79伝 終伽噺と昔話
その昔、ジュルジージャという貴族の家があった。身分は伯爵と高かったが、特筆すべきことは何もない、よくある貴族家であったという。
ある日、ジュルジージャ家に一人の男が生まれた。言い伝えでは、とても美しい男だったと記されている。男の両親の仲は冷え切っていた。苛烈な気性こそ似ていたが、だからこそ気は合わなかったのだろう。毎日酷い罵り合いの喧嘩を繰り返し、互いへ呪いの言葉を吐き合っていた。いつか互いを刺し殺すのではないかと周囲より危惧されていた矢先、五つの子どもを残して二人は死んだ。殺されたのだ。世間的には押し入り強盗によるものだと発表されたが、事切れた互いの手には刃物が握られていたという事実は伏せられることとなった。
一人生き残った跡取り息子は、両親の事件から塞ぎ込みがちになり、必要最低限の使用人だけを雇い、山奥の屋敷に引き籠もる毎日を送っていた。そんなある日、年頃になった彼を心配した親戚が、彼の元へと一人の娘を嫁がせた。穏やかな気性を持つ優しい娘であったという。息子は、今まで得られなかった家族との温かな触れ合いを知った。
やがて二人の間には一人の子どもが生まれた。
平和に思われた結婚生活であったが、いつしか摩擦が生まれ、娘は一人息子を連れて家を出てしまった。男は悲しみに暮れ、狂った。
壊れた男は付近の村や町を彷徨い、子どもを攫うようになった。そうして攫った子どもが逃げ出せないよう、屋敷の増築を繰り返した。窓を開ければ部屋へと繋がり、扉を開ければ階段が現れる。箪笥を開ければベッドが現れ、扉を開ければ天井を歩く。
男は、外の景色を見ることすら叶わぬ様相に成り果てた屋敷の建築に携わった技術者を殺した。そうして設計図を知る人間は誰もいなくなった。
恐怖に震えた住民達が子どもから目を離さなくなれば、遠方へと足を伸ばし、やはり子どもを攫ってきた。攫われた子ども達の行方は頑として知れず、みな途方に暮れた。
ある日、男は一人の青年を攫ってきた。今まで幼い子どもばかり攫ってきた男だというのに、その青年は後二年で二十歳を迎える年齢だったという。
青年は屋敷の中を彷徨った。その頃にはとっくに使用人はいなくなっていたというのに、屋敷の中は不思議と整えられており、そのことが逆に酷く恐ろしかった。
屋敷の中を彷徨ってどれだけの月日が過ぎたことだろう。外が見えない屋敷の中で彷徨い続けた青年は、ある日不思議な光を見た。細く長く、どこまでも続く真っ暗な廊下で出会ったのは、白く光る不思議な鹿だった。青年は、その鹿の後をついていくことにした。鹿は決して青年が触れられる距離には近寄らなかった。けれど青年が鹿を見失うこともなく、ただただ一定の距離を持って、一人と一匹は屋敷の中を進んだ。屋敷の中は静まりかえっており、人の気配は一切無い。男に浚われた子どもだけでなく、青年を攫った男に会うことは一度も無かった。
やがて青年は、ずたずたに切り裂かれた巨大な絵画を見つけた。壁に掛けられた絵画は酷く傷つけられており何が描かれていたのか判別することは不可能だったが、なんと鹿はその絵画の向こうへするりと消えていく。青年は慌ててその絵画に手をかけた。すると不思議なことにその絵画はまるでカーテンを捲るかのような軽さで動き、その後ろには青空が見えていた。
「という話なんですが……あの、本当に誰もご存じでない?」
さっきまで蕩々と語っていたペロンペロンが、そぉっと窺ってくる。当然ながら私は知らないので、首を振った後は大人しくアラインとトロイに任せた。
「知らない」
「知りません」
きっぱりすっぱり躊躇いなく。任せた後も私と変わらぬ存じ上げない宣言が為された為、ペロンペロンは崩れ落ちた。うそぉって嘆かれても、私にはどうすることも出来ない。
私が知っているのは桃から生まれた桃次郎が、山へ芝刈りに行き川で洗濯し、鬼から借りた打ち出の小槌で山田の大蛇を退治し、月へ帰って花を咲かせる話くらいだ。それともここほれ爺さんで大きなカブを引き抜き、取ったこぶをそこに埋める話のほうがいいだろうか。
いや待てよ、硝子の靴を履いた魔女が塔の天辺から垂らした髪に毒林檎が生り、それを食べた王子が泡となり消えてしまいそうになったところへ通りかかった七人の小人が王子を蛙にして事なきを得て、赤い靴を履いて踊りながら現れたお姫様がキスをして呪いが解けた王子と一緒に天竺を目指す話も知っている。
全てが聞き応えあるはらはらどきどきの、先の展開が全く読めない話であった。
天竺へのお供として新たに旅路に加わった、犬、猿、ハシビロコウと共に、きびだんごを売り歩いて資金稼ぎしていく過程は涙ながらには語れない。
寝物語として語られる母の話はとても楽しいが、問題は二つ。
先が気になりすぎて眠れないことと、聞く度に話の内容が変わっていくことである。だからといって父の寝物語はこれはこれで問題だった。何せ辞書を持ち出してきて延々と読むのである。淡々と、抑揚なく、一切の感情が排除された上に夜の為に音量を絞った声で、単語と意味を連ねていく。確かに辞書を読みながら感情をこめられても困るが、こんなの即寝るに決まっている。おやすみ一秒だ。なんなら、父が辞書を持ってこっちに来ている段階で眠り始める。反射とは素晴らしいものである。
ちなみに母は、「寝室よりオキョウが聞こえ、覗き見したらルーナの顔があり、思わず腰がすっぽぬけたよ!」と言っていた。
母は偶に父の顔を見て悲鳴を上げる。確かに父は気配がないので、暗闇で見たら子どもの私達も偶に悲鳴を上げて腰を抜かす。悪いとは思っているのだが、父ももう少し生き物の気配を発する努力をしてほしいものだ。
「うぅ……まさかこの話をしてこんな疎外感を感じる日が来ようとはっ! 聖人様方、本当に、ほんっとうに人間の歴史にご興味がおありではない!」
「あの、これ実話って仰いましたけど、どこまでが実話なんですか? 光る鹿は? それにこの青年この後どうなったんですか? 浚われてきた子ども達は? それに浚ってきたっていう男は結局どこに? 逃げられたんですか? その後はどうなったんですか?」
トロイが矢継ぎ早に質問していく。
確かに、物語としても実際の事件を記した物にしても、色々中途半端な終わりだ。不明な箇所が多すぎる。それだけ広まっている実話なら尚更、その後の詳細は語られていると思うのだが、何だかとっても消化不良だ。食べ過ぎて胃がもやもやするみたいに頭の中で物語がたぷたぷしている。
思ったより落ち込んでいるペロンペロンの前に、本を抱えたまましゃがみ込む。ペロンペロンは、ぐしゃんぐしゃんの頭部を両手で……一部両手だった物で覆ったまま、がしょがしょ嘆いている。しかし、よく聞けば何か喋っていた。
「青年は無事脱出したと言い伝えられておりますが色々不確かで憶測飛び交う物語なのでございますぅ。そもそも脱出しなければ言い伝えられませんし。この話には長い歴史上様々な継ぎ足しやオチがつけられて参りまして、これは原書の形に近しいと言われている部分なのでございますぅ」
空洞の金属音に反響している上にめそめそ泣いているので聞き取りづらいが、何やらこういうことを言っているようだ。めしょーんめしょーんと響いている反響音から言葉を聞き取るのは、なかなか難しい。前のめりで聞いてかろうじて聞き取れるくらいだ。
「ただでさえ一人だけ鎧で寂しいのに、この鉄壁の昔話でも仲間はずれなんてあんまりでございますぅ……聖人様方ならまだ、まだ分かるのに、人間さんがいらっしゃるのにこの孤独感っ! 鎧以上の孤独感! 鎧だけでも孤独感! わたし一人だけ! 一人だから孤独!」
だんだん興に乗ってきたらしい。嘆きの声が大きくなった。これはこれで反響して聞き取りづらい。そしてやかましい。ちょっと仰け反りながら、頬をかく。
「えーと、その、あれですね。私達全員知らなかったから、ペロンペロンさんがいてくれて助かりました?」
たぶん。
自分で言っておいて何だが、助かったような助かっていないのか今一分からない。
助かってなかったら壁をぶち破る予定のアラインは健在で、現在は情報がちょっと手に入っただけなのでよく考えたら別に助かっていない。まあよく分からないが知らないことを教えてくれたことに対して御礼を言うのは悪くないだろう。
「教えてくださってありがとうございまぎゃあ!」
いきなりペロンペロンの頭が上がった。ついでに両手もがばりと開かれる。
「わたしの孤独を癒してくださるのは人間さんだけでございますぅー!」
「私を種族名でしか認識してない人の癒やしになった覚えはありませぐえっ!」
何故かいきなり感極まった様子のペロンペロンが抱きつこうとしてきたし、何故か私の首が絞まった。流石不思議屋敷。出来事の因果関係がさっぱり分からない。
本を取り落とし、空いた両手で絞まった首の解放に努める。何も考えずとにかく隙間を確保しようと、襟元に指をねじ込んで呼吸を確保した。
何が起こったんだと事態把握に視線を動かすと、アラインの背中を見つけた。どうやら私は、しゃがんだままアラインに首根っこを掴まれ、その背後に移動させられたようだ。
がしょんっと大きな音がしてそっちに視線を向ければ、ペロンペロンがまるで自分を抱きしめるように地面に突っ伏していた。
「どうして避けるんですか!」
「避けますし、避けてません」
「どっちですかぁ! わたし謎解き苦手なんですよぉ!」
「私も苦手です。一たす一は二とか」
「それはわたし得意です。数学は学部上位でした。寧ろ万年一位でした」
自分を抱きしめながら地面に突っ伏している鎧に、勉学で負けるこの微妙な気持ち。そもそも何故鎧と競わねばならぬのか、そして負けねばならぬのか。なんとも切ない気持ちだ。
それはともかくとして、私はペロンペロンからアラインの後頭部へ視線を戻す。
「アライン、助けてくれてありがとう」
最近ちゃんと合うようになった視線がこっちを向くまで、妙な間があったような気がする。けれどちゃんとこっちを見てくれた紅瞳を見て気のせいかなと思う。
「聖人様、酷いです……恋人ではないと言ったのに、独り占めなさるなんてっ! わたしだって癒やされたい」
ばしょん! っと、ペロンペロンな金属に相応しい音で地面に拳もどきを振り下ろしたペロンペロンが嘆く。アラインは私から前へと視線を戻す。
「六花は、その勢いで抱くと折れる」
「折れる」
「砕ける」
「砕ける」
ペロンペロンが鸚鵡になっている。見事な鸚鵡返しを披露したペロンペロンが、ぎしょんと私を向く。
「に、人間様は、実は人形様だったとか……? いぃやぁああああ! 怖いぃいいいいい! 人形が動いて喋ってるぅううううう!」
「今のご自分の状態把握してから悲鳴上げてもらえます!?」
ペロンペロンの鎧に怖がられるこの理不尽。大変遺憾である。
「あと、アライン! 私、ちょっとやそっとじゃ壊れないって何度も言ってるから! 大丈夫だから!」
そして、そんな取扱注意物のように思っているのなら、首根っこ持って振り回さないでいただきたい。
「え? じゃあ抱きついて構いませんか?」
「駄目だ」
「何故聖人様がお答えになるのか!」
それもそうだ。まあ、私に問われても答えは駄目ですの一言なのだが。
私が取り落とした本を拾って抱えているトロイも含めた、三人分の視線がアラインを見上げる。アラインはちょっと考えた。
「現段階で、六花の保証人および責任者は俺だからだ」
「え!? じゃあ、聖人様に申し込めば、人間さんとお付き合いが!?」
「駄目だ」
「出来ない!」
がしょんと首が項垂れる、が、すぐに起き上がる。
「手繋ぎが!?」
「駄目だ」
「出来ない! ――一緒にお茶が!?」
「駄目だ」
「出来ない! ――一緒に読書が!?」
「駄目だ」
「出来ない! 聖人様警備、厳しい! 世の父親よりよっぽど頑強!」
勢いよく叫ぶペロンペロンのかけ声と、全く感情にぶれがない淡々としたアラインの掛け合いを見ていると袖が引かれた。余った部分を折り曲げた裾部分だったので、引かれた拍子に解けてしまったようだ。はらりと肌を滑り落ちる布の感触がくすぐったくて、擦りながら袖を折り直す。
「あの、六花さん」
しゃがんでいる私の裾を引っ張れるのは、トロイも私の隣にしゃがんでいるからだ。さっきの私みたいに本を抱えてしゃがんでいる姿は、ちょこんとしていて可愛い。子どもがすると大変可愛い。
「あの……僕あんまりよく分からないんですが、一説では、あの、師匠、もしかして、もしかしてなんですが……嫉妬、してる、とか?」
「違うよ。だってアラインだし」
肌色満載の肖像画に全く反応を示していない人なのだ。一緒にお風呂入り、毎日一緒に寝て、一緒にバスタブにも入った仲だから言うが、とんちんかんな心配はされても嫉妬をされる未来は欠片も思い浮かばない。
「一緒に眠っても!?」
「駄目だ」
「一緒に歩いても!?」
「駄目だ」
「接吻くらいなら!?」
「駄目だ」
「なんならいいんですか――!」
あんまりだと嘆いて床に突っ伏したペロンペロンを、私とトロイは冷たい目で見つめた。それくらいいんじゃないかと思う選択肢の直後に、どう考えても駄目案件を出してくる鎧に、私達の目も気持ちも冷たくなる。ちなみにアラインの視線は変わらない。良くも悪くも平等である。
「六花は」
アラインが会話をしている。少し前のトロイならそれだけで感動していたものだ。しかし今は、何故か期待に満ちた目でアラインを見上げてはいるが、会話が開始されるか否かを息を殺して見守っているわけではない。
人とは成長する。アラインも、トロイも。二人を見ていると、私もいい成長を遂げたいなと思う。
「歩くと泣く」
「泣かないっ!」
そんな不可思議な成長を遂げる予定は全くない。
アラインの中で私の印象がとんでもないまま固定されていく。これはまずい。もし、もしもアラインに恋人なんて出来たら私の恋心は木っ端微塵でしばらく泣き暮らすだろうが、そんな中でもアラインに担ぎ上げられて過ごす可能性が出てきた。恋人と歩くアラインの肩に獲れたての私がぶら下がっている光景を想像し、虚しさと切なさとやるせなさと不可思議な思いがない交ぜになって浮かんでは消えていく。
おかしい。まだ見ぬ失恋の痛みより、不可解さのほうが強い。想像上の恋心さえ戸惑い、砕け散ろうかどうしようか困っている。
「ペロンペロンさんも、私はそういうこと好きな人としかしません。それより、とりあえず話を続けませんか」
「はい、えーと……まずは私の趣味からで宜しいでしょうか?」
「何の話続ける気ですか!? なんちゃらかんちゃら伯爵の話の続きです!」
さっきから全く話が進まない。ここに進行役がいない以上、委員長に全く向いていなかろうが私がなるしかないではないか。誰も手を上げないから仕方なく上げたどころの話ではない。誰も委員長という存在を認識していないのにいないと話が全く進まないという詰み具合である。
気がつけば、泣く泣く委員長に立候補した私をアラインがじっと見ていた。
「嫌な予感と話が進まない予感が!」
「六花、お前は」
「手短にお願いします!」
「好きな相手となら、するのか」
「何を!?」
「接吻」
「その話今度でいい!?」
話が進まない上に、私は羞恥で死ぬ予感しかしない。今度に先延ばししても死ぬ予感しかしないけれど、少なくともペロンペロンとトロイの前でする話ではないと思うのだ。
アラインはあれだ。お母さんの言葉を借りるなら、でりばりーが足りない、というやつだ。……なんか違うな。でらかしー? あ、りかばりー? まあどれにしても、アラインにはまだまだ知らなければならない感情がいっぱいなので、でりばりーは後のほうでいいとは思う。思うけど、そこに至るまで被害を一身に背負うのは私のような気がする。
アラインは素直に頷いてくれた。可愛くてきゅんとした。素直なところは大変好感だ。
「あの、その話わたしとても気になるので是非続けていただけますと」
ペロンペロンが素直に頷いた。話を巻き戻されていらっとした。素直なところは大変遺憾だ。