦なく彼の心を蝕んだことだろう。気が触れずにいたこれまでが逆におかしかったのだ。


 イガラシ・クロは、もう、壊れてしまった。


「……救う手立ては、存在するのですよね?」


 先ほどのミノリと彼との会話から察するに、何かしらの手段があるというのは読み取れる。だがそれと同時に、わざわざこうしてエマの目覚めを待ったという事は、何もかもが上手くいく完璧な方法ではないという事の裏付けでもある。


 だって、そんな方法があるのなら、とっくに彼は正気に戻っているだろうから。


「――えぇ、辛うじて、だけれどね」


「!」


 不意に聞こえてきた声に振り向けば、いつの間に来ていたのだろうか。


 黄金の髪と茜色の瞳を携えた、アヴァロナルの守護者にして指導者。偉大なる極術使い(ハイエスト・メイガス)の祖、『極点の魔法使い』、メイリア・スー。

 流石の彼女といえども先の戦いで負傷してしまったのだろうか、杖を頼りに片足を引きずっているらしい。よくよく注意して見れば、だらんと垂れた片腕の先は血管が浮き出ては消え、浮き出ては消えを繰り返しており、何かしらの神経に乱れが出ているのだろうと推測できる。


「どこまで話したの?ジーク」


「話はこれからだ、悪いが頼めるか」


「そうね、じゃあ私が変わるわ。その辺に付いては、私の方が詳しいだろうから」


 そう言って壁際に置かれていた簡素な椅子に腰かけたメイリアはちらりとミノリ、そしてナイアに目を向けると、二人を呼び寄せるように手招きをする。その指示に従って歩み寄ってきた二人を見て小さく頷いた彼女はふとミノリに視線を向けると、“まず”と前置きして口を開いた。


「彼が以降も生き続けるためには、当然だけど大前提として『源流禁術』を二度と使わない事。そのために監視……そして護衛を付ける必要があるわ」


「監視……?」


「そう、彼自身が自発的に使おうとすることは恐らく無いでしょうけれど、彼の意志とは無関係に発現しようとする可能性はある。何かしらの争いに巻き込まれた時に、防衛本能でね」


 “現に今、彼は自分で源流禁術を御し切れてないもの”と続けたメイリアは、痛ましいものを見るようにクロを見つめる。未だ焦点の合わない視線を彷徨わせるクロはくしゃりと歪めた表情のまま頭を抱えてうずくまり、ぶつぶつと音にならない声を漏らしていた。

 苦虫を噛み潰したような顔で同じようにクロを見ていたミノリは視線をメイリアに戻すと、“そもそもとして”という前置きに続けてクロの傍に膝を突くと、彼の漆黒に染まった肌に触れる。


「……そもそもとして、その『源流禁術』っていうのは何なんですか?魔法とか、呪いの類のものじゃないのは分かります。けど、私の知ってるどんなものにも当てはまらない」


 魔法ではない。大気、或いは体内に宿る魔力に規則性を与えて様々な現象に変換する魔法は、原則として必ず魔力を消費する必要があるのだ。

 同じく呪いも魔法の派生、原理や結果こそ異なるものの、魔力を消費するという大前提は変わらない。


 だが源流禁術は、身体強化を行うのは勿論、使用者に莫大な魔力すら供給するのだ。


 この世の魔力は莫大だが、しかし有限だ。無尽蔵に湧いてくるなどあり得ない。だが現に源流禁術は莫大な魔力をクロに与え、彼の生命を冒涜すると同時に繋いできた。

 どこかにある筈なのだ、その源が。莫大な魔力をすくい上げてくるための大元、源流禁術に魔力を流し込む“何か”が。


「……まだ分かっていない点も多いわ。だからこれは、私の研究とジークが直接相対した感想から成る推論に過ぎないけれど……」


 そう前置きしたメイリアはちらりとジークに視線を向けると、彼は小さくこくりと頷く。それを確認したメイリアは再びミノリに向き直ると、その結論を口にした。


「『源流禁術』には、オリジナルが居る」


「オリジナル……?」


「ちょっと正確じゃなかったかしら。“源流禁術という力を貸し与えている何者か”の方が正しいかもね。貴女も知っていると思うけれど、この世に無限の力なんてない。無尽蔵に見えるほどの力も、必ず底は存在する。源流禁術は、要するにその莫大な海から代償と引き換えに力を引き出してくるための接続ツール、ってところね。術式自体は、ヴァンパイア族の名残が幾らか見えるけれど」


「……!待ってください、源流禁術を行使し始めたのは四黒……いえ、『最低最悪の魔王』の筈です!その結論は、つまり」


「……えぇ」


 エマの想像を肯定するように、メイリアがこくりと頷く。

 源流禁術は、力を“借り受ける(・・・・・)”ための術式。その推論が合っているという事はつまり、この源流禁術を行使していた四黒――そして生みの親たる最低最悪の魔王ですら。


「誰かに力を借りてい(・・・・・・)たに過ぎない(・・・・・・)、という事になるわ」


「それ、は」


 源流禁術自体は、術式の刻印さえ行えば誰にでも与える事は可能ではある。だがその殆どは力に呑まれて死ぬまで暴走を続け、周囲に破壊を撒き散らすだけの殺戮装置になる。四黒やクロが制御出来ていた要因すら不明なのだ。

 それほど恐ろしい力を、誰にでも与えて尚底の尽きない力の海。


 それが、“今も存在している”と。


「……ごめんなさい、少し話が逸れたわ」


 少々呆気にとられた様子で聞いていたミノリは、“あ、いえ”とだけぽつりと返して沈黙する。メイリアは少し言い淀むように視線を彷徨わせて、ちらりとエマとナイアの方を一瞥する。が、やがて決心したように一度ぎゅっと目を瞑ると、説明を再開した。


「さっき細かく診断させてもらったけれどね。彼の気が触れた要因は、恐らく源流禁術は勿論、度重なる極度のストレス――痛みは勿論、葛藤や罪悪感、色んな負の感情が積もりに積もって許容範囲を超えたことが原因よ」


「……という事は、カウンセリングで彼の心の傷が癒えるのを待つ、という事ですか?」


「そう出来たなら良かったんだけれどね、事態はそう簡単じゃないみたい」


「……?」


「……『源流禁術』の代償がどういうものかは分からないけれど、魂……ヒトの魂っていうのは純魔力……エーテルなんて呼ばれているモノで構成されているのね。彼の場合、その純魔力に、激しい自罰的な指令が働いている」


「自罰的な、指令?」


「薬でもなんでもないものを薬と思い込んで飲んだら実際に病が治ったり、逆に健康体の筈なのに何かの思い込みで体調を崩したりって話は聞いたことない?人は感情だったり、強い思い込みが肉体に影響を及ぼすこともあるの」


「……ブラシーボ効果、みたいなもの……?」


 ぽつりとミノリが呟いた単語の意味は分からなかったが、確かにエマもそういった話は聞いたことがある。というか実際にナタリスにもそういったまじないは存在していたし、そういうことがあると本で読んだこともあった。

 つまりクロの場合は、それが悪い方向に働いているという事らしい。自分に関する何らかの悪感情が、彼自身の精神、或いは肉体に何らかの悪影響を与えている。


「……さらに言えば、それを『源流禁術』が助長してしまっているの。そこまで自分で自分を追い込んでる要因は私には分からないけれど……例えば、何か彼にとって認めたくない何か(・・・・・・・・)を、見てしまったとか」


「認めたくない、何か……」


 ナイアがメイリアの言葉を復唱して、きゅっと唇を噛む。

 その様子をちらりと見たメイリアは少し目を細めるがすっと視線を戻して、床にうずくまるクロを再び見下ろした。

 “そうね、結論を言うわ”と前置きした彼女は落ち着いて聞いてねと言い聞かせると――




「――『源流禁術』と共に、彼の記憶を完全に封印するわ。少し酷だけど、どうやっても、“イガラシ・クロ”はここで死ぬ」




 そう、宣言した。

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