第1話『こんにちは、死ね』
衝動に揺さぶられてつい書いてしまった。後悔はしてない
「――うん、まあ待て。まずは落ち着いて平和的に話し合おうじゃないか」
なんてそんな事を口走ってみるも、目の前に群れる明らかに人の身長の二倍はあろう全長の狼がそんな言葉を聞き入れる筈もない。
全方位から襲い来る素人にもよく分かるような殺気に内心ガタガタと震えつつ、表面上だけは冷静を取り繕う。が、全身をびっしょりと濡らす汗が、その焦りを隠す事なく全て物語っていた。
馬鹿じゃねぇの?馬鹿じゃねぇの?大事な事なので(以下省略。
とりあえず、こんな絶体絶命過ぎる極限状況は、一介の高校生が陥っていい状況では断じてないとは思う。
そんなアホな思考をしながらも、ただひたすらこの現状に恐怖していた。
「グ、ルルルル……ッ」
「お、オーケーオーケー、何が望みだね?食料か?ならばここに一つ乾パンがあってnせびゅろっさむっごめんなさいごめんなさいッ!!?」
『収納』から残り少ない乾パンを取り出すも、その瞬間に乾パンを持つ腕ごと食い千切られそうになり慌てて身を翻す。盛大に噛んだ舌に若干の痛みを覚えつつ、すぐ横を通過していった濃密な死の気配に冷や汗を流す。
改めて見回してみると、周囲一帯は完全な森だ。科学が発展し、空気が汚れ、有り余る光で星の一つも見えない都会とは比べ物にならない、美しく澄み渡った青空が広がっている。そよ風は優しく頬を撫で、適度に冷たい空気が今は憎い。
周囲に生える木々は全く見た事もないような木で、その根本にはこれまた見た事もない植物が生い茂っていた。
まごう事なき、別世界。
それを認識すると同時に、この状況に対して盛大に叫びたい気持ちが湧き上がってくる。
──どうしてこうなった、と。
◇ ◇ ◇
テンプレではあるが、まあこういったラノベなんかの定石通り時は遡る。
いつも通り憂鬱な朝を迎え、忌まわしき月曜日に日にちが移ったのを把握すると、嫌々ながらも寝間着から制服に着替える。時間も微妙にギリギリなのですぐに茶漬けの素を白ご飯に掛け、麦茶を掛けて箸で掻き込む。両親は共働きで朝は早いので、俺――五十嵐久楼が起床する時には、既に家に居ないのだ。
駆け足で玄関を飛び出し、扉に鍵を掛けて自転車に跨る。パスコード式のロックを解除してペダルに足を掛け、全速力で通学路を急ぐ。
学校に到着する頃には、ホームルーム開始の五分前。全力でダッシュし、チャイム五秒前に教室に滑り込む。
鞄を机の横に掛けて椅子を引き、腰掛ける。オールクリア。この間、僅か3秒。
「パーフェクトだクロ」
「感謝の極み」
横から投げられた賛辞に執事スタイルで答え、ふっと息を吐く。鞄の中を探って一冊の本を取り出し、しおりを挟んだページを広げて読書時間に備える。それと同時にチャイムが鳴り、ガヤガヤと騒がしかった校舎全体がほんの少し静かになる。
それでも中々話し声は止まず、むしろ立ち上がって喋っている者もいた。
軽く伸びをして肩を回し、隣に座る唯一と言ってもいいかもしれない友人に視線を向ける。
「ってなわけでおはようさん。例のラノベはどうだったよ」
「あれは良いものだ。全巻買った」
「行動はえぇよ」
「バイト民をナメるなかれ。使わずに溜めてりゃラノベの六、七冊買うのなんて苦でもねぇさ」
「ただし時間は」
「おい馬鹿やめろ」
そんな軽口を交わしている青年は、クロにとってはこの高校で唯一の友人である神薙和也。高校に入ってすぐのレクリエーションで知り合い、お互いの趣味関係で話が合ったのが始まりという、まあよくある出会いだ。親の期待に沿って入ったこの進学校では珍しくオタク趣味が合い、結構な頻度で即売会なんかにも行ったりする。
そう、唯一の友人だ。
唯一なのだ。
…………オイ、哀れむんじゃねぇ。
まあそんなこんなで担任の温情でなるべく席は近くにしてもらうよう配慮されているが、今回の席替えで隣になったのは幸運だろう。話し相手に困る事もない。というかどうにも他のクラスメイト達には避けられている気がする。
和也の方はコミュ力も高く、オタク趣味以外で話の合う友人も結構居るようだが。
──と。
もう片方の隣の席の主が、遅れながらも登校してきたようである。
「──。」
腰ほどにまで伸ばした艶やかな黒髪を揺らし、その日本人とは思えないような真っ白な手で椅子を引いた。鞄を机の横に掛け、その少女はゆったりと席に腰掛ける。
姫路実。
成績完璧、スポーツ全能、容姿完成三拍子揃ったリアルチート。唯一の欠点は俺と同じくコミュ症な事。正直近寄り難い雰囲気もあるのだろう、完璧過ぎて恐ろしい所もあるのだ。
まず成績完璧。成績優秀ではなく、完璧なのだ。
テストは常に満点。この全国でも有数の進学校で、全ての教科で、全ての評価で、全て満点。カンニング疑惑が出た事もあったが、それも予告無しの、前日に用意したらしい抜き打ちテストで見事満点を取った事により払拭された。
アレは本物だ。リアル天才だ。
次にスポーツ全能。こっちもスポーツ万能ではなく、全能。
初めてやるらしいスポーツでも、最初から経験者より経験者している動き。更に練習すればすぐにそのスポーツの部活の部長ですら上回るという努力家泣かせ。身体能力は鍛えているわけではないのだから平均より少し良い程度だが、その才能は明らかに人間を辞めている。
最後に容姿完成。容姿端麗ではなく、完成。
女優ですら下に見える程の完成された容姿。オタク的な言い回しで言うのなら2.5次元。少し翡翠の混じった宝石のような瞳が凛とした顔に収まっており、綺麗な黒髪に付けられた赤いヘアピンで可愛らしさも生まれている。
スタイルも完璧なのだ。大き過ぎず、小さい訳でもない、完成された黄金比。
あそこまで完璧な存在を見ていると、もはや信仰すら生まれるんじゃないかとも思う。
ただ、いつも憂鬱そうな顔をしているのは個人的には頂けない。
まあコミュ症の辛さなら、俺が一番分かっているのだが。
──因みに、俺は彼女を尊敬している。
理由は勉強面でも、スポーツ面でもない。オタク寄りの俺が才能溢れる彼女を尊敬するとなったら、その理由は一つである。
即ち。
「五十嵐君。頼まれてた絵、携帯に送っといたよ」
「ありがてぇ……っ!ありがてぇ……っ!!」
「こっちも練習になるし、別にいいわよ」
そう、彼女は所謂『神絵師』なのだ。
聞いた所、彼女が絵を描き始めたのは五年前──要するに小学五年生の時であった。
その頃彼女はライトノベルというものを知ったらしく、それらのイラストを見て覚醒し、絵の練習を始めたのだとか。絵は五年描かねば上手いか下手かは分からないなんて話を聞いた事があるが、彼女は上手いどころかプロクラスだ。もう商売出来るレベル。その辺りは流石姫路と言うべきか。
そう。この通り、俺のように大っぴらに公開している訳でもないが、彼女もオタクだ。
流石に、たまに好きなラノベのキャラクターのシチュエーションを指定して描いてもらう程度の会話しかしないので友達とは言えないかもしれないが、それでもまだ話は分かる相手だ。
そして、こういった子が居ると、必然的にこういった奴も出てくる。
このクラスの不良の代表格。藤堂大志と、東祐樹である。
「……ケッ、ネトゲ廃人野郎が」
「オタクとかマジキメェ」
テンプレか。
今時そんなわっかりやすい罵倒する奴そうそう見ないぞ、天然記念物かよ。逆に笑えてくるわ。あとそこ、ネトゲ廃人=オタク=蔑称ではないぞ。全国のネトゲユーザーと親愛なる同志達に失礼だ、気を付けろ。
「あっ、あのっ」
そんな具合にガンを飛ばしていると、不意に後ろから声を掛けられる。
振り返ってみるとそこには、珍しく3名ほどの男女が居た。というか俺に話し掛けるという事象自体が和也以外では珍しい。なんだ、明日の天気は槍のちゲイボルグか。
……で、話し掛けてきたのは
「白城さんか。この儂に何用かな?」
「わし、なにっ、えっ!?」
「おっとつい素が。で、どうしたの?」
白城夏恋。
肩までの焦げ茶色の髪に、少し童顔なのが印象深い。確か気の弱い感じの子で、あまり自主的に動くタイプではなかったと記憶している。ちなみに容姿は可愛らしいタイプだ。そのおろおろした感じと容姿、身長の低さも合わさって、一部の男子達の中では守ってあげたい女の子ランキングで堂々の一位を飾っていた。
その後ろに控えているのが、確か彼女と仲の良かった……確か幼馴染みだったか?のイケメン、五条一成と、その五条の親友である兄貴気質の奈霧桜花。確かこの3人はよく行動を共にしていた筈なので、今回は彼女の付き添いと言ったところか。白城さんや、アンタの幼馴染み君が微妙な表情をしてらっしゃるぞ。
(……む?しかしこの3人に関わるような事あったか?確か無かったとは思うんだが)
そんな事を考えていると、白城はポケットから綺麗に折り畳まれたハンカチを取り出し……ってあぁ。
「あ、この前のアレか。それあげるつもりだったんだけど」
「い、いえっ!そんなっ、受け取れません!」
確か彼女が熱中症で倒れた時に、水筒の氷を包んで冷やしてやったのだったか。あの時は保健委員の仕事が大変だったのを覚えている。なぜ保健委員なんて面倒な仕事を引き受けてしまったのかとか思ったら委員の希望無し故の余り物だったのを思い出した。凹んだ。
「あい、確かに。体調には気を付けてな」
「は、はいっ!」
微笑みを浮かべて元気よく返事する白城にぎこちないながらも笑顔を返し、頭から机に倒れ込む。両手を前に投げ出し、「あーー……」と声を漏らした。と、同時に五条が眉をぴくりと歪ませて近寄ってくる。
「おい五十嵐、まだ夏恋と話してるだろ。なんだその態度」
「あー?……あぁ、悪いけど不可抗力の徹夜明けで眠いんだ。ちょっと休ませてくれ」
「お前な……!」
「やめとけやめとけ、それは格好悪いぞ」
そう言って額に青筋を浮かべた五条の肩を、奈霧が止める。正直自尊心が強い五条のブレーキ役として、彼以上にありがたい存在は居ない。ぶっちゃけると、五条は面倒臭い性格なのだ。決して悪人という訳では無いが、ただ面倒臭い。彼を抑える2人の気苦労が伺える。
「桜花……!」
「こんなもん人付き合いしていく内じゃ普通さ。お前は過剰反応し過ぎな、もうちょい向こうのことも考えてやるようになれよ」
「……っ」
流石兄貴肌。うまい具合にコントロールしてらっしゃる。
その光景を見つつ重い瞼を落とし、深い眠りへと身を落とす――。
その瞬間に、『ソレ』は現れる。
「ハロー、ハロー。マイクテスマイクテス、感度良好。よしよし、いいね。こんにちは、私立石宮高等学校一年五組全36名諸君。座標は変更したから、早速なんだけどデスポーンのお時間だ。一瞬死ぬけど、ちょっと我慢してね」
そして
クラス内に揃っていたクラスメイト全36名は死に――。
突如、真っ白な教会にリスポーンしたらしい。