ミイラレ! 屋敷幽霊のこと
物事がいつもうまくいくとは限らない。
例えば朝の良い天気が一日中続くとは限らないし、天気予報が予報を外すことだってある。日条 四季が下校途中に突然の雨に襲われたのも、そんな些細な不幸の積み重ねなのだろう。降られた方はたまったものではないが。
朝は雲ひとつない晴天。夕方も雨の気配がないので油断していた。なにより悪いのは、今の四季は自転車に乗っているということだ。危うくスリップしそうになる。
「四季、危ないよ」
横手から少女の声。雨を蹴立てて彼の横に並んできたのは、幼馴染の怜だった。
鞄で雨を避けながら、それでも四季に並走して心配そうな表情を向けてくる。
「降りた方がいい」
「そう、だね!」
彼女の言葉に従い減速。四季は自転車から飛び降りる。
「ちょっとすごいな、この雨!」
顔に吹きつける雨粒を拭い、周囲を見渡す。せめて一息つける場所が欲しい。
大雨にけぶる視界の中、飛び込んできたのはとある家の玄関先。
「あそこで少し雨宿りさせてもらおう!」
「え? あ、ちょっと!」
怜の制止を振り切り、四季は玄関先目掛けて自転車を押す。もうこれ以上濡れたくはない。全速力だ。……ようやく屋根の下に入り、彼は安堵の息をついた。
それに少し遅れて、怜もまた屋根の下へ飛び込んでくる。
「まったくもう! いくらこんなときだからって、他人の家の前に」
「そんなこと言ったって、この雨じゃさ……」
小言をこぼす幼馴染を宥めようとした四季は、慌てて視線を彼女から逸らす。濡れて大変なことになっていたからだ。
四季たちの通う山雛高校はブレザータイプの制服である。当然、その下はワイシャツということになり、雨に濡れると……
向こうも四季の反応で気づいたのか、溜息一つついて鞄を漁り始めた。それからやや間をおいて。
「四季? もう大丈夫だよ、こっち向いても」
思わずびくりと体が震える。
「ご、ごめん」
振り向きざまに頭を下げる。怜が苦笑を漏らした。
「いいよ、そこまで気にしてないから。そもそもそこまで見てたわけでもないでしょ? 四季の方こそ気にしすぎだよ」
「でも」
「でもじゃない」
やや強く言い切られ、四季はおそるおそる顔を上げる。
改めて見ると、怜の格好は様変わりしていた。濡れた上着を脱いでそのかわりに反物と思しき濃緑色の布で体を覆っている。
「……その布、どこから出したの?」
「鞄」
当然のごとくそう返され、四季は思わず脱力しかける。明らかに学校指定の鞄に入りきるサイズではない。
高校に入って再会できた幼馴染。子供の頃とはずいぶん性格も変わってしまったように見え、最初は戸惑いを隠せなかった。が、少し一緒に過ごしてみれば昔と同じ。四季にとっては嬉しい事実だった。
たまに突拍子もない行動をとるのには閉口したが。
「けど、ちょっと意外だな」
「えっ、なにが?」
不意に話しかけられ、四季は慌てる。怜がキョトンとした様子で彼を見つめていた。
「いや、四季もそういうの気にするんだねって話」
「……そりゃ気にするよ。俺をなんだと思ってるの」
意図せずして拗ねた声音になった。
その反応も怜にとっては意外だったらしい。彼女はさらに目を丸くした。
「だって四季、いつも個性的な美人に囲まれてるじゃない。てっきりそういうのに耐性ができてると……あ、ごめん、失言だねこれ」
眉間に刻まれるシワに気づいたか、怜が慌てて謝罪の言葉を入れる。
まあ、きっと側から見ればそうなってしまうのだろう。自分や怜のような霊感のある人間から見れば。彼の周囲にはいつだって物理法則に縛られない類の存在が憑き纏ってくるのだから。
そういった類の存在がことごとく女性の姿をとるのは何故なのだろうか。四季は時々不思議に思う。
街を歩くだけでもそうした存在『怪異』に目をつけられる日々。最近は色々あって多少過ごしやすくはなった。護衛を引き受けてくれる怪異が現れたからだ。そんな彼女も学校まで憑いてくることはない。
どうやら原因は隣の幼馴染。彼女はいわゆる退魔師だった。
なんでまた彼女がそんな道を歩むことを決めたのか、四季は知らない。とにかく怜は怪異をなんとかできる人間になってこの街に戻ってきたし、そうした人間たちに格別な悪感情を抱いているあの鬼女はそのせいで登下校中には顔を出さない。そんな具合だ。
沈黙のとばりが落ち、ただ雨が屋根を強く打つ音だけが響く。
二人は空を見上げる。広がるのは鈍色の重い雲。この勢いから見て、まだまだ止みそうにない。
誰かに傘を届けてもらおうか。そう思って四季が携帯を取り出したそのとき。唐突に彼の背後で呼び鈴がなった。
呆気にとられて振り向く。間違いない。鳴ったのは玄関扉のすぐ横にあるインターホン。
「え、なんで? 俺、触ってないよね!?」
「触れるはずないよ。私もそうだけど」
怜が警戒のそぶりとともに呼び鈴を睨みつける。赤い小さなランプが正常な動作を主張している。
装置はしばらく小さなホワイトノイズを吐き出していた。誤作動だろうか? 四季が訝しんだちょうどそのとき。
『はーい』
少し間延びした女の声。四季は体を強張らせた。
「あ、えっと……どうしよう、怜」
「落ち着きなよ」
怜は少し呆れたように言った。
そして一呼吸置いてからインターホンの前に立ち、落ち着いた調子で口を開く。
「すいません。間違えてボタンを押してしまったみたいで」
『あら。どちら様?』
「……山雛高校の学生です。急に雨に降られて、軒先を貸していただいていました」
ハキハキとした説明。四季は感嘆する。
『そうだったの。大変だったでしょ、そんなびしょ濡れになって』
「え? ああ、いえ」
怜は今気づいたかのように濡れた髪に手をやった。
「大丈夫です。タオルの手持ちもあるので」
『駄目だよそんなんじゃあ。風邪引いちゃうでしょ? 雨が止むまで、ウチで休んでいきな』
「あの、そこまでは」
怜の言葉が終わるより早く、インターホンの通話が打ち切られる。同時に鍵の開く音。四季は目を丸くした。
「……ずいぶん親切な人だね?」
「親切というかおせっかいというか」
こちらにしかめっ面を向け、怜が言う。
「どうする?」
「どうするって言われても」
四季は振り返った。視線の先では雨が降り続いている。その勢いはむしろ強まっているようにさえ感じられた。
「……これで傘なしで帰るのはちょっと。お言葉に甘えて、少し休ませてもらうのがいいんじゃないかな」
怜の眉間にさらに深いシワが刻まれる。が、渋々といった様子で頷いた。
■ ■ ■ ■ ■
玄関に入って真っ先に、視界に飛び込んできたのはタオルの山。そしてその上に置かれたメモ用紙。
『洗面所は入ってすぐ右です』と書かれている。四季は首を傾げ、家の奥を覗き込もうとした。
「……なんか、人の気配がないね」
「いるかも怪しいけどね」
淡々と怜が言う。
四季はきょとんと彼女を見つめる。視線は彼女が黙って指差した先へ。そこは玄関の脱靴場。靴一つない。
「あ」
「わかった? まあ、棚の中に入れてるだけかもしれないけど」
怜は肩を竦め、タオルを取った。四季も慌ててそれに続き、服や鞄の水分を拭き取る。
気づくとタオルの下にもまたメモ用紙。『使ったタオルは洗面所の洗濯カゴへ』四季は黙って怜と顔を見合わせた。
彼女は眉根を寄せたまま、靴を脱いで家の中へと入っていく。四季は溜息をついた。結局のところ、そうするよりほかはない。彼もまたそれに続く。しかし、これは……
洗面所につくと、また怜が難しい顔つきのまま立ち尽くしていた。
「どうかした?」
「あれ」
視線で指し示された先にあったのは、洗濯機の上に置かれた数枚の衣服。そしてメモ用紙。『よければ濡れた服を着替えて下さい』
さすがに四季も眉をひそめる。準備がいい、という問題ではない。
「……よければ、ってついてるし。これは遠慮させてもらおうか」
「だね」
そう結論付け、タオルを洗濯カゴの中へ放り込み、手を洗う。そして廊下へ振り向いた二人は思わず硬直した。
向かいの壁にまたもメモ用紙。『リビングでお茶でもどうぞ』内容は普通だ。しかし、いつの間に?
「さすがに気味が悪くなってきたね……」
怜が小さく呟く。自身の体を抱くようにしているのは、濡れた身体が冷えてきただけではないだろう。無言で頷き同意を示していた四季は、ふと思い出して彼女に問いかける。
「そういえば怜はさ」
「なに?」
「もうお化けは大丈夫なの?」
ぴたり、と。リビングに向かおうとしていた怜の動きが止まった。
「……四季。言っておきたいことがあるんだけど」
「う、うん?」
「退魔師っていうのは警戒心と見極めが大事なの。どんなに間抜けそうに見える怪異でも、踏み込み方を間違えると命にかかわるから。わかる?」
彼女は首だけ振り向いた。その視線の鋭さに、四季は思わず口を噤んで勢いよく頷く。
「わかるよね。私もそれに則ってちゃんと警戒してことに当たってる。別にただ怖がってるだけじゃないから」
「……怖いは怖いんだね……」
「わかった!?」
「は、はい! わかりましたごめんなさい!」
そんな他愛のない会話を交わしながらも、二人は無事にリビングへ到達した。丁寧なことに、道案内となるメモ用紙がところどころに貼り付けてあった。
リビングは驚くほどに整頓されている。目につくのは、机の上にあるコーヒーカップと手作りらしいクッキーだけ。
二人はそれを無言で眺める。家の中は無音。生活音の一つすら聞き取れない。ただ外の雨音だけがむなしく響く。
「……とりあえず、座る?」
「それくらいなら平気、かな」
ややためらいながらも、コーヒーカップの用意された椅子に腰を下ろす。そして用意されたもてなしを凝視した。
コーヒーカップの中身は、まだ湯気の立つブラックのホットコーヒー。そして大きめの皿に盛られたクッキー。多少不揃いな点からして、手作りだろうか。なるほど、家主の真心が見て取れるようだ。しかし。
「さっきから誰も出てこないよね」
四季はぽつりと呟いた。
怜が呆れたように彼を見やる。
「一応聞いておくけど、気づいてるよね? この家、間違いなく怪異がいるよ……怪異しかいないって言った方が正しいんだろうけど」
「それくらいは、まあ」
四季はあっさりと頷く。彼にしては察するのが遅くなってしまったのは事実だが。
靴一つない玄関といい、いつの間にか先回りして貼られているメモといい、ここまでくればどんな鈍い人間も勘づく。とはいえ。
「いや、俺が言いたいのはさ。どんな怪異にしろ、そろそろ姿を見せてもいいんじゃないかってこと」
「相手の目的によるよ」
怜は言った。
彼女は目だけを動かしてリビングの中を見渡す。
「……最近の退魔師内で少し話題になってるんだよね。人食い屋敷」
「なにそれ」
「いろんな手段で人間を中に誘い込む。誘い込まれた人間は二度と戻ってこない……そんな類の怪異が街に紛れ込んでるって」
四季は目を丸くした。
「そんな噂聞いてて、よくここの中入ったね……!?」
「入ろうって言ったのは四季だよ」
彼女はそっけなく言った。少ししてからふっと笑みを漏らす。
「ごめん、冗談。むしろ聞いてるからこそだよ。また見つけられるかもわからない相手だもの。チャンスは逃せない」
「そんな無茶な……けどさ」
四季は怪訝な顔で部屋の中を観察する。
「ここがその人食い屋敷だとすると、なんというか……おとなしすぎない?」
「初めは油断させて、ってことなのかもよ。ああ、コーヒーとかお菓子とかには手をつけないでね。毒が入ってるかもしれないから」
彼女が小さな声で言った次の瞬間。
バタン、と。
彼らの背後で壁を叩くような大きな音がした。不意の物音に振り返った四季は目を見開く。その先の壁に貼り付けられたのはまたもメモ用紙。『入ってません!!!』と、やたら大きな字で記されている。
「……だそうだけど」
四季は幼馴染の方を見やる。彼女は顔をしかめていた。その額に冷や汗が浮かんでいる。
「最初から私たちの側に……? おかしいな。御前さま、捉えられた?」
『うんにゃ。漠然とした霊気が漂っておるのはわかるが』
不意に第三の声が割って入る。四季は彼女の首元に視線をやった。
首回りを覆うようにして漂う白い靄。ゆっくりと凝固したそれは一匹の白蛇の姿をとる。怜のお憑きの蛇神、朽縄御前だ。
『はっきりとした影はないの。さて妙なことじゃ。坊主、ぬしゃどう思うね?』
しわがれた声とともに鎌首をもたげる蛇神に、四季は小さく肩を竦めて見せる。
「御前さまにわからないものを俺に聞かれても」
そう返しつつ、机の上を眺める。そこにはメモが1枚。『冷めないうちにどうぞ』と書かれている。無論、振り返る前までそこには影も形もなかった。ちなみに怜の前にも『退魔師ホイホイと一緒にするな』と書かれたメモが出現していた。
「なんというか、近くにいるのは間違いないみたいだし……本人に聞いた方が早いんじゃない?」
「簡単に言ってくれるけど、答えてくれると思う?だいたい、どこに潜んでるかもわからないんだよ?」
苦い表情を浮かべ、怜が反論した。四季が言葉に詰まったそのときである。
プルルルルルル! 突如部屋中に響き渡った電子の爆音に、二人はびくりと体を震わせた。慌てて音源を見やる。入口脇に置いてある固定電話。
「……出ろ、ってことかな」
「そうなんじゃない? 私が出る。四季はここで待ってて」
鳴り続ける電子音に顔を歪めつつも、怜が席を立った。
電話機の前で、彼女は逡巡のそぶりを見せた。決意も新たに受話器を取る。
「もしも」
『ウチは最初からあなたたちの前に顔出してたよっ!』
途端、女の金切声が木霊した。どうやらスピーカーホンになっているのだろう、離れた四季からも充分に聞こえる音量だった。
「うるっ、さいな……!玄関からここまで誰もいなかったじゃない!」
耳元で怒鳴られたのが腹に据えかねたのだろう、怜が受話器に向かって怒鳴り返す。するとそれより大きな声が戻ってきた。
『なんて鈍感な! あなたたちが私の軒先に入ってきてからずっといたじゃないか!』
後ろで彼女らの会話を聞いていた四季は眉をひそめた。天井を見上げ、ぐるりと部屋を見渡す。そこでようやく合点がいったように呟いた。
「ああ、なるほど。そういうこと? ここ自体が『あなた』ってことでいいの?」
『そっちの少年は察しがよくて助かるね』
幾分か嬉しそうな声。
怪訝な顔で受話器を見つめていた怜は、ややあってから口を歪める。
「……家そのもの、が。道理で本体らしい実体が見当たらなかったわけだ」
『だからいるでしょ!? この電話機とか! そこのテーブルとか! 床とか壁とか天井とか! ぜんぶひっくるめてウチなの!』
怒鳴り声と同時。大きな揺れが四季たちを襲った。
「うわっ!?」
「きゃっ」
倒れそうなほどの勢い。一瞬で収まらなければ、身の危険を感じるほどだった。
「わ、わかった。わかったから! ごめんなさい、最初からあなたはここにいた。うん、理解したよ」
『わかればいいよ』
『家』が受話器を通し、満足気な声を響かせる。溜息をついた怜はそれでも警戒を解いていないように見えた。
「でも、いったいなにが目的? わざわざ私たちを中まで誘導して」
『なにって……雨宿りするならウチの中の方がいいでしょう?』
「それだけ?」
『それ以外になにがあるの?』
しごく不思議そうな声を返され、かえって退魔師はたじろいだようだった。首元の蛇神がぽつりと呟く。
『どうやら育ちのいい付喪神のようじゃの。本心から人間の役に立とうとしておるか』
『そうだよ! なのに最近ウチを見れる人間は少ないし、タチの悪い退魔師は増えるしでさー!』
その言葉に、四季は怜へ視線を向ける。
「退魔師にタチがいいとか悪いとかあったの?」
「……まあ、怪異ってだけで除霊しにかかる連中がいるのも事実だね」
『そうそう! そういうのが増えたからって、街の怪異たちが垂乳根産業に妙なの頼んでさー! 困ったもんだよね本当!』
垂乳根産業。四季にとっては耳馴れぬ単語。だが、退魔師にはそうでなかったようだ。怜が顔をしかめる。
「垂乳根が関わってたのか。人食い屋敷の噂の元はそれだね」
『その呼び方やめてくんないかな。あれと一緒に見られるのは我慢ならないの……退魔師ホイホイのやつらのことね』
怜の眉間のシワが深くなる。やつら。すなわち、人食い屋敷とやらは複数体街に出回っているらしい。四季にもそれだけはなんとなく理解できた、が。
「あの、怜。垂乳根産業って?知ってるの?」
「退魔師内で危険視されてる団体の一つ」
簡潔な答が返ってくる。。
「なんていうかな……怪異的な道具? そういうのを作ってはばら撒いてる連中。けど、退魔師ホイホイなんて代物を作ってるとは思ってなかったよ。よっぽど私たちを敵視してるのかもね」
淡々と説明しながらも、彼女は携帯電話を取り出す。仲間への報告だろうか。
が、彼女は画面を見て困ったような眉を下げた。
「……圏外。ねえ、えーと……家の怪異さん」
『新屋敷って名前がある』
「じゃあ新屋敷さん。その、電話を使わせてもらってもいい? ここ、電波が入らなくて」
『ああ、うん。ウチが遮断してるしね』
思いがけない返答に、怜は目を細めて受話器を見つめた。四季が首を傾げる。
「なんでそんなことを」
『だって……キミら、誰かに迎えに来てもらうつもりだったでしょ?』
「そうだね。それが?」
『その、それが嫌だったというか……』
急激に歯切れが悪くなる。四季と怜は黙って言葉の先を待ち続けた。雨が屋根を打つ音が響く。やがて、溜息のような音が受話器から漏れた。
『さっきも言ったけど、そもそもウチを見れる人間って少なくなっててさ。こういう風に人間を迎えるの、本当に久しぶりで』
二人は口を挟まない。受話器の言葉はなおも続く。
『だからなるべく長くいてほしいというか……もっとゆっくりしていって欲しかったんだ。だから、その、ごめん』
「……謝るのは私の方かもね」
肩を竦めて怜が言う。
「ちょっと疑い過ぎてた。うん。素直に歓迎されることにしよっか」
振り向きながら彼女は言った。四季はその視線を受け止め、微笑しながら頷く。受話器から吐息のようなノイズが漏れた。
『あ……ありがとう!』
ついで感極まった声。怜は小さく笑い、受話器を切らないままに台の上へ置いた。新屋敷と会話をしながらゆっくりするつもりなのだろう。
四季の隣の席へ戻った彼女は、コーヒーカップに手を伸ばそうとして……止める。
「ねえ、新屋敷さん」
『なあに?』
「このコーヒーとかクッキーとか、どうやって用意したの?」
受話器からの声が沈黙した。気まずい空気の中、雨の音だけが響く。四季は机の上を一瞥した。
「この家全体が、なんだ、新屋敷さんなわけだよね」
四季の言葉に返事をするものはいない。彼はゆっくりと言葉を続けた。
「なら、やっぱり、その……このコーヒーとクッキーも」
『だ、大丈夫だよ! 食べられてもウチはなんともないから!』
「やっぱりあなたの一部なの!? これも!」
怜が音を立てて椅子を引き、距離をとる。受話器を介し、新屋敷が慌てたような声を上げた。
『平気だよう! さ、最近人間の食べ物とか生み出してなかったけど、たぶん味はいい! 食べれる! きっと!』
「聞きたくない!どんどん食べたくなくなってくるじゃない!?」
怜が叫ぶ。
『大丈夫だよ! ほら食べて! きっとやみつきになるから! もうウチから離れたくなくなるくらいに!』
クッキーとコーヒーカップが揺れ始める。放っておくと飛んできそうだ。
「黙れ! というか本当に食べても大丈夫なの!? 変な精神汚染とかされないよね!?」
『しないよぅ!』
……その後、怜を落ち着かせてコーヒータイムを終わらせるまで相当の時間がかかった。結局その間に雨はあがり、二人はぐったりしながら新屋敷の元を後にした。ぐずる彼女を遊びに来るという約束で宥めてから。
コーヒーとクッキーは、普通に美味しかったことを付け加えておく。