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第95話『英雄』

 ナイアは、一度己の目を疑った。


 世界が割れている。黄金の奔流は津波のようにアヴァロナルの街を押し流して行く様は、正に神話のような光景だった。つい一瞬前までアヴァロナル中から膨れ上がっていた、暴走した『源流禁術』のよる黒煙は今や見る影もない。瞬きの間に暴虐の渦は撃滅され、各所に現れた魔王軍の暴走兵は全て沈黙していた。


 たった一振り、ただの一撃、それがこれだ。しかもただ力で制圧している訳じゃない。


 誰一人、傷を負っていなかったのだ。アヴァロナルの上空から街を見下ろす限り、敵味方関係なく、誰一人として傷を負ってはいない。どころか、『源流禁術』を仕込まれた兵士達の肉体には、綺麗さっぱり痣が消え去っていた。


 “あの黒い痣が現れたら最後、治療の方法は存在しない”、それがあの痣を診た誰もが示した見解だ。だが事実として彼らの体を蝕み、自我を食い潰した侵蝕は今や一遍も存在しない。


 無論、ナイアの肩に現れていた痣も、今や無い。


 今正に崩壊せんとしていた街を守り、力に呑まれる兵士たちを無力化、更にはその侵蝕から彼らを救う。それを成したのは、繰り返すがたったの一太刀によるもの。

 まさにその偉業は、『英雄』の名に相応しいもの。


 あの絶望に呑まれたアヴァロナルを、終わりに向けて真っ逆さまに落ち続けていたアヴァロナルの戦況を。そして魔王の――『日蝕』の策略を。


 この男は、いとも容易くひっくり返したのだ。


「……すごい」


 “勇者”はふと眼下の街を一瞥すると、次の瞬間にはその姿が消失する。ナイアと同じ瞬間転移のようだったが、再出現の姿が見えないことを見るに、その射程距離はナイアのそれと比べ物にならないだろう。あまりにも次元が違いすぎる。本当に身体能力、魔力共に四大種族で最も劣る筈の人族(ノルマン)なのかすら疑わしく思えてくる程だ。


 これが、神話にすら名を連ねる勇者。たった一人で四黒と互角に渡り合い、遂には戦争を終わらせた最強の英雄。


 ともすれば、あの源流禁術すら取り除いて見せた彼なら。不可能だと信じられていたことを当然のようにひっくり返して見せる彼ならば或いは、知っているかもしれない。


 何を?決まっている。


 エマが己を取り戻すための方法を。そして――




 ――クロが救われるための方法を。










 ――――――――――――――









 「.......何、今の」


 ミノリは、ただただ呆然と目を見開くしかなかった。


 津波のように押し寄せた黄金の奔流が視界を埋め尽くしたと認識した次の瞬間、街の状況が一変したのだ。街中を渦巻いていた得体の知れない力は瞬きの間に消失して、今や敵性反応は目の前の3人以外に存在しない。


 「.......これ、は.......っ」


 ――その3人もあの黄金の光をその身に浴びて、どうやら衰弱しているらしかった。だが全身のどこにも傷は見当たらず、魔力が枯渇したという様子もない。


 「.......精神への、直接干渉?でも、どうやって」


 見た所、肉体ではなく意識を非活性化されているらしい。それでも尚彼らが意識を保てているのは恐らくあの光からの精神干渉をレジストしたのだろうが、そも彼ら程の者に通じる精神干渉とは何なのだ。


 その大元はあの時計塔の男だろうと予想は出来る。だが誰だ、ついさっきまでこの街にあれ程の力を持った味方は居なかった筈だ、何処から現れた?いや、そもそも味方だと断定も出来ない、あの波の対象からミノリを外している時点で敵とは考えづらいが、だからといって信頼出来る味方であると断定する理由にも――


 「――ぇ」


 唐突だった。


 あまりにも自然だったので、咄嗟に反応できなかったのだ。ミノリの眼前、何も無かった筈の空間に突如として出現した蒼衣の男は、つい先ほど時計塔に居た人物の姿と一致する。


 その片腕には、どこまでも美しい金色の輝きを宿す直剣が一振り。しかしその剣も彼はすぐに背に掛けた鞘に仕舞って、ブーツの底で瓦を鳴らしながらミノリに――より正確には、ミノリが抱えるメイリアの方へと歩み寄った。

 不思議と、心は安らいでいた。こんな状況の渦中にあって尚、自己暗示すら解け、記憶の濁流に呑まれて尚、ミノリの心は穏やかに静まっている。


「……ぁ」


「!」


 不意に、ミノリに支えられていたメイリアが、そんな呻き声にも似た音を漏らす。男はゆっくりと彼女の額に手を伸ばすと、その顔に付着していた煤汚れをその指先で拭った。

 それに気が付いたのか、或いは偶然なのか、メイリアがゆっくりと瞼を開いていく。状況を理解しきれないように視線を右往左往させて、茜色の瞳を持ち上げていく。


 ――そうして、茜色と蒼色は交錯する。


「――。」


「悪いな、メイリ―。遅くなった」


 彼は……ジーク・スカーレッドは、そう言ってメイリアの髪をくしゃりと撫でる。メイリアは一度信じられないものをみたように大きく目を見開いて、とっさに足を踏み出そうとした。

 けれど体が意志に付いてこれない、衰弱した全身は足を縺れさせて、ミノリの腕から離れ崩れ落ちようとする――が、その前に伸ばされたジークの腕が彼女の体を受け止めた。


 メイリアは、その細腕で彼の蒼衣をきつく握り締めていた。


「……ジーク」


「ああ」


 呼び掛ける。返答は一言だけ。


 けれど確かに、彼の声が帰ってくる。


「ジーク」


「……ああ。なんだ、メイリ―」


 今度は、名を呼ばれた。


 彼が昔からずっとメイリアに対して使っていた渾名だった。

 そう呼ばれる度に心が温かくなる、メイリアも気に入っていた渾名だった。


 彼の声で、その呼ばれ方をしたのは、何百年前だっただろうか。


「ジーク……っ!」


「……苦労を、掛けたな」


 ずっと、待ち焦がれていた。気が遠くなるような時間を、ただただ耐え続けてきた。


 彼が居ない時間を、彼の隣に立てない日々を、心が砕け散ってしまいそうなほど、堪え続けてきた。らしくもないキャラクターを切り替えて、心に殻を張って、圧し潰されないようにこの街を守り続けてきた。


 彼の代わりを、果たし続けてきた。


 ――すべて、今日という日の為だった。


「ぅ、あ、ぁ……あぁ……っ、ぁぁ……あぁぁぁあっ」


「……ありがとう。メイリー」


 堪えきれなくなって、彼の体を抱き締める。温かい体温は彼の生命の脈動を表している、もはや彼は物言わぬ屍ではない。


 ぼろぼろと涙が零れた、思えば最後に泣いたのはいつだっただろうか。彼が眠りに就いた時が最後だったように思える、となるとそれも数百年ぶりになるだろう。

 長い、長い時間を掛けて蓄積され続けてきた涙だった。ずっと堪え続けてきた心の痛みだった。


「……遅い、のよ。ばかぁ……っ!」


「……ああ、ごめん。ごめんな」


 古傷だらけの大きな手が、ジークの胸に額を押し付けて泣くメイリアを労わるように撫でる。微笑みながらも苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるジークは、メイリアを抱きしめ返す事はしなかった。


 彼は視線を上げ、呆然と立ち尽くすミノリに視線を向ける。


「改めて、ありがとう。メイリアを守ってくれた事、本当に感謝してる」


「……い、え……成り行きだった、ので」


「それでもだ。苦しい役目をさせてしまった」


「……まだ、終わっていませんよ」


 まるで『もういいんだ』とでも言うようなジークの言葉に、ミノリは強い姿勢で言葉を返す。まだ終わっていない、全てが丸く収まってなどいないのだ。

 全ての元凶はここには居ない。恐るべき敵はまだ眼前に居るのだ。


 そして。


「……!」


 白影が飛来する。

 紅い眼光がジークの背後に迫って、デウスの丸太のように太い両腕に収まった大剣が振り下ろされる。


 早い、恐らくは今までミノリが見た中で最速の踏み込みだろう。普段なら防げない事は無いが、完全に不意打ちだった。今から彼らの間に割り込んで防御は、明らかに間に合わない――。


「――。」


「……ぇ?」


 瞬きを、した。


 抜刀すらしていなかった。

 たった一度の瞬きの内に、メイリアを下がらせたジークの腕が、デウスの下腹部を貫いていたのだ。デウスの巨剣は未だジークの肩にすらまるで届いておらず、しかし後に動き始めたはずの彼が先制を取っているように見える。

 だが違う。あれはデウスを貫いてはいない。


 ――“神人位相差”と、ミノリはその現象を仮に呼称している。


 神の血を引くもの、或いは神性をその身に宿したものにのみ現れる現象。神性を持たぬ相手からの害意を宿した攻撃を透過、異なる次元に存在するものとして世界に読み込ませるのだ。

 ミノリのように、稀に存在する古くからの血筋として神の血を持っているならば話は別だ。だが基本的に、人は神に触れられない、人は神に干渉できない。在り得るのは、その逆のみだ。


 だが。


「……あぁ」


 納得したように、そんな声を漏らしたジークは。


 ――当然のように、デウスの首を掴んだ。


「……、な」


 ぐるんと、ジークの背丈よりもずっと大きなその体が廻る。宙に浮いたデウスはそのまま凄まじい速度で吹き飛んで、石畳にその身を叩き付けられる。数度バウンドしてから体勢を立て直したデウスはその巨剣を大地に突き立てて制動を掛けると、荒い息を吐きながらジークを見上げた。


「“神に敵意の刃は届かぬ。故に隠せ、秘めよ。敵意を沈め、世界を騙せ。その時人は、神をも殺す刃と成る”」


 困惑するミノリに、(ふる)い時代の言葉だ。とジークが続けた。

 人の敵意は神に連なる者へは届かない。だが神がこの世界に顕現している以上は、神とてこの世界の物理法則にその身を置くこととなるのだ。

 大地に降りれば地に足を付け、物を握れば持ち上げられる。それは即ち、実体がそこに在る事の印。であれば何故に人の刃は神を穿てないのか、他と何が異なるのか。


『意志』だ。


 神に仇なすというその意志、それこそが神と人の溝を広げる。故に何も抱かない、心に意志を表さない。秘匿し、騙り、刃は無意識の海に沈める。そうすれば人は無機物と変わらない、ただの物体として神に干渉し得る。


 その身に神を宿そうが、神の末裔だろうが。


 或いは、神そのものであろうが。


 殺せるのだ。


「――女神の威光(アルテミス)ッ!!」


 アルテミリアスが、珍しく冷や汗を浮かべながら肉薄する。


 その全身から銀色の魔力を噴き出してヒトの形を形成した彼は、指揮者のごとくその両腕を振り上げる。同時に白銀の巨人もその両腕を振り上げて、一息に渾身の力で撃ち下した。


 ……が、あまりにも遅い。一息の間にアルテミリアスの懐に潜り込んだジークは、その全身を鞭のようにしならせて、凄まじい軌道の蹴りを撃ち放つ。

 銀の流動の隙間を縫うように滑り込んだブーツの爪先はそのままアルテミリアスの顎を掠めて、その脳を激しく揺らす。彼の誇る、そして彼を『極術使い(ハイエスト・メイガス)』たらしめる極みの術は、ジークの身に掠り傷一つ付けてはいない。


 たった一合、時間にして1秒足らず。


 アルテミリアスは、沈黙した。


「――まずは、一人」


「……っ」


 次元が違う。強いだとか、弱いだとか、そういうレベルの話じゃない。


 かつての世界――地球に於いて。


 一人の人間が大陸を動かせるか?

 一人の人間が津波を押し返せるか?

 一人の人間が地震を鎮められるか?


 誇張ではない、もはやその領域なのだ。存在の格が違いすぎる。


「……こりゃ駄目だ。デウス、彼の相手は僕らには荷が勝ちすぎる。撤退しよう」


「……止む無し、か」


 フードの男の提案に、デウスは苦々しげに歯噛みする。だが最早彼らに選択肢など他にないのは明白だ、例え三人が最高のコンディションであろうが、この差を埋めるには到底足りない。


 だが真っ当に逃亡するなど不可能。とてもじゃないが逃げ切れるはずがないのだ、背を見せればその瞬間に首が落ちる――どころか、未だに首が繋がっているのが不思議な程なのだから。


「……エマ」


「はい」


「持たせろ」


「了解しました」


 一歩下がって大地に手を付いたデウスに反して、大剣を構えたエマが前に歩み出る。その全身に末端禁術の輝きを宿して、無感情に刃を構えた彼女に対して、ジークはただ視線を返すのみだった。


 見かねて、ミノリが動き出そうとする。だがその寸前にジーク当人がそれを制止した。


「……なぁ」


 不意に、ジークが声を掛ける。当然だがエマはそんな言葉には耳を貸さず、己の敵の撃滅にのみ全ての意識を割いていた。だがそんなエマの様子すら歯牙にもかけず、抜刀する事すらしないジークは。


 ぽつりと、たった一言、問い掛ける。




「――それで良いのか?」




 エマの目が、見開かれた。








 ――――――――――――――








 アヴァロナルから少し離れて、平原上空。


 意識を失ったイガラシ・クロを抱えて飛行していた『日蝕』は、足を止めていた。


「……また、予想外の状況ね」


 彼女の前には、一人の女が立っていた。


 “立っていた”のだ。何もない上空に、まるでそこに大地でもあるかのように、さも当然のごとく立っている。だが『日蝕』にとっての問題はそこにはない、空を飛行する者など探せば幾らでも見つかるのだから。


 問題は、その人物自身。


「ごめんなさいねぇ、魔王様ぁ。ちょぉっとだけお願いがございましてぇ」


 一々大げさな身振り手振りを交えながら紡がれる間の抜けた話し方をする、ぼんやりとした印象の少女だった。薄桃色の髪は肩程で切り揃えられて、特徴的な衣装を身に纏っている。が、何よりも目を引くのはその眼だ。


 完全な白、眼球そのものの色と混じってしまいそうなほどに真っ白なその眼は、イマイチ焦点が合っていない――というか、見えていないのだ。とうの昔に視力など失っている。

 その理由こそ、まさにその眼。『白の眼(ロスト)』と呼ばれる、超常の魔眼。未来を見通す純白の瞳、その担い手たる少女は。


『白の巫女』は、その“お願い”を口にした。




「――早速なんですけれどぉ、その抱えてる男の子、私に譲ってくださいませんかぁ?」



さりげなく累計で百話行ったな……(困惑)


あ、活動報告にてエマの作者の想定イメージ画を上げています。既にあるイメージを壊したくないという方以外は興味があればどうぞ。

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