第10話『ひとりぼっちの天才少女』
総合評価60p突破しました。正直内心ビビっておりますが、いつも読んで下さっている皆様、本当にありがとうございます!
――思えば、アレが運命の分岐点だったのかもしれない。
あの時に大人しく殺されていれば或いは、こんな事にならなかったのかもしれない。
こんな胸糞悪い結果が待っているのだと知っていたなら、もしかしたら俺はあの時死を選んでいたかもしれない。
……いや、それはないか。例え知っていたとしても、こんな苦しみは感じてみなければ絶対に分からないだろう。その実感のないあの時の俺が知ったとして、何としてでも生を選ぶのは当然の結果か。
全く、反吐が出る。
何度、屍を踏み躙ってきた?何度、苦渋の筈の決断を冷酷な迄に下してきた?何度この命を使い潰し、犯し、陵辱し、斬り刻んできた?
もう、数え切れない。
何がクラス転移だ、何が『物語』だ、何が主人公補正だよ。こんなもの俺は望んじゃいなかった、こんな酷い結果になるのなら、俺ならばなんて駄作だと吐き捨てるだろう。
人族と魔族の戦争?そんなものどうでもいい、勝手にやってろよ。勝手に争って、勝手に殺して、勝手に死ね。
ありが――な悲劇だ。けれど、アニメや漫 なんかを通して第三者として見るのと、実際に陥るのとでは話が違 過ぎる。何度絶望してきた、何度希望を――砕かれた、何度おぞ しい現実に屈してきた。
──もう、そんな単純な怒りすら忘れてしまった。
自分が誰だ――のかすらも、もう――うだっていい。どの道『私』はもうあちらにすら戻る――な て出来ない。『世 渡り』――式は、既に完成した。けれど、私は――あ らに帰 ても、居場――ど無 。
こ 壊れ切――肉体は、穢――った血 は、――れ しまった心は、も 二度とあの頃――る事はな 。
もう、喜 も、い りも、哀し も、──みすらも、こ 脳は忘れて――った。
たっ 一つ、この魂の根幹に刻――た変わら い想いだけが、こ 機械のよ――冷たい身体を動か いるのだ。
――でも。
"──君は、変わっちゃったね。クロ──"
そうして、愛するキミが言ったその言葉だけが、どうしても消えてくれないんだ――。
◇ ◇ ◇
「……っ、ふぅ……」
周囲を取り囲んでいた魔物達を、周囲の空間ごと巨大な氷の牢獄へと変貌させた張本人である私──姫路実は、大きく溜め込んでいた息を吐き出した。
赤雲が晴れていく。魔族の力を高めるその天候型の結界は、どうやら敵の首魁の術式の様だ。それが晴れたという事はつまり、共に突撃してきたクラスメイト達の誰かがその敵を討ち取ったという事だろう。
一気に魔物達が恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出していく。他のクラスメイト達ならまだしも、チートを欲していない私にそれらを追ってまで狩る理由は無い。
それに、例え私一人が見逃した所で、経験値を欲して我先にと魔物を狩り続ける一部のクラスメイト達から逃げられるとは思わない。
戦意を無くした相手を皆殺しにするのを見過ごす、と言えば聞こえは悪いが、こちらだって命が懸かっている。どんなチート能力を貰ったって、死ぬ時は唐突だ。例えどんな異常事態が起こったって、『こんな筈じゃなかった』では済まないのだ。
だから、深追いはしない。風魔法で自身の身体を浮かせ、砦に居るであろう五十嵐君の方へ行こうとして──
「……?」
その人影に気付いた。
「……は、はは……っ、ざまぁ……みろ……!調子乗りやがって……見下しやがって……!」
ギラギラとした瞳でびしょ濡れの大地を踏み締め、散乱する死体を何度も何度も蹴りつける藤堂君が、そこに居た。
その数ある死体はどうやら『魔物』では無いらしく、ドロップを残して消滅するという事はないらしい。恐らくは、本物の『魔族』なのだろう。となると必然的にそれは敵の上層部という事になり、この惨状から見るに討ち取ったのは彼か。
どうでも良いが。
元より私は、彼が苦手だ。嫌い、とは言うつもりは無いし言う資格も無いので言わないが、苦手というのは断言出来る。だからなるべく関わりたくも無い。
自尊心の塊のような彼は、一時私にも酷く突っかかってきたのだ。人付き合いなんて殆ど出来ない私がそれに適切に対処出来る筈もなく、ただ謂れのない疑いを掛けてきたのでとりあえずはその言い掛かりを抜き打ちテストで晴らした。
それ以降彼は敵意を向けてくる事もなくなったが、しかし逆に嫌悪の感情は向けられた。
なんて事はない、感じ慣れた感情だ。気持ち悪い、怖い、化け物だ、なんて負の感情。小学校の時からずっと受け続けてきたソレは、もう今更感も強かった。
高校に入って周囲が一新され、初めてその感情を向けてきたのが彼だったのだ。少しいつもよりは遅いなとも感じたが、いずれ全員に向けられる感情だろう。
と思っていたら、今度は彼の矛先が五十嵐君へと向いた。
成績は学年次席。入学当の次席だった藤堂君を抜いてその座に収まった彼は、外から見ればただのオタクだった。努力もせずにその席に収まる天才。私とは違って、人としての常識の内に収まった才能。
容姿も悪くはない、の内に該当するだろう。本人にその自覚はないようだが、実はその心優しい性根から女子受けは良い。その成績から近寄り難い雰囲気が出ているのか、本人は避けられていると解釈しているようだが。
兎に角、藤堂君はそんな彼を毛嫌いしていたようだ。
努力もしてない奴がなんで自分の上に居る……なんて彼は言っているが、五十嵐君も努力してない訳ではない──と言うよりはむしろ、彼は尋常ではないほど努力していた。
彼は隠そうとしていたようだが、席が隣だとどうしてもその断片は見えてくる。驚くほど書き込まれたノートに、鞄の中に詰め込まれた参考書の数々。
そのどれも彼はあまり人に見せないが、彼はどこからその情熱が来ているのかと疑問に思う程の努力家なのだ。
藤堂はそれを知らないし、仮に知ったとしても認めようとはしないだろう。
こちらに来て、藤堂君は何度も五十嵐君に嫌がらせを続けていた。能力を持たなかった彼を陥れるように行動し、どうやってでも彼を下に見たかった。元の世界の常識の通じないこの世界でくらい、常に上にいた彼を引きずり落としたかった。本人にそんな侮蔑的な考えがなくとも、下にいた彼はそう感じてしまったから。だから、嫌がらせを続けた。
姫路が止めるよう言おうとしても、彼自体が止めるのを良い事に。
だから私は、彼には関わらない。
報復なんてする気もないし、した所でなんの解決にもならないだろう。きっと五十嵐君は、私が冷静で居る事を望んでいる筈だ。
だから、なのだろうか?
──その『現実』に直面しても、現状を驚く程すんなりと受け入れられたのは。
「……」
『凍りついた砦』を踏み締めて、私はただその下に激しく流れる河を眺めていた。
氷の中には、如何にも暗殺者といった魔族達が居た。彼らは私が砦に飛んできた時に、この砦に忍び込んでいたのだ。
そして、遠目ながらも、ハッキリとその現場を目撃した。
彼が追い詰められたその瞬間を生き残るため、この川に身を投げ出した瞬間を。
それを目撃した瞬間に音に達するかと思う程の速度で、私は砦に突っ込んだ。人体級の大きさの物体が音速を超えた事による莫大な余波は風魔法で全て相殺し、その強過ぎる衝撃も着地の瞬間に和らげて砦へ被害は与えない。そして、突然過ぎる参戦に狼狽える暗殺者達を、抵抗する瞬間すら与えないよう一瞬の内に凍結させる。
そうした後に急いで砦から川を覗き込むも、悪天候により活性化されたその河の流れは異常な程に早かった。
町の外へと通じている川は、その果てに海が存在する。今頃流された彼は、その付近までとは行かずともかなり遠いところにまで辿り着いている筈だ。今更追い掛けた所で、見つける事も、止める事も叶わないと直感的に把握する。ここからも見える遥かな海は広大で、どこに流れ着くかも分からない。
今の私達が存在しているここと変わらず人族の暮らす大陸、『人界』の別地点に流れ着くかもしれないし、その隣に存在する『精霊界』、もしくは『獣界』に流れ着くかもしれない。
──最悪、魔族達が蔓延る人にとっては死の大地、『魔界』に辿り着く可能性もある。
彼自身の仮説を、思い出した。
『無能主人公の法則』。クラス転移によって飛ばされた無能な主人公が辿る、定番のルート。きっと彼は、生きるか死ぬかの瀬戸際でその可能性に賭けたのだろう。
以前彼が行方を眩ましかけた騒ぎの後、彼と話していた時に埋め込んだソレ――未だ心に繋がりを残す『種』を、確認する。大丈夫、彼の体に継いだその縁はまだ途絶えていない。彼は生きている、きっと生き延びる。単純な話だ、彼はこの物語の主人公に選ばれたのだろう。彼ならば『それ』に相応しい……と思う。
だからいつか、きっとまた会える。彼はきっと、私なんかでは及ばないほど強くなって帰ってくるだろう。だかりそれまでに、私ももっと強くなって待っていればいい。
けれど。
そうは、理解していても。
そうは、把握していても。
「──ぁ、ああ……っ、ぁ……っ」
その長過ぎる別れを受け入れられるかと言われれば、それはまた別問題だ。
覚悟していた事だ、いつかこうなるかもしれないと、彼自身ともずっと話していた事の筈だ。私もそれは理解して、そうなったとしてもなんとか受け入れようと決意していた筈なのだ。
それでも、抑える事のできない本音は次々と口から漏れ出していく。
「いか、ないで……」
ボロボロと涙が零れ、手足が震えて膝から崩れ落ちる。凍りついた冷たい砦に、確かな熱を持ったその輝きが数滴垂らされた。
酷く寒気がする。頭が痛い。艶やかに流れる黒髪に真っ白な両手を突っ込み、乱暴に掻き毟った。瞳孔が開き、喉から絶叫が出て行く。
帰ってきたクラスメイト達が、その尋常ではない様子に心配した様子で駆け寄ってきた。けれど、それすらも気付かずに私は絶望し続ける。
体内に収まっていた魔力が無秩序に噴き出し、凍りついた大地を叩き割る。中に閉じ込められていた暗殺者達の肉体も儚く砕かれ、冷え切った血が氷を赤く染め上げる。クラスメイト達が驚いて離れ、崩壊していく氷の山に愕然とした様子で立ち尽くしている。
迷惑を掛けているのは理解している、酷い事をしているのは分かっている、けれど、感情が制御できないんだ。
荒れ狂う哀しみに呼応するように魔力が方向性を持たず噴出し、強烈な圧となって周囲を満たしていく。膨大なMPが猛スピードで減少していき、既に四分の一程度は減少した。
あぁ、私は本当に弱い。
この世界に来て、ずっと泣いてばかりだ。泣いて、泣いて、誰かに縋って、無駄に与えられたこの力ですら、大切な人たった一人を守る事すら叶わなかった。吐き気がする。ふざけないでよ、何のための力よ、何のための強さよ、誰かの近くにいる事すら出来ないのなら、この力は何のためにあるのよ。
――彼は、何度も私を救ってくれたのに。
原因には心当たりはある。帰りに見つけた藤堂君の、明らかに異常な様子だ。その瞳には狂気と憎悪が宿っており、しかしその矛先は彼が殺した魔族達には向けられていなかった。そして、途中まではゆっくりと飛んでいた私自身の時間の計算と暗殺者達の襲撃のタイミングから、大まかな流れは掴んだ。
裏切った、という訳ではない。単に『敵の本丸は潰したが、そこから出た暗殺集団までは潰せなかった』――表向きには、そういう事だ。真実は、五十嵐君が軍師をしている事を暴いた敵軍の話を聞いて、また下に見られたように感じた。だから彼を直接潰しに行った暗殺集団を見逃して、殺させようとした……といった所か。被害妄想も甚だしい。
その目論見は半分成功した。しかし、殺すまでには至らなかったらしい。それでも、掠れた怒りは出てくる。
急速に失われていく魔力に倦怠感を覚える。それすらも耐え難い喪失感を打ち消せず、からっぽの心が磨耗していく。
「──悪いけど、我慢しろよ姫路ッ!」
霞むほどの速度で、視界の端の誰かが私の首筋に剣の鞘を叩き付けた。ビクリと体が一瞬痙攣し、急速に意識が途絶えていく。噴き出していた魔力にやっと歯止めが掛かり、瞼が自然と落ちてくる。薄れゆく意識の中で、よく彼と共にいた少年の声が聞こえた様な気がした。
「……予想通りかよ、クソッ……死ぬんじゃねぇぞクロ……!」
――そうして私は、大切な人の背を見失った。




