8伝 はじめてのお風呂
「…………本当に、何だこれは」
「…………眠い」
「固着といい、異様な空腹といい、睡魔といい……お前の世界ではこれが普通なのか」
「初体験ですよ……大体うちの世界、魔法すらないですよ」
人の世界にあらぬ疑いをかけないでほしい。ちょっと特別なこともあったけれど、それ以外は魔法も魔術もない世界だ。何を以って普通とするのか基準は分からないけど、馬が引かない鉄の馬車が硬く塗り固められた地面を走ったりしないし、鉄の塊が空を飛んだり海に潜ったりしない。指先一つで湯が沸き、眠っている間にパンが焼けたりもしないのだ。
そこまで考えて、そういえば一つ伝えてないことがあったと思い出す。それどころじゃなかったからうっかりしていた。
組んだ掌に乗せていた部分を顎から頬に変えてアラインを見る。私が何か話そうとしてることに気付いたのか、アラインは擦っていた目元から手を離した。
「…………あのさ、アライン」
「………………」
「あのさアラインあのさアラインあのさアラインあのさアラインあのさアライン」
「………………何だ」
無視か寝落ちか分からない沈黙はやめてほしい。でも、この睡魔なら仕方ないのかもしれない。動きを止めた瞬間、瞬きの一瞬でも眠りに落ちてしまいそうな凄まじい睡魔だ。
何日も食事を抜いたことはないけど、試験前日の徹夜くらいは私にも経験がある。その翌日でも、こんなに強制的で強烈な睡魔は体験したことがない。猛烈な飢餓感が丸々睡魔に入れ替わったみたいだ。
それでも寝ないで頂きたい。あいにく私はアラインのように驚異的な怪力を持ち合わせていないのだ。こっちだって眠いのに、先に落ちたアラインを背負って階段を昇るなんて絶対不可能であり、絶対に嫌だ。そうなったら、一緒に地べたで眠る覚悟である。先に眠った罰で、アラインをベッドにしてやる気満々だ。
寝たら死ぬの代名詞、雪山にいるかのような必死さがここにはあった。必死になった結果、彼が起きている安堵を得た私は。
「…………寝るな」
「はっ……!」
一瞬目の前が真っ暗になっていた。
息を吸って満たされた瞬間に眠りそうになる。そして、吐いて力が抜けた瞬間にも眠りそうになる。呼吸とは睡魔に助力するものだったのか。ならば貴様も敵だ! 今だけ!
隙あらばとろとろと眠りに落ちる意識をなんとか繋ぎとめる。お風呂だ。お風呂に入って着替えたい、それだけを支えに頑張っている。
眠ってしまわないよう、とにかく喋ろうと会話を続けた。
「あの、さ、私のお母さんも別の世界からお父さんの世界に来た人なんだけど…………それって関係ある?」
「……………………………………………………お前、始祖の民か」
随分と長い沈黙を得て、アラインは疲れ切った声を上げた。始祖の民ってなんだろう。紫色の薫り高い葉っぱを栽培している民だろうか。たぶん違う。それだけは私でも分かる。
詳しく聞こうと口を開いた時、食堂の酒気を帯びた熱気に当てられたのか、ほんのり頬を赤くしたトロイが駆け戻ってきた。がやがやと人が押し合いへし合いしている中を、小さな身体を生かしてすいすいと縫ってくる。
両手に大きなジョッキを何個も抱えている店員さんの横をするりと抜けると、ぱたぱた走ってきてアラインの前でぴたりと止まった。肩が軽く上下しているから、酒気にやられたというよりたんに走ってきたからかもしれない。
トロイはじゃらりと鳴る財布を両手でアラインに差し出した。
「師匠、この時間帯はどこの湯屋も貸切は難しいそうですが、女将さんが自宅のお風呂を貸してくれるそうです。無料でいいと言ってくれたんですけど、宿代を多めに払いました。すぐ入れるそうですが、どうしますか?」
「…………向かう」
財布を受け取って懐に戻し、のっそりと酷く緩慢な動作で立ち上がるアラインと一緒に立ち上がる。もう引きずられてもいいやと思ってしまうほど眠い。けれど、衆人環視の元、ひっくり返った亀で引きずられる様を見られるのは嫌だなという年頃の乙女最後のプライドが叫んでいたから頑張った。
アラインの足がふらついて、慌てて支える。トロイも飛び上がって驚いて飛びつく。でも小さすぎて支えてるのかしがみついてるのか分からない。でもきっとその心はお師匠さんに届いてるよ! なんかもう眠すぎて片手で目元覆っちゃってるけど!
長い息を吐いたアラインを見上げていた私の首が、がくんと後ろに倒れた。眠い。
「……トロイ、お前も入れ」
「え!?」
「後はもう部屋を出るな。……これだと外の気配にまるで気が回らない。何かあっても、すぐには追えないぞ」
ぐらぐらと頭を揺らす私より余程まともだけど、足が軽くたたらを踏んでいた。アラインも相当きている。
急いで女将さんに頭を下げて奥へと通してもらう。なんだ、酔ったのかという周囲のヤジに返事を返す気力もなくてへらりと愛想笑いだけで、アラインの背中を押してお風呂場まで急いだ。
調理場の勝手口を通ればまた土間だった。店舗用と家庭用の違いはあれど、調理場が二つ続いている。でも、不思議なことに薪がない。蓋のしまった鍋が乗っている場所が煤けているのを見るとここで火を使うのは間違いないと思う。なのに竃と思わしき場所の下には薪を入れる場所すらなかった。
ならどうやって火を起こしてるんのだろう。不思議には思うけど無言で通り過ぎる。気にはなっても、聞く気力がなければ理解する体力もない。
お店の調理場とは違って、しんと静まり返ってどこかひんやりする土間はすぐに通り過ぎた。
勝手口を出てすぐ右手にお風呂場はあった。好きに使っていいよと気前よく扉を開けてくれた女将さんに頭を下げて、お忙しいだろうからとお店に戻ってもらう。流石に三人一緒に入っている所を見られて、あの気の良い笑顔が曇る様は見たくなかった。
横に引く扉を開けて脱衣所に入る。靴を脱いで誰からともなく背を向けた。見慣れない容器に入った小物を眺めながら、泥まみれの服を脱ぐ。ぱらぱらといろいろ落ちてきて、慌てて心持ち土足場に身体を傾ける。
いろんなものが気になるけど、何より眠い。洗濯物を入れる用と思わしき籠は一つしかなかったので、それぞれ三か所に服を置く。
いざ裸になれば、あれ? ちょっと早まった? いくらなんでもこれはないかな? という考えが頭を過った。過っただけだった。すぐに睡魔に溶けていった。
誰かがお風呂場への扉を開けた音がする。アラインかトロイのどちらが開けたのかは振り向いていないので分からない上に、別にどちらでもいい。とにかく眠い。
背中越しでも、お風呂場の湯気と熱気を感じられる。温かい。あっというまに脱衣所が白く煙る。
「あ、思ったより広いですね。よかったです」
「そぉなんだぁ」
「…………六花さん、起きてますか?」
「寝てるねぇ」
個人宅のお風呂である以上狭いのは覚悟していたけど、思っていたより広い様子に安堵する。この世界での一般的な広さが分からない以上なんとも言えないけれど、この世界での基準でも広いのであれば、商売繁盛しているのだろう。大変結構なことだ。しっかり働き、がっぽり儲ける。素晴らしいことである。
洗い場は三人入っても身体が触れ合わず済む広さがあった。ただ、流石に湯船に三人は無理だと思う。少なくてもトロイは私かアラインの上に乗らないと難しい。
湯船には浸からないという選択があるので問題ないけど。
人様の家の一番風呂を頂くのは抵抗がある。その上こんなにどろどろでは最早浸かるという選択肢は存在しない。それに、浸かってしまえば確実に眠るだろう。いくらなんでも裸で意識を失ったら目も当てられない。アラインがそのまま引きずって往来に出たら、猥褻物強制陳列罪はすぐそこだ。
ぺたりとタイルの上を進む。一つしかない椅子はトロイに譲って直接床に座り込む。一番風呂だから当然誰もお風呂に入っていなくてお風呂場は冷えている。ぺちゃりと座ると、脳天まで駆け抜けた冷たさで目が覚めた。さよなら睡魔! けれど、お湯をかけるとすぐに気にならなくなった。おかえり睡魔……。
魔法のある世界だから使い方の分からない物がたくさんあるんだろうなという不安は的中した。なんだろう、この先に穴の開いた長い管は。長いぐにょぐにょする管の先に丸みを帯びた部分があり、太い串で開けたような穴がたくさんついている。ぐにょぐにょと弾力はあれど、肌とは全然違う柔らかい硬さでなんともいえず不思議な感触だ。
それを持って悩んでいたら、後ろからぬっと伸びてきた手が管の付け根に触れた。付け根にあるガラス玉のような石にアラインが触れた瞬間、覗きこんでいた穴から湯が噴き出す。
「わっぷ!」
思わず取り落とした管を拾い上げ、アラインはさっさと身体を洗い始めたらしい。背中に細かな湯が飛んでくる。どうやらあれは湯が出てくる管のようだ。便利だなと感心する。
いつもなら『なにそれ! ねえ、なにそれ! 凄い便利!』とはしゃいでいる所だが、何せ眠い。用途が分かったらそれでいいやと投げやりになる。
しばしぼんやりとしていたけれど、早く寝たいと我に返りもそもそとシャンプーを探す。でも、すぐに諦めた。どれがシャンプーか読めないので分からない。
「トロイ、シャンプーどれ……」
「…………これです。なんで師匠も六花さんも恥ずかしくないんですか?」
頑なに湯船から視線を外さないトロイに礼を言って受け取る眠い。その背中、肩甲骨の辺りに火傷のようにも見える皮膚の色が違う場所があった眠い。ぼんやりと首を回せば、アラインの背中にも同じ場所に同じ痕がある眠い。これが彼らの言っていた羽の痕なのだろうか眠い。
重たい頭を支えきれず、向きを戻した勢いで側頭部が壁に激突した。
「六花さん!? 大丈夫ですか!?」
「…………眠い」
もうそのままでいいやと、冷たい壁に肩をつけてもそもそと頭を洗う。なんの香りだろうか。好きな香りでちょっと幸せになる。しかし、好みの香りに包まれて眠気は更に増した。同時に、背後の壁と向き合っているアラインの方向からがんっと痛そうな音がした。
「…………眠い」
「師匠まで!?」
虚ろな声にこっちまで眠気を誘われる。
弁当を分け合ったとはいえ、ほぼ初対面の相手と裸のお付き合い。しかも相手は男の人だ。年頃の娘としておかしい上に大変まずいと私も分かっている。羞恥心は一応人並みには持ち合わせているつもりだ。
どうしよう、もうお嫁にいけないかな。だったら、角の家のピーターがお嫁にもらってくれると言っていたから貰い手がいなかったらお願いしよう。いつもいつも元気で愛らしい大好きなピーター。いつも前を通ると綺麗な羽をはばたかせて、『ピーチャンゲンキ! ピーチャン! ヨメニモラッテヤルゼヨゼヨゼ……ピョーチャン!』とプロポーズしてくれるのだ。一つ難点があるとすれば、往来を通る人から犬、しまいには風で転がってきたゴミにまで求愛するところだろう。
愛さえあればなんとかなるだろうか。じゃあいいや。なんとかならなくても別にいいや。
だって眠い。さっきまで感じていた飢餓感が睡魔に変わったかのように、私の本能が全身全霊で『眠いんだ!』と訴えかけている。
背中を向けているんだ。だったらもういいじゃないかと投げやりになってしまうほど眠くて眠くて堪らない。最低限身体を綺麗にすることのほうが重要で、恥じらいに身を捩る暇があるなら寝たいというのが、今の率直な本音だ。
「アライン……お湯出してぇ……」
お湯が止まってしまった管を両手で持っていると、再び肩越しに腕が伸びてきて付け根のガラス玉に触れる。どうやら、ここに何か術をかけてお湯を出しているらしい。触れた瞬間僅かに光った掌を羨ましく思いながら、再び顔面にお湯を受けた。向きを変えるのを忘れていた。
温かなお湯が沸きだす謎の管。これが何かお母さんに聞けば分かるのかな。
でも、目の前にいる人達に聞くという選択肢はない。だって、聞いてもきっと理解できないと思うのだ。この凄まじい睡魔に襲われている中、新しいものについての教示を得る余裕は欠片も残っていなかった。
お湯には浸からず、身体を流すだけで風呂場を出る。さっぱりした。べたついていた身体はさらりとして、いろいろ絡まっていた髪は綺麗になって、ほかほかしている。嬉しい。そして眠い。
脱衣所でアラインの荷物から着替えを借りた。下着まで借りることへの抵抗はあるにはあった。抵抗自体はしっかりあった。でも、泥と苔まみれの服を着直すとせっかく最後の理性で入ったお風呂の意味がなくなる。それらを考慮して睡魔と照らし合わせると、寝られるなら何でもいいやという結論に落ち着いたのである。
とにかく眠たくて眠たくて堪らないのだ。未なら素っ裸でも眠れるし、歩きながら眠れるし、ご飯食べながらだって眠れると思う。お腹いっぱいだからもうご飯はいらないけど。
ちらりとお腹を見下ろす。あれだけ食べたんだからきっと大惨事と思った腹囲は、不思議なことにぺったんこだった。中身どこ行った? 家出? 門限過ぎてますよ!
長い裾は折り曲げていたけど、どうせ寝るんだしと大雑把でやめた。とにかく早く眠りたい。
恐れていた長い髪の乾燥作業は、予想外に早く終わった。どんなに眠くても、流石にある程度は乾かさないと寝具が水没する。自分のベッドなら自業自得だけど、宿屋とはいえ人様のベッドを水没させたら申し訳ないじゃ済まされない。
いつもの手間を覚悟していた私の前に、夢のような物体が現れた。取っ手部分に触れると温風が噴き出してくる器具があったのだ。いつもは時間のかかる作業もあっという間だった。ただし、私が持っても使えないのが難点だ。作業はトロイが手伝ってくれた。
それを無視して歩きだそうとしたアラインには、せっかく着込んだ服を脱ぎ捨て下着姿で立ちはだかり、なんとか事なきを得た。
「素っ裸寸前の私を引きずって通報されるか、もうちょっとだけ待ってくれるかどちらか選べぇ! そして待たせてほんとごめんねっ!」
眠くて頭をぐらぐらさせながら啖呵を切った私の前で、アラインの頭が揺れて後頭部を壁に打ち付けた。そのままずるずると座り込むと、立てた膝の上に頭を乗せて待機の姿勢に入った。それを見届けた安堵で力が抜けてへたりと座り込んだ。アラインの下着だけで公衆の面前に猥褻物を陳列する羽目に陥らなくて本当によかった。
一人立ったまま、一所懸命髪を乾かしてくれたトロイには大変申し訳なかったと思っている。
裏口から宿に戻って階段を上がる。女将さんは『新館だよ~』と言ってくれたけれど、どうも後から継ぎ足して造った部分らしい。階段というより梯子に近い急勾配の階段を手足全てを使って這い上がる。妖怪かな?
人に見られたら驚かれそうな雰囲気でのそりと二階に這い上がった。ゆっくりと立ち上がった身体がぴたりと止まる。壁もないのにどうして進めないんだろうとぼんやりと考える。あっと気づいてぼーっと振り向く。すると、予想通りアラインが階段攻略もう一歩の場所で止まっていた。
「師匠、師匠!?」
後ろにいたトロイが必死に片足を抱えてもぴくりとも動かない。
次の段に手をかけたままの体勢で俯く真珠色の頭をぼんやりと眺める。ここでおやすみなさいしちゃ駄目かな、駄目だよね、したいな、駄目かな、駄目だよね。
ここまで来たんだ、最後まで頑張ろうと大欠伸して手を差し出す。
「アライン、手……」
反応がない。仕方がないとしゃがみ直す。中腰にするつもりが踏ん張りが利かずぺたりと腰を下ろしてしまった。もういいやともう一度欠伸をして、次の段を掴んでいる手を掴み、両手で引っ張り上げる。流石に持ち上げることは適わないも、引っ張る動作に促されてのそりと上がってきた。両手で掴んだ腕が頭の上を通過するまで吊り上げると、そのまま潰された。
「ぐえ…………すぅ…………」
「………………寝るな」
「…………はっ! …………人を押し潰したまま言う台詞じゃないですね」
伸し掛かり、伸し掛かられた状態のまま一つ息を吐く。
睡魔に蕩ける、温く熱い息だった。
鍵の番号から部屋を探して廊下を進む。左右の壁に取り付けられた見慣れぬ照明器具は炎もないのに夜の廊下を明るく照らしている。眠い目を擦りながら、ぎいぎい木の床を鳴らしてそれらの前を通り過ぎていく。
貴人が泊まるような広く豪勢な宿ではないので、案内などなくとも部屋はあっという間に見つかった。奥から二番目が私達の部屋だ。
中に入ると、ごく一般的な宿屋の装飾だった。アラインもトロイも何も言わないから、二人にとっても普通の宿屋なんだと思う。
火がついていないのに明るい不思議な照明器具以外は特に目新しい物はない。ベッドが二つ、小さめの丸机の周りに木椅子が二つ、ベッド脇に小箪笥が一つ。小さな出窓の傍にへちゃりと元気のない花が入った花瓶が一つ。これが昼間だったらもう少し元気だったのだろうけれど、太陽の光を失って久しい時間帯では花も体力を使い切ったらしくへちゃりと下を向いている。そう、まるで今の私のように。
首を上げるのも億劫だ。床を見つめて八割は眠りに落ちている私の横で、アラインは部屋の中を視線で撫でた。そして壁際にあった洋服掛にマントと外套をかける。もう抗う気力もないし、歩くのも億劫だと床に引きずられぬよう背中に抱きつく。凭れているといっても過言ではない。固くて薄い背中に頬をつけていると、風呂上りの湿った温もりで余計に眠くなる。
お父さんの背中とは全然違う。硬いけど薄くて、なんだか力を入れるのが申し訳なってしまう。折れたりしないかな……しないな。これくらいの力で折れるような柔な人は、私をあっという間にぼろ雑巾にしたりしない。
「……ん?」
呼吸のたびに頬に当たる硬い物が気になった。指でなぞると、一定の間隔でぽこぽこと節目がある。もしかしなくても背骨だろうか。幾らなんでも痩せすぎである。太れ太れと念じながら撫でていると後ろ手に回ってきた手に叩き落とされた。くすぐったかったのなら申し訳ない。
服を掛け終わったアラインは、無造作に足を上げてベッド二つを押して寄せた。何してるのかなと、腕を持ち上げて前を覗きこむ。八つ当たりでものに当たってるのかと思いきや、どうやらベッドを寄せているようだ。
ずりずりと雑な動作でベッドをくっつけたと同時に、アラインは倒れ込んだ。盛大に引っ張られたけど、文句も思い浮かばず隣に倒れ込む。待ちに待ったベッド。そう、これ、これなんです。ベッドじゃなくてソファーでも寝袋でも藁でも、寝ていい環境と状況を貰えるなら、もう別に何でもいい。
待ちに待った眠れる状況に、既に意識は解けていた。足まで乗せる気力がない。それはアラインも同じらしく、取り残された足が床についている。浮いたまま揺れている私の足が短いわけじゃない。アラインが長いのだ。たぶん。そうであれ。
頭がぐらぐらする。睡魔という名の靄は、頭だけでなく身体全体を覆って意識を世界から切り離しにかかっている。靄は大変な重さを伴って身体に伸し掛かって、もう、指一つ動かせない。
自宅のベッドではない場所で全力で眠ることが若干気になるものの、どうでもいいと思う比重のほうが大きい。もう瞬きすることすら億劫だ。
「師匠、六花さん! せめて掛布の中に入ってください! 僕じゃ二人を動かせません! お願いしますからぁ!」
足元がもぞもぞすると思ったら、トロイが必死に二人分の靴を脱がせてくれていた。本当にごめん、ありがとう、眠い。頭の中ではそんな言葉が回るのに音にすることもできない。必死に言い募る甲高い子どもの声に最後の気力を振り絞る。
アラインが。
ずりっと這い上がったアラインに引っ張られて、私の身体も突っ伏したまま完全にベッド上に乗りきる。私を散々引きずり回したその力で身体の下に敷いた掛布を引き抜くと、そのまま私の横に倒れ込んだ。ベッドが軋んで私も跳ねけど、この野郎とは思わない。むしろ、一度倒れ込んだのによくぞ起き上がれた。えらい。
アラインは引き抜いた掛布をばさりと私と自分の上にかける。
風呂上りだけじゃない理由で温かい息が触れるほど近い場所にあった。私の息をアラインが吸って、アラインの息を私が吸っているみたいだ。同じ空気をやり取りしていると、まるで私達が同じ生き物になったみたいで、すこしおかしかった。
「灯りは、お前が、消せ。朝まで、外に、出るな。誰も、いれる、な………………」
「師匠!?」
弟子へ最後の指示を絞り出し、アラインの声が途絶えた。
「六花さん!? 六花さんってば!」
「ごめ……おやす……み…………」
最後まで言えたかどうかは記憶にない。
私の意識もそこでぶつりと途絶えている。